ラ=ボエーム
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第一幕その八
第一幕その八
「一人で静かに暮らしています。このアパートの西の屋根裏部屋で。青い空と白い雲が見えるだけの小さな部屋です。小さな部屋ですけれど雪が溶けて春になると最初にその春に出会えることが出来ます。四月の最初の接吻が私のものとなるのです」
「いい部屋ですね。僕達の寒い部屋とは違って」
「鉢の中に薔薇が芽をふいて、木の葉が一枚一枚出て来て。素敵な香りがして。私の作る花には香りがありませんがその花はどんな季節にも咲かせることが出来ます」
「つまり貴女は日々春を作り出している」
「はい、この手で」
彼女は言った。
「そしてこの手で神様にお祈りしています」
「小さな冷たい手で」
「こんな私です。おわかり頂けたでしょうか」
「充分です」
ロドルフォは彼女自身からそれを聞くことが出来て満足していた。それでもう充分であった。
「有り難うございます。それでは」
「おーーーーーいロドルフォ」
だがここで下から声がしてきた。マルチェッロ達であった。
「いけない、忘れてた」
「もう五分はとっくに過ぎたぞ」
「原稿はまだあがらないのかい?」
「大詩人もスランプの時があるのか?」
「だからちょっと待ってくれって」
三人はアパートの入り口から呼び掛けていた。ロドルフォはそんな彼等に窓から身を乗り出して言った。
「あと少しだからな」
「出る時もそう言ったぞ」
「明日書けばいいんじゃないのか?」
「それは」
「どうかしたのですか?」
ミミも窓辺にやって来た。そしてロドルフォに尋ねる。
「いえ、ちょっとね」
ロドルフォは苦笑いを浮かべて彼女に答えた。
「仲間が」
「だからまだか?」
「早くしろよ」
「仕方ないな」
彼はまだ言っている仲間達を見て本当のことを言うことにした。
「後で僕も行くから。席を取っておいてくれよ」
「ああわかった」
「それも二人だ」
「二人!?」
「そうさ、二人だ。頼むよ」
ロドルフォの言葉に皆耳を疑った。
「二人だって」
「これはまたどういうことだ」
「女かな」
「いつものモニュスで。頼むよ」
「ああ、モニュスだな」
「うん」
「わかった。そこでな」
こうして三人は先にカルチェ=ラタンに向かった。後にはロドルフォとミミだけが残った。
「僕達も行きませんか?」
「カルチェ=ラタンに?」
「ええ」
ロドルフォはミミの問いに頷いた。
「席はとってもらいましたし」
「それだと断るわけにはいきませんね」
「はい」
そしてミミも頷いた。
「麗しいお嬢さん」
ロドルフォはミミをこう呼んだ。
「その優しい面影が白く優しい月の光に包まれている。何と美しいことなのでしょう」
「私の顔を」
「はい、まるで夢の様です。僕がいつも見ていた夢の様です」
「そんな、夢だなんて」
「いえ、本当です」
彼は言った。
「嘘みたいだ。こんな姿をした人がいるなんて」
「私も」
ミミの声もうっとりとしたものになっていた。
「この想いに溺れそうです」
「それは愛ですか?」
「多分」
顔を少し俯けさせて答える。
「この想いを愛と呼ぶのなら。そうなのでしょう」
「この上なく甘美な言葉です。愛とは。それこそが僕の夢」
「そして私を覆おうとしているもの」
「行きますか」
「はい」
ミミはまた頷いた。
「一緒に」
「けれど外は寒い」
ロドルフォはここで窓の外を見て言った。
「それでも。宜しいのですね?」
「貴方と一緒なら」
この言葉が決まりとなった。
「何処にでも」
「寒くても?」
「貴方が一緒なら寒くもないですから」
「帰る時も?」
「聞きたがりなんですね」
ミミはショールを着ける。ロドルフォはそれを手伝っていた。
「君のことが気になるから」
「私のことが」
「そう。そして君も」
「ええ」
ロドルフォの言葉にこくりと頷く。
「僕のことが気になるんだね」
「そう。それは」
「僕を好きということなんだよね」
「それは」
本来なら頬を赤らめる時なのだろう。だがミミの頬は赤くはならなかった。これはミミの心とはまた別の問題であった。
「好きと言えないの?それじゃあ」
「いいえ」
その言葉には首を横に振った。
「それじゃあ」
「ええ」
ミミは言った。
「貴方が・・・・・・好きよ」
「僕もだよ」
そしてミミを抱き締めた。
「それじゃあ行こう」
「ええ」
「愛と共に」
「愛に誘われて」
二人は部屋を出た。そして三人を追いかけてカルチェ=ラタンに向かうのであった。
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