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剣の丘に花は咲く 

作者:5朗
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第六章 贖罪の炎赤石
  第七話 贖罪

 
前書き
 最近ホンッ~~トにッ忙しかった……。
 
 馬鹿話はなしです。
 期待してたら……ないな……。
 
 それでは第七話です。
 ( ^ω^)_凵 どうぞ。 

 
「五分たったな」

 ポツリと小さく呟いた声にも関わらず、メンヌヴィルの言葉は広い食堂にいる全員の耳に入った。
 椅子からゆっくりとした動作で立ち上がったメンヌヴィルは、手に持った杖を座り込む女生徒たちに向ける。

「さて、誰を殺そうか」

 何の気負いもなく、淡々とメンヌヴィルが上げた声に、女生徒たちから声にならない悲鳴が上がる。

「わしにしてくれんかね」
「あんたは最後だ」

 声を上げるオスマン氏に顔も向けず答えたメンヌヴィルが、近くの奴でいいかと目の前にいる女生徒に杖の先を向けようとした瞬間――。
 食堂に小さな紙風船が姿を現した。
 突如現れた、ふわふわと浮かぶ紙風船に思わず食堂にいる者たちのほとんどの視線が向けられ――。
 紙風船が爆発した。
 激しい音と光を放ち爆発した紙風船に、捕虜となった学院の者だけでなく、傭兵たちもパニックに落ち入る。
 それを好機と、紙風船を飛ばした張本人であるキュルケとタバサ、そしてマスケット銃を構えた銃士が食堂に飛び込んできた。このまま傭兵たちを抑えこめる――筈だった。
 メンヌヴィルがいなければだが。
 女生徒に向けていた杖の先をキュルケたちに移動させたメンヌヴィルが、何発もの炎の弾を放つ。
 その炎の弾がキュルケたちの身体に食らいつく――。

「ははっ! 甘いよ!!」
「むっ!?」

 ことはなく、盾になるように床から現れた岩の壁が、炎の弾を防いだのだ。

「あんたの相手はあたしだっ!!」
「ちっ!」

 キュルケたちの後ろから飛び出したロングビルは杖を振るい、十体の二メイルを超える巨体を持つゴーレムをメンヌヴィルを向かわせる。

「ちっ、ゴーレムか!?」
「正っ解ッ!!」

 メンヌヴィルは迫るゴーレムの内何体かは炎の弾で破壊することは出来たが、全ては破壊できなかった。残ったゴーレムに掴まれたメンヌヴィルは、ゴーレムと共に中庭に投げ出される。
 ゴーレムと一緒に中庭に転がったメンヌヴィルは、素早く立ち上がると、追いかけて中庭に飛び込んできたロングビルに向け炎の弾を飛ばす。

「その程度!!」

 向かってくる炎の弾を、ロングビルはゴーレムで受け止める。炎の弾を食らったゴーレムの身体が、どろどろに溶けていく。

「『白炎』のメンヌヴィル……噂通りってわけか」

 その光景を横目に小さく呟く。
 ロングビルが作り上げたゴーレムは鉄で出来たゴーレムだった。石では脆すぎ、銅では融点が低いため、火のメイジ相手では、鉄のゴーレムを使うのがロングビルの定石だったが、今回は相手が悪すぎた。時間がなく、急拵えで作ったため、鉄の純度はそう高くはないが、それでも鉄製のゴーレムである。それをいともたやすく溶かしてしまう炎。鉄を溶かしてしまうほどの高温の炎……『白炎』のメンヌヴィル。

「一発でももらえば終わりだね」

 余りの高温に、火が草に燃え移る前に草を燃やし尽くしてしまうが、それも時間の問題だろう。その内中庭に生えた草に火が燃え移るのは確実だ。このまま戦っていれば、火の海となった中庭での戦闘になる。そんな場所で何時までも相手の攻撃を避けることなど出来はしない。
 短期決戦。
 それしかない。

「当たらなければ意味ないさね!」

 残った六体のゴーレムを一斉にメンヌヴィルにけしかける。鉄製のゴーレムを溶かすほどの炎だが、六体を同時に全て溶かすのは無理だと判断してでの攻撃。しかし、それは悪手であった。

「馬鹿が」
「なっ?!」

 メンヌヴィルが杖を振るった瞬間、轟音と共に、メンヌヴィルに向かって走っていたゴーレムが同時に吹き飛んだ。

「火を出すだけが、全てではないぞ!」
「爆発させたのか!?」

 轟音と共に吹き飛んだゴーレムの姿を見て、ロングビルは一瞬でその正体を見極めた。メンヌヴィルはゴーレムの前で爆発を起こし、その衝撃波で迫るゴーレムを全て吹き飛ばしたのだ。
 その威力は凄まじく。宙を飛ぶゴーレムの四肢が砕けている。
 空から砕けたゴーレムの破片が降ってくる中、メンヌヴィルが歪んだ笑みをロングビルに向けた。
 その笑みは、まるで肉食獣が餌を前に舌なめずりするかのようで、

「だけど――」

 しかし、ロングビルも負けてはいない。
 ロングビルは不敵に笑っている。
 中庭の草に火が燃え移りだし、炎の明かりが中庭を照らす中、浮かび上がるロングビルの笑みは、ゾッとするほどの恐ろしさと、引き込まれそうな美しさが混じっていた。

「こっちもゴーレムを作るだけが全てじゃないんだよ!」

 ロングビルの声と共に、メンヌヴィルの背後から土の槍が生える。
 ゴーレムをけしかけて直ぐに、ロングビルは呪文を唱え始めたのだった。元からこれで倒せるなど思ってはいない。噂通り(・・・)でも、背後からの土の槍を避けることなど不可能だ

「は――」
「なっ!?」

 った筈であった。
 確かにメンヌヴィルは避けることは出来なかった。
 メンヌヴィルは動かず、ただ、全身に炎を纏わせのだ。
 盾のように、服のように一瞬と言える速度で身体を覆うように現れた炎は、土の槍を燃え砕くと、直ぐにその姿を消した。
 必殺の思いで放った攻撃を容易く防がれたロングビルは、思わず呆然と立ち尽くしてしまう。戦いの最中に、立ち尽くすなど殺してくださいと言わんばかりだが、メンヌヴィルはそんな絶好の好機に攻撃を仕掛けることはなかった。

「ど、どうして……」
「不思議か?」

 動揺で震える声を出すロングビルに、メンヌヴィルがニヤリと口の端を歪めながら問いかける。

「あんたが噂通り温度で世界を見ることが出来たとしても、土で出来た槍に気付くはずが……」
「ほう、お前は知っているのかオレの目のことを、ならば何故気付かなかったのだ?」
「え?」

 メンヌヴィルが顎に手をやり不思議そうな声を上げると、ロングビルは一瞬どういうこと? と眉根を寄せたが、直ぐにその意味に気付いた。

「あっ!」
「今頃気付くとは、まあ、いいところを突いていたが、オレがゴーレムに対応出来た時点で気付くべきだったな」

 ロングビルが声を上げると、メンヌヴィルは自身の身体について語り始めた。

「気付いたようだな。お前の知っている通り、オレのこの目は何も見えてはおらず、代わりに温度で世界を知る」

 メンヌヴィルは目に指を伸ばし義眼を取り出してロングビルに向けと、次に指を耳に指し示してみせた。

「温度で世界を見ることが出来るようになったのはな、別に目が見えなくなってからではない。目が見えなくなってから変わったのは、この耳だ」
「……聞いたことがある。目が見えなくなった者が、それを補うように他の感覚が鋭敏になると」
「その通りだ」

 ロングビルの言葉に、メンヌヴィルは頷いてみせる。

「目が見えなくなってから耳が異様に効くようになってな。集中すればモグラが穴を掘る音さえ聞こえるようになってな。いや重宝するよこれは。特にお前のような土系統のメイジと戦う時はな。温度ではゴーレムを見ることは出来ないが、人と同じように足で動く必要がある。地面を蹴る音や風を切る音で位置や大きさも分かるようになった。それに、今の攻撃のように地面からの攻撃も……知っているか、ああいう時、地中が微かに音を鳴らすのを」
「……クソっ」

 長々と話を続けるメンヌヴィルから視界を外すことなく、ロングビルは悪態をつく。状況は最悪を通り越して絶望的だ。メンヌヴィルが言っていることが本当ならば、奴に有効的な手段を自分は持っていない。奥の手である巨大ゴーレムは時間が掛かりすぎる。メンヌヴィルは、用意しているのを待ってくれるような馬鹿な奴ではない。
 打つ手なし、しかし、ロングビルの目に諦めの色は見えなかった。  

「……ほう、この状況でも諦めないか。何か考えでもあるのか?」

 ロングビルの様子を敏感に感じ取ったメンヌヴィルが、愉快気に笑いかけてくる。
 震えた声が出ないよう、必死に気を張りながらロングビルは言い放つ。

「さてね、そんなに知りたけりゃ、自分で聞き出してみな!」
「はっ! いいぞ貴様! ああ! 嗅ぎたいな!! お前が焼ける臭いが! さぞかしいい香りなのだろう!!」
「出来るものならやってみなこのキ○○イ野郎!! 生憎とあたしの匂いを嗅いでもいい男は、一人だけなんだよ!!」

 鼻腔を広げながら、狂気的な笑みを浮かべ笑うメンヌヴィルに、勢い良く啖呵を切ったロングビルが杖を振るう。

「ハハハッ!!」

 飛んでくる岩の弾丸を、炎の弾で燃やし、砕きながら、メンヌヴィルは次々に炎球を飛ばす。
 ロングビルは飛んでくる炎球を走りながら避けると共に、負けず岩の弾丸を飛ばしていく。
 既に原型が分からなくなっていた中庭に、ダメ押しとばかりに乱れ飛び始めた石弾と炎弾が、中庭に最後の止めを差す。
 最初は互角だった石弾と炎弾の打ち合いだが、時間の経過とともに、戦況は次第に炎弾に傾いていった。空を飛ぶ炎弾の数は変わらないが、石弾の数がどんどんと少なっていったのだ。

「っ、ぁ、っく、ハッ」

 魔力切れが原因ではなかった。

「ぅ、は~っ、は、ぁあ、は~っごほっ! はっ、ぁ」

 火の海となり始めた中庭が生み出す。煙と高温が、ロングビルの体力をどんどんと削っていったのだった。同じように中庭にいるメンヌヴィルだが、火系統のメイジが、それも高位のメイジが自分の放った火で苦しむことはなく。煙と高温で苦しむロングビルに、平然とした様子で笑みを向けていた。何らかの方法を使っているのだろうが、それが分からなければ意味はない。

「っはぁ~、っくっけほっけほっ……く……そ……」
「随分と粘ったが、もう終わりのようだな」

 遂に膝を着いてしまったロングビルに、メンヌヴィルがゆっくりとした動作で歩み寄っていく。

「さあ、嗅がせてもらおうか、お前が焼ける臭いをっ」
「っは~……っ……」

 杖の先を突きつけられるが、ロングビルの目に怯えも恐怖も見えない。
 いや、あるのはあるのだが、それを強い決意が押しのけているのだ。
 絶体絶命の場にいるにもかかわらず、ロングビルは、息を荒げながらも、変わらずメンヌヴィルを睨みつける。目前の死に怯えることなく、睨みつけてくるロングビルが、メンヌヴィルには理解できなかった。今までにもこのような状況は何度もあったが、皆命乞いや悲鳴をあげるだけだった。感情の動きさえ温度により判断できるメンヌヴィルだからこそ、この状況でも温度に乱れが見えない、感情に乱れが見えないロングビルが理解が出来なかった。

「……まあいい、そんなことは些細なことだ」

 理解できなくてもやることは変わらない、いつも通り燃やすだけだ。
 メンヌヴィルは睨みつけてくるロングビルを燃やそうと、炎を放とうとした瞬間――。

「っ~は~は~……っ……遅いんだよ……このハゲ……」
「……さっきから本当に口が悪いですな。ミス・ロングビル」

 メンヌヴィル目掛け迫ってきた炎球がその凶行を止めた。
 炎球を後ろに飛んで躱したメンヌヴィルが、その炎球が飛んできた方向に顔を向ける。
 火の海となった中庭に、新たに現れた影は、息も絶え絶えの様子でありながら悪態をついたロングビルに、ため息混じりの声を返した。

「はは……ハハハハハハッ!! お前は! お前は! ハハハハハハッ! こんなところにいたのか!! 探したぞ! ああ! 間違いない! この温度はコルベール! お前だ!」
「わたしは会いたくはありませんでしたけどね」

 影はロングビルの前まで歩くと、メンヌヴィルに身体を向けた。

「何だ! どうしてお前がこんなところにいるんだ隊長殿!? まさかとは思うが教師をしていたりしていないだろうな!?」
「そのまさかですよ……あなたは相変わらずのようですね」 

 膝を着くロングビルの前に、盾のように立つのは、炎に照らされ、メガネ……と広いデコを光らせるコルベールだった。










 因縁ある元部下を前にして、コルベールはチラリと横目で背後にいるロングビルの姿を見ると、食堂に突入する直前にした会話を思い出した。
 ロングビルとコルベールがメンヌヴィルを、アニエスたちは残りの傭兵を相手をすると決めると、アニエスたちは直ぐに食堂に向かったが、ロングビルは直ぐには動かなかった。周りから人がいなくなると、ロングビルは隣に立つコルベールに話しかけた。

「……あんたが動かなくても、あたしは一人でも奴と戦うからね」
「っ! それは無茶だ!」
「わかってるよ。……でもやらなくちゃいけない。例えあんたがそこから動かなくてもね」

 壁を背に動かないコルベールに背を向けるロングビルに、ふらふらと揺れる小さな声が掛けられた。

「……シロウくんは、一体何故こんなわたしを……わたしがどんな人間なのか知っている理由ではないだろうに」
「……知っているよシロウは……あたしが教えたからね」
「えっ?」

 石のように動かなかったコルベールの顔が、勢い良くロングビルに向けられる。

「な、何を?」
「『魔法研究実験小隊』」
「っ!!?」

 コルベールの身体が跳ねる。
 ロングビルから飛び離れたコルベールの目は、恐怖で揺れていた。

「そこの隊長だったんだろあんたは……そこで随分とまあ、派手なことをしていたようだね」
「な、何故? どうして?」
「蛇の道は蛇と言うだろ」
「き、君は一体」

 肩を竦めてみせるロングビルを、正体不明の化物でも見るかのようにコルベールは怯えた表情で見つめていた。

「……シロウはね、それを知っても考えを変えなかったよ」
「え?」
「言ってたよシロウは……学院で一番警戒していたのはあんただったってね」
「? 警戒? シロウくんが? わたしを?」

 コルベールの顔に浮かんでいた恐怖の色は、ロングビルが口にした予想外の言葉により生まれた困惑に塗りつぶされる。

「たまに向けられる視線の中に、ゾクリとするほど鋭いものが混じっていたってね」
「……」
「だから最初は警戒していたって……でも、直ぐにそれは信頼に変わったとも言ってたよ」
「え?」

 コルベールに話しかけながら、ロングビルは杖を振るう。

「その視線が向けられるのが、生徒に近づいた時だけだって……正体がわからない男が生徒に近づくのを、警戒しているのだとわかったからだってね……」
「いや、そんな……わたしは……」
「……寒気を感じさせるほどの視線の強さは……いざとなれば、命を掛けてでも戦おうとする気概からきたものだろうとも言ってたね」

 地面からゴーレムが姿を現していく。
 鈍色に光るそれは、鉄製のゴーレムであった。

「……そんな人だから、頼りになるって……それほど生徒を大切に思っている男を、信じられないはずがない……てね」
「わた、しは……」

 地面から現れたゴーレムが、十体を数えると、食堂に顔を向けながらポツリと呟いた。

「……そろそろ時間だね。あたしはもう行くよ」
「ミス・ロングビルっ!?」

 離れていこうとするロングビルを、コルベールが上げた悲鳴じみた声が呼び止めた。

「何だい?」
「……あなたは信じられるのですか……こんなわたしを……」
「あたしはあんたなんて信じてなんかいやしないよ」
「え?」

 ロングビルが何気なく呟いた言葉に、コルベールは絶望的な顔を見せる。

「あたしが信じているのはシロウさ」
「し、ろうくん?」
「シロウがあんたを信じるって言ってるんだ。なら、あたしも信じるさ」
「何故?」

 コルベールが訝しげな声を上げると、ロングビルは月光に緑の髪を輝かせながら振り向き、

「惚れた男のことを信じない女がいるかい?」

 輝かんばかりの笑顔を向けた。

「え?」

 呆然とするコルベールを背を向けると、ロングビルは作り上げたゴーレムと共に食堂に向かって駆け出していった。










「……教師? はっ……はははっははははっはははははっ!! 本当に貴様教師をやっているのか!? 『炎蛇』と呼ばれ恐れられたお前が! 何を教えると!? ああっ! そうか、そうか! 効率のいい人の殺し方か? それならば納得だ! オレも受けたいぐらいだからな!」
「……そんなことは教えてはいません」
「はっ! ならば何を教えると言うのだっ! 『魔法研究(アカデミー)実験小隊』の隊長だった貴様がっ! 一体何をっ!」
「ッッ!!??」

 メンヌヴィルの上げる哄笑は、燃え盛る火勢を越え、銃士隊と傭兵たちの死闘が続く食堂にまで届いていた。銃弾や魔法が乱れ飛ぶ食堂の中。一瞬の油断も出来ない状況で、一人の人間が凍りついたように動きを止める。

「子供だろうが女だろうが容赦なく燃やし尽くした貴様がっ! 殺し以外の何を教え――」
「――黙れ」

 小さな声だった。
 しかしそれは、火の海となった中庭に響き渡っていたメンヌヴィルの声を押し留めるほどの力があった。 

「……くくっ……そう、それだ……ああ、二十年前と変わらない……その気配……死の香り……オレから光を奪った男……コルベール……っ!」

 ロングビルの前に立つ、コルベールの気配が変わっていく。
 いつも穏やかで優しい雰囲気を纏っているコルベールから、近寄りがたい何かが溢れ出てくる。
 それは熱。
 それは炎。
 それは死。
 生き物が本能的に恐れる火に対する恐怖。
 触れれば怪我どころか、燃やし尽くされ灰も残らないのではと。そう真剣に考えてしまうほどの……殺気。

「……メンヌヴィルくん……わたしは今……とても後悔しています」
「何をだい隊長?」

 穏やかと言えるほどに落ち着いた声で、メンヌヴィルにコルベールは言葉を掛ける。

「あなたを殺さなかったことをです」
「は――」

 ニッコリと笑うコルベールだが、誰もが見ても、それを笑顔だと言うものはいないだろう。
 まるで仮面。
 笑みの形をしている仮面。
 対するメンヌヴィルが浮かべるものは、同じく笑み。
 コルベールが浮かべるものと違い、それは誰が見ても笑顔だと言うだろう。
 しかし、誰もがその言葉の前に、一言付け加えるだろう。

「ひはははっははっはははっははははっはははははっはっはははははははははは!!!!!」

 「狂った」と。

「ひひひひひひひひひひひひひひひっっ!!! その後悔は遅すぎだぜ隊長殿ぉッ!!」
「そうですね……全くその通りです」

 荒々しく言葉を発するメンヌヴィルに、終始穏やかな口調のコルベール。
 互いに向けられた杖から、炎が吹き出す。
 メンヌヴィルからは白い炎が球となって。
 コルベールからは炎で出来た巨大な蛇が。

「くははっ!! 流石っ!!」
「…………」

 丁度互いの中間でぶつかり合った白い火球と炎蛇は、互いにその存在を潰し合い爆発した。
 爆発の勢いは強く。爆風により、中庭に燃え盛っていた炎が消えてしまうほどであった。

「おいおいどうした隊長殿ぉッ!!」

 爆風により火勢が衰え、それに伴って暗くなった中庭を、コルベールはメンヌヴィルから離れるように走り出した。走るコルベールに向け、メンヌヴィルが何発もの火球を放つ。火が収まり、闇に沈んだ中庭を走るコルベールに、正確に火球が向けられる。いくら中庭が闇に沈もうとも、元から明かりに頼らないメンヌヴィルには何の不利にはならない。

「逃げるだけか!」

 反撃もせず逃げ回るコルベールをあざ笑うが、反撃も返事も何もない。

「今さら怖くなったとでも言うつもりかっ!!」

 食堂の姿が見えなくなるほどの離れるコルベールの背中に火球を放ちながら、メンヌヴィルは駆ける。コルベールはメンヌヴィルに何の反撃もしない。ただ自分に当たる火球を振り返りもせずに、杖から出した炎蛇で焼き潰すだけ。

「いい加減にしろっ!!」

 ただ逃げるだけのコルベールに業を煮やしたメンヌヴィルは、巨大な火球をコルベールに向け放つ。巨大な火球は、コルベールが放った炎蛇にその身を削られながらも、その目的を果たす。直撃はしなかったが、近距離で爆発した火球の爆風により、コルベールは吹き飛ばされた。何メイルに渡って吹き飛ばされながらも、コルベールは膝を立て立ち上がろうとする。

「これでっ! ――つあっ!?」

 足が止まったコルベールに止めを刺すことに集中するあまり、足元がおろそかになっていたのか。メンヌヴィルは泥濘に足を取られ転けてしまう。しかし、メンヌヴィルは慌てることなく、そのまま泥濘の中を転がり、泥だらけになりながらも勢いを殺さず立ち上がると、杖の切っ先をコルベールに突き付ける。


「ここまでだな」

 月を背に立つメンヌヴィルが杖を向けている。
 コルベールとメンヌヴィルとの距離は十メイル程度。メンヌヴィルが火球を放てば、コルベールに避ける術はない。

「……もう止めにしないか」
「は?」

 唐突に掛けられた言葉の意味が理解出来ず、メンヌヴィルが間の抜けた声を上げた。

「わたしはもう、命のやり取りをしたくはないのだよ」
「……ああそうかい……なら良かったな、これからはもう、命のやり取りをすることはないぞ」

 追い詰められたコルベールが口にした気弱げな言葉に、メンヌヴィルの心が怒りを通り越し失望に満ちる。メンヌヴィルは、完全にコルベールに興味をなくし、ゴミを燃やすかのような態度で炎を放ち。

「ッッッッ!!!! ッぁあぁっぁぁっぁぁっぁっぁぁっぁ???!!!!」

 全身が燃え上がった……メンヌヴィルの身体が。
 杖の先から炎が姿を見せた瞬間、メンヌヴィルの全身に火が回った。一瞬で火だるまとなったメンヌヴィルの身体が、地面を転がる。自身の炎の強さが強かったのが災いし、メンヌヴィルが地面に転がった時には既に死んでいた。
 立ち上がったコルベールは、薪のように燃え続けるメンヌヴィルを感情が見えない瞳で見下ろしている。

「……先ほど、わたしの授業を受けてみたいと言っていたが」

 コルベールは、ロングビルの下に向かう前に、事前に罠を用意していた。
 罠としては至極簡単なものである。それは所謂落とし穴に近いものであった。最近作り慣れたある液体で沼地と化した場所にメンヌヴィルを誘導したのだ。
 液体の正体はガソリン。
 普段ならばガソリンの異臭に気付き、その正体が分からずとも、直ぐにメンヌヴィルはその場から引き返しただろう。だが、メンヌヴィルの鼻は火の海となった中庭から立ち上る煙により馬鹿になっていたのだ。
 そのため自分の身体を汚す泥の異常に気付くことが出来なかった。

「……勉強になったかね? ガソリンと言うのだよ……良く……燃えるだろう」









 メンヌヴィルが自らの炎で自身を焼き尽くしていた頃。
 食堂での戦いも収束に向かっていた。
 女生徒たちの悲鳴が響く中、傭兵たちが一人、また一人と倒れていく。銃士隊の隊員たちにも倒れるものもいたが、それでも傭兵たちを超える人数がいた。

「隊長ッ!!」
「ッ!? ちぃいッ!!」

 部下の声に、後ろから魔法を放ってきたメイジ気付いたアニエスは、大きく舌打ちをしながらも、掠りもせずに上手く避け。避けた勢いを殺すことなく魔法を放ったメイジに向かって駆ける。

「このっ――」
「遅いッ!!」

 魔法を避けられたメイジは、直ぐに次の魔法を放とうとするが、アニエスの踏み込みはそれを踏み潰す。

「ごっ――ほッ……ぅ」

 アニエスが突き出した剣は、違うことなく魔法を放ってきたメイジの身体に突き刺さる――が。 

「なっ――このッ!」
「――やれえぃッ!!」

 心臓に剣を突き立てられながらも、最後の力を振り絞り、自身の身体に食い込む刃を素手で掴み、メイジが声を上げる。
 アニエスは一瞬動揺するも、直ぐにメイジの体を蹴りつけ身体から刃を抜くが、遅かった。

「隊長おおおぉぉぉッ!?」

 部下の悲鳴が聞こえる。
 視界の端に、何本ものマジックアローが自分に向かってくる。
 自分の体勢は崩れており、避けることが出来ない。
 いや、例え体勢が崩れていなくとも、避けることなど出来はしなかっただろう。マジックアローはそれぞれバラバラのルートを飛んでいる。どれ一つ当たることなく避けることなど出来はしない。一つ当たれば致命傷となるだろう。

 詰み……か。

 ……ああ……クソ……仇を……故郷の仇を見つけたのに……ッ……ここで……終わりなのか……っ








「――全く……この借りはキッチリと返してもらうよ」

 声と共に、アニエスとマジックアローとの間に、床から壁が飛び出てくる。床から生まれた壁は、マジックアローの全てを防ぎきると同時に崩れだす。

「なっ?!」
「え?」
「ふんっ……ほらぼうっとしない」
「げっぇ!?」
「っごっえぁ?!」

 驚愕の声を上げ固まる食堂にいるものに、呆れたような声が掛けられると共に、食堂内のあちこちからくぐもった声が漏れた。

「これ……は……」

 アニエスが食堂を見回す。
 生き残っていた傭兵たちの体に、床から突き出てきた槍が突き刺さっていた。傭兵たちは、全身を赤く染めながら、小さくも荒い息をしている。

「一応殺してはいないよ。色々聞きたいこともあるだろ?」

 再度聞こえてきた声に向かって、顔を勢い良く向けると、そこにはメンヌヴィルを連れ中庭に飛び出していったロングビルの姿が。ロングビルはあちこち黒く焦げた服を揺らしながら、食堂に入ってくると、ぐるりと周りを見渡した。

「外した奴はいないようだね……ま、メンヌヴィルみたいな奴がそうそういてたまるかっての」

 脅威がないことを確認したロングビルは、生徒を縛っていたロープを切りはずし始めた。

「……ミス」
「何だい隊長さん」
「…………」

 アニエスに顔を向けることなく、ロングビルは生徒を縛るロープを黙々と切りながら声を向ける。

「あの男はどこだ」 
「ん? ああ、メンヌヴィルはコルベールが殺したよ。ふん……やれば出来るじゃないか……なぁ? あんたもそう思うだろう」
「違うッ!! コルベールの方だっ!! 奴は今どこにいるッ!!?」

 激昂するアニエスに、食堂中の視線が集中する。しかし、ロングビルは驚く様子は見せるどころか、振り返りもせずロープを切り続けていた。

「ッッ! 答えろッ!!」
「……うるさいねぇ」 

 手の届く範囲の生徒のロープを全て切り終えたロングビルは、ゆっくりとした仕草で立ち上がると、背後でわめきたててくるアニエスに振り返った。

「いいかッ……ら……ぁ」
「五月蠅いって……言ってるんだよ」

 振り返ったロングビルに言い募ろうとしたアニエスだが、その声は尻すぼみに消えていった。

「っ……く……」
「助けてくれた礼も言わず詰問たぁ、随分と偉いもんのようだね銃士隊という奴は」
「……っ……」

 それどころか、逆に詰め寄ってきたロングビルに押されるかのように、後ずさっていく。

「……コルベールの居場所を聞いて、どうするつもりなんだいあんたは」
「っ! 決まっている! あの男が本当に『魔法研究所(アカデミー)実験小隊』の――」
「ああそうだよ。隊長だった」
「ならばっ」

 ロングビルが肯定すると、後ずさるアニエスの足が止まり、手に握った抜き身の剣に力が入る。

「どうするんだい?」
「そんなのっ――」
「殺すのかい」
「「「「―――っっ!!??」」」」

 ロングビルの言葉に、食堂にいる者の全てが息を飲んだ。
 例外はそれを予想していた者だけ。
 アニエス。
 ロングビル。
 そして……オスマン氏。








「「「「「………………………」」」」」

 訳も分からずアニエスとロングビルの様子を見ていた学院の生徒や銃士隊の隊員たちは、ロングビルが口にした「殺す」という物騒な言葉に息を飲んでいた。視線は、殺すと口にしたロングビルではなく、銃士隊の隊長であるアニエスに向いている。アニエスとロングビルの話は食堂にいる者たち全員の耳に届いていた。アニエスはともかく、ロングビルの声は特に大きくはなかったが、豹変とも言うべきアニエスの様子に、学院の生徒だけでなく、普段の冷静な隊長のことを知っている隊員たちも驚き黙り込んでしまっていたのだ。

「隊長……まさか……本当に?」
「……え? ……殺すって? ……え? どういうこと?」

 アニエスがコルベールのことを殺そうとしているのは、その名前が出た時に感じる殺意で間違いないことは分かる。しかし、その理由が分からない。
 二人の会話から『魔法研究所(アカデミー)実験小隊』というものが何か関係していることは分かるが、それがどう関係しているのかが分からない。
 普段の厳しくも公正明大なアニエスのことを知っている銃士隊の隊員たちは、何か理由があったとしても、学院の教師を殺そうとする隊長のことが理解出来ず呆然と。
 突然学院にやってきて、厳しい訓練を強いた銃士隊の隊長だけれど、傭兵たちから救い出してくれた味方だと思っていたアニエスが、訳の分からないものを作ったり、変なことを言ったりするところはあるけれど、何時も優しくて面白い先生であるコルベールを殺そうとする意味が分からず、学院の生徒たちは混乱していた。
 そんな様々な想いが込められた視線が向けられる中、二人の会話は続く。








「だったら……どうした……その様子だと、お前は知っているようだな、奴が何をしてきた男かということを……わたしの……わたしの故郷を……家族を殺した男だということをッッ!!!」
「――ッッッ!!??」

 悲鳴のようなその叫びに、一瞬空気がなくなった気がした。
 真空のような物音一つしなくなった食堂に、最初に音を生き返らせたのは、

「……知っておったよ」
「っ!?」

 アニエスではなく、それに相対するロングビルでもなく……この学院の長であるオスマン氏だった。

「君は、あのダングルテールの生き残りなんじゃね」
「……あなたも知っていたのか……知っていて奴を雇ったというのかッ!! 人殺しのっ!! 虐殺者のあの男をッ!!」
「もちろん知っておったよ」

 目を血走しながら声を荒げるアニエスに対し、オスマン氏の様子はとても穏やかだった。それどころか、まるで世間話をするかのように、オスマン氏の口元には淡い微笑を浮かんでいる。
 それが感に触ったのか、アニエスは抜き身の剣を握る手に力をいれると、オスマン氏に詰め寄っていく。

「邪魔だっ! 退けッ!!」
「退かないよ……っていうかあんた一体何しようとしてんのさ? まさか、馬鹿なこと考えてんじゃないよね?」

 が、その前にロングビルが立ちはだかり、杖をアニエスに突きつけていた。
 盾になるかのように、立ち塞がるロングビルを忌々しく見つめていたアニエスは、震える手で剣を鞘に戻すと、ロングビルの肩越しにオスマン氏を睨み付ける。

「知っていて……何故あの男を雇った」

 アニエスの声は先程のような怒声ではなく、小さく呟くようなものだったが、声が震えるほどの、そして聞くものを震えさせるほどの怒りと憎しみに満ちていた。

「……未来のため……じゃな」
「は?」

 ぽつりと口にされた言葉の意味が分からず、アニエスの口から息のような声が漏れた。

「どう言う意味だ?」
「……彼と初めて会った時……彼は今にも死にそうじゃったよ……」

 昔を思い出すかのように、オスマン氏は顔を上に上げると瞼を閉じた。

「あの日は、火を教える教師が辞めて、その代わりを探しに王都に向かっている時じゃった。道中オークの集団に襲われての、それから助けてくれたのがコルベールくんじゃった。火を利用した見事な魔法でオークの集団を一気で殲滅した彼に、是非学院の教師となってくれと頼み込んだのじゃが」

 目を開けたオスマン氏は、肩を竦めて見せる。

「見事に断れたのじゃ。『自分は人を殺す方法しか知らない。こんなわたしが人にものを教えられる理由がない』とな。そう言った彼の目を見た時、わしはとても驚いたよ。こんな目をして生きていられる人間がいるのかと。まるで切れこみが入った糸のような人じゃったよコルベール先生は。ちょっとした振動で切れてしまうような、そんな……ギリギリのバランスの上で生きている……そう思ったものよ」

 そこで、オスマン氏の表情が変わった。
 悲しげな表情から、

「じゃからわしは決めたのじゃ……彼を無理やりにでも教師にしようとの」

 不敵な、ふてぶてしい笑みに。

「どういう事だ?」

 オスマン氏の声の独壇場だった食堂に、アニエスの声が加わった。

「わしはの、長生きじゃ」
「知っている」

 アニエスの声に、皆が頷いてみせる。

「長く生きているということは、それだけ色々な人間を見てきたということじゃ。だから彼のような目を見たのは初めてじゃない。ああいう目をするのは、後悔に押しつぶされる前の人間がする目じゃ。自分がやったことの罪悪感や後悔に押しつぶされ、自分で自分を殺す前に浮かべる人間がする目じゃった。……じゃからこそ不思議じゃった」
「……何がだ」

 チラリと未だ煙がくすぶる中庭に目を向けると、オスマン氏は話を続ける。

「彼がまだ生きていることにじゃ。ああいう目をした人間は、直ぐに死んでしまう。なのに彼は未だに死んでいないだけでなく、死ぬつもりなら関係のないわしらを助けてくれた。不思議に思ったものじゃが……直ぐにわしはその理由が分かった」

 オスマン氏はアニエスから視線を外すと、話に聞き入る食堂にいる者たち、生徒を見渡した。

「彼は何かをしたいのだと」
「何かを?」

 アニエスの額に皺がより、訝しげな顔になる。
 オスマン氏は、それを眺めながら、自身の長い髭をしごく。

「彼の望みは死ぬことだということは間違いはない。じゃが、死ぬつもりならとっくに死ねたはずなのに彼は生きている。ならば、それには理由があるはずじゃ……そして、死にたい人間が死ねないことには、理由は大きく分けて2つしかない」

 髭をしごく手を止めると、穏やかな目で睨みつけてくるアニエスを見つめる。

「死ぬのが怖いか……やり残したことがあるかじゃ」
「……奴が……死ぬのが怖いだけの臆病者じゃないと、何故言える?」

 アニエスの脳裏に剣を突きつけられ震えるコルベールの姿が蘇る。

「彼に限ってそんなことはありえんの。彼ほど強い人は……まあ、わしの知る限り片手で数えられる程度じゃな」
「信じられないな……奴がメンヌヴィルを倒したことから、弱いとは言わないが……」
「普段の彼が弱そうに見えるのは、彼が争いを避けている姿が、戦うのが怖い臆病者に見えるからじゃよ。彼は戦いが怖いのではなく、ただ嫌いなだけじゃ。自分が傷つくことよりも……相手を傷つけるのが嫌いなんじゃ……じゃから、避けられる戦いならば、例え罵倒されようとも戦いを避ける。どれだけ罵られようとも、争い傷つけ合うよりもましだと……」

 オスマン氏は食堂を見渡す。
 銃士隊ではなく、生徒一人一人を見つめるように。

「よく……貴族の誇りのためと、決闘を行うものがいるがの。馬鹿にされた、悪口を言われた、ムカついたから、男を、女を取られたから……別に悪いとは言わん。しかし、そんなことで簡単に力で訴える者たちと、戦えば必ず勝てる力を持ちながら、それでも戦いで傷つけあうよりも罵倒されたほうがましだと、戦いを避けるもの……どちらが真に強い者と言えるのかの」
「……だが……わたしには……戦いを避けるだけの臆病も――」
「臆病者があのメンヌヴィルを倒せるのかね」
「…………」

 シンッと静まりかえる食堂に、オスマン氏の声だけが響く。

「……彼は何かをしたいのではないかと、そう考えたわしは、彼を説得した。ああいう者たちがやり残したものというものは、大抵自分でも何をやりたいのかわかっておらんからのう。分かれば説得も容易なのじゃが……土砂降りの雨が止むまで説得は続いたのぅ……何とか彼を学院まで連れて行くことに成功してからも、渋る彼を教師にするまで随分と時間がかかったものじゃ……」

 オスマン氏は懐かしそうに目を細める。

「……今でも良く覚えておるよ。何が切っ掛けかわからんのじゃが、ある日突然彼は教師になることを了承したのじゃ。ずっと教師になることを渋っていた彼が、教師にしてくれと頼みにきたのじゃ」
「……何でですか?」

 ポツリと呟いたのは、アニエスではなかった。
 キュルケでも、ロングビルでも、銃士隊の誰でもなく……。

「コルベール先生は……何で……教師に……」

 ごくごく平凡な、一人の女生徒だった。

「……何で……」

 少女は座り込む女生徒の中から立ち上がり、震えながら繰り返しオスマン氏に問いかけていた。
 特筆するようなところは何もない。知り合いでもなければ、背景の中の一人として埋没するような少女が、食堂中の視線にさらされながらも立ち上がり、オスマン氏を見つめている。

「……君たちは知っているはずじゃよ……ほら、彼が良く言っているじゃろう」

 自分がとんでもないことをしているとわかっているのか、可哀想なまでに震えながらも、座り込むことなく立ち続ける少女に、オスマン氏は、眩しいものでも見るかのように目を細める。

「『炎が司るものが』――」
「「「「「「「「「「『破壊だけでは寂しい』」」」」」」」」」」
「なっ!?」

 オスマン氏の言葉に続けるように、最後の言葉が唱和された。
 一つ一つの声は決して大きくはない。
 精々独り言で済ませられるだけの声だ。
 しかし、それが食堂中の生徒たち全員の声によって同時に呟かれた時、大きな一つの声となった。
 驚きを示すのはアニエスと、銃士隊の面々だけ。
 まるで事前に打ち合わせしていたように見えるほど綺麗に唱和に、オスマン氏は驚きを示さず、ただ口元に淡い微笑を浮かべるだけだった。

「……彼はの、火の系統の生徒たちが、何時か自分のようになってしまった時、それでも生きていけるようにするために、火が司るものに何かを加えたかったのじゃ」

 つうっと、オスマン氏の頬を一筋の涙が流れた。

「全ては子供たち……君たちの未来のために……」





 
 

 
後書き
 感想ご指摘おまちしております。
 次はエピローグです。
 今度は早く上がると思いますが。
 ……結構重要なものがありますのでご注意を。
 それでは、失礼します。 
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