蝶々夫人
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第一幕その四
第一幕その四
「僕がそうだよ」
「はじめまして」
少女はピンカートンが名乗るとぺこりと頭を下げた。
「私が蝶々です」
「蝶々さんだね」
「そうです」
そう名乗るのであった。
「そう呼んで下さい」
「わかったよ。じゃあ蝶々さん」
「ええ」
にこやかな顔でピンカートンに応える。
「山道は疲れたかな」
「いえ」
ピンカートンのその問いにはにこりと笑った後でその首を小さく横に振るのであった。
「別に。それは」
「そう。だったらいいけれど」
「待つ時の方が辛い程です」
「そうか。君はいい娘だね」
「有り難うございます」
「それで蝶々さん」
今度はシャープレスが蝶々さんに声をかけてきた。それまで彼は周りの日本の女達を見ていたがそれを終えてあらためて蝶々さんに顔を向けたのである。
「奇麗な御名前ですが」
「私の名前がですか」
「そうです。お美しい」
名前だけでなくその姿も褒めていた。これは彼の本心である。
「それは本当の御名前でしょうか」
「いえ」
だがその問いには首を横に振るのであった。
「これは。また別で」
「そうなのですか。それでお生まれは」
「ここです」
長崎というのである。
「ここで。長く続いている家でした」
「家でした」
日本語に通じているシャープレスにはその言葉の意味がわかった。
「そうでしたか」
「私は。今は芸者なのです」
蝶々さんは寂しげな笑みを浮かべて己の素性を語りだした。
「どんな者でも立派な素性でないとは言いません。けれどどんなに丈夫な樫の木も大風の前では折れてしまうもの。ですから」
「そうだったのですか」
「はい」
「それでですね」
シャープレスはさらに蝶々さんに問うた。まるで彼女の全てを知るかのように。
「兄弟はおありですか?」
「いえ、母だけです」
そう答える蝶々さんであった。
「父は。名誉を守って」
「名誉を守って?」
「死んだのだ」
首を傾げたピンカートンにシャープレスが小声で囁いた。
「聞いているな。日本では武士は名誉を守る為に切腹する」
「ああ、あれですか」
話には聞いているがそれだけだ。だからピンカートンは頷くことしかできない。
「それで本当に」
「多くは聞くな。いいな」
「わかりました。それは」
「よし。それでですね」
また蝶々さんに顔を戻す。
「お幾つでしょう」
「幾つに見えますか?」
「十歳!?まさか」
これは蝶々さんの背から見たものである。アメリカ人の彼等から見ればそこまで小柄なのだ。
「いえ。十五です」
「十五歳!?」
ピンカートンはそれを聞いて思わず声をあげた。
「それはまた」
「老けて見えますか?」
「いや、全然」
ピンカートンは慌てて首を横に振ってそれを否定する。
「そんなに若いんだ。いや」
「幼いな、まだ」
「ええ」
そしてシャープレスの言葉に今度はその首を縦に振るのであった。
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