シャンヴリルの黒猫
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16話「ユリィの常識講座①“フリークエスト”」
「とりあえず、血の臭いに他の獣がやってくる前に退散するわよ」
ユーゼリアの言で、2人は剥ぎ取った素材をそれぞれのバッグに入れると、そそくさとその場を立ち去った。
アシュレイが最後の素材をバッグに放り込むとき、数頭の“なにか”が2人のもとに向かっているのを感じたので、ちょうど良いタイミングだったと言える。
「血がついたままだったけど、いいのか?」
「ええ。バッグに入れておけばね。腐ったりとか、そういう問題は気にしなくていいのよ。事前に入れておいた毛布とかに血がついちゃうこともないから、安心して」
「ならよかった」
今更血臭などに嫌悪感は無いが、それでも好き好んで血みどろの毛布に包まれたいとは思わない。
嘗ての同輩の中には、好き好んで血みどろの生肉を主食にしていた輩もいたが、やはり彼はマイノリティだった。ちなみに、彼の同志はまだ遣い魔になったばかりの魔獣上がりどもである。
(そういえば、彼の好みの肉は、魔力の高い若い女性の肉だったな)
奴曰く、処女だと尚良いらしい。
あれから1000年たったが、まだ生きているだろうか。
前を軽やかに歩く銀髪の少女を見る。彼女は人間で見れば驚く程の魔力を有していた。ざっと3倍はあるだろう。よくこれだけの若さでこの量の魔力を暴走させずに制御しているものだ。
普通、身に余る魔力は――特に、それが幼い子供だったりすると、自力で押さえ込むことができず、それをそのまま力の奔流として外に解き放ってしまう。それは花瓶や皿、窓ガラス程度ならヒビが入ったり、最悪砕け散ることもある。
ところが、ユーゼリアは実に上手く魔力を抑えていた。微塵も外に滲み出ていない。昨日は単に魔力が無くなったからかと思っていたが、どうやら違うらしい。
(……ま、1000年も経てば変わっているだろう)
それに、この広い大陸の中、ピンポイントでユーゼリアに狙いが定められるなんて、そうそうない。
そうこうするうちに、川の音がし始めた。
ユーゼリアが少し道を外れると、そう遠くないところに小川が流れていた。魚の影も見られる。川底の景色が綺麗に見えるほど澄んだ水だった。昨日の神殿の泉を思い出す。
「お昼にしましょ」
そう言って、ユーゼリアはバッグから携帯食を取り出す。アシュレイもそれに習って自分の分の食料を取り出した。
小さい鍋とスタンドをまた自身のバッグから取り出す。鍋に川の水を入れると、ユーゼリアは杖をスタンドの下に入れた。
「フレイム」
グレイウルフを火達磨にした先ほどよりも威力は大分抑えて、宝玉から火が出た。
「……便利だな」
アシュレイがやろうとすると、鍋ごと燃えるだろう。人間は魔力の総量が少ないため、そういう――つまり遣い魔達の感覚からすると“みみっちい”――作業ができることが、“便利”だ。そう言う意味で言った言葉だが、ユーゼリアには“魔法”の存在を忘れたアシュレイが、“魔法の存在と使い道”という意味で“便利“と言ったと勘違いし、やや得意げにした。
「ふふ、そうでしょ? アッシュはスープ飲む?」
粉末状のスープの素をコップに入れると、鍋からお湯を注いだ。
「はい」
「ども。……あっづ!!」
「あ、熱かった? ごめん…て、あれ? そんなに熱い?」
川に顔面ごと突っ込んでいるアシュレイに、不思議そうに声をかけた。熱いには熱いが、そんなのたうちまわるほどではない。
その“のたうち回っていた彼”は顔を水面から上げると、恨めしげに言った。
「…俺、猫舌なんだよ」
「…………アッシュが?」
「なぜそんなに意外そうな顔をする!」
俺にだって苦手なものくらいある。
憮然とした顔で言うアシュレイに、ユーゼリアはいい繕った。
「なんかアッシュってなんでも出来そうな気がするんだもの」
「情けなくて悪かったな」
「もう、そんなのじゃないってば」
ぶすっと言い返すと、アシュレイはちびちびとスープを飲み始めた。
相変わらず熱い…が、旨い。簡易食にありがちなしょっぱすぎる味でもなく、寧ろ野菜の甘みが引き立てられている。
「……旨いな」
「え、ほんと? 嬉しい。それ私が作ったのよ」
「ほう。器用なもんだ。しょっぱすぎなくて美味しいよ。どうやるんだ?」
「ふふー。それは企業秘密であーる」
アシュレイの気を悪くしたかとおろおろしていたユーゼリアだが、その言葉に気分を良くし、鼻高々に胸を張る。案外あっさりと引き下がったアシュレイに、もしや自分の気をそらすために言ったのかと少々不安になったユーゼリアだが、少しずつではあるがひと口ひと口を本当に美味そうに啜るアシュレイを見ると、まあいいかと笑みを浮かべた。
(思惑通りになるのは癪だけど、いいわ。今回は乗せられてあげる)
アシュレイが何を思ってさっきの台詞を言ったか知らないが、それを聞いてユーゼリアが嬉しくなったのに間違いはなかった。
「じゃ、さっきの素材出して。洗いましょう」
「洗う?」
「ギルドの受付嬢の身にもなってみなさいよ。血みどろの毛皮なんて、いくら仕事でもできたら触りたくないでしょ? それに臭うしね。だから洗うのがマナーよ。まあ、たまにそのマナーの悪い冒険者もいるけど」
「ギルドに渡すのか」
「“フリークエスト”っていってね、特に掲示板に張り出したりはしないけど、殆どの魔物の素材はギルドが買い取ってくれるの。ま、グレイウルフなんかはどれも大した額にはならないだろうけど。弱いし」
「なるほど」
川で地を洗い流してから、バッグにまた放り込む。
その後も他愛ない話をしながら食事を終え、道に戻って森を進んだ。
「……そろそろ暗くなってきたわね。もう少し進んだところにキャンプ地があるから、そこまでいきましょ」
「キャンプ地?」
「1日じゃ抜けられないような森とかには大抵あるの。といっても、そんな大層なものじゃなくて、ちょっと見晴らしがいいように木とかが伐採されてるだけなんだけど」
「へえ」
言われるまま歩き続けると、突然広場のようなスペースに出た。確かにここの方が魔物への警戒がし易いだろう。
他に今日キャンプ地で泊まる旅人はいないようなので、円形に整えられたそこの中心に火を熾した。火の番は交代で行う。
「じゃ、この水時計が10回ひっくり返ったら交代ね。お先に、おやすみー」
「おやすみ。いい夢を」
「……あ、ありがとう」
狼狽しながら毛布にくるまって横になったユーゼリアと、焚火を挟んで座った。足元にはポタポタと中でゆっくり水が垂れている水時計がある。
なんともなしにそれを眺めながら、天を見上げた。ここだけ木が周りにないので、星が驚く程たくさん見える。多分、焚火を消したらもっと沢山あるのだろう。
「はぁ……」
ゆっくりと、息を吐いた。
見上げた天は、1000年前とまったく変わらずに瞬いていた。
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