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アドリアーナ=ルクヴルール

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第一幕その六


第一幕その六

「ここへ来るつもりだったの?」
 彼女はそれに対して問うた。
「うん。だが遅れてしまった、御免」
「どうして遅れたの?」
「階段で君のことを尋ねたら足止めされてしまったんだ」
 彼はそう言いながら視線をほんの僅かな間だがアドリアーナから逸らした。心の中に何かやましいものでもあるのだろうか。
「軽率過ぎるわ」
 彼女はそれを窘めた。彼の目の動きには気付いていない。
「そうだろうか?僕はそうは思わないが」
 彼は恋人の言葉を否定した。
「僕は君とどうしても会いたかったんだ。懐かしい母の面影を残す君に」
「まあ、そのような」
 アドリアーナはその言葉に頬を赤らめた。
「君の心は僕に祖国の芳しい香りと想いを思い出させ、そしてそれにかられる心を癒してくれる。戦場にあっても僕は君を忘れたことはない、君のことが心にあるから僕は勝てたんだ」
「またそのようなお世辞を・・・・・・」
 アドリアーナはさらに顔を赤らめる。だがマウリツィオは言葉を続ける。
「君への想いは僕を詩人にさせてしまう」
「そして戦場でのご活躍は?」
 アドリアーナは戦場での話を聞こうとした。
「それはまた今度話すよ。ところで今日の調子はどうなんだい?」
「今日の調子はとてもいいわ。だって貴方とお会い出来たんですもの」
「それは・・・・・・」
 マウリツィオはその言葉に喜んだ。
「今日は貴方の為だけに演じるわ。今夜は貴方だけを見て、貴方の心まで全て読み取ってみたいわ。もし私を心から見たならば・・・・・・。貴方は感動で涙を流してしまうでしょうね」
「そうか、それじゃあ心を込めて観させてもらうよ」
 彼は恍惚として言った。
「そう、私が欲しいのは貴方のその想いだけ」
 彼女も恍惚とした表情で言った。
「どんなプレゼントや尊敬よりも、宝石よりも貴方のその想いだけが欲しいの。私が欲しいのは貴方の心だけなの」
「では僕もそれに応えよう。君の想いを受け取らせてもらうよ」
 二人はそう言い再び抱き締め合った。そしてアドリアーナは彼に尋ねた。
「貴方の席は?」
「右から三番目のボックスだよ」
 彼は答えた。
「そう、ではそこを見ているわ。そして劇の後で貴方のお屋敷へ行きましょう」
「うん、楽しみにしているよ」
 彼はその言葉に頷いた。
「そしてこれは私からの贈り物」
 彼女はそう言うと胸元に飾ってあったすみれの小さな花束を取り外した。そしてそれをマウリツィオの上衣のボタン穴に取り付けた。
「これは私が貴方に預ける想いの証。劇が終わったら出口で待っていて」
「うん、そうさせてもらうよ」
 彼はそのすみれの紫の花をまさぐりながら答えた。
「約束よ、必ず待っていてね」
 アドリアーナはそう言うと舞台へと向かった。マウリツィオは客席へと向かった。控え室には誰もいなくなった。
 だがすぐに誰か入って来た。左手から公爵が入って来た。何か案じているようである。
 そしてそれとほぼ同時に右の奥から僧院長が入って来た。彼はいささか誇らしげである。
「僧院長」
 公爵は彼の姿を認めて声をかけた。
「こちらにありますよ」
 彼はそれに対して一枚の紙を手にヒラヒラとさせて答えた。
「それはもしかして」
 公爵は彼に尋ねた。
「そうです。デュクロの貞節の証です」
 しかしその声には皮肉がこもっている。どうやら何かあるようだ。
「もう一袋でどうですか?」
 僧院長は公爵に対して悪戯っぽい顔で言った。
「う〜〜む、まあいいだろう」
 公爵は顔を顰め考えながら答えた。
「それではどうぞ」
 手紙は公爵に手渡された。彼は手紙の封を切って読みはじめた。
「どうです?デュクロの字ですか?」
「筆跡を変えてあるな」
 公爵は手紙の中を読みながら言った。
「随分汚い字だな。これはデュクロの字じゃないぞ」
 彼はそう言うと僧院長へ手紙を返した。
「私にはちょっと読めそうにない。悪いが読んでくれないか」
「はい」
 彼はそれに従い手紙を読みはじめた。そこに左の戸口から姫君が、右の戸口から女神がそれぞれ顔を出してきた。
「あら、何か面白いことやってるわね」
 二人はそう言うと顔を隠した。そして様子を見守ることにした。
「今夜十一時にいつものセーヌ川のほとりの別荘で」
「私の別荘だよ、そこは」
 公爵は彼に言った。
「政治工作打ち合わせの為に・・・・・・政治工作、ですか?」
 僧院長はそこで顔を顰めた。
「いいよ、私にはわかるから。続けてくれ」
「はい、それでは」
 公爵に促され僧院長は読み続けた。
「待っております。他言ご無用。ピリオド」
「そしてサインは?」
「親愛なるコンスタンスより、とあります」
「やれやれ、とんだコンスタンスだな」
 コンスタンスとは女性の名であるが貞節という意味もある。
「これはもしかして彼女の仮名ですかな?」
 僧院長は嬉しそうに尋ねた。
「まあね。だが私に見つかったのが運の尽きだ」
「おやおや、デュクロもドジなことだ」
 僧院長は道化て言った。
「僧院長、止めてくれ。何か不愉快になってきた」
「はい。しかし『貞節』とはまた皮肉な仮名ですな」
「うむ。私はどうやらとんだ道化役者というわけか」
 公爵は顔を顰めて言った。
「そしてその手紙の届け先は何処になっているのかね?」
「この劇場内ですね。右側三番目のボックスです。・・・・・・あれっ、これはもしかすると」
「浮気相手が誰か知っているのかい?」
 公爵は彼に尋ねた。
「ええ。確かザクセン伯の筈ですよ」
「ザクセン伯?ああ彼か」
 公爵も彼のことは知っているらしい。
 
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