アドリアーナ=ルクヴルール
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第一幕その五
第一幕その五
「アドリアーナ」
彼はアドリアーナに声をかけた。
「はい」
彼女は練習を続けながら答えた。
「ええと・・・・・・」
彼は頭の中で言葉を選んだ。
「ちょっとしたニュースなんだけれど」
「良いニュースですか、それとも悪いニュースですか?」
「そうだね、考えようだが・・・・・・」
彼はためらいながらも言葉を探す。
「カルカッソンヌの私の叔父さん・・・・・・薬屋をやっているのだがね」
「その方が?」
アドリアーナはここで顔を向けた。ミショネはその顔をみて一瞬ギクリ、とした。
「死んだんだ・・・・・・」
「それはお気の毒に」
彼女は哀しげに答えた。
「しかし私に遺産を残してくれたんだよ、一万リラも」
「それは良いニュースですね。叔父さんはお気の毒ですが」
「うん、しかし・・・・・・」
彼はここで再びためらいながらも言葉を続けた。
「この一万リラをどう扱えばいいのだろう。正直扱いに困っているんだ」
「それの方が私にとっては余程不思議ですけど」
アドリアーナは首を傾げた。ミショネはそれを見て言葉を続けた。
「だがいい考えが浮かんだんだ」
「その考えとは?」
「おかしな事なんだが・・・・・・」
アドリアーナに悟られぬよう、だが少しはにかみながら言った。
「おかしな事?」
アドリアーナはその言葉を不思議に思いながら尋ねた。ミショネの様子は変だとは思っていない。
「うん、結婚をしようと思うんだ」
「いいことですよ、それは」
アドリアーナはその言葉に喜んだ。素直に祝福した。
「そう思うかい?」
ミショネは彼女に優しく問い詰める様に尋ねた。
「ええ」
アドリアーナはそれに対して答えた。
「私も早く結婚したいのですけど」
「えっ、貴女もですか!?」
ミショネはその言葉に声を弾ませた。だがアドリアーナはそれには気付いていない。
「はい。その事で少し考えているんです」
アドリアーナはだんだん沈んできた。だがミショネは逆にうきうきしている。両者共互いのことには気付いていない。
「神よ、感謝いたします」
ミショネはボソッと独白した。
「私も最近色々と考えることが多くなってしまいまして」
「それはどのようなものですか?」
ミショネは親切に尋ねた。何とか告白する機会を探っているのだが困っている人を見捨ててはおけぬ彼の人柄もそうさせていた。
「昨夜貴女が演じられた劇は素晴らしいものでしたよ」
自然と慰めの言葉が出る。
「はい、有り難うございます」
それまでいささか躊躇していたアドリアーナだがその言葉に元気付けられた。
「戦争の話が広まっていますね。確実な話はありませんけれど。それが凄く気になっていたのです」
「どうしてですか?」
ミショネはその言葉にさらに尋ねた。
「あの方が無事かどうか」
「あの方とは?」
「私のナイト・・・・・・」
「ナイト・・・・・・?」
ミショネはその言葉に不吉なものを感じた。
「けれど今日帰って来ました」
「今日ですか?」
「はい、今日です」
アドリアーナは話すうちに次第に明るくなってきた。ミショネはその逆であった。
「それでもずっと心配だったんです。これからもそうですが。けれどミショネさんにお話して胸の怯えが消えました。あの人は今生きているから今のあの人を愛せばいいと。そう思いました」
「そうですか・・・・・・」
ミショネはその言葉を聞いて肩を落とした。だがアドリアーナはそれに気付いていはいない。
「彼はサクソニア伯爵の旗手を務めているんです。そして彼はポーランド王、ザクセン選帝候の勇敢なご子息・・・・・・」
当時ザクセン選帝侯はポーランド王も兼ねていた。そして欧州において権勢を誇っていたのである。
「彼が戦いに出た後行方が途絶えていましたの。ところが昨日あの方にお会い出来て・・・・・・」
アドリアーナの顔はそれだけ言うともう恍惚としていた。
「そうですか・・・・・・」
彼は肩を落としたまま呟いた。アドリアーナは恍惚としたままなのでまだそれに気付いていない。
「それで今日私の舞台を見に来るんです」
「それはよかったですね」
「そう思うでしょう!?」
「はい・・・・・・」
彼はそう言うと後ろを振り向いた。
「結局私の運命はこんなものさ」
彼は自嘲気味にそう呟いた。
「ミショネさん、私は幸福だと思いませんか!?」
「はい・・・・・・」
彼女は上機嫌でミショネに問う。彼はそれに対して力無く頷くだけである。その時奥から合図の音がした。
「合図か・・・・・・」
彼は肩を落としたまま戸口の方へ向かった。そしてその向こうへ消えていく。その時頬を服の袖口で拭いたがアドリアーナはそれには気付かなかった。
アドリアーナは暫く練習を続けていた。すると役者用の戸口から一人の若者が姿を現わした。
ザクセン軍の将校の軍服を着ている。引き締まった長身の若者だ。豊かな金髪に青い瞳を持つ美男子である。彼こそザクセン選帝候の子でありアドリアーナの想い人であるマウリツィオである。
子といっても庶子である。ザクセン候には多くの庶子がおり彼もその一人であった。だが武勇に秀で父に愛されザクセン伯に任じられていた。戦場においてはその知略で知られている。
「アドリアーナ」
だがそんな彼も戦場を離れては恋をする一人の男に過ぎない。恋人の姿を認め駆け寄る。
「マウリツィオ」
彼女もそれに気付いた。そして彼を迎え入れ抱き締める。
「やっとここまで来れたよ」
彼はアドリアーナを抱き締めながら熱い声で言った。
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