蒼き夢の果てに
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第5章 契約
第51話 湖の乙女
前書き
第51話を更新します。
尚、後一話。第52話を更新したら、アットノベルスに追いつきますから、更新のスピードは通常運転に戻します。
流石に、2本を同時に書きながら表の生活も熟す必要が有りますから、ちょいとドコロではないぐらいに忙しいんですよ。
この時期は、体調も落ちますから。
七月 、第一週、エオーの曜日。
豪奢な寝台の上に眠る少女が、僅かに身じろぎを行った。
一昼夜、こんこんと眠り続けた眠り姫に、ようやく訪れた覚醒のサイン。
その瞳が開かれるのを、彼女の傍らにて無言で待ち続ける俺。
そして、……ゆっくりと過ぎて行く時間。
普段の凛とした雰囲気の彼女。
そして繊細で可憐。更に安らいだ寝顔を、今、俺に見せて居るのも彼女。
彼女が目覚めるに相応しい心地良い大気が世界を支配し、夜と月の子供たちが世界に踊る時間帯……。
「……おはようさん」
俺は、ゆっくりと開かれたその蒼き瞳を確認した後に、そう、自らの主人に対して言葉を掛けた。
普段通りの目覚めの挨拶を……。
俺の声を聴いて、少し安心したかのような気を発し、彼女は軽く上半身を捻じるようにして身体を俺の方に向ける。
そして、その蒼き瞳に、魔法に因り照らされた明かりの下に存在する俺の姿を映し……。
ゆっくりと上半身を起こし、寝台の傍の椅子に腰を下ろした俺と同じ目線の高さに成った彼女が、白い、……より繊細な印象の腕を躊躇いがちに伸ばし、俺の頬にそっと、その冷たい指先を当てる。
いや、寝起きの彼女の指先が、そんなに冷たい訳はない。これは寝起きの彼女に、余計なショックを与える事に因って緊張を強いたから。
但し、彼女が意識を失う直前の事を忘れて居なければ、目覚めた時に俺が居なければ、それはそれで、余計なストレスを与える結果と成る。
まして、隠してもあまり意味がない事ですから。
「気にするな……と言ったら、信用して、それ以上の事を聞かないで置いてくれるか?」
今まで通りの右の瞳と、変わって仕舞った左の瞳で彼女を見つめながら、そう問い掛ける俺。
しかし……。いや、当然のように首を小さく三度、横に振る蒼き姫。
これは否定。そして逆の立場に有ったのならば、俺も同じ答えを返すで有ろう反応。
俺は、頬に触れたままの彼女の左手を、壊れ物を扱うような慎重さで、そっと掴み、そのまま、自らが座った椅子ごと彼女の方に一歩近づく。
そうして、
「この変わって仕舞った左目は、タバサと擬似的な血の契約を結んだから起きた霊障」
最低、最悪の事実を言葉にした。
繋がれた右手と左手が、彼女によって、手の平同士を合わせ、指と指を絡めるような繋ぎ方へと変えられる。
そう。それは、あの時と同じ繋ぎ方。強くて、弱い、あの時と同じ繋ぎ方。
「但し、タバサは気にする必要はない。おそらくこれは、タバサの家系が受け継いで来た血族の血の所為で、こう成った訳ではないから」
繋いだ手に因って、体温が直に伝えられるように、そう彼女に告げる俺。
そして、更に続けて
「これは解釈が難しいけど、俺に刻まれた使い魔のルーンに関する事象だと思う」
……と、自らの主人に告げたのだった。
そう。これはおそらく、オーディンが左目を失った伝承に繋がる現象。
魔術の知識を得る為に、知恵の神ミーミルに自らの左目を差し出し、代わりに知識を得たオーディン。
俺は、タバサと擬似的な血の契約を為し、彼女とのより深い繋がりを得る代償として、更にオーディンに近い能力と未来を得たと言う事なのでしょう。
「聖痕とは、全人類の原罪を背負って果てた救世主の伝承を再現するもの」
俺の言葉が紡がれる度に、彼女の指先から暖かさが失われて行く。
「オーディンの伝承とは、ラグナロクと呼ばれる最終戦争で、フェンリルと呼ばれる魔獣に呑み込まれて死亡する伝承」
夜に相応しい内容を、ただ淡々と告げる俺。
そう。既に、すべての生け贄の印は刻まれ、オーディンの印に関係する追体験も起こりつつ有る。
そうして、対する世界の危機。最終戦争。ラグナロクに相当する何かも、大体の想像が付きつつ有る。
これだけ、レア物のクトゥルフ神話に登場する魔物の相手をさせられたら、嫌でも気が付くでしょう、普通は。
旧神……いや、地球産の神々と、外なる神々の争いに巻き込まれて仕舞ったと言う事が。
タバサが何かを言いたげな。伝えたげな雰囲気で俺を見つめた。
……これは、決意。何物にも揺るがぬ決意を秘めた瞳。
「あなたは死なせない」
俺を逃がさないようにするかのようなその視線。そして、俺に安易な結末を選ばせないかのような、その真摯な瞳の中心に俺の顔を映す蒼き姫。
「例え、すべての事象。運命さえもが貴方を連れて行こうとしても、わたしがそれを許さない」
これは誓約。誰に誓った物でもない。たった一人。自らに誓った誓約。
使い魔のルーンにしても、聖痕にしても、クソったれな神とやらが刻んでいるのなら、誓約を誓う相手は誰でもない。それは自分自身以外に存在しない。
そして同時に、これで、簡単にケリを着ける方法を試す事は出来なくなったと言う事でも有ります。
どんな結末が待っているにせよ、この目の前の少女に残してやる物が有るのなら、それはそれで良いか、……と言う、自らが楽に成る為の安易な結末を。
俺としては、それが一番簡単で楽なのですが。
「心配する必要はない」
俺は、握ったままの右手に少し力を籠めてそう言う。そして、
「俺は、約束を忘れた訳やない」
柔らかく、そして小さな手に、少しの力を籠めて握り返して来る蒼き姫。
其処に、少しの温かさが宿り始める。
「この件に関しては、二人で対処する」
彼女を哀しませない為だけではない。
独りで歩いて行く孤独に耐え切れず、彼女の手を取った訳でもない。
「そう言う約束、やったやろう?」
共に歩いてくれる彼女を、変わって仕舞った瞳に映しながら、そう問い掛ける俺。
もう一度、繋がれた彼女との絆を確かめるかのように……。
☆★☆★☆
煌々と照らし出される夜空を滑る翼ある竜。
雄々しき翼を広げ、夜の大気を斬り裂き、果ての無い茫漠とした空間との距離を縮めて行く。
空には紅と蒼。二人の女神に祝福されしこの世界の夜は、俺の知って居る世界の夜に比べると明るく、
そして、地上の灯火によって邪魔される事のない暗穹には、名前も知らない星が瞬いていた。
そう。其処に存在していたのは宇宙そのもの。ここが、分厚い大気の層の深海に存在する場所などではなく、宇宙の一部だと実感させられる遙かな高み。
七月、第一週、イングの曜日。
……いや、正確には後少し。時計の針が後、二十度ほど動けば、明日。オセルの曜日となる時間帯。
尚、命令を受けたのが昼の間なのに夜に成ってからの移動と成った理由は、タバサの体調を考慮したから。流石に、覚醒してから日の浅い彼女には、夏の昼間の飛行は身体に掛かる負担も大きくなるだろうと思っての、夜に成ってからの出発となったのです。
「そうしたら、タバサ。ラグドリアン湖異常増水事件に関しての調査方法は何か当てが有るのか」
最早指呼の距離となったラグドリアン湖を前にして、蒼き姫に問い掛ける俺。
陰、静などの属性の他に、夜と言う属性を得た少女が、俺をじっと見つめる。出会った時のままの、その蒼き瞳で……。
そして、
「貴方の式神の水の精霊に、ラグドリアン湖の精霊を呼び出して来て貰う」
至極、簡単な答えを返して来るタバサ。
そして、それは俺の調査方法も同じです。確か、以前に聞いた話に因ると、ラグドリアン湖の精霊とは、湖の底の部分に自らの国を作って暮らしていると言う話なので……。
おそらく、地球世界の伝説に存在している水晶宮のようなモノを造り上げて暮らしているのでしょう。
尚、本来の水晶宮とは、別に水の底に存在している訳では無く、位相をずらした異空間と言うべき場所に存在している、……と言う事で有って、海底宮殿宜しく、水の底に宮殿が建っている訳では有りません。
伝承上の水晶宮と言う物は。
そして、俺が向こうの世界で所属していた水晶宮とは、龍種の互助会制度のようなモノ。例えば仕事の斡旋などを行う組織で有って、実際に海を支配していた訳では有りません。
もっとも、嘗て……。一九九九年以前には別の役割が有ったらしいのですが……。
「ラグドリアン湖の精霊と言うのは、ラグドリアン湖を完全に支配する精霊。そう考えても良い訳なんやな?」
俺の引き続き行った質問に対しても、首肯く事によって答えと為すタバサ。
成るほど。しかし、その場合だと、この異常増水事件の原因とは……、
ひとつは、そのラグドリアン湖の精霊自身が起こしている事件の可能性。
そして、もうひとつ。それは、その湖のすべてを支配するはずの精霊でさえ対処する事の出来ない厄介な事件が起きつつ有ると言う可能性。
最後のひとつは、何が起きているのか原因は判っているけど、湖の精霊が、その異常に増水を続けている状態を放置している可能性。
さっと思い付くのはこの三つのパターンぐらいですか。
それならば、これから……ラグドリアン湖に到着して、湖の精霊を呼び出してから起きる可能性の有る事態は。
そのラグドリアン湖の精霊相手の戦闘に発展するか、
それとも、湖の精霊に協力して、厄介事に対処するのか。
湖の精霊の依頼に因って、俺とタバサのみで厄介事に対処するのか。
最後は、その湖の精霊によって簡単に事態が収拾されるけど、代わりに別の依頼を受けさせられる可能性。
もっとも、この内のどれで有ったとしても、それなりに手間の掛かりそうな雰囲気ですか。
そうしたら、
「そのラグドリアン湖の精霊とはどんな存在なんや。純粋な水のエレメントなのか、それとも、具体的な何かの姿形を取ったモノなのか」
次は、この疑問に関しての質問ですか。そう思い、引き続きタバサに尋ねる俺。もっとも、これは有る程度の確認作業以外の何物でもないのですが。
例えば、俺の前に顕われた湖の乙女と名乗った少女や、俺の連れている水の精霊ウィンディーネは女性形の姿形を持つ存在の代表的な例です。
そして、純粋な水のエレメントとは、大気の中に存在する小さき精霊たち。後は、ソロモン七十二の魔将の中に存在する魔将ビフロンスなどの水由来の不定形の魔物の代表例ですか。
「ラグドリアン湖の精霊は不定形の魔法生命体」
しかし、タバサの答えは俺の予想を微妙に裏切る答えで有った。
……そうだとすると、あの夢で二度、出会った少女はラグドリアン湖の精霊では無かったと言う事なのでしょうか。
それとも、そのラグドリアン湖の精霊には、相手の心を読む技能が有って、俺が受け入れやすい姿形を選ぶ事が出来るのか、
もしくは、彼女との間に本当に前世より結んだ縁が存在していて、その前世の姿と言うのが、あの時に……彼女が顕われた時の姿形だったと言う事なのか。
神霊がウソや冗談を言う可能性……はない事もないけど、あの時に顕われた彼女は、そう言う存在とは少し遠いような気がしますから。
「そうか。それなら、後はラグドリアン湖の畔に着陸してからやな」
上空より見下ろした先に広がる光る湖面を見つめながら、俺はそう話を締め括った。
そこには――――、そう。まるで、鏡面の如く夜空を映した、もうひとつの宇宙が存在しているかのようで有った。
☆★☆★☆
二人の女神の姿が湖面に優しい光を落としていた。
上品な暗穹は、まるで上質なビロードの如く蒼穹を覆い、其処に散りばめられた星々は宝石の如く悠久の時を教え、
そして、寄せては返し、返しては寄せを繰り返す水の営みは、湖面を渡る涼風と相まって、限り有る時の儚さを報せる。
但し、一週間前まで確かに浜が有ったはずの箇所が、既に半分以上、その土の支配領域が水の領域へと浸食されて居る事を如実に語ってもいたのですが。
双月に照らされし、夜に相応しい気を纏う蒼き姫を見つめる俺。
そう。この任務はタバサに下されし任務。ならば、彼女の許可を受けてから始めるべき。
……と、形式論で武装してみるのですが、実は、聞く者を穏やかな気持ちにさせる寄せ来る波の音と、真夏の昼を支配する容赦なく照らす陽の光りとは違う紅と蒼の月の穏やかな光り。そして、俺をその瞳に映す蒼き吸血鬼を記憶の中に留めて置きたかった。ただ、それだけなのですが。
新たに夜の属性を手に入れた、元々、冬と水の属性を持つ彼女を……。
タバサが無言で首肯く。彼女に相応しい表情を浮かべて。
俺も同じように首肯いて答える。そして、
「ウィンディーネ」
青玉に封じられし水の精霊を現界させる俺。確かに自らが潜って行って探す、と言う選択肢がない訳でもないのですが、それよりは水の精霊に頼む方が確実ですし、精霊とは仕事を与えられる事を喜びとしていますから、こちらの方が良いでしょう。
そして、次の瞬間。派手な演出もなく、青玉より顕われる水の精霊ウィンディーネ。
「そうしたら、すまんけどこの湖に住む湖の精霊と言う存在を、この場に連れて来て貰えるかな。拒否されたら、無理強いする必要はないから」
俺の依頼に無言で首肯き、そのまま、ラグドリアン湖の湖水に姿を消すウィンディーネ。これで、このラグドリアン湖に、その湖の精霊とやらが住んで居るのならば、彼女に任せて置けば、確実にここに連れて来てくれるでしょう。
そして、その時に、そのラグドリアン湖の精霊と呼ばれる存在が、俺の夢の世界に顕われた湖の乙女と名乗った少女と同一人物かどうかが判りますから。
そう考えながら、俺は、左腕の腕時計にて時刻を確認する。
時刻は午前零時を少し回ったトコロ。空には、紅と蒼。二人の女神が煌々と灯り、地球世界の暦で言うのなら、天の川の両岸に立つ牽牛星と織女星が、年に一度。今晩だけ出会う事を許されたと言う夜。
それも、神事が始まる『夜明けの晩』と言われる時間帯。
う~む。どうも、時間帯からすると、湖の精霊の手に因って、あっさりと、このラグドリアン湖異常増水事件が解決するとは思えないような、微妙な時間帯ですか。
確かに、タバサの体調を考慮したのなら、夜間に湖の精霊と接触して、それから、太陽が昇る前に事件のあらましを知って置く方が良いのですが、夜とは、魔と言う属性に含まれるモノたちが活発に動く時間帯でも有りますから……。
胸の前で腕を組み、ただ、水の精霊が水中へと消え去った場所を瞳に映しながらも、心は何処か別の場所で遊ばせていた俺と、俺の右肩の高さに視線を置いて、俺と同じように水面をただ見つめ続けていた蒼き吸血姫。
刹那。俺達が立つ湖の畔から、大体二、三十メートルほどはなれた水面が輝き、寄せては返し、返しては寄せる、を繰り返していた波以外の、漣のようなモノが立ち始めた。
その瞬間、タバサが俺の前に一歩踏み出した。それは……そう。まるで、俺を護ろうとするかのような配置と言ったら伝わり易いですか。
……この彼女の行動から察すると、ラグドリアン湖の精霊と言うのは、危険な存在だと言う事なのでしょうか。
しかし、不意打ちを行う相手なら、この如何にも、これから登場しますよ、と言う雰囲気を演出する訳はないと思うのですが……。
やがて、俺の式神の水の精霊が湖から上陸して来て、俺とタバサの後ろに付く。
そして……。
ラグドリアン湖の精霊が顕われた瞬間、タバサから、少し驚いたような気が発せられた。
但し、俺に取っては別に驚くような事態は起きていないのですが。
何故ならば、俺の式神の水の精霊に続いて、一人の少女。あの夢の世界で出会った紫の髪の毛を持つ少女が、俺とタバサの正面に水中より顕われただけですから。
「矢張り、ラグドリアン湖の精霊って言うのは、お前さんの事やったんやな」
俺の、旧知の相手に対する問い掛けに、湖の乙女と名乗った少女が、俺を真っ直ぐに見つめた後に、小さく首肯く。
但し、同時に少しの違和感を発した。これは、少し会わない間に変わって仕舞った俺の見た目に対する違和感でしょう。
しかし、其処まで。彼女は、それ以上は何も問い掛けて来る事は無く、そのまま、深い湖の深淵を覗くが如き瞳に俺を映すのみで有った。
その仕草は矢張り、タバサにそっくりの反応。これではまるで、良く似た姉妹と言う感じですか。
雰囲気も似たような雰囲気。そして、銀のフレームと、紅いフレームの差は有りますが、それでもメガネ装備で有るのは同じ。髪の質は、タバサの方がクセは少ないようですが、共にシャギーカットのショート・ボブ。まして、幻想世界の住人に相応しい蒼と紫の髪の毛の色。
服装に関しても、タバサの方は魔法学院の制服で、湖の乙女と名乗った少女の服装は、……前回、彼女が顕われた際の衣装は、魔法学院。それもどうやら、リュティスに存在する魔法学院の制服らしい服装だったのですが、今回の服装に関しては……。
この世界の水兵の服装。……いや、水兵はミニスカートなど身に付けないから、これは、地球世界の女子学生の制服のセーラー服。
ただ、身長に関しては、タバサよりも、やや、湖の乙女と名乗った少女の方が高いように感じますね。
そして……最後のスタイルに関しては、沈黙を守りましょうか。
タバサは黙して語らず。この辺りは普段と変わりない反応ですが、少し驚いているのは間違い有りません。
確かに、目の前の少女が水中から現れたはずなのに、一切、濡れている様子がない事が不思議と言えば不思議なのですが……。
もっとも、その程度の事で、タバサが驚くとも思えませんが。
「それなら、俺達がやって来た理由についても理解していると考えて問題ないな」
まぁ、タバサが驚いている理由は、後で彼女に直接聞けば良いでしょう。今は、そんな事に時間を掛けていても意味は有りませんから。
そう考えながら、湖の乙女に問い掛ける俺。
この質問にも、当然のように首を縦に振る湖の乙女。そして、
その後に、何故か、俺の事を真っ直ぐに見つめた。
タバサが晴れ渡った冬の氷空なら、彼女は澄み切った湖面。そして、そのどちらも、俺を真っ直ぐにその瞳に映し……、俺に何事かを伝えようとして来る。
……これは、おそらく、
「それで、俺は何をしたら良いんや?」
何となくですが、彼女には俺に手伝って貰いたい事が有るような気がしたので、そう聞いてみたのですが……。
少し考えたような間の後に、小さく首肯く湖の乙女。そして、
「この湖の底に、ミーミルの井戸と言う古の魔法の井戸が有る」
彼女に相応しい声で、小さく呟くように、そう囁いた。
その言葉を聞いた瞬間、俺の記憶の片隅に有る知識が今回の任務に関しての危険性を主張し始め、彼女……湖の乙女を見つめる視線が知らず知らずの内に険しい物に代わって居た。
そう。湖の底に有る、ミーミルの井戸。これは、かなり危険な……物騒な類の魔法のアイテムをもたらせる遺跡だったと思います。
「湖の乙女、質問や」
話の腰を折るような俺の問い。そんな俺に対しても、嫌な顔ひとつ見せる事なく、ひとつ首肯いて答えてくれる湖の乙女。
これは肯定。ならば……。
「ミーミルの井戸から汲み上げる事が出来る水とは、魔法が使えない者に、魔法を使えるように出来る水の事か。
それとも……」
北欧神話に伝えられるミーミルに関する伝承をそのまま理解したのなら、この読み解きが正しい。
しかし……。
「何らかの代償を差し出す事によって、願いを叶える。この類の魔法のアイテムなのか?」
更に続けた俺のふたつの問いに対して、湖の乙女……いや、ミーミルの井戸の管理を行っているのなら、ミーミルと表現すべきですか。
ミーミル。北欧神話に語られている賢者の神。オーディンの相談役とも言うべき神で、オーディン自身がそのミーミルの支配するミーミルの泉の水を飲む事で知恵を身に付け、魔術を会得したと伝承では語られている。
但し、オーディンは、その時の代償として左目を差し出した。
そして、湖の乙女ヴィヴィアンと賢者の神ミーミルとの類似点は、ベイリン卿により首を刎ねられた後も、アーサー王伝説に登場し続ける湖の乙女と、
ヴァン神族により首を刎ねられた後にも、オーディンの相談役として北欧神話に登場し続ける賢者の神ミーミル。
それに、両者とも、共に水に関係する存在。
確かに、今、俺の目の前に居る少女姿の神霊は、賢者の神と言っても不思議ではない雰囲気を纏っては居ます。
「ミーミルの水とは、代償を差し出す事により、あらゆる望みを叶える存在」
その、湖の乙女があっさりと答えた。確かに、魔法を使えるようにする水と言うのも十分に厄介な代物ですが、あらゆる望みを叶えるアイテムと言うのは……。
まして、現在、起きつつ有るラグドリアン湖の異常増水と言うのは……。
「そのミーミルの井戸の暴走によって水があふれ出している。そう言う事やな」
俺の問いに、コクリとひとつ首肯く事によって肯定と為す湖の乙女。
そして、
「現在、ミーミルの井戸は、世界樹の護衛用の龍が暴走した存在。ニーズホックに護られて居り、わたしにも近付けない状態」
……と、彼女に相応しい口調と声で、そう答えた。
この少女でも近付けないって、それは、どれだけ危険な状態だと言う事なのですか。
あの夢の世界では、彼女は間違いなく俺の霊力を制御したはずです。少なくとも、今のタバサと互角以上の実力は有していると思うのですが……。
「つまり、オマエさんと共に、そのミーミルの井戸を閉じる作業をやれば良い、と言う事やな」
そうすれば、タバサの仕事も解決するし、湖の乙女もミーミルの井戸を閉じる事も出来る。それに、代償を払う事によって望みを叶えるような危険なアイテムが、世界中にばら撒かれる事もなく成る。
俺を真っ直ぐ見つめた後、強く首肯く湖の乙女。
前回の夢の事件の時もそうだったけど、この娘も、俺がじっと見つめて反応を確認し続けていなければ、細かな感情の動きが判らないのですが……。
「……と言う訳やから、タバサと、俺と、そして、湖の乙女の三人で、今回のラグドリアン湖の異常増水事件に対処する事になったけど、構わないな」
湖の乙女が顕われた瞬間に驚きの気を発して以来、少しの警戒感に近い雰囲気を発しながら、俺と湖の乙女のやり取りを見つめていたタバサに対して、そう問い掛ける俺。
しかし、何故か、少し否定的な気を発しながら、タバサが俺を見つめる。
そうして、
「ラグドリアン湖の精霊は、貴女のような存在ではない」
俺から湖の乙女の方に視線を移して、そう問い掛けた。
成るほど、最初にタバサが驚いた理由はその部分ですか。
そして、何度も俺の前に顕われた湖の乙女と、普段の状態のラグドリアン湖の精霊と言うのは、姿形が違うと言う事なのでしょう。
但し、その部分は別に不思議でもなんでもないとは思うのですが。
何故ならば、相手は精霊。神霊に分類される存在は、その時の召喚者の精神の在り様に因って姿形を変える者も少なくは有りません。
そして、今晩、この場所に彼女を呼び寄せたのはタバサではなく俺の方です。ですから、俺の、湖の乙女に対するイメージがタバサに良く似た姿形を取らせている可能性だって有りますから。
俺的に言うと、もう少し、女性らしいフォルムの女性の方が好みだと思っていましたし、メガネの有る無しに拘りも無かったと思うのですが。
まして、揃いも揃って、無表情で無口。何を考えて居るのか判り難い不思議ちゃんでは、二人を相手に交渉を行う事は非常に困難が伴う事なのですが。
「この姿形は、彼がそう言う有り様を望んだから」
俺を一度見つめてから、予想通りの答えを返す湖の乙女。
ただ、どうやら俺の心の奥深くには、タバサと似た容姿。更に、雰囲気までもが強くイメージされていると言う事なのでしょう。
ついでに言うと、セーラー服にも、何らかの拘りが有った、と言う事なのかも知れないのですが。
そうしたら……。
「なら、もう問題はないな?」
タバサに対してそう問いかける俺。
俺の問い掛けに、少し考えた後、小さく、しかし、はっきりとタバサは首肯いたのでした。
後書き
最初のタバサが目覚めた瞬間の描写は、疑似的な血の契約を行った後に、初めてタバサが目覚めた瞬間の描写です。時間的にはラグドリアン湖に向かう三日前の事。
そうしたら次。黒と言うか、こげ茶と紅と言う、オッドアイ状態となって仕舞った主人公ですが……。
もっとも、オーディン関係の神話を辿る以上、こう言う、非常に有名な部分は追体験する必要が有るので……。
尚、主人公が、このゼロ魔に似た世界にやって来た理由は、厳密に言うと神界からの影響に因るモノなのですが、天使や、まして、北欧神話の神々の関係者に因る導きでは有りません。
この物語は、最初から『訳の判らない上位者から選ばれる事』は否定しています。
尚、原作に登場するラグドリアン湖の精霊は、普通の水系統の精霊だと思います。
伝承では、水の精霊は顕われる時に、櫛と鏡を手にして登場すると言いますから。
おそらくは、鏡に相手を映す代わりに、相手の姿形を模しているのでしょう。
それでは、次回タイトルは『共工』です。
東洋伝奇アクション風の物語ですから、太歳星君が顕われようが、共工が顕われようが、何も不自然な事はないのです。最早、開き直って居るような気もしますが。
追記。主人公の性癖について。
別に、彼はメガネ属性も無ければ、発展途上のスタイルの娘が好きな訳でもないですし、セーラー服に特別の思い入れが有る訳ではないですよ。
ただ、彼女が主人公と交わした最初の約束が、メガネ有り、セーラー服装備での主人公の前への登場だったので、セーラー服姿で登場させたのです。
ただ、メガネに関しては、彼女の単なる勘違いだったのですが……。その勘違いが、色々と後にまで影響を与えているのですよね。
まして、ゼロ魔原作小説でも、このイベントに至る前にセーラー服絡みの事件が起こりますから、それをそのままやるよりは、私なりの形を取った方が良いかな、と思っただけですから。
細かすぎるネタですので、気付いてくれるとは思いませんでしたから、思わず、自己申告をしちゃいました。
しかし、セーラー服姿の少女と、女子学生風の白いブラウスの少女。
一昔前のジュブナイル。ねらわ○た学園や幻のペンフ○ンド。それとも、謎○転校生とでも言うような展開と成って来ましたね。
それに、もう一人、セーラー服姿の少女が顕われる可能性も有るのですが……。
まして、連載開始前の段階から、このシーンまでセーラー服姿で登場のイベントを取って置くって、どれだけ話を引けば気が済むと言うのでしょうか。
追記2。
こんな段階で、『不完全な願望機』を登場させても良いのでしょうか。
更に、タグにFate/stay night のタグを入れるべきかも……。
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