蒼き夢の果てに
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第5章 契約
第50話 吸血姫
前書き
第50話を更新します。
しかし、矢張り、ハルケギニア世界のアルビオンでの農業は不可能のような気が……。
地熱が異常に高くて、水は豊富に存在する設定にすれば、もやしぐらいなら、どうにか成るかも知れませんが……。
音もなくさらさらと崩れて行く、嘗て人の一部で有った肉塊を見つめる俺と、俺にその身を預けるタバサ。
所有者に必ず勝利をもたらせると言う伝説を持った槍の一撃が、その身体を、この空洞の大地すべてへと変じた太歳星君の核と成って居た、ブランシュー伯爵の心臓を貫いたと言う事。
そして、その呪に従って狙い過たず、異界化の核を確実に撃ち抜いたタバサの霊力の制御の冴えは、彼女の魔法の才能と言うべきか、それとも、俺との相性に因る物なのか。
もっとも、どちらにしても、彼女は俺よりも、俺の霊力を操る術を心得て居ると言う事なのは間違いないでしょう。
これは、魔女の女王ヘカテーの加護と言う理由だけではなく、彼女が俺の主人である、……と言う属性を持って居る事に理由が有るのでしょうね。
やがて、闇の心臓が風に散じて仕舞った瞬間、在らぬ方向。具体的には遙か上空から、やや軽薄な……。この場に相応しくないパチパチと言う音が聞こえて来る。
そして、
「流石は、唯一絶対神と自称している存在や、片目の英雄と呼ばれる存在から目を付けられた事は有りますね」
聞き覚えのある男声に反応し、即座に音源へと視線を向ける俺とタバサ。その視線の先に存在して居たのは、先ほど邪神太歳星君を召喚した後、闇へと消えて行ったと思われた謎の東洋的笑みを浮かべる黒髪の青年。ブランシュー伯爵からは、ソルジーヴィオと呼ばれた、自称商人の青年で有った。
そのソルジーヴィオが、遥かな高見。足場のない宙空に浮かび、俺とタバサを睥睨しながら、先ほどと同じ東洋的微笑みを浮かべて、パチパチとこの場に相応しくない、かなり軽薄な拍手音を響かせ続けた。
そして、彼の語った内容。唯一絶対神とは、聖痕に関係しているあの御方でほぼ間違いない。次の片目の英雄とは、魔術を得る為に片目を失った北欧神話の主神にして、戦争と死の神で有るオーディンの事でしょう。
但し、このハルケギニア世界には、そのどちらの神に纏わる伝承も残されて居なければ、そもそも、俺に聖痕が刻まれつつある事を知って居る人間もタバサただ一人。他には存在しては居ません。
こいつ。ソルジーヴィオとは、一体何者……。いや、何モノと言い直すべきですか。
俺が警戒を強め、タバサも、一度緩み掛けた気を再び戦闘モードに移行する。
そんな俺と、そしてタバサの周囲を、再び活性化した精霊たちが、舞い、歓喜の歌を歌い始めた。
「そんなに警戒しないで欲しいですね。僕は、本当に君たちの事が気に入っているのですから」
思わず微笑みを返しそうな笑みを浮かべたまま、俺とタバサを見つめるソルジーヴィオ。
笑っている。そう、嗤っている。
しかし、何故か。いや、当然のようにその笑みからは、異質で、異様な気配を感じた。
そう。まるで底の見えない、深い闇を湛えた地の底を垣間見たような……。
「どうです、忍さん。僕の所に来ませんか。悪いようにはしませんよ」
突如、俺の耳元に響くソルジーヴィオの囁き声。
そう。何時の間にか、遙か高見から俺たちを睥睨していたはずのソルジーヴィオが、俺とタバサの傍ら……。俺の左側にまで、その身を移動させていたのだ。
その言葉は甘く、甘く、そして、淫靡。
更に、ゆっくりと。まるで、友達を遊びに連れ出そうとするかのような気軽な雰囲気で右手を差し出して来るソルジーヴィオ。
彼の右手を取れば、すべての苦痛より解放される。そんな、訳もなく、蠱惑に満ちた考えが頭を過ぎって行く。
但し、
「悪いが、俺には衆道を嗜むような粋な趣味はないのでな」
意志の力を杖に、自らの右側に立つ少女に勇気を貰い、その差し出された右手を払おうとする俺。
その瞬間……。
魅入られている事にようやく気付いた。
左足から何かが這い上がって来る感覚。それは、足首から脛。そして、膝。
その瞬間、蒼き姫が、自らの支配する精霊を杖に纏わせ、右半身からすり足に因る体移動を開始。滑るような、舞う様な可憐な動きから繰り出される一閃は正に閃光。
通常の生命体なら。いや、世に聞こえし悪鬼、羅刹の類なれども、今の彼女の敵に非ず。
しかし! そう、しかし!
「久しぶりに、本心からヒトを欲しいと思ったのですけどね」
相変わらず、謎の東洋的笑みを浮かべたまま、そう言うソルジーヴィオ。
その姿は喜。そして、楽。どう考えても、死に等しい斬撃を受けた直後とは思えない。
但し、その右手に振り抜かれる直前のタバサの魔法使いの杖が止められ、行き場の失われた爆発寸前の霊力が彼女の杖と、そして、ソルジーヴィオの右手との間で蟠っている。
次の瞬間、その身に宿ったすべての力を失ったかのように、タバサがその場に崩れ落ち掛ける。そして、ソルジーヴィオと彼女の間に蟠っていた霊力が何処かに霧散した。
いや、まるで何かに吸い込まれたように、消えて仕舞ったと表現する方が正しい。
しかし!
しかし、次の瞬間。遙か上空に退避するソルジーヴィオの右の頬から一筋の鮮血を流し、
意識を失ったタバサを左手で抱えながら、振り抜かれた形の七星の宝刀を右手にした俺が、地上から遙か上空を見つめていた。
左脚から未だ滴り続ける生命を司る紅き液体が、残っていた体力を急速に削って行く事を感じながら……。
「あの拘束を無理に引き剥がしましたか」
少し呆れたような気を発するソルジーヴィオ。そして、この瞬間。初めて、この謎の青年から人間らしい反応が得られたのは間違いない。
そして、ゆっくりと時間が過ぎて行く。刻一刻と俺から残りの体力と、そして、霊力を奪い去りながら。
そう。流れ行く紅き液体と、太歳星君を倒した後から漂っている鉄の臭いに似た臭気が混じり合い、周囲にはむっとするような赤いイメージを着けていたのだ。
「邪魔が入ったので、今日は帰らせて貰いますよ」
本当に、友人に対して一時の別れの挨拶を行うかのような軽い調子で、そう話し掛けて来るソルジーヴィオ。
その表情には最初から変わらない東洋的な笑みを浮かべ、
そして、最初から変わらない、狂気に等しい雰囲気を発しながら……。
「それでも……」
貴方と、そちらの少女にも興味が有るのは事実ですよ。
……と、そう、闇の底から聞こえて来るかのような声が聞こえた後、顕われた時と同じ唐突さで、暗闇の中へと消えて行くソルジーヴィオ。
そして、この瞬間に、俺とタバサ。そして、妖精女王とガリアの王女の生命が、今夜以降にも繋ぐ事が出来たと言う事でも有ります。
戦闘の気が緩み、少し、大きな息を吐き出す俺。これ以上、この場で戦闘が起こる事はないでしょう。ならば、後はこの穢された聖地を一度、簡単に清めてから脱出するだけ。
そう考えた刹那、左腕の中でタバサが軽く身じろぎをした。これは多分、意識を取り戻す兆候。
そして、次の瞬間。タバサが意識を取り戻したのが、彼女から発した雰囲気から理解出来ました。
但し、
「タバサ、お前、その瞳は一体……」
そう。彼女が意識を取り戻したのは、多分、間違い有りません。但し、彼女から発して居る気は、普段の落ち着いた雰囲気の彼女とは違いました。
身体全体に力が入らないように、全身を俺に預けたまま、その熱っぽいまでの紅い瞳で、じっと俺の横顔を見つめて居る蒼き姫。
アール・デコ調のドレスを纏う彼女の身体は、柔らかく、そして、少女と女性の間のたおやかな線を表現している。
彼女の肌が発して居る香りは甘く、普段とは違う色を帯びているかの様であった。
そして、タバサのそこだけは変わらない、少しひんやりとした指先が俺の頬に触れ、そのまま視線を外そうとする俺の視線を自らのそれに固定する。
その瞬間、
「離れな、シノブ! 今のエレーヌは危険だよ!」
何処か遠くから、そう叫ぶ声が聞こえたような気がする。
そして、次の刹那。白い腕が、まるで蛇のような滑らかな、そして艶やかな動きで俺の襟を掻き開き、
普段の彼女からは感じる事のない蠱惑に満ちた吐息を、首筋に感じた。
「俺を愛しているのか。それとも、単に渇きを癒したいだけか」
自らの首筋にくちづけを行おうとしたタバサの、そのくちびるを指で制し、そう問い掛ける俺。
自分でも驚くほどに落ち着いた雰囲気で……。
彼女は何も答えようとはしない。その身体に力は入らず、ただ、俺の左腕に全身を預け、その紅き瞳には俺を映し……。
肌の香り、そして吐息は媚薬。瞳は魅了の呪を帯び……。
俺は、流し続けていた紅い液体を一滴掬い取り、自らと、そして、普段よりも冷たいタバサのくちびるを淡く彩づける。
互いの呼吸を合わせ、触れ合った肌が、彼女の熱を伝えて来る。
タバサが差しのべた左手が、俺の右手と、指と指を絡めるようにして握って来た。
指と指。瞳と瞳。呼吸と呼吸。
そして――――――――。
俺と彼女は、四度目となる契約のくちづけを交わしたのでした。
☆★☆★☆
それでは、またもや時代が動いたので、その説明を少し。
先ず、ガリア国内で起きたのは、東薔薇騎士団のクーデターと言う事態でした。
イザベラとシャルロット。二人の姫の身柄を拘束した上で、王都リュティスでの決起。王城を奪い取った後、外国の軍隊を招き入れると言う形の。
もっとも、ガリアの諜報組織により、その程度の計画などあっさりと調べ上げられ、カウンター・クーデターに因り東薔薇騎士団の企ては全て阻止された、……と言う何ともお粗末な結果が残っただけでしたが。
結果、東薔薇騎士団は壊滅。騎士団の長ドートヴィエイユとその家系に連なる者。そして、当然、副長のアルタニャン家と、彼の本当の実家のカステルモール家なども連座させられる事と成りました。
ただ、ドートヴィエイユの弟の息子。オリヴィエ・ドゥ・シレーグ・ド・ドートヴィエイユと言う人物の消息だけが掴めない状況と成っているようなのですが……。
更に、東薔薇騎士団所属の騎士たちの出身地にもかなり問題が有ったようですしね。
確かに、地縁血縁で騎士団員が採用されるのは、多少は仕方がない一面も有るのですが、その構成員の大半が、俺の感覚で言うとフランスの出身などではなく、スペイン。地域から言うのなら、ガスコーニュ地方から、バスク地方と言う地方だとすると……。
まして、彼らの採用について紹介状に名を連ねたのは、旧オルレアン大公の息の掛かった貴族たち。
そして、そのガスコーニュ地方と言う地方を支配していたのは、オルレアン大公妃。つまり、タバサの母親の父親。タバサから見ると母方のお爺ちゃんと言う存在。
更に、オルレアン大公が不審な死を遂げた後の、クーデター疑惑が発覚した時に真っ先に取り潰された貴族でも有ったのですが……。
確かに、地球世界のガスコーニュ地方やバスク地方出身者は、忍耐強く、戦闘能力に秀でている上に、勇猛果敢な事から優秀な騎士と成る可能性は高いとは思いますが、ひとつの騎士団の構成員の大半が一地方出身の者で占められると言う事は……。
もっとも、これ以上は、ガリアの為政者でない俺が知る必要などない話でしょう。
まして、これ以上、彼女をこんな魑魅魍魎の蠢く世界に置いて……。
言う事を聞かなくなった自らの婿は排除出来たとしても、流石に自らの娘は。
尚、以前に排除されたオルレアン邸にて雇われ、タバサの母親の世話を行っていた人間達の多くは、旧ガスコーニュ侯爵所縁の者だったようです。
そうしたら、次。
この東薔薇騎士団のクーデター騒ぎを起こしている間に、アルビオンとトリステインとの間に紛争が発生しました。
事の発端は、アンリエッタ王女と、ゲルマニアのヴィルヘルム王子との結婚を祝して送り込まれて来た艦隊同士の小競り合いから、ラ・ロシェールをアルビオン軍が占拠する事態と成ったのですが……。
しかし、七月、第一週、虚無の曜日。本来ならば、結婚式が大々的に行われるはずで有った日に行われた決戦に敗れたアルビオン軍は、結局、一度、橋頭堡として確保したラ・ロシェールの地から追い出されて、そのまま本国に追い返されて仕舞いました。
更に、東薔薇騎士団が招き入れようとした外国の軍隊と言うのは、どうやら、そのアルビオン軍だったような気配が有るのですが……。
ただ、所詮はタバサの使い魔でしかない俺では得られる情報が少な過ぎて、すべては憶測に過ぎないので、何とも言えないのが事実です。
しかし、ポルトーとは、ガリアでも有数の港町で有り、かの街の上空は、アルビオンの周回して来る範囲内にも入っています。
それで、ガリア王家に付いては。
怠惰王と呼ばれているガリア王は確かに存在して居り、そして、即位してから一年の後に、狩猟中の事故により命を落とし、その後を継いだのは、その弟のシャルル一世。後の世では敬虔王シャルル一世と呼ばれた人物でした。尚、彼の功績はシテ河の治水を行い、リュティスに下水を完備した事で名を遺した人物だったのですが……。
ただ、既に千年以上前の王なので正確な記述もなく。まして、弟で有るにも関わらず兄の怠惰王よりも十歳年長で有った、とか、実は怠惰王の異母兄で有ったとか、実は母親の連れ子で有って、そもそもガリア王家の血を引いていなかった、……と言う怪しげな伝承の付き纏う人物でも有りました。
まして、彼の代の時に、ガリアの所領はかなり狭められて居り、今よりはかなり小さな国だった事も確かなので……。
それで、下水や川の治水工事には、地の精霊の手助けが無ければ、当時の技術ではかなり難しかったはずなのですが、あのブランシュー伯爵の言葉を信じるのならば、当時から、ガリアは大地の精霊の加護を失っていたはずなのですが……。
もっとも、今と成っては、そんな事を調べ上げたとしても無意味ですか。
どのように清く正しい振りをしたとしても、王家とは大体、似たような黒い歴史のひとつやふたつは持って居る物ですし、その事を指して、この家は呪われていると声高に叫び、王位の正当性に疑問を投げかけたとしても、無意味ですからね。
そして、妖精女王ティターニアについては……。
俺との契約を終え、すべての精神力を切らせたかのように四肢の力を失ったタバサは、俺の左の腕の中で安らかな寝息を立てていた。
但し、俺の方は彼女の感触を楽しむ余裕など、何処にも無かったのですが……。
突如、朱に染まる世界。そして走る――――――――。
「!」
左脚に力を籠め、体勢を崩さないように。
更に、声に成らない声を上げる。腕の中の彼女に気付かれないように、
そう。彼女をこれ以上、穢さないように……。
そして、何より意識を失った彼女を放さないように左腕に力を籠め、利き足ではない左脚に体重が掛かっても、身体の安定を崩さないようにバランスを取る。
しかし、その一瞬の後。
蒼き姫に因って塞がれた左手は使用出来ないので、彼女の意識が途絶えた瞬間に開放された右手で左目を抑える俺。
その右手の指の隙間を濡らし、手の甲から手首にまで赤き道程を作り、腕の中の蒼き姫に紅き彩を添えた。
一滴、一滴……。
白き絹に紅き珠を描き、淡く滲むように広がって行く模様。
刹那、俺の左に立つ翠の人影。
ひんやりとした繊手によって、彼女の顔を正面から見つめさせられる俺。
長い黒髪。東洋風の清楚な容貌。こちらの世界に来てから出会った少女たちの中では、一番、生まれ故郷を思い出させてくれる少女。
そして、紅き生命の証を流し続ける左目に、彼女の右手を押し当てて来る。
その瞬間。ひんやりとした感触に、ひとつ鼓動を打つ度に激痛を放っていた左目が少し癒される。
「霊樹と月の加護により、彼の者の肉と魂を癒したまえ」
歌うように、囁くように、彼女が呪を紡ぐ。
その呪が唱えられた瞬間、彼女の指先から放たれる霊気によって、俺の左目がゆっくりとでは有りますが、確実に癒されて行く事が判る。
………………。
…………。
そして、傷口を抑える彼女の指先と頬に当てられた手の平が、俺の体温により暖められた後、少し名残を惜しむかのような雰囲気を発しながらも、彼女に因り解放される俺。
ゆっくりと、乾いた血によって張り付いた左目を開いて行く。しかし、予想に反して、意外とその瞳はスムーズに開いて行き、その視界にも一切の違和感はない。
流石は、妖精女王。蟲、妖精たちを統べる女王。……と、その瞬間はそう思ったのですが。
しかし、
「あんた、その瞳の色は――――――――」
顔を上げ、瞳に映るのはイザベラと、妖精女王。
片方からは、驚いたような気が発せられ、
片方からは、少し哀しげな気を発せられる。
俺の瞳が……?
おそらく、かなりマヌケな顔で、二人の少女たちを見つめ返して居るで有ろう俺。こんな時に、鏡を持って居ないのは非常に不便なのですが……。
「あんたの瞳の色が、変わっているんだよ」
俄かには信じられないイザベラの言葉が、地下の大空洞内と、俺の心の中をゆっくりと広がって行った。
最後に、あのクーデターの夜の最後に、タバサの身に現れた異常については……。
「あんた、エレーヌの身に起こった異常現象の理由が判っていた、と言うのかい」
イザベラが与えられている館プチ・トロワの一室。
タバサは俺の傍のベッドで眠れる森の乙女状態。但し、彼女の瞳の色は、元通りの蒼に戻っているはずです。
「向こうの世界でも、俺は夜魔の王と出会った事が有るからな」
無表情で問い掛けて来るイザベラに対しての、俺の種明かしの台詞。
そう。一度、出会った事の有る種族なら、俺の見鬼の技能でも見分ける事が出来ます。まして、タバサのように覚醒したばかりの存在ならば、擬態する能力も高い訳ではないので、人か、それともそれ以外の種族なのか、の見分けぐらいは簡単に付きますから。
俺の答えに対して、僅かな逡巡を見せるイザベラ。しかし、
「ガリア。トリステイン。そして、アルビオンの各王家が継いで来ている始祖の血と言うのは、吸血鬼の血の事さ」
……イザベラが、酷く疲れたように息を吐き出しながら、そう言った。確かに、早々、公表出来ない類の事実には違いないでしょうが、俺に取っては、大きな問題となるような秘密でも有りません。
タバサの血の中に、何か異種の因子が入って居たとしてもそれは俺も同じ。そして、吸血鬼……いや、タバサが吸血姫に転じたとしても、彼女が必要としている精気……つまり、霊力を俺が賄えば良いだけですから大きな問題は有りません。
「驚かないのかい?」
イザベラがそう問い掛けて来る。そして、それは当然の疑問。彼女らにしてみたら、知られてはマズイ秘事のはずですからね、この吸血姫の因子を持って居る、と言う事を知られると言う事は。
「先ず、タバサが取り入れているカロリーから考えて、彼女が日々に消費しているカロリーとの差にギャップが有り過ぎた」
俺の倍以上のカロリーを摂取しながら、それでも、彼女がメタボにまっしぐら、と言う雰囲気は有りません。これは、彼女が普段から、何らかの霊力を大量に消耗するような状況に置かれていると言う風に推測する事が妥当でしょう。
そして、吸血姫の特性の中に、紫外線に過敏に反応する、と言う部分が有ります。
つまり、タバサは無意識の内に、紫外線から自らの身を護る為に、霊力を常時消費し続けていたと言う事なのでしょう。
そう考えるのなら、あの異常な食事の量に説明が付けられますから。
「まして、始祖の使い魔と言うのは人間で有ったらしい」
普通に考えるのならば、いくら別世界の人間でも、人間を『使い魔』として召喚出来ると言うのは異常でしょう。
ならば、考えられる可能性として簡単なのは、召喚する側が人間では無かった。この可能性が出て来ると思います。
もっとも、この仮説に関して、俺の場合は微妙に外れているような気もするのですが……。ただ、それでも、俺が人間体で召喚されたのは事実です。
それに、俺自身が龍の血を引いているだけで、人間体以外の姿に成る事は出来ませんからね。
「最後は、各王家の王位継承権を有している人間の数が少な過ぎる」
ガリアはゼロ。トリステインはアンリエッタのみ。アルビオンは死亡した皇太子以外にはティファニア王女のみ。
もっとも、トリステインには公爵家が存在するので、ガリアやアルビオンよりは、もう少し多い可能性も有りますが。
しかし、この未来がない状況でも、それぞれの王家に後宮が置かれてはいない。この状況は歪で不審。
何故ならば、王家に取って最大の仕事。次代に……自らの血族に次の王位を繋ぐ、と言う行為が難しく成ると言う事ですから。
ここから考えられるのは、それぞれの王家に、何か公に出来ない秘事が有ると言う事。
そして、それが王家の一員に脈々と受け継がれて来た血が吸血姫の血脈ならば、謎は簡単に解く事が出来ます。
吸血姫の吸血行為とは、愛の表現そのもの。
吸血鬼の種類にも因りますが、吸血衝動と言うのは、単なる空腹や魔力切れなどから起きるモノから、それ以外の理由に因るモノまで様々な理由が有るのですが、最初の吸血衝動とは、恋愛感情に因って起こる場合が多いのです。
相手のすべてを受け入れたい。……と言う感情の爆発から起きる場合が。
普段は理性で押さえている感情。そんな中で、後宮などを作って、王家に流れる吸血鬼の血の渇きが発動した瞬間を目撃された場合……。
全ての人間が、俺の様に簡単に受け入れられる訳は有りませんから。
まして、その時の対応如何に因っては、更なる悲劇を齎せる可能性も有ります。
このようなリスクが後宮を置く、と言う事は孕んでいると言う事。
ただ、問題なのは……。
「イザベラ姫。質問が有ります」
俺は居住まいを正し、イザベラに対してそう問い掛けた。
そう、これからの問いは重要。そして、彼女の答え如何に因っては、俺も覚悟を決める必要が有りますから。
「何だい、言ってみな」
王女らしいとは言い難い答えでは有りますが、イザベラはそう答えてくれた。
「この世界の吸血姫の習性について。精気の補充が必要だから、もっとも効率良く精気を集める為の吸血行為なのか、それとも、感情の高ぶりによって、理性で心を抑えて置く事が出来なく成る事に因る吸血行為なのかが知りたいのですが……」
前者ならば、現状でも問題は有りません。
現在はタバサと俺の間に、新しい霊気をやり取り出来る、今までよりも深く密な繋がりの因果の糸を通して、タバサの不足している霊力を補っている状態。
尚、これは、受肉した存在との式神契約に当たります。
そして、一般的な吸血鬼と、そのサーヴァントとの関係もこれに当たります。
まして、俺の霊力供給に関しては、タバサ一人分ぐらい受け持っても未だ余裕が有りますから。
しかし、もし、後者の理由に因り、吸血行為が発生する場合……。
現状の霊気を送る以外の方法。もっと直接的な双方の血のやり取りが必要と成ります。
そう。吸血鬼の吸血行為とは、一方的な搾取だけではなく、自らの血液を相手に与えると言う行為も含まれると言う事。
この場合は、現在の霊気のやり取りだけ、と言うお茶を濁すような方法以外を取る必要が有りますから。
そして、その事に因って、新たな問題点も出て来るのですが……。
「わたしは血を引いているけど、今の所、吸血姫ではないから確たる事は言えない。けれども、王家の伝承に残っている内容から推測すると、おそらく後者の方だよ」
半ば予想通りの答えを返して来るイザベラ。但し、故に、新たな問題も出て来た訳で……。
俺は、イザベラから眠れる森の美女ならぬ、眠れる美少女の方へ視線を向けた。
其処には普段通りの、白磁と表現される肌の少女が穏やかな寝息と共に有った。
……やれやれ。そんな事を聞ける訳はないか。
吸血鬼の吸血行為と言うのは、精神支配を伴う場合も有ります。
もし、このタバサが継いで来ている血族が、その類の吸血姫だった場合……。
そうして、このハルケギニア世界の使い魔契約と、俺の知って居る吸血鬼の血の契約との類似性。危険な……。俺では式神にする事の出来ない、陰気に染まった危険な妖獣、凶獣の類を使い魔にしていた魔法学院の生徒達の存在が有った以上、この世界の使い魔契約に、絶対に精神支配の魔法が介在していないとは言い切れません。
更に、何故か俺とタバサが交わした使い魔契約には、精神支配を伴う契約では有りませんでしたが、次のタバサと交わす血の契約に関しては、同じような精神支配を伴わない契約の形態と成るとは限りませんから。
ここまで考えてから、もう一度、眠れる少女を見つめる。
彼女はただ眠るのみ。消費し過ぎた霊力を回復させる為に……。
……やれやれ。俺は何を迷っているんだ。
俺はため息のように息を吐き出した後、ゆっくりと一度瞳を閉じ、そして、もう一度開いて、彼女を自らの視界の中心に置いた。
そう。それは、自らの覚悟を確かめる為の儀式。彼女を……タバサを護ると約束したのなら、彼女自身が止めてくれ、と言うまで俺は、俺の全能力を使用して彼女を護るのが正しい道。
まして、彼女も。そして、俺の方も、それぞれの一番無防備で、安らかな寝顔と言うモノを晒しても平気な相手だったはずです。
あの、彼女に因って異世界から召喚された日からずっと。
それに、自らを精神支配から護る方法は、いくらでも有りますから。
多分なのですが……。
☆★☆★☆
そして、七月、第一週、イングの曜日。
地下の大空洞の浄化も終わり、ヴェルサルティル宮殿の庭園の要所に樹木を植える作業に移ったその日。
「ラグドリアン湖の水位が急に増えだした」
再び、呼び出されたイザベラの執務室……と言うか、書類と本に支配された部屋で、タバサと俺は、そうイザベラに言われた。
しかし、そんな事をいきなり言われたとしても、俺としては、はい、そうですかと答えるしかないと思うのですが。
それに、湖の水位が上昇すると言うのは、どう考えても、流れ込む水の量が増えたからで有って、そして、流れ出す水量がそれに追いつかないから起こる事態ですから、下流側。この場合は、トリステイン側の方から当たるべき事案だとも思うのですが。
「それで、その水位上昇の理由を調べて、どうにかしてくれ、と言う依頼が上がって来た」
予想通りの命令を口にするイザベラ。
……と言う事は、俺が龍に変化して、タバサを背に乗せて山を崩して、湖の水を流す事でも期待していると言う事なのでしょうかね。このガリアのデコ姫さまは。
もし、そんな事を望んでいるのなら、イザベラは俺の事を過大に評価し過ぎですよ。
しかし、そんな俺の懸念を知らないタバサが、いともあっさりと首肯く。普段通りの透明な表情。そして、蒼い瞳で自らの従姉姫の事を映しながら。
……彼女も俺の事を過大評価しているのか、それとも、彼女に何か考えが有るのか。
其処まで考えてから、俺は有る事実を思い出した。
そう。あの蒼い光に包まれた世界に現れた少女の事を。
ラグドリアン湖の精霊とは、夢の世界に現れた彼女……。湖の乙女と名乗った彼女の可能性が高いと思います。ならば、俺の方の独自の人脈で解決が可能の可能性も有りますか。
そんな、大きな不安と、そして、彼女との再会に、何故だかほんの少しの淡い期待に似た何かを乗せて、今回の任務は始まったのでした。
後書き
先ず、この『蒼き夢の果てに』で、各王家の王位が継承出来る人間が少ないのは、今回上げた以外にも、もう少し理由が有ります。
尚、この部分は世界の危機に当たる部分で有り、更に、ずっと早い段階で言及した世界の防衛機構に関わる理由ですから、今回は言及しませんでした。
主人公が各王家の中興の祖に成る為の安易な設定と言う訳ではないのですが……。
ただ、最大の問題はガリアです。いや、ガリア王と言うべきですか。
次。タバサが、この物語内で大食漢だった理由は、今回明かした理由がすべてです。
流石に、あの食欲魔神ぶりでは現実味が薄いですし、私の物語的には少し……。
故に、最初から、『異界に近付けば近付く程、人間が持って居る異界の因子が活性化する』……と言い続けていたのですから。
尚、この世界の危機に関する部分について細かい描写は行って居ませんが、主人公の頭の中では、既に仮説と言うレベルでは答えが出来上がっています。
それに、少し、その部分に触るような事を本文中で示しています。
それでは、次回タイトルは『湖の乙女』です。
しかし、結局、こう言う、虹彩異色症と言う方法しか、オーディンの神話的追体験を表現する事は出来ませんでした。
それに、関連性の有る、『ヴァレンタインから一週間』の方で、虹彩異色症と言う表現を使用したのですから、こちらでも同じような表現を取る事が予想出来たとは思いますが。
追記。……と言うか。
終に50話。7月から書き始めてから、今回で50話。よく続いている物です。文字数も、おそらくは60万文字は越えていると思いますから。
文字の確認。女媧。
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