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【旧】銀英伝 異伝、フロル・リシャール

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第6次イゼルローン攻略戦(4)


第6次イゼルローン攻略戦(4)

「なかなかどうして、金髪の|孺子《こぞう》もやるではないか」
 オスカー・フォン・ロイエンタール准将は、己の艦隊を一種芸術的な指揮でもってこなしつつ、彼の朋輩たるウォルフガング・ミッターマイヤー准将に、光速通信で話しかけていた。ロイエンタールは異なる色の目を持ち、黒に近い茶髪を持つ美麗極まる美男子であったが、その体はまるで豹のような筋肉としなやかさを持った青年士官である。
「その名で呼ぶのはよそうじゃないか、ロイエンタール」
 ミッターマイヤーは頭髪は蜂蜜色のやや癖のあるおさまりの悪い髪であり、小柄ではあったが体操選手のような無駄の無い敏捷性に富む体格を持った青年士官であった。
「ああ、少なくとも、門閥貴族どもがバカにしていい相手ではないようだ」
 ロイエンタールは冷笑を頬に浮かべていたが、それは氷の微笑というには、多少温度が高いものであった。ロイエンタールにしても不愉快ではない。彼は有能な上官の元で働くことを願っていたし、そして今回に限れば、その条件は十分に満たされていたからである。
 そしてロイエンタールとミッターマイヤーは、数日前のことを思い出していた。
 


 彼らは互いの無事と満足すべき戦果を、イゼルローンの士官専用クラブで飲んでいたときのことである。彼ら二人に近づく、二人の男がいた。
 ロイエンタールとミッターマイヤーはその二人に見覚えがあった。それはラインハルト・フォン・ミューゼル少将と、その副官ジークフリード・キルヒアイス大尉であったのである。ラインハルトは皇帝の寵姫の弟、として異例の出世を遂げている人物であったが、出来《しゅつらい》の貧しさから成り上がり者として門閥貴族に嫌われている人間だった。
 もっともロイエンタールとミッターマイヤーに、そんな偏見はない。彼らは軍人としてラインハルトを客観的に見ていたが、大いに有能である、というのが二人の総意であった。彼らはラインハルトの戦評レポートを読む機会を積極的に手に入れていたが、それらはラインハルトの卓越した軍事的センスの表出に見えたからである。

「ロイエンタール准将、ミッターマイヤー准将」
 話しかけたのはラインハルトが先であった。
 慌ててバーに座っていた二人は立ち上がり、敬礼をする。たった一つの差でも、軍において階級は絶対なのである。
「そんな畏まらずとも良い。二人とも、座ってくれ」
 そのラインハルトの言葉に、ロイエンタールとミッターマイヤーは一瞬視線を交わし合った。どうやら話に聞いているのとは、多少違う人格のようだ、と思ったからである。ラインハルトは小生意気で唯我独尊を行くいけ好かない奴、というのはいかにも門閥貴族の言い過ぎであったが、それでもラインハルトの一部分は的確に表してはいたのである。だが、今のラインハルトには少し『落ち着き』というものがある。
 どうやら、我々に喧嘩を売りに来たわけではないようだ、とロイエンタールとミッターマイヤーの二人は思った。
 
 そこでラインハルトが二人に語ったのは、彼がミュッケンベルガー元帥に送付した上申書の中身であった。混迷した戦局を収拾させるために、一軍をもって突出させ、奴らの退路を遮断せんと見せかける、というものである。ロイエンタールとミッターマイヤーは事情も掴めないまま、ラインハルトの論理的で理に叶った作戦を聞いた。

「そこで、卿らの意見を聞きたい。私の作戦案について、どう思う」
「非難に値する点はないようですね」
 ミッターマイヤーはそう言った。事実、ミッターマイヤーは話を聞くにつれ、ラインハルトの噂に違わぬ実力を感じていたものだから、半ば感嘆の声だった。
「非常に理に適っている、と小官は思います」
 ロイエンタールも同じような感想を抱いたようである。
 ラインハルトは二人の言葉に満足したように頷くと、爆弾のような言葉を二人に投げかけた。

「この作戦、卿らに協力を願いたい」

 それは半ば命令であった。少将は准将よりも階級が上である。上であるからには、准将は少将の命令に逆らうことはできない。だが、形だけでも、ラインハルトはお願いと言った。それは、今までのラインハルトにはない性質のものだったろう。

「……協力、と申しますが、なぜ私とミッターマイヤーの艦隊を必要とされるか、お聞かせ願いたい」

 ロイエンタールはその|金銀妖瞳《ヘテロクロミア》を鋭く尖らせ、ラインハルトを射抜いた。ロイエンタールは今まで無能な貴族の上官をいくらも持って来た。その度に尻拭いをさせられたり、割を食うのは普通だったが、今回は多少毛色が違う。だが、だからといってほいほい従うだけの従順さを、持ち合わせているわけではないのだ。言葉だけならば誰でも言える。ラインハルトはそのような者ではなさそうだが、真意を知りたい、と思うのはロイエンタールの正直なところだったろう。

 ラインハルトはその視線を真っ正面から受ける。

「今回の作戦は、少数精鋭の高速運動によってのみ、可能となる。よって艦隊の数は少なく抑えておきたい。だが叛乱軍という大魚を釣るには、それなりの餌が必要だ。例えそれが擬餌だとしても、2000隻程度は必要だと考えたのだ」
「なるほど、先月叛乱軍に敗れたせいで半数の艦隊を失っていなければ、ご自身の艦隊でその作戦を行っていらっしゃったでしょうな」
「ロイエンタール!」
 ミッターマイヤーはロイエンタールの言葉を止めた。だが、ラインハルトはそれに怒るどころか、軽く笑ってみせたのである。

「その通りだ、ロイエンタール准将。私は私の傲慢さによって、敗北しかけて、辛うじて生き延びた人間だ。だが、それから反省するところは反省したつもりだ」

 隣りに立っていたキルヒアイスは息を呑む思いであった。ラインハルトは幸か不幸か、今まで挫折を味わったことがなかったのだ。そしてそれに初めて直面した時、この人はそれからなんと多くのことを学んでいるのだろう。一つの失敗から、十の教訓を得ているようだ。

「卿は私のあだ名を知っているか?」
 ラインハルトはロイエンタールに問いかけた。
「ええ、いくつか」
「挙げてみよ」
「金髪の孺子《こぞう》、スカートの中の少将、成り上がり者、それから——」
「いや、十分だ」
 ラインハルトは苦笑を大きくした。言え、と言ったのは彼だったが、そこで素直に答えるロイエンタールもロイエンタールである。
「ロイエンタール准将はなかなか面白い男だな」
「口が悪いのが難点ですが」

 ミッターマイヤーは冷や汗をかきながら、彼の親友の弁明を試みた。ミッターマイヤーは平民である。ロイエンタールは貴族だから気にしないのかもしれないが、皇帝の寵姫の弟を軽々しくて敵に回すだけの理由は、彼にはなかったからである。だが、ラインハルトという男は、想像よりも寛容な男であるようだ。
「艦隊増強の意図は理解しました。ですが、なぜ、小官とロイエンタールを選んだのでか?」
 ミッターマイヤーはそこが聞きたかった。だが、ラインハルトの答えは、半ば二人にとって挑戦的であったが、それ以上に好ましいものであった。
「我が艦隊の高速運動についていけるだけの者が、卿らしかいないからだ。それとも、卿らをもってしても、それは無理なのか?」



「敵のウィークポイントを的確に見抜きこれをノンストップで直進する、言うは易しだが、なんという速度か」
 ミッターマイヤーは、ラインハルト艦隊の高速運動に心底驚いていた。まさか自分の全力と同じ速度で、千隻単位の艦隊を運用できる者がいるとは。
「少なくとも、我々が出会って来た上官の中で、もっとも有能であることは間違いないな」
 ロイエンタールにとって、これは最大限の評価だったろう。事実、ロイエンタールとミッターマイヤーの期待に応えるだけの能力を、このラインハルト・フォン・ミューゼルという男は、敵軍の真っただ中で証明してみせているのである。



「追ってきたぞ、キルヒアイス! 奴らは罠にかかった」
 ラインハルトの表情も声も、燦々たる光彩に満ち満ちて、不安や危機感は原子レベルですら存在しないように見える。演技の一面はあった。彼は一度敗北しかけた将である。かつて獲得しかけた信頼と信用を再び手に入れねばなるまい。ラインハルトは今も信頼に値する、と彼は彼の麾下全将兵に信じさせる必要があったのである。

「卿ら、僅かの狂いもなく、我が節度に従え。尽く、我が命令、我が指示に服従して、誤ること無きようにせよ。卿らにとって他の途《みち》はないのだ。これを銘記せよ!」

 従わなければ命はない。これほど麾下の将兵たちにとって過酷な命令はなかった。古代の軍師は言った。もし、自らの将兵に全力の働きをさせたいならば、彼らを死地に追いやることである。そうすれば彼らは、生き延びるために彼らの持ちうる全力を出すであろう。孫子の言葉をラインハルトは図らずも実践していたのである。

 将兵達はそれに従った。彼らの将が、つい先月までは無敵の艦隊であったことを思い出した者もいたのだろう。フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト大佐などは、「顔がとびぬけていいんだから、頭がそれにつりあっているよう祈ろうぜ」と、漆黒に塗装された自分の乗艦で、部下たちに語ったものであった。
 部下たちの反応は、ラインハルトを満足させた。彼の望むように彼の艦隊は動くだろう。
 ロイエンタール、ミッターマイヤーの艦隊もまた、彼を満足させた。両准将は噂に違わぬ手腕で、その麾下たる艦隊を運用している。今や、ラインハルトの艦隊は一つの有機生物のような綿密な結束を有していたのである。


「だが、もし見殺しにされたら……」
 その可能性は皆無ではない。同盟軍がラインハルト部隊を蹂躙するを良し、とするのも帝国軍の選択肢には含まれるのである。
「もしミュッケンベルガーがその手段を採るとしたら、奴の冷酷さはゴールデンバウム王朝を救うことになるな」
 それは皮肉が籠った事実であった。この輝ける若者は、ゴールデンバウム王朝の凶兆そのものなのである。彼がここで死ねば、それだけゴールデンバウムは長生きできるのだ。
 だが帝国軍は、将来の帝位纂奪者を援護するため、指揮系統の混乱した同盟軍に対して、攻勢に出た。その光景を戦術スクリーンで確認して、ラインハルトは、我が意を得た。
 この時、帝国軍を指揮していたのは、ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ大将であった。彼は醜く艦首を翻し、ラインハルトを追わんとする同盟軍に対して、後輩から距離をとって砲戦をしかけたのだ。これ以上の混乱を避けつつ、同盟の勢力を削ごう、としたのだった。

 それにまともに対応できたのは、第5艦隊だけのようなものだった。第5艦隊は柔軟に後退しつつ、殿を務め、最小限の戦力でメルカッツ艦隊の攻撃をかわし続けた。老練、の言葉で表現される名将の、それは戦いであった。一寸のミスも若さによる綻びもない艦隊戦は、その様相を帝国軍の追撃戦に変化させつつあった。



「あの部隊を追うのは結構、イゼルローンから撤収する契機となります。ですが、あくまでも帝国軍との接近戦状態を持続しませんと、雷神《トゥール》のハンマーの好餌となってしまいますぞ。戦いつつ、敵をひきずるのです」
 グリーンヒル大将は、ヤン大佐の、そしてまた大将自身の意見を、そうロボス元帥に伝えた。だが時は既に彼らを裏切っていた。何事かの対策をするには、時間はなく、そして手段も失いつつあった。
 これは恐らく敵の作戦通りなのだ。敵の指揮官は2000隻の小艦隊をもって、数倍の同盟兵力に対抗し、これを翻弄している。単なる小細工の名手で、1000隻単位を動かす程度の器量なのだろうか。それとも……それとも……。

——もしかしたら、あの部隊の指揮官は、先月、回廊でとり逃がしたあの敵将と、同一人物かもしれんな。

 そう思ったとき、グリーンヒルの体内を、絶対零度の戦慄が疾って回った。彼は一つ身震いすると、助言を求めて周囲を見まわした。彼がこの時もっとも期待していた人物、ヤン・ウェンリー大佐は何かを考え込むように、黒のペレーを握りしめている。

 この時、ヤンが何を考えていたのか、というとそれはフロルのことであった。既に戦況は、自分の作戦の選択・実施の及ばぬところに行ってしまい、もう今回は出る幕はないだろうと見限って、操作卓《コンソール》の上に両足を投げ出し、寝ようとしたのである。そしてその瞬間、フロルの言葉を思い出したのだ。なぜ、フロル先輩はあんなことを、あのタイミングで言ったのだろうか。彼はそれを考え始めていたのだ……。

「ヤン大佐!」
 その彼に声をかけたのはグリーンヒル大将であった。ヤンは思索から浮上し、すぐにグリーンヒルの前に歩み寄った。
「は、なんでしょうか」
「ヤン大佐はあの敵、あの2000隻の小艦隊の指揮官をどう思う」
「恐らく、回廊で仕留め切れなかった”小賢しい敵将”と同一人物でしょう」
 ヤンは即答した。それはグリーンヒルの息を止めた。やはり、ヤンもそう考えていたのである。彼はその時のヤンの言葉を思い出していた。

——大魚を逃がすことがなければ幸いです。

 そしてフロルが深夜、私の部屋に来て放った言葉。

——万全を期して、あの敵を斃さねばなりません。一隻の出し惜しみもしないで下さい。
——あの敵は、尋常の者ではありません。

 それに対して、私はいったいどう考えていたのだろうか。あの小艦隊を逃した、とヤン大佐から報告を受けても、ただの包囲戦の失敗としか考えなかったのではないか。だが、あの指揮官は非凡すぎる。もしや、将来、同盟の大いなる敵になるのではないか。
 ヤンはグリーンヒルの顔に現れる恐怖にも似た感情を、冷静に見つめていた。あれだけの将才を持った者が、他にいるわけはない。そして、今後同盟の前に立ちはだかることは、確実なのだ。
 その時、二人の考えを他人が知ったならば、心配のしすぎだと、一笑に付したであろう。だが、少なくともそれは、嘘とは遠い地平にある予測だったのである。





 艦外では、一秒ごと両軍が高速に動いていた。神からの視点でそれを見れば、蛍の大群が急流に乗って疾走するように、見えたかもしれない。指揮統一を欠く追撃戦は、必ずと言っていいほど加速し暴走する。しかも、馬鹿馬鹿しいことに、たった二千隻を三万隻が本気で追い、それを鋭い巧妙な逆撃で出血を強いられ、それにますます猛り狂って、これを殲滅せんと逆上するのである。
 この狂態を正気に戻したのは、一人のオペレーターだった。
「見ろ! イゼルローン要塞を!」
 それは報告というよりも、悲鳴というべきであったろう。そしてその意味を理解しえない者が存在し得ない類のものであった。イゼルローン要塞の液体金属装甲に、充填されつつあるエネルギーの白い紋章が、忌々しく浮かび上がっていたのだ。
 雷神《トゥール》のハンマーが、ついにその存在意義を主張し始めたのである。驚愕と戦慄は、軍の隔たりなく、瞬く間に全将兵を駆け巡った。

「キルヒアイス! 全部隊、急速上昇せよ。回廊の天頂方向へ、全速力だ。天井に貼り付け!」
 ラインハルトでさえ、余裕を持ち合わせなかった。キルヒアイスが伝達した命令は、一寸の躊躇なく伝達され、実行された。ラインハルトの艦隊に倣うように、同盟軍の艦艇も必死に回廊周縁部へ回避する。


 新たなオペレーターの叫びは、まさにその時に上がった。
「敵小艦隊、右翼側面より強襲!」
 それは、フロル准将率いる敗残部隊1500隻であった。
 光の暴力が炸裂するのと、ラインハルト艦隊に攻撃を受けた衝撃が奔ったのは、ほぼ同時であった。



 時は1時間ほど遡る。ラインハルトの作戦を見抜いたフロルは、己が率いる艦隊でもって、ラインハルトが通るであろう宙域を見つけ出し、つまり自身で同盟軍の守りが薄い宙点を見付け出し、そこを駆け抜ける、という実験をしたのである。それはラインハルトを待ち伏せるためだった。
 その結果、フロルが通った場所を、ほぼ一時間後ラインハルト艦隊が通り抜ける、という喜劇が生じたのだが、ラインハルトはそれを知る由もない。
 フロルはラインハルトの思考をトレースし、彼の人格を考慮し、最終的に来るであろうポイントを探し出し、艦隊を隠しておいたのだ。ラインハルトは尋常の者ではなかったが、フロルもまた無能からは遠かった。



 そして雷神《トゥール》のハンマーが使われ、ラインハルトが天頂方向に来た瞬間を、横から奇襲したのである。
 それはフロルの卓越した軍事センスの表れであった。ラインハルトは一瞬にしろ、完全に隙を突かれたのである。だが、ラインハルトを救ったのは、ロイエンタールとミッターマイヤーであった。
 彼らは少数の艦隊を率いている。つまり、それだけ運用が楽であり、また不慮の事態に対する反応が速いのだ。両准将は右側面からの攻撃を一瞬で理解し、装甲の厚い艦を右に寄せつつ、協同してフロル艦隊の中央に砲火を集中させたのである。


 
 ラインハルト艦隊と、フロル艦隊の眼下で、青白く輝く巨大な柱が、回廊を過ぎ去った。数千の艦艇が一瞬で虚無に帰した。直撃で気ではなかった艦艇も、その膨大なエネルギーに誘発されるがごとく、リング上に小爆発を起こしていった。それは人の命を火薬にした花火であった。その一瞬で、人間の命が消えていったのだ。

 フロルは、というと、ラインハルト艦隊の反応の速さに驚いていた。それは明らかにラインハルトの麾下である下級指揮官の能力が高いことを意味していたからである。いかに軍事的天才であるラインハルトであっても、ここまで早く2000隻の艦隊を瞬時に掌握はできない。つまり今、フロルの艦隊に強烈反撃を試みている320隻程度の艦隊は、各々自己判断でここまで合理的で息のあった反撃を繰り出しているということなのだ。

 その時フロルに思い浮かんだのは、将来帝国の双璧と呼ばれる男たちの顔だった。
——まさか、この段階であの二人がラインハルトの下についただと!?
 それは彼の想定を超えた事実であった。



 次の一撃で虚無の円柱と化した回廊の中心軸を、第二の光柱が走りぬけていった。あらたな犠牲者は出たが、それは、ほとんど問題ではなかった。それはただ、今回もイゼルローンの攻略に失敗したという証拠に過ぎなかった。6回目の挑戦も、過去5回と同様の結末を得たのだ……。



 だがフロルには、そんな感慨に耽る暇も余裕はなかった。
 彼はすぐに麾下の艦隊を退却させた。そもそもこの艦隊は急ごしらえの敗残兵力なのである。例え同数であっても、まともに撃ち合えば負けるのは必定である。最初の奇襲で100隻程度を打ち減らし、一矢報いた、というので十分であった。
 フロルはあわよくばラインハルトを斃さんと思っていたが、すぐに諦めたのだ。
 数十秒の後にはラインハルトが艦隊の陣形を立て直していたが、フロルの同盟艦隊は既に艦を引いたところであった。ロイエンタールとミッターマイヤーはこれを追撃せん、としたが、その隙のない撤退と速度に、それを却下せざるを得なかった。ラインハルトはただちに要塞への帰還を命じた。






 ここに、第6次イゼルローン攻略戦は、自由同盟軍の全面撤退をもって終結した。同盟軍の戦死者は584400名、帝国軍のそれは245900名。同盟軍はまたしても負けたのだ。敵よりも多くの味方を死なせ、得たものは何もない。要塞主砲さえなければ、という意味のない仮定を口ずさみながら、傷心を癒すしかないのだ。ヤンやフロルが考えた通り、戦略的になんの意味もない戦いに終わった……。





「あのタイミング、あれは……」
 ラインハルトは見事な働きをしたロイエンタール、ミッターマイヤー両名を労った後、司令官室に入り、一人考えていた。キルヒアイスは撤退する艦隊の処理を任せている。奇襲によって、また百程度の艦を失ったのだ。損害は無視できない。
 だが功としては十分過ぎるだろう。戦局は再びラインハルトによって劇的に変化し、帝国は勝利を得たのだから。

——あの抜群に巧妙なタイミングに仕掛けられた奇襲攻撃。
——我が艦隊が天頂に移動することを見越した、兵の配置。
——本来の目的を忘れず、すぐに撤退できる将としての有能さ。
 そんな男が何人もいるわけはない。
 あれは……もしや第5艦隊のあの男なのではないか?
 俺を罠に嵌めた、あの男。
 ラインハルトは一人、窓から宇宙を広がる星々の瞬きを、睨んでいた。






「ああ、今回は働きすぎたよ」
 フロルは同盟軍本隊と合流すると、彼の艦隊の帰還処理を済ませ、|薔薇の騎士《ローゼンリッター》連隊のところへやって来たのである。

 目的は酒。
 疲れたときは、飲むのが最良の手段なのだ。

 ヤンもアッテンボローもキャゼルヌも戦いが終わって、今が一番急がしい時期なのだろう。フロルはそう考えて、わざわざ|薔薇の騎士《ローゼンリッター》の艦に来たのである。

「随分と活躍したそうじゃないか、リシャール准将」
「戦地任官だよ、シェーンコップ」
「いやいや、今聞いた話じゃそのまま正式に准将だろうさ」
「まぁもらってもいいくらい、働いたよな」
 シェーンコップは疲れて管を巻いているフロルを見て、苦笑する。
「なぁ、フロル。俺はあれだけリューネブルクのバカ野郎を嫌っていたんだが、不思議と今は怒りを感じない」
——それはヴァレリーを殺されていないからだ。
 とフロルは言いそうになって、言葉を飲み込んだ。この世界では、シェーンコップは大切な女性が傍らにいるのである。彼の精神は、平静に保たれているはずだった。

「まぁ、いちいち去っていった人間に未練を残すのも変だろうさ。それが女ではなく男なら、なおさらね」
 フロルは机に突っ伏しながら、そう言った。シェーンコップはその言葉に何かを感じ入りはしなかったが、己の感情に一応の理由付けをしたつもりで、満足したのである。

「ああ、作戦参謀としてうろちょろしなきゃよかった。暇だと思われたのかなぁ。なぜかみんな、厄介事を俺に寄越すんだ」
「まぁ暇なだけよりはマシだろうがな」
 シェーンコップの慰めは慰めにもならない類のものであった。フロルも、誰かしらに愚痴を言いたかっただけであって、本気でうんざりしているわけではない。
 フロルのおかげで、同盟の損害は少なくて済んだのだ。ただ惜しむべくは、ラインハルトの命を奪えなかったことだ。もしかしたらラインハルトは既に自分が知っている彼から進化しつつあるのではないか。

 彼は怖かった。予測できない未来と、無限の可能性を秘めたラインハルトという男が……。

 フロルは右手で掴んだコップから、一気に酒を呷った。
 喉を通り過ぎるアルコールは、その考えを薙ぎ払うには、まだ絶対量が少ないようであった。




















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※訂正※
叶っている→適っている
直で→直撃で
 
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