【旧】銀英伝 異伝、フロル・リシャール
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ヴァンフリート4=2の激戦 (後)
ヴァンフリート4=2の激戦 (後)
その時、荒廃した司令塔内を、ラインハルト・フォン・ミューゼル准将は一人、ジークフリード・キルヒアイス大尉を探しながら、彷徨い歩いていた。
ふと心づいて、内部への侵入をやめ、銃火から比較的離れた通路で、逃亡者を待ち受ける。ほどなく、士官らしい気密服の人影が二つ、転がるように走ってきて、ラインハルトの姿に気付き、狼狽したように立ち竦んだ。
一人はいかにもデスクワークの専門家であって、暴力沙汰には慣れていないようであった。もう一人は彼の副官であろう、女性士官が、震える手でブラスターを構え、ラインハルトの胸の中央を狙おうとする。ラインハルトには、相手の狙点が完全に定まるまで、待ってやる義理はなかった。左手を伸ばし、撃ちつくされて放置されていた機関砲をつかんで、相手の銃に叩き付けた。ラインハルトが怪力なのではない。0,25Gの軽重力が、それを可能にしたのである。とにかく、銃を叩き落とされたことで、相手の男は諦めたようだった。女性もまた、ヘルメットの奥で悔しそうな顔をした。
「姓名と階級を名乗っていただこう」
相手がふてくされたように沈黙しているので、ラインハルトは語調をわずかに強めて、要求をくりかえした。相手の反抗心は潰えた。男はラインハルトに視線を向け、肩を落としたが、俄に姿勢を正した。
「シンクレア・セレブレッゼ。自由惑星同盟軍中将だ。階級にふさわしい礼遇を、貴官に要求する」
「イヴリン・ドールトン大尉です」
男は諦めを持って、女は悔しさを持ってそう吐き捨てた。
男は胸を反らせたものの、声の震えは隠しようもなかった。だが、ラインハルトはそれを笑おうとはしなかった。むしろ女性士官の気の強い視線に、感嘆の思いすら抱いていた。
「よろしい、セレブレッゼ中将、ドールトン大尉、卿らは我々の捕虜だ。無益な抵抗をせぬと誓約するなら、卿らを礼遇しよう」
「わかった。誓約しよう。貴官に身柄をあずける。貴官の名は?」
「ラインハルト・フォン・ミューゼル。銀河帝国軍准将」
ラインハルトが名乗りを上げた瞬間であった。
何かが彼とセレブレッゼらの間に飛んできたのであった。ラインハルトは突然の飛来物に目を向けた。
そしてそれは、ゼッフル粒子の小型発生装置だった。
「ラインハルト・フォン・ミューゼル准将か」
その声の主は廊下の暗闇の中から姿を現した。女が小さく声を上げる。
フロル・リシャールである。
「卿がこれを投げ込んだのか」
それはただの確認に過ぎなかった。この装置のせいで、ラインハルトのブラスターはその意味を失ったのである。もしここでこれを撃てば、彼もセレブレッゼなる男も、ここにいる女性士官も、すべてが黒こげになるだろう。
「そうだ」
フロルは短く答えた。
「卿の名前を聞こうか」
「フロル・リシャール中佐だ」
ラインハルトはその声に聞き覚えがあった。その表情を見て、フロルはそれを読み取った。
「卿があの愉快な宣戦布告をした男か」
ラインハルトの声は一種無邪気ですらあった。あのリューネブルクを一瞬であれ、苦い思いをさせた男が、目の前の男だと言う。
「ついでに言うと、防衛作戦の指揮をとっていた」
「ほぅ」ラインハルトは目を細めた。「なかなか堅実な防衛戦だった。こちらも攻略に手こずった。侵入できたのも、数量において我が軍が勝っていたというだけだ。同数であったら落とせなかっただろう」
「お褒めいただき、恐縮だな」
フロルは戦斧を握り直し、セレブレッゼ中将とイヴリンの前に歩み出た。
ラインハルトとここで戦うのも、いいだろう。きっと、今頃はシェーンコップがキルヒアイスと死闘を繰り広げているころに違いない。
ラインハルトはリシャール中佐の装甲服の部隊章を見て、驚いた。
「卿は|薔薇の騎士連隊《ローゼンリッター》か」
「まぁ、そんなところだ、准将殿。中佐が相手では不満かもしれんが、付き合ってもらうぞ」
フロルはその戦斧を隙一つない形で構えた。ラインハルトもまた、目の前の男が同盟最強の陸戦部隊と聞いて、ゆっくりと戦斧を構える。銃はホルダーに仕舞った。今は役に立たないのだ。
フロルの動きは素早かった。彼は|薔薇の騎士連隊《ローゼンリッター》で鍛え上げた技術すべてを用いた。ラインハルトもまた、目の前の強敵に対して自分の技量をすべて活用したと言える。薙ぎ、払い、受け、蹴り、突き、肘撃ち、それらの数十種類の技が一瞬の遅滞なく連続で繰り広げられ、火花が薄暗い廊下の中で光った。
わずかな技の切れ目で、二人はお互いに後ろに飛び下がった。戦力は均衡していると言ってよかった。フロルは、ここでラインハルトを倒せば、同盟が帝国に勝つことができる、と考えていた。ここで倒せば、ラインハルトの覇業はなされることなく、一人の成り上がり貴族の死、と歴史に刻まれることになるのだ。
ラインハルトもまた、リシャール中佐の技量に舌を巻く思いだった。キルヒアイスほどではないが、実にいいリズムで攻撃してくる。このまま敵の応援が来たら、色々不味いことになりそうだ、と考え始めていた。キルヒアイスは見つからないが、ここは一端引くべきではないか、と。
その時、フロルがやってきた廊下の奥から、新たな人影が現れた。
ラインハルトとフロルはそちらに目線をやる。
「ラインハルト様!」
それはキルヒアイス大尉だった。
フロルは心の中で舌打ちをした。もう一歩、というところで、邪魔が入った。
また一方ではラインハルトが、キルヒアイスの手にある銃を見て慌てて叫ぶ。
「キルヒアイス! ゼッフル粒子だ!」
その言葉でキルヒアイスは状況をすぐに理解し、その手をトマホークに持ち替えた。
フロルはセレブレッゼ中将とイヴリンを壁際に寄せ、右と左より歩み寄って来る敵を注視していた。状況は最悪だった。この二人を相手して、長く時間もたせるほどの力は、自分にはない。
だが、このまま負けるわけにもいかない!
彼はラインハルトに一気に駆け寄り、全力の戦斧を叩き付けた。ラインハルトは一瞬の隙を突かれながらも、それを正面から受ける。奇襲をかけたのが功を奏し、一瞬だけ動きが止まった。フロルはがら空きになった胴に蹴りを叩き込んだ。ラインハルトはダメージこそ食らわなかったが、数メートルを吹っ飛ぶ。
「もらった!」
というフロルの叫びと、
「ラインハルト様!」
というキルヒアイスの声、
「駄目ッ!」
というイヴリンの声が一瞬重なった。
フロルは背後に迫る寒気に慌てて後ろを振り向く。
キルヒアイスがすぐそこに迫っていた。
フロルは悟った。間に合わない。キルヒアイスの戦斧は既に大上段、振り下ろされるそれを避けるのも受けるのも間に合わない。
だが、その間にイヴリンが走り込んできた。
「やめろ!」
フロルの叫び声。
キルヒアイスは、ヘルメットの奥に何を見たのだろう。
彼の、その高く振り上げた戦斧が、突如止まった。
フロルはその隙を逃さない。
固まったままのイヴリンを押しのけ、隙だらけになったキルヒアイスに、必殺の一撃を叩き込む!
その刹那であった。
一本の光線が、闇を走った。
それはラインハルトの銃から出た光であった。
ラインハルトは、キルヒアイスが命を散らすというその瞬間に、すべての理性を捨てて、銃を抜いたのであった。
だが、爆発は起きない。
「……ブラフ……だと」
ラインハルトが呆然としたように呟いた。
フロルの放ったゼッフル粒子小型発生装置は既に空だったのだ。
つまりはただのはったり。
「う、そ……」
イヴリンが、声にならない声を上げた。
その光は、フロルの右胸を貫通していた。
だがフロルは耐えた。
右胸から脳に伝わる猛烈な痛みを無視し、左手で素早くブラスターを引き抜き、ラインハルトに向け、戦斧をキルヒアイスに向けたまま、ゆっくりと後ずさる。
ともすれば抜けそうな力を振り絞り、彼はキルヒアイスを睨みつける。
キルヒアイスもまた、その姿に恐怖を覚えていた。この男の瞳はまるで炎のようだ。その固い決意の炎は、今にも彼と彼の敬愛するラインハルト様を焼き尽くそうとしている。
ラインハルトもゆっくりと銃を向けたまま立ち上がる。
二人を相手にしながら、フロルは後ろの二人を守ろうと、決して譲ろうとはしなかった。
その時、キルヒアイスのやってきた方の廊下から、部隊の走りよって来る足音が聞こえ始めた。遠くからは声も聞こえる。あれはシェーンコップではない。
「デア・デッケン!」
フロルは叫んだが、声と一緒に口から溢れる血が、ヘルメットを汚した。
(ああ、駄目かもしれないな)
フロルはそれを見て思った。
「キルヒアイス、引くぞ!」
その一言で二人は違う方向に向かって走り去って行った。どうやら見逃してもらえたようだった。右手からは|薔薇の騎士連隊《ローゼンリッター》のみんなが走り寄ってきた。
中隊が二つにわかれ、半分がラインハルトたちを追ったようだった。
「リシャール中佐、いや、間に合って……」
デア・デッケンの言葉は途中で途切れた。
フロルの足から力が抜ける。
膝をついた。
握りしめていたブラスターと戦斧が手から零れ落ちる。
膝立ちになって、フロルは自分の胸を触った。その右手に血がべったりとついていた。
赤い。
彼の後ろでイヴリンが叫ぶ。
デア・デッケンが救護班を呼ぶ声が聞こえる。
そんな喧噪の中。
フロルは地面に倒れ込んだ。
脳裏を、カリンの顔がよぎった。
「……カ……リン」
彼の意識は、急速に暗闇へと落ちて行った。
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