【旧】銀英伝 異伝、フロル・リシャール
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
ヴァンフリート4=2の激戦 (中)
ヴァンフリート4=2の激戦 (中)
4月5日の夜には、フロル・リシャールもまた、女の部屋にいた。イヴリン・ドールトン大尉の部屋である。彼と彼女はひとしきりの健全な運動で汗を流した後、その心地よい倦怠感を共有していた。
「明日、敵が来るんだって?」
「基地外縁部に設置してある探査センサーが次々と破壊されている。つまり、敵が来るってことだろう」
「私はどうすればいい?」
イヴリンは、その愛しい男の胸に寄り添いながら、囁く。彼女もまた、前線に来るのは初めてのことなのだった。怖い、と思う。何せ、このフロルがその顔に緊張を残しているくらいなのだから。
もしかすると、フロルは敵がこの衛星に来ることを予知していたのかもしれない。そして白兵戦になることも。だからこの数ヶ月、異常なほどの熱心さで、|薔薇の騎士連隊《ローゼンリッター》の訓練に参加していたのではないか。
そう考えて、イヴリンは戦慄した。
この男はいったいどこまでの未来を見通しているのか。この男は常に将来に備え、そして周りの人間を助けるため尽力している。実のところ、彼がヴァンフリート4=2に来てから、イヴリンは何度か彼にここを離れるように言われていた。今にして思えば、彼はそれを予知していたのではないか。
「ねぇ、フロル」
フロルは仰向けになって、ただ視線を天井に向けていたが、それをイヴリンに移した。
「あんた、この衛星が戦場になるって、知ってたの?」
「……そもそもこの基地自体が、次の会戦における後方基地の目的で建造された。しかも今回の会戦では、敵の陸戦部隊が大勢来ていると情報があったんだ。すると地上戦が行われる可能性があるのは、この星域で唯一同盟が基地をおいているこの衛星だと、思ったんだ」
「じゃあ、知ってたのね」
「ああ。ごめん、言わなくて」
フロルは、なぜこの女だけでもどうにか転属させなかったのか、と悔やんだ。明日の戦闘は恐らく稀に見る激戦になるだろう。本来の史実からも逸脱して、いったいどうことが運ぶか見当もつかない。もしかしたらこのイヴリンが凶弾に倒れるかもしれないのだ。
「いえ、例え言っても、私はここを離れなかったわ」
フロルはなぜだ、と目で彼女に問うた。
「だって、あなたがいるもの」
フロルはその言葉に胸が締め付けられるようだった。自分は、恐らく自分の身を守ることはできるだろう。だが、この腕の中にいる女性を守るほどの力があるのだろうか。
「頼む、死なないでくれ」
フロルは彼女を抱きしめて、耳元で囁いた。
「ええ、死ぬ気はないわ。……だって、まだカリンちゃんに会ってないんだもの」
「……そんなに会いたいのか?」
「ええ、気になるわ」
女の嫉妬が混じった視線すらも、フロルは愛おしく感じていた。そして同時に、自分はここで死ぬわけにはいかない、とも。カリンが待っている、あのハイネセンに戻らなくてはならない。この防衛戦が終れば、きっと帰れる。
フロルはそこで、唐突にもう一人の女性の名前を思い出した。
「なぁ、ヴァレリー・リン・フィッツシモンズとは、仲が良いのか?」
「え? ええ、同じ女同士、仲が良い方だと思うわ」
「そうか、いや、シェーンコップの彼女だからな。聞いてみただけだ。確か彼女は対空迎撃オペレータの中尉だったか」
イヴリンは小さく頷いた。それを見て、フロルは考える。シェーンコップはこのまま行くと、彼の大切な理解者を失うことになる。彼の腕に抱かれる女はそれこそ数えられぬほどいるだろう。だが、彼を理解してそれを愛する女が、そういるとは思えなかった。できることなら、ヴァレリーも助けてやりたい。シェーンコップは孤独な男だ。自らそれを望んでいるのかもしれないが、彼が悲しむ姿という不愉快極まりないものは、できることなら見たくなかった。ここ数ヶ月の関係で、すでにフロルはシェーンコップという人間を好きになっていたのだった。
そうしてフロルは、翌日の戦いに向けて、更に頭を巡らすのであった。
4月6日、0622時のことであった。|装甲地上車《 ALC 》、自走レール・キャノン、地上攻撃メカを主力とした、帝国軍地上部隊が、基地北部の地上戦に姿を現した。
シェーンコップ中佐以下全地上戦闘員は|装甲服《アーマー・スーツ》を着用し、それ以外の兵士全員が気密服を着用した。フロルもまた、|薔薇の騎士連隊《ローゼンリッター》より紳士的に送られた装甲服を着用している。これはここ数ヶ月の努力の証、ともいうべきもので、シェーンコップあたりが言うならば、「もし降格されて中尉くらいになったら、我が|薔薇の騎士連隊《ローゼンリッター》に入れてやる」ということだった。それはどちらかというと悪罵の類にも受け取れたが、フロルはそれを快く受け取ったのである。
両軍の通信波が同調した。これは互いに勧告もしくは通達をするための措置である。ここで予め許可をとっていたフロルは、司令官に代わって、そしてシェーンコップにも代わって、第一声を放ったのである。
「帝国軍に告ぐ。無駄に死ぬつもりのない者はただちに立ち去れ! 今ならまだ間に合うぞ! おまえらが死んで悲しむ女のことを考えろ! 死ねばヴァルハラから自分の女が違う男に寝取られる姿を、指をくわえて見る羽目になるぞ!」
これは本来、シェーンコップの放つ台詞、といったところであった。いや、むしろシェーンコップが言うより派手というものだったであろう。帝国軍は劣勢であるはずの同盟から放たれたこの挑戦状に、信じられない思いであったのだろう。リューネブルクなどにしてみれば、明らかに自分のことを皮肉られていると気付いたものだから、その怒りと憤りは尋常なものではなかった。
「いやはや、どうしてリシャール中佐は大したものだ」
シェーンコップは隣りにいるリンツに向かってそう笑ったという。
人を食った挨拶を奉ったフロルは、そのあと司令部で全体の指揮を司ることになった。各部隊との連絡網は完璧というところで、この司令部から正確に指揮できそうであった。
傍らには気密服を着て、緊張した様子でコンソールを捜査するイヴリン・ドールトン大尉の姿がある。イヴリンとフロルは、互いの目線を交わし、静かに頷き合った。
敵の攻撃が始まった。
フロルはそこでも冷静に指揮を執り続けた。そこは戦場の最前線ではなかったが、戦線の最前線であったであろう。彼は4回の帝国軍の突入を、その度ことに的確な兵力移動と集中砲火によって防いでいたのである。その作戦指揮は、彼の下で働くシェーンコップなどから見ても見事と言ったもので、シェーンコップ率いる|薔薇の騎士連隊《ローゼンリッター》初め各地上戦部隊は、その持てる能力を存分に発揮していたと言えるよう。
その時、基地上空に現れた第5艦隊もまた、地上戦を確認したのであった。その姿を視認した帝国軍は、慌てて撤退命令を地上部隊に発したのだが、地上部隊の指揮官自身が戦斧を振るうという状況であったため、その命令は果たされていなかった。
そして5度目の突入で、同盟軍の防衛戦がとうとう突破された。一つに彼我の戦力差が圧倒的であったことに原因があるだろう。地形的にその大軍を生かし切れなかった帝国軍であったが、その間断なき戦力投入で同盟の摩耗を強いることに成功したのであった。
リューネブルク准将率いる突入部隊は、基地内の侵入に成功していた。彼らはハンド・キャノンによって司令塔の外壁を破壊し、そこから侵入したのである。
こと、ここに至って、フロルは戦線の縮小と再構築を決意した。彼は|薔薇の騎士連隊《ローゼンリッター》の2個中隊、シェーンコップ中佐とデア・デッケン少尉率いる2個中隊を司令部に引き戻しつつ、戦線を他の地上戦部隊に再分配するという離れ業をやってのけたのであった。これは彼が以前より|薔薇の騎士連隊《ローゼンリッター》との関わりを深め、意思の疎通を図っていたことが可能にしたことだった。フロルはその|薔薇の騎士連隊《ローゼンリッター》2個中隊を司令塔内に侵入した敵の迎撃に回したのである。
更に彼自身が前線の立て直しのために、司令部を飛び出して行った。一つには、既に司令部で指揮する段階を過ぎていた、というのが理由に挙げられる。敵の突入部隊は司令塔に侵入しており、その結果逆に敵の砲撃および進行が緩和されていたのだ。この状況下では各陸戦部隊指揮官に判断を任せても、これ以上状況が悪化する余地がない、と見たのである。既に敵にも撤退命令が出ているだろう。リューネブルクが引けば、全部隊が引き上げるだろう。
その間にも、殺戮の手は奥へ奥へ伸びて、オペレーション・ルームにまで到達していた。そこに現れた帝国軍兵士に、一人の射撃手が現れた。
気密服に身を固めた女性兵士、ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ中尉である。
彼女はその手に握りしめた銃の引き金を引いた。銃口からビームがほとばしり、敵兵の装甲服の胸に炸裂した。だが、炸裂しただけであった。その拳銃の威力では、装甲服の防御力を上回ることはできなかったのだ。敵兵は一歩よろめいて、足を踏みしめ、そのみじめな女性兵士に、荷電粒子ライフルの銃口を向けた。
その時であった。
一本の|戦斧《トマホーク》が飛翔し、銃を持った敵の首に突き刺さったのである。
フロル・リシャールだった。
フロルは投擲した勢いもそのままに一気に距離を詰めた。後ろにいた二人の敵兵が彼に気付き、銃を向けようとしたからである。彼は一気に飛び込み、その銃線を交わした。そして勢い良く立ち上がった時、彼は床に落ちていた戦斧を右手に持ち、尚かつ間合いは極至近であったのだ。
彼は短く持った戦斧を小さく振り抜き、二人目の首を切り裂いた。勢い良く血が吹き出るののも気にせず、もう一人の敵兵の銃を蹴り飛ばした。敵はすぐに後ろに手を伸ばし、幅たり20センチはある凶悪な軍用ナイフを手に取ろうとしたが、数ヶ月|薔薇の騎士連隊《ローゼンリッター》で鍛え抜かれたフロルにしてみれば、遅すぎたというべきだった。フロルは右手の戦斧で股下から切り裂くようにそれを振るい、一瞬でその哀れな敵兵は絶命したのであった。
廊下にはフィッツシモンズ中尉と、フロルが残ったのであった。
「あ、ありがとうございます」
フィッツシモンズ中尉はまだ命の危機という状態に動揺しているようだった。銃を持つ手が震えていた。
「フロル、フロル・リシャール中佐だ」
フロルはまったく平静な呼吸でそう答えた。彼は自分の手で敵を殺す、ということの重みを実感していた。今ここに伏して死んでいる人間は、自分が殺したのだ。
だが戦場で考え込むことは自殺行為である。彼はその感傷を心の奥に押し込み、通信回線で|薔薇の騎士連隊《ローゼンリッター》を呼びかけた。
「リシャール中佐です。|薔薇の騎士連隊《ローゼンリッター》はどこかにいませんか?」
『おっと、聞こえるぜ、中佐殿』
シェーンコップの声は、ふてぶてしいまでの自信に溢れていた。流石連隊長になる男だ。声を聞くだけで、安心できる錯覚すら覚える。
「シェーンコップ中佐、今すぐオペレーション・ルーム前まで来て下さい。フィッツシモンズ中尉と仰る女性士官が敵装甲兵3名に襲われました」
『! なんだと! ヴァレリーはどうした!?」
「私は無事よ」
フロルとシェーンコップの通信に、彼女は割り込んでそう言った。彼女はヘルメットの奥で笑いながら、フロルを軽く睨んだ。シェーンコップの心胆を寒からしめたことへの抗議のようだった。
フロルは肩を竦める。
「敵兵はかなり奥まで潜り込んでいるようだ。だが同時に撤退命令も出ているはず。もうそろそろ引き始めるだろう。司令塔内の敵を掃討して欲しい、シェーンコップ中佐」
『……了解、フロル。おまえさんには参ったよ』
その一分後、シェーンコップ中佐はオペレーション・ルーム前に姿を現した。その装甲服は血に塗れ、いかに強行して来たかを物語っているようだった。彼は無事なフィッツシモンズ中尉の姿を見て、そして床の死体を見て、それからフロルを見て、フロルに一つ頷いてみせた。それはシェーンコップなりの感謝の表れだったのだろう。フロルがその場を任せ、司令部に戻ろうとした時、彼の後ろではシェーンコップとフィッツシモンズ中尉が抱き合っていた。
だが5分後、司令部に戻ったフロルを驚愕が襲った。既に敵兵が攻め込んだあとだったのである。死体を確認したが、そこにはセレブレッゼ中将とイヴリン・ドールトン大尉の死体はなかった。どうやら中将を守って、周りの人間が逃げ道を作ったようだった。彼は血の気が引く思いそをしながら、慌ててその後を追った。無線でデア・デッケン少尉の中隊を呼び寄せる。
************************************************
※訂正※
機密服→気密服
フィッシュモンズ→フィッツシモンズ
ページ上へ戻る