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【旧】銀英伝 異伝、フロル・リシャール

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薔薇の騎士連隊


薔薇の騎士連隊

 フロル・リシャールは薔薇の騎士連隊が使っている建物にやってきた。彼は連隊員の見定めるような視線の中、一人、オットー・フランク・フォン・ヴァーンシャッフェ大佐のところへ向かった。無論、新たな基地副司令として挨拶をするためである。
 ふと目をやるとトランプをしていた4人組がいた。恐らくローゼンリッターの最強カルテットだろう。なるほど、シェーンコップはカリンの面影に重なるものがある。

 連隊長室に入ると、いかにも、という風格のある人物がいた。
 フロルは敬礼をする。
「フロル・リシャール中佐であります。本日より基地副司令代理を拝命いたしました」
「オットー・フランク・フォン・ヴァーンシャッフェ大佐だ」
 彼も答礼する。
「私は前任の大佐に代わって、この職に就いたもので、階級としてはヴァーンシャッフェ大佐よりも下であります。ですが、基地防衛に際しては指揮権の統一を図るため、私の元、司令部で統一したいと考えていますが、よろしいでしょうか」
 大佐は少し面食らったような顔をし、それから小さく頷いた。
「貴官はなかなかに面白い男だな。面と向かって指揮権を邪魔するな、とはなかなか勇気あると思うがね」
「は、というのもセレブレッゼ中将はその点で悩んでいまして、私がその折衝役に任ぜられたわけです。大佐殿には不服な点もありましょうが、一応快諾していただけませんでしょうか」
「しょうがないだろう。承知した」
「は、ありがとうございます」

 大佐はそれで話が終わったかのように、視線を改めて手元の書類に戻した。
「あ、あと大佐殿」
 それでもう一度、目線を上げることになったのだが、その目には訝しげな感情が映っていた。
「実は一つお願いがあるのですが……。といってもこれは個人的なお願いに属するものでして……」
「なにかね?」
「私に、ローゼンリッターの訓練の参加をご許可いただきたいのです」
「我が連隊の訓練に参加したい?」
 大佐はまるで笑えない冗談を聞いたような顔で、繰り返した。
「ええ、小官は士官学校に出てからまともな白兵戦を経験せず、艦隊勤務ばかりしてきました。おかげで体が鈍ってしまいましてね。同盟随一を誇るみなさんと訓練すれば、多少なりともその勘を取り戻せるかと」
「貴官は……本当に面白い男だな。帝国の亡命者ばかりが集う我が隊に、そこまで関わろうというのかね」
「ええ、まぁ。今は同じ旗を仰いでいるのですから、そこを信じないという発想はありません。で、許可して頂けますでしょうか」
 フロルは改めて頭を下げた。大佐は少し思案したようだが、このように面倒なことがあったときには、あの面倒な男に任せれば良い、と考えたのである。彼は手元の端末で、ワルター・フォン。シェーンコップ中佐を呼び出した。
「ワルター・フォン・シェーンコップ中佐、お呼びにつき参上致しました」
 その美男子の副連隊長はフロルと大佐の前でそう言って頭を垂れた。もっとも、シェーンコップは見慣れぬ異分子であるフロルに、抜かりなく目線を向けていたのだが。
「シェーンコップ中佐。彼がこの度、基地副司令代理に就任した、フロル・リシャール中佐だ」
「ほぅ、中佐殿があの堅物大佐であらせられた前副司令の代わりですか」
「そうだ。まぁそれはいいにして、彼が実は我が連隊の戦闘訓練に参加したいと申し出ていてね」
「それはまた物好きですなぁ」
 シェーンコップは目の前に本人がいるにもかかわらず、ぬけぬけと言う。この毒舌家、皮肉屋はいかにもシェーンコップだ、とフロルなどは小さく笑っていたが。
「そこでシェーンコップ副連隊長、君にこのリシャール中佐を任せる」
 この時、シェーンコップなどは面倒事を俺に任せたのだな、と察してはいたが、されとてそれを無視するわけにもいかず、承諾の敬礼をしたのである。


 フロルとシェーンコップが連隊長室を出ると、シェーンコップはすぐに声をかけてきた。
「それで、リシャール中佐殿はいったい何がお望みなのかな?」
「シェーンコップ中佐、俺に裏があると思ってるのかい?」
「そりゃあ思うでしょうよ。話に聞くところによると、あんたは士官学校出で艦隊任務で出世を重ねたエリートさんだ。それがいきなり我らが薔薇の騎士連隊と仲良くしよう、と言っても、はいそうですか、と受け取る奴はいないって話さ」
「まぁそう言われると、返す言葉もないんだがね」

 フロルは苦笑した。まぁ一般的に見て、彼のようなエリートが白兵戦をすること自体が稀少なのである。普通に艦隊任務を務めるならば、生き残るか、船とともに消えるかのどちらであり、むしろ血を浴びる白兵戦を経験する兵士の方が少ないだろう。だが、フロルは今後、この基地が戦場になることを知っていた。だからこそ、士官学校時代に身につけていた白兵戦の技術を、もう一度研ぎ直したいと考えていたのである。

「俺は体を動かすことが好きなんだ、シェーンコップ中佐。なのに最近は艦隊勤務ばかりで体が鈍っちまってね。だからそれをどうにかしたいのさ」
「中佐殿、我々の訓練をジョギングか何かと勘違いしてもらっちゃあ困りますな。これでも我々は白兵戦で生き残ってきたんだ。そんな軽いもんじゃありませんぜ」

 シェーンコップはその端正な顔から、鋭い視線をリシェールに向けた。彼自身、このフロルという男がいったいどういう男なのか、掴みかねていたのだ。ならば、このまま言う通りにしごいてやって、その反応を見てからでも遅くはないかもしれぬ。

「こう見えても、士官学校時代、白兵戦の試合で負けたことは一度もないんだ。同盟最強、の腕前を見せてもらいたいもんだね」
 フロルはこれが挑発になることを承知で、こう言った。シェーンコップは底冷えのする目のまま、にやりと不敵に傲慢に笑みを浮かべた。
「わかりました、中佐殿。それでは小官とお手合わせ、としましょうか」



 そうして、急遽、新任中佐と、薔薇の騎士連隊副連隊長との模擬試合となったのだ。彼らは同盟の装甲服を着用し、刃引きされた戦斧を片手に、訓練場に現れたのである。
「おいデッケン、聞いたか。我らが副連隊長が新任の中佐殿と模擬戦をやるらしいぜ」
「ああ、聞いた」
 ライナー・ブルームハルト中尉が興奮したように、カール・フォン・デア・デッケン中尉に言った。それもそうだろう。先ほど連隊長室に入って行った新任の中佐が、突如シェーンコップの模擬戦の相手されたのだ。よほどシェーンコップを怒らせたのではないか、と思っていたのである。更に、フロルの訓練参加申し出自体、まだ連隊員には知らされていなかったということにも原因があるだろう。いきなり喧嘩になった、と皆思っていたのである。
「あの中佐はこの基地に何しにきたのかな」
 カスパー・リンツ大尉が半ば独り言で呟く。
「というと?」
「いや、半殺しされに来たんじゃないかって話さ」
 そういうと、リンツは肩を竦めた。なるほど、そういう見方もできるのか、と一同思ったのである。


「どうやら観客にはこと欠かんようだな」
 シェーンコップがヘルメットの奥で笑いながら言う。
「まったくだ。こんな大勢の前で、格好の悪いところは見せられんな」
 フロルが手に持った戦斧を握り直しながら言う。ヘルメットの中には無線が内蔵されており、お互いの声が聞こえるのであった。フロルは久しぶりに着た装甲服の感触を確かめていた。士官学校を卒業した後でも、自主的なランニングやトレーニングは欠かさなかった律儀なフロルであるが、白兵戦の勘までは忘れているだろうと思っていた。
(運が良くて一本とれる、かどうか)
 逆にシェーンコップはこの小生意気な年下の中佐をどうやって痛めつけてやろうかと、考えていた。その戦い様によっては、訓練に参加させてやってもいいだろう。だが、よほど酷いようなら、この連隊のビルから叩き出してやるつもりだった。
「ではリシャール中佐、いつでもどうぞ」
 彼は気障っぽくお辞儀してみせたのである。
「それでは、シェーンコップ中佐、行きますよ」


 フロルは引き寄せた戦斧を肩口から叩き付けるように振るう。シェーンコップほどの男が、大上段からの振り下ろしなどという冗長な技にやられる訳はない。
「ほぉ!」
 シェーンコップは感心したように呟きながら、それを上体だけの動きで避けて見せた。フロルはその戦斧を引き寄せつつ、上体を低く敵の右前に投げ出した。その上を、シェーンコップの横薙ぎにした戦斧が風を切った。さすがシェーンコップ、凄まじい勢いだ。
 シェーンコップはその斧を振り抜きざま、翻ってそれを振り下ろす。フロルはそれを戦斧の柄で受け止めた。火花が散る。フロルはその重さに驚く。押し潰されそうだった。
 辛うじて間を空け、シェーンコップの胸に蹴りを叩き込む。
 無理矢理作った間合いだったが、立ち上がるだけの時間は作った。
 お互い、そこで息をつく。どうにか上手くフロルはよくやっている、といったところであった。シェーンコップもまた、不敵な笑みを浮かべる。
「なかなかどうしてやるじゃないか」
「こちらこそ、お褒め頂きありがとうってとこだな」
 フロルは暴れそうになる息を抑えつつ、言葉を返す。
「だが、それまでかッ!」
 シェーンコップは鋭く左手を狙って斧を振るう。フロルは咄嗟に、左手を戦斧から離し、それをかわし、右手に持った斧でシェーンコップの首を狙う。柄の滑らせることで、シェーンコップからは戦斧が伸びたように見えたであろう。だがそれをシェーンコップは間合いを詰め、左手で柄を受け止めたのだ。そして斧を持った右手でフロルの腹を思い切り殴り上げる。
 フロルはこれをもろに食らって、半メーターは浮き上がっていただろう。彼は後ろに後ずさり、蹲ってしまった。
 シェーンコップはそれを見て、ヘルメットを外して放り投げ、フロルに歩み寄った。その瞬間、フロルは右手に持っていた斧でシェーンコップの足を薙いだのだった。隙を突かれたシェーンコップは咄嗟に上に飛んでそれを回避したが、立ち上がって彼の胸を突いてきたナイフに間に合うべくもなかった。言わばこれはシェーンコップの隙を突いただけという話で、二度目は効くまい。だが、シェーンコップの装甲服に模造ナイフが当てられているのと、フロルの首筋にシェーンコップの戦斧が突きつけられているのはほぼ同時だったのである。


 周りの観衆もその意外な結果に息を呑んだ。フロルのやったのは明らかな奇襲であり、それ自体は意地汚いと言われる類のものであったろう。事実、フロルは既にそれ以上の戦闘行動ができる状態ではなかったのである。だが、白兵戦において相手の息を止めるまで油断するな、とは基本中の基本である。そこでフロルを甘く見たシェーンコップの油断も、この結果の原因だったのだ。
「フロル中佐、俺はちょっとあんたを甘く見ていたらしいな」
 シェーンコップが息一つ乱さぬ声でそう言った。
「……はぁ、はぁ、それは、はぁ、あんたの買いかぶりだ」
 フロルは必死にそれだけ言うと、大の字になって伸びてしまった。シェーンコップの隙を突いたのは幸運の類であり、実力では遥かな差があるだろう。だが、フロルは彼の油断だけを狙い、結果引き分けになったのだ。フロルにしてみれば、満足という話である。
「油断大敵、か。殺ったと思って気が緩んだときが一番危ない、ということを忘れていたようだ。俺ともあろうものが」
 フロルの情けない様子を見ながら、シェーンコップは自嘲の言葉を吐いた。だが頬には笑みが浮かべられ、フロルを見つめている。
「フロル中佐、あんたのローゼンリッターへの仮入隊を認める。……聞いたか、連隊の諸君。これからこのフロル・リシャール中佐は我が連隊の見習いだ。みんなで可愛がってやれ!」
 おう、という図太い声が訓練場を見たした。こうして、フロルはローゼンリッターに仮入隊が決定したのである。



 その日一日、ローゼンリッターに付き合ったフロルは、文字通り徹底的に痛めつけられた。それは愛情という名の暴力というよりは、暴力というな名の歓迎であったろう。彼は改めて、なぜ薔薇の騎士連隊が同盟最強と呼ばれるかを身に染みて理解した。その訓練は同盟の標準的なそれとは桁違いの苛烈さであり、そしてその勇敢さや気力の面においても段違いだったのだ。これでは最強になるのも当然だろう。フロルですら、何度か早まったか、と後悔したのである。それもたった一日の間に。だが、それでも彼はとりあえず、仮入隊一日目を乗り切った。それはもはや、彼の意地、というものだった。
 そして彼が自室に戻ったのは19時だった。彼がベットに倒れ込んだ時、彼はすっかりとある女性との約束を忘れていたのである。彼が再び意識を回復したとき、時刻は23時を回った頃だった。彼は慌てて部屋にあったパンを口に詰め込み、悲鳴を上げる体を動かして、イヴリン・ドールトン大尉の部屋の前に来たのである。


 彼は恐る恐る彼女の部屋のドアを叩いた。
 ドアはすぐに開いた。だが、部屋の中は真っ暗だった。訝しみながら、フロルはその中に入った。後ろでドアが閉まる。と同時にキーロックの音がした。
 驚いたフロルはドアに触ったが、扉は開かぬままであった。
 その時、闇の中で動く気配があった。
 フロルはその影に押しつけられて、ドアに叩き付けられた。元々体力が切れていたフロルである。それに対応することも、それを避けることも、できなかった。
 まして、唇に押し付けられた唇を、離すことすらも。

 数秒だったろうか、数分だったろうか。闇の中で、フロルとイヴリンの息づかいだけが聞こえていた。
「……あんた……遅すぎんのよ」
「悪い」
 フロルは小さく呟いた。抱きついた彼女の体を、優しく抱きながら。
「何してたの?」
「ローゼンリッターで訓練」
「あの薔薇の騎士連隊と?」
 闇の中でイヴリンは身じろぎしたようだった。
「そう」
「あいつらの副隊長、私を口説きに来たことがあるわ」
 フロルは何も見えない闇の中で、小さく笑った。いかにもシェーンコップのやりそうなことだ。
「それで?」
「尻蹴っ飛ばしてやったわよ。当たらなかったけど」
「へぇ、結構な美男子だろうに」
 フロルは軽く皮肉を口にした。彼女がそんな言葉をかけてほしいのではない、と知っていながら。
「あんたねぇ……ようやく私の気持ち、わかった?」
「十分すぎるほど」
「……鈍すぎんのよ」
「ごめん」
「三年も待たせやがって」
「ごめん」
「ねぇ」
「なんだ」
「体動く?」
「一晩くらいは」
「じゃあさ」
 彼女の言葉は、フロルの唇によって沈黙し、そして言葉は無用になった。


























 
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