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【旧】銀英伝 異伝、フロル・リシャール

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戦いの裏で


戦いの裏で

 宇宙暦792年、帝国暦483年5月、同盟軍は五度目のイゼルローン要塞攻略作戦へと旅立った。これはシドニー・シトレ大将を総司令官にした総勢五万隻という、過去に類を見ない大作戦であった。ヤン少佐やアッテンボロー中尉もまた、この作戦に参加していた。この作戦は敵の戦術を利用し、平行追撃作戦と無人艦突入による要塞攻撃という、それまでにない作戦が用いられることになったのだが……

 フロル・リシャールの乗り組む第5艦隊は、この作戦に参加していなかった。

 というのも、第5艦隊は3月におけるアルレスハイム星域会戦にて勝利を得ていたので、今回の作戦には参加しなくてよい、ということだったのだ。正しい作戦というのは勝てる作戦案のことを言う。もしこの度の遠征でイゼルローンの持ち主が名前を変えたならば、その功績は多大なものになるであろう。既にアルレスハイムで勝っている第5艦隊は、連続で功を得る必要もない、と思われたのだ。
 また一つには、艦隊数に余裕がある現状で、一艦隊を二か月のインターバルで二度の作戦に参加させるのは、将兵や艦にも負担が大きいと判断された、という状況がある。それは誠に正論であり、ビュコック提督やフロル自身も、口を挟むことはしなかった。


 アルレスハイム星域会戦を終えたフロルは、少佐の時に新しくなった我が家に戻って来た。もっとも第5艦隊に務めるようになってから、あちらで寝食を済ますことが多くなったので、未だ埃ばかり積もって、生活感は一向にない。久しぶりに戻って来たフロルは荷物を置いたのはいいが、あまりに掃除をしてないことに驚き、慌てて掃除業者を読んだのであった。彼はヤンほどの生活不能者ではないので、もちろん彼自身が掃除をすることも可能であったのだが、それだけの気力がなかったという方が正しい。
 彼は居残りになることを知っていたが、それでも第5艦隊の整備をその間行っていた。彼にしてみれば第5艦隊はかつての第4艦隊パストーレ分艦隊よりもより親しみのある艦隊になっていたからである。

 また先日の会戦における作戦発案に功あり、との評価によって中佐に昇進することが内定していた。二年ぶりの昇進、ということで自身もまた年齢を26に進めている。
 そのような庶務に追われて二か月が経った頃、彼のするべき仕事は一応の終末を見せていた。つまり、また暇になったのである。
 そして暇な時に、彼が行くところは一つ。


「よう、リシャール中佐、お疲れさまじゃないか」
「キャゼルヌ大佐こそ、お元気そうで」
 アレックス・キャゼルヌ大佐のところである。
「おまえさん、また活躍したそうじゃないか」
「まぁ多少ね。いい上官にめぐり逢っただけですよ。事実、アルレスハイムじゃ俺がいなくても勝ててたでしょう」
「まぁそう拗ねるな。今度昇進するんだろ?」
「はい、イゼルローンへ出兵した連中が帰って来たあと、落ち着いてね」

 フロルはそう言ってキャゼルヌの部屋にあるソファに座った。彼自身、久しぶりのこの部屋である。第5艦隊に移ってからはそちらにかかりっぱなしだったため、キャゼルヌやヤンと会うことも減っていたのである。ジャン・ロベール・ラップは一年前の艦隊戦において負傷し、その後長期の入院中である。もっとも命には別状がないのだが、フロルはこれでもこまめにお見舞いに行っている。恐らく、言わないだけでキャゼルヌも何度も会いに行ってやっていることだろう。

「おまえさんはいつも勝てる時にそのおこぼれに預かる形で昇進する男だな」
「ヤンはどちらかというと負ける時に人より多少マシな働きをして、昇進する男ですがね」
 フロルは肩を竦める。
「あ、ミンツ大尉は元気ですか。そういえば最近見かけませんが」
「それだがなフロル、ミンツ大尉は二階級特進でミンツ中佐になったよ」
「死んだ、んですか……」
 フロルは上を見上げる。もしかしたらそこにあの人の良いミンツ大尉がいるのではないか、と思って。

「おまえさんが第5艦隊に移ったあとだ。転属した先で艦隊戦に巻き込まれてな。名誉の戦死だとよ」
 キャゼルヌが吐き捨てるように言う。名誉の戦死だろうと、路傍の野垂れ死にだろうと、死は死である。いかな言葉で装飾しても、そこに差異はないのだ。
「そうか……、俺の紅茶の腕前を披露してやりたかったんだがな……」
 フロルもまた、彼が死ぬということを忘れていたのであった。頭のどこかで、今もキャゼルヌの副官をやっているのではないか、と考えていたのだ。
「ふむ、おまえさんがくれたシロンの茶葉はまだ残っている。久しぶりに、美味しい紅茶でも飲ませてくれるかな」
「ええ、入れましょうか」
 二人はしんみりとした空気の中、かつての達人を憶いながら、紅茶を口にした。


「そういえばだ、リシャール中佐」
 そこで思い出したようにキャゼルヌが切り出した。
「おまえさん、トラバース法というのを知ってるか」
「トラバース法……軍事子女福祉戦時特例法のことですか」

 トラバース法とは戦災遺児を軍人の仮定で養育する法律で、帝国との戦争によって慢性的に生じる戦災遺児の救済と人的資源確保を目的として作られたものである。15歳までの養育期間中は政府より養育費が貸与される。その後の進路は個人の自由になるのだが、遺児が軍人あるいは軍事関連の仕事に就けば養育費の返還が免除される、というものである。言わば金で前途洋々な子供の将来を縛る、えげつない法律だ。

「そう、そのトラバース法だ」
「もしかして俺にミンツ大尉のお子さんを引き取れって言うんじゃないでしょうね」
「いや、彼の子供は現在、彼の母君の元で過ごしている。遺児にはなっておらんよ」
 すると、今のユリアンは厳しい祖母の元でいじめられている最中なのか、とフロルは思い出した。

「じゃあ俺に誰の子を引き取れと?」
「いや、特に誰というわけでもない。だがおまえさんももう26歳だ。本来ならば結婚して子供ができていてもおかしくのない年齢にも関わらず、独身であると言う社会的罪悪を成しているわけだ。ここで迷える子供を一人くらい引き取っても罰は当たらんだろう」
「はぁ」

 フロルは溜め息をつく。彼自身面倒だとは思うが、内心しょうがないとも思っていた。それに今の階級の給与は十分すぎるほどで、もう一人扶養者が増えても食っていくのに困ることもない。

「いいですよ。でもなんで俺に頼んだんです?」
「そりゃあおまえさんは既に階級も中佐だからだ。給与は十分だろ」
 その言葉にフロルは苦笑する。その通りだからだ。

「それに、俺はフロル・リシャールという人間を知っている。もしおまえさんがこれから育てた子が、15歳になって軍人になりたくない、と言ったらおまえはどうする」
「むろん、軍人にはさせません。花屋だって医者だって画家だってなんだって、させてやるつもりですよ」
「だが政府からの養育費はどうする」
「それぐらい俺が出しますよ。そんなケチな大人に育てられたとは、思われたくないですからね」
「そこだよ、フロル」
 キャゼルヌが頷く。それはまるで自分が思った通りだと、満足する顔である。
「おまえさんは色々と人間性に欠陥があるがな、金に執着しないという美点がある。おまえさんに子供を預けて、困ったことになりはしない、とまぁ俺は考えたわけだ」
「つまり15歳になった時、子供を金で縛らない慈善家を探してたわけですか」
 フロルは小さく嘆息した。なかなかどうして、キャゼルヌは食えない男である。

「まぁ、そうだな。いや、おまえさんが引き受けてくれてよかった。では五人ほど送るかな」
「キャゼルヌ先輩、そんな大人数養えるほど、中佐の待遇は良くないと思いますが?」
「しょうがない、では誰か適当なのを見繕ってやろう」
 キャゼルヌはソファから立ち上がり、デスクから書類を取り出した。
「あ、それが名簿ですか?」
「ん? 見るか?」
 本来は機密であるはずのそれを渡すキャゼルヌ。それだけフロルには信用があるということだろう。もっともそこにあるのは名前と性別、年齢のみであり、親族や写真などの掲載はない。
「これ、写真がありませんね」
「昔、トラバース法で預かった子供を性的に虐げた准将がいてな、それ以降の慣例で写真の掲載などはされなくなっている」
 その分厚い名簿をぱらぱらとまくるフロル。この厚さ1センチに達しようとする書類に記せられた名前の全員が、自分の親を戦争という命の浪費の中で失ったのだ。これだけの人数の子供の将来をねじ曲げる戦争。その愚かさが分かるというものだった。

「ん?」
 その中でフロルはある名前を見つけた。

——Katerose von Kreutzer、Female、Age:8——

 この名前は、カリンだった。シェーコップの落とし胤。最後まで実の父を受け入れられなかった頑固者。もう8歳にして母親を失っていたのか、とフロルは愕然とした。
 フロルの驚いた顔に、キャゼルヌもまた驚いていた。普段は冷静な男、という評判を獲得しつつあるというフロルが狼狽しているのだ。キャゼルヌもまた、書類に目をやる。

「キャゼルヌ先輩」フロルは唸るように言った。「この子を引き取ってもいいですか」
 フロルが指差したのはカリンの名前である。
「む? カーテローゼ・フォン・クロイツェル? この名前から言うと、どうやら帝国からの亡命者のようだな。だが女の子だなぁ。一応原則、男子は男性士官の家に、女子は女性士官の家に、ということになってるんだが」
「いや、頼みます、先輩」
 なんとフロルはそこで頭を下げたのである。キャゼルヌはその気迫に押されてしまった。いったいこの娘はなんなのだ。

「だが、フロル、おまえ、この娘を知ってるのか?」
「いや、知らない……、だが頼む」
 キャゼルヌはそのフロルの様子にただならぬものを感じていた。

 そしてフロルもまた、この孤独な少女を、どうにかして救いたいと考えていた。
 この子はこのまま行くと、父親との和解を得ることなく、何よりその自身の性格に苦しめられることになるだろう。原作の最後では、ようやくユリアンとも打ち解けたはずだったが、それでは遅すぎる。どうにかしてこの娘を父の死より早く、和解させてやりたい。フロルは前世よりこのカリンという少女が好きだった。だが同時に彼女の苦悩に心を痛めていたのだ。もしも幼少期、母を失ったあとに、誰か心ある者に育てられたのならば、彼女はあんなにきつい性格にならなくとも済んでいたはずなのだ。ならば、俺がどうにかする、そうフロルは決心していたのである。

「うむ……だが写真があるわけでもないのに、おまえさんはいったいなにを見てそう思ったんだか……」

 キャゼルヌはこれでもフロルという男を知っているつもりだった。だが時たまこの男は俺の予想や想像を超える、とも思っていた。彼は女性を好むという意味で通常の男性であったが、少女を特に好むという性癖でもなかったし、美女を好む、とは知っていたものの、美少女に発情はしないことも知っていた。ましてこの資料には写真がないのである。美少女かどうかなど、わかるはずもない。キャゼルヌ自身ですら、知らないのであるから。だがこの男はたった一行の名前から何かを読み取った。キャゼルヌは頭の中の掲示板に、この少女の名前をピンで留めた。もしかしたら、将来何かわかるかもしれぬ、とも思っていたからである。

 だが、とりあえずは、フロルが望むようにしてやろう、と考えていた。
 この男はいつも何かを考え、どこからか情報を集め、人のために動く男である。彼はまるで自分のためにそれを行っている風を装う男だが、実際は誰よりも周りの人間のために動いている。それは彼の行動原理とでも言うべきものであった。ならば、今回もそれに乗ってやろうと思ったのである。

「わかった、まぁ過去に例がなかったわけでもない。そう手配しておくよ」
 キャゼルヌはこうして、カーテローゼ・フォン・クロイツェルという少女を、フロル・リシャールの扶養者にするよう、手続きをすることになったのであった。


 その話が終わるとフロルは席を立った。キャゼルヌもまた、一つ仕事が増えたのである。ここは帰った方が彼のため、というものであった。
「おい、フロル」
「はい、なんでしょう」
「おまえさんは今回のイゼルローン攻略戦、どう思う?」
 キャゼルヌは部屋のドアノブに手を伸ばしたフロルの背中に声をかけた。フロルは振り返って、そのドアにもたれかかって、短い時間考えた。

「恐らく、成功しないでしょうね」
「ほぅ。では作戦は失敗すると?」
「いや、平行追撃作戦も、無人艦突入作戦も、成功の余地はあります。その意味ではなかなか優れた作戦案だと思うんですが」
「だが、それでもダメだと?」
「この作戦は帝国軍と同盟軍の混戦という状態を作り、トールハンマーを撃たせないようにするのが目的です。つまりその砲の前に帝国軍がいたら敵は撃たない、ということを前提にしてるのですが」
「その前提を見間違えている、というのか」
「果たしてイゼルローンを治める貴族様にとって、イゼルローン失陥と、味方殺しのどちらを選択するか、ですね」
 そう言うとフロルは手を振って、キャゼルヌの部屋を出た。キャゼルヌもまた、書類を処理する手を休めてそれについて考えていた。その時、同じことに考えついている人間が、遠征軍にもまた一人、いたのである。無論、それはヤン・ウェンリーである。だがヤンも、そしてフロルも、何事かをするには、権力が小さすぎたのであった。


 宇宙暦792年、帝国暦483年5月7日。帝国軍がトールハンマーによる無差別砲撃という暴挙によって戦局を挽回、第5次イゼルローン攻略戦は、失敗に終ったのである。

























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※訂正※
ミンツ中尉→ミンツ大尉
(本当はフロルの勘違いの予定でしたが、中尉であった描写を消したので、結局訂正)
 
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