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【旧】銀英伝 異伝、フロル・リシャール

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アルレスハイム星域会戦


アルレスハイム星域会戦

 宇宙暦792年3月4日宇宙標準時8時20分、アレクサンドル・ビュコック中将率いる第5艦隊はアルレスハイム星域に侵入しつつあった。
 アルレスハイム星域はイゼルローン回廊、同盟内にある星域で、数多くの小惑星が宙域を漂う場所であった。不安定な恒星や危険なブラックホールの類はない安定した星域であったが、その小惑星群が障害物になって同盟の警備地域としてもっとも厄介な場所とされていた。ここだけは衛星による警備網ではなく、艦隊による哨戒が必須とされていたのである。
 しかもフェザーン経由で帝国軍の艦隊が進出しているという情報が入っていたため、第5艦隊の出動となった。ここ数年は大規模な会戦がなかったため、これは久しぶりの艦隊戦になると予想されていた。


「まぁ、実際はワンサイドゲームなんだが」
 実のところ、第5艦隊参戦参謀、フロル・リシャール少佐は、今回の会戦が敵カイザーリング艦隊の自滅によって、一方的な殺戮になることを知っていた。敵艦隊がサイオキシン麻薬の漏洩による急性中毒で統制を欠く、ということを前世での知識で知っていたからである。小惑星群に入った第5艦隊を、先に察知した帝国軍は小惑星群に紛れて接近して奇襲を仕掛けるという作戦をとるということすら、彼は知っていた。もっとも、統制を欠き突出した敵によって、もともと数に劣る帝国軍は敗れる、はずである。

 だが、フロルは不安に思っていることがあった。

 フロル・リシャールというイレギュラーによる、原作からの乖離である。
 フロル・リシャールは、自身の働きによって宇宙暦787年、イゼルローン回廊外遭遇戦にて敵分艦隊2000隻を殲滅しているのである。もしかすると今回の戦いにおいても、その歴史の介入が影響をもたらすかもしれない、と考えていた。
 彼の介入によって、確実に歴史は変わっている。パストーレはその武名を上げ少将への昇進を早め、グリーンヒルも中将への昇進が本来より早まっている。現在第5艦隊司令官に収まっているビュコック提督も、本来なら中将昇進はもう少しあとであった。だが、少しずつ狂い始めた歯車は、フロルという人間をも巻き込んで、まったく新たな歴史を紡ぎ出そうとしているのである。


「ビュコック提督、あと4時間でアルレスハイム宙域に到達します」
 参謀長が司令官席に座っていたビュコック提督に報告をした。それは必要に迫られた報告、というよりも義務によってせざるを得なかった報告であろう。ビュコック提督自身は既に偵察部隊から押し寄せる膨大な情報を、前方大型スクリーンで読み取っていたからである。
「参謀長、作戦参謀たちを集めてくれ。作戦会議を開く。まぁもっとも、こちらから敵が待ち望んでいる小惑星群に出かけるのじゃ。作戦の幅は限られておるがな」
「はっ」

 参謀長は作戦参謀を集めた。作戦参謀はたいてい各艦隊に4人ほど配属されており、そのうちの一人が参謀長として上位におかれる。作戦会議はこの4名と各種高級将官が集まって行われる。ビュコック提督の副官ファイフェル大尉も参加するであろう。
 ちなみに副官はファイフェル大尉なのだが、ビュコック提督のお茶汲み係はフロルの仕事、ということになっている。
 当初、副官であるファイフェル大尉はそれに抗議したのだが、フロルが入れた紅茶の方と自分の入れたものを飲み比べた結果、圧倒的にフロルの方が美味しいことを認め、今ではビュコック提督が紅茶を頼む時には自分の分もフロルに頼むようになっている。年齢ではフロルよりも年上であるが、士官学校出のエリートであるフロルの方が階級は上である。当初は気に止んでいたようだが、フロル自身がまったく気にしてないことを繰り替えし説いたため、今ではなんの罪悪感もなしに注文を出している。

 さらに困ったことに、ビュコック提督がフロルの紅茶をたびたび褒めた結果、旗艦リオ・グランテの作戦課ではフロルの紅茶が話題となり、お陰で作戦会議のたびに出席者全員分の紅茶をフロルが用意する、という奇妙な事態に発展した。もっとも作戦参謀の中で一番の若手であるフロルにとってしてみれば、普段から暇を持て余しているので、これくらいの仕事があった方が精神衛生上良いという理由から、拒否も抗議もしていない。おかげで彼が茶坊主である、という認識がリオ・グランテでは流れる始末であった。だが反って不思議な事に、平の兵卒の間では「士官学校出のエリートが茶坊主をしている」ことが親しみを覚えるらしく、エリート将校であるはずのフロル・リシャールはその人柄を含めて、一般将校の間ですらある種の憐憫を持ってそれなりの人気を持つようになったのである。

 無論、彼がまったく望んでいない感情ではあったが、特に気にする事もしていなかった。彼の器の大きさ、と言えばその通りなのだが、ビュコック提督当たりに言わせれば「あいつは面倒が嫌いな男だからな」ということであり、無意識に人から好意を得るように動いていると、考えているようであった。



「今回の作戦は、フェザーンから齎された情報によって立案された。敵艦隊がアルレスハイム星域に潜んでおり、哨戒にやってくる同盟艦隊を攻撃する意図あり、とのことだ」
 参謀長が作戦会議の出だしを飾った。
「敵艦隊の艦数は?」
 作戦参謀が問う。
「フェザーンからの情報によると、7000から10000隻。第5艦隊は13000隻であることを考えると、正面対決で負けることはないだろう」
「その情報の信憑性は?」
「不明だ。よって本国は敵艦隊より最低でも3割多い数を揃えたのだろう。もっとも敵は小惑星群に潜んでいる。正面切った艦隊戦は不可能だと思われる」
「ビュコック提督、何かご意見は?」
「我が艦隊は敵からの奇襲に備えつつ、小惑星群に侵入する。障害物が多いので索敵には困難が伴うと思われるが、他に有効な手段がない以上、こうするしかないだろう」

 ビュコック提督の言葉に周りの参謀が頷く。常識的に考えて、そうしかありえないだろう。フロルは会議室にいる人々のマグカップに紅茶を入れながら、頭を巡らす。
 艦隊数が特定できていないのが引っ掛る。敵艦隊の数は不明だ。もし敵が少数ならば、敵は奇襲を持ってその数の少なさをカバーしようとするだろう。だが、もし——

「提督、意見を申してもよろしいですか」
 ちょうどポットが空になった時、フロルが声を上げた。その声で、周りの人間もさきほどから自分たちのカップに紅茶を入れて回っていたのが、作戦参謀の少佐である事に気付いたようであった。
「リシャール少佐、言ってみたまえ。君も作戦参謀じゃろうに」
「すみません。最近では自分がお茶汲み係か何かではないかと、自分でもわからなくなる始末で」

 その発言に周りの人間が苦笑する。

「今回、敵の艦数が少ない場合、敵のとる戦法は一つです。つまり小惑星群に潜んで敵がやってきたところを撃つ、という奇襲です。今回の我々もそれを想定して動いております」
「ふむ、続けたまえ」
「ですが、もし敵艦隊が我が艦隊より多い場合でも、敵がとる戦法は奇襲作戦である、と小官は考えます」
 その発言に周りの人間がざわめく。

「そもそも大前提である敵艦隊の規模を疑っているわけかね。精確に把握できていない以上、それを前提に動いていることの危険性を考慮すべき、ということか」
「はい、提督」
 フロルは内心で舌を巻いていた。どうやらビュコック提督自身、このことは考えていたようだ。

「我々が敵の艦隊数を少ないと想定しているなら、我が軍は小惑星群に潜んでいる敵をこちらも潜り込んで叩く、という戦法をとるだろうと敵は予測しているのです、論理の帰結として。そしてそれを考慮した上で、我が軍より多い艦数を用意しているのであれば、小惑星群に我が軍が侵入したあと、後方より奇襲をかけ我が軍を小惑星群に押し込み、さらにそこを奇襲するのではないか、と思われます。仮に敵が同数であっても、敵はそれを過小に見せることで、その情報をアドバンテージにしようとするでしょう」
「つまり、敵の艦数が少ない、という情報がおかしいというのかね」
「我が軍は先の788年、イゼルローン回廊外における遭遇戦で敵分艦隊を撃滅した戦果があります。仮に敵が4年越しの復讐戦にやってきたのであれば、我が軍の艦隊13000隻よりも少ない艦数でそれを行うとは思えません」
「なるほど、なかなかに論理的じゃな。雄弁でもある。普段は茶を入れてばかりで、まともな会話をした記憶がないが、貴官は大切な時には喋るようじゃ」
「いえ、私は口下手なもんで……。下手に喋るといらんことまで口にしてしまうのですよ」

 フロルの発言に、また幾人かはそれを笑ったが、他の大多数は今の発言の意味を噛み締めていた。我が軍はもしかしたら敵の罠に飛び込んでいるのではないか。さきほどまでは『敵の奇襲』自体を罠、と思っていたが、もしかしたら『奇襲が罠である』という思い込みこそが敵の望む策略ではないのか、と思い至ったのである。

「では貴官はどうすればいいと思う」
「せっかくですから、罠に飛び込むのがいいかと」
「なに? それでは大多数にやられるだけではないか!」

「この場合、何が一番不味いかというと、後方を遮断された後、その後方の敵に構っている間に、小惑星群の中からも攻撃される事です。ですから後方を遮断されたならそのまま直進し、小惑星群を抜ければいい。この場合前方で待ち構える部隊を殲滅すればいいいだけなので、それは容易いでしょう。そして改めて障害物がない宙域で戦線を構築すれば良いのです」

「もしも敵が一カ所に固まっていたら、どうなるのだ」

「その場合、敵が少数である、という敵にとって有利なはずの情報操作が意味を失います。ですから敵はまず確実に兵を分けて来るでしょう」
 フロルは手元の紅茶を一口、口に含む。
「そして兵力を分けて、我々を待つならば、それは小惑星群内部を戦闘宙域に決定した、という事に他ならない。開けた場所で兵力を分割するなどというのは、各個撃破の好餌だからです。しかもここはアルレスハイム、開けた場所は小惑星群の両端だけです」
「貴官は小惑星群を抜ければ良いと容易く言うが、抜けた先はイゼルローン回廊出口に近い。もしそこに別の兵力があったらどうする?」
 参謀長が声を上げる。
「敵がアルレスハイムを戦場に設定したのは、小惑星群を舞台にすると決定したのと同義です。彼らは小惑星群の中で我々と戦う作戦を立てているのだから、その作戦を失敗にするには小惑星群を駆け抜けること。彼らは我々を小惑星群に閉じ込めることに全力を尽くすでしょうから、外部に兵力を残すことはしないはずです。彼らは時間差で奇襲を仕掛け、包囲しようとするでしょうが、つまり彼らの予想より早く動けば包囲が完成される前に突破できるということを意味します」

「ふむ……」
 目を閉じて考え込んでいたビュコック提督が目を開けた。
「どうやらリシャール少佐の意見に穴はなさそうじゃな。では我々はまず小惑星群を敵を撃滅しつつ突破し、抜けた先で戦陣を構築。敵の後続部隊と残存奇襲部隊を相手にするか」
「そこでもう一つ提案があります」
 ビュコックは品定めをするような目でフロルを見た。
「今回、小官は出発に当たり、工作船を通常の艦隊構成より多めに配備しました」
「あ、工作船が多いと思ったのはそれだったのか」
 技術班の士官が言う。
「ええ、艦隊編成の際にお願いしたのですが」
 フロルは手元の端末を操作し、画面に資料を表示させる。フロルが艦隊編成の担当だったのである。もっとも多め、という程度で、逸脱して多いというほどではない。

「今回、我々は計1000個のゼッフル粒子発生装置を持って来ました。これを艦隊後部に持って来て、小惑星群を突き抜けたところで展開します。敵軍はイゼルローンに帰還するにしても、我々の軍を攻略するにしても、我々のもとに来ざるを得ないでしょう。敵が現れるポイントがわかっているならば、ゼッフル粒子も役に立ちます。敵が来たところで小惑星群に展開したそれを着火すれば良い」
「艦隊後部に工作船があると、追撃にあった時、かなりの被害に合うのではないか」
「我々はまず全力で小惑星群を突破します。敵が想定し、配備する追撃部隊が追いつくことはないでしょう」

 その時、会議室に通信兵が走り込んで来た。
「て、敵兵力が想定より多いとの情報が、フェザーンよりハイネセンに入電。ハイネセンは不利ならば撤退せよ、とのことですが」
「提督、どうやらやはり敵の情報操作だったようですね」
「……リシャール少佐が面白いことを言うと思っておったが、どうやら当たりだったようじゃな。ならばこちらは罠にかかったと見せかけてやった方が、相手の隙も突けよう。攻撃を続行する。我が軍はこれより小惑星群に突入、敵の奇襲部隊を突破し、イゼルローン回廊側の宙域まで前進。そこで戦陣を構築し、敵部隊を迎え撃つ。工作船部隊の件はその通りでいい。くれぐれも無駄に消耗せぬように」
 そこで作戦会議は終了した。



 戦いにおいて、当初立てた作戦がそのまま上手く行くことは稀である、という戦訓を敵軍はこの戦いを通じて学んだことだろう。
 銀河標準時1130時、同盟第5艦隊はアルレスハイム星域に侵入した。同盟艦隊は可能な限りの速度を持って前進。同1200時、敵部隊が同盟軍後方に出現。だが同盟軍の高速移動により、その距離は有効射程をはるかに超えていた。同1230時、敵奇襲部隊と思われる部隊に遭遇。敵は明らかに統制の効かない乱発的な攻撃を仕掛けてくる。第5艦隊はスパルタニアンを出しつつ、これを殲滅。敵軍は明らかにその秩序を失っていた。敵奇襲部隊の50%を撃沈、もしくは大破。同1330時、同盟軍は小惑星群を抜け出し、その外にて戦線を構築。フロル・リシャール少佐の作戦案のもと、1000個のゼッフル粒子発射装置によってゼッフル粒子を散布。1400時、敵追跡部隊が現れたとともにこれを着火。敵の戦列を崩すことに成功する。1430時より残存兵力を掃討。1600時までに敵軍は組織的抵抗を失う。

 結果的に、敵の奇襲部隊の自滅という形にも助けられ、アルレスハイム星域における会戦は同盟の一方的勝利で幕を下ろした。敵の作戦が同盟に読まれていた、というのも敗因の一つではあったが、敵の奇襲部隊が序盤よりその統制を失っていたため、例え作戦が成功していても、勝利は揺るがなかったであろう。
 推定では敵兵力の7割がこのアルレスハイム星域で虚無に潰えた。それは原作よりも1割ほど多い割合であり、何より敵艦隊の動員数が増えたため、より一層の血を流したことを意味するのであった……。
























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※訂正※
作戦参謀長→参謀長
 
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