蒼き夢の果てに
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第4章 聖痕
第48話 クーデターの夜
前書き
第48話を更新します。
ここ3日、新しい部分がほとんど進んで居ない。
マズイ。特にW○Cが始まったのが……。
完全に意識を手放したシャルル・ド・バツ=カステルモールを拘束した後、先ほど閉じたままに成っていた扉を押し開く俺。
瞬間、振り下ろされる黒き烈風。
その烈風が、豪奢な造りの扉を破壊し、そのまま床にサーベルをめり込ませる。
しかし、当たった瞬間に真っ二つに出来ようが、暴風に等しい破壊力を行使しようが、当たらなければまったく意味はない。
そう。扉の向こう側から感じていた隠し様のない人外の気配に、俺が攻撃の有無を考えていない訳はない。半歩後退した瞬間、俺の右手内に発生した七星の宝刀にて一閃。
次の刹那。俺の目の前に、首を失った黒き身体が、その身体と精神に相応しい色合いの体液で床を染め上げながら倒れ込んだ。
「ミノタウロス?」
その倒れ込んだ存在を瞳に映しながら、思わず、そう呟く俺。
いや、むしろ人の体格をした牛の頭を持つ牛頭人と言うべき存在ですか。この相手は、ミノタウロスや牛頭鬼と言うほどの体格を持っている訳では有りませんから。
但し、どう考えても、こんなトコロに牛頭鬼や、ミノタウロスがいる訳はないのですが……。
ここが地獄でない限りは。
しかし、イザベラに当て合われた部屋から一歩外に出た、そのブランシュー伯爵邸の廊下は、現在、地獄にも等しい情景が広がる世界で有ったのは事実なのですが。
軍杖を右手にする一人の青年が、淡い燐光に包まれし身体を優雅に動かす度に、腕を古の舞いを舞うが如く翻す度に作り上げる血風と、死の呻き。
斬り伏せられるは、牛頭人。東薔薇騎士団の制服に包まれし、人ならざる者たち。
憑かれた……。いや、変成したのか?
それとも――
刹那、新たに現れた俺とタバサに対して、三体の牛頭人がこちらに向かって対処を開始する。
良く訓練された、軍人に相応しい動きで……。
濃密な魔が支配する空間内で、最初に接近して来た先頭の牛頭人が、軍杖と言う名のサーベルを大上段に振りかぶった後、無造作に振り下ろした。
剣術の基本に沿った黒き死の顎が俺を両断し、更にその後方に控えしタバサをも巻き込もうとする!
そう、これぞ正に黒き死の奔流!
しかし、あちらが地獄の獄卒牛頭鬼ならば、こちらは神話時代より神を殺すと言う呪を籠められた存在、龍の血を引く者。
まして、所詮は牛頭鬼やミノタウロスを模した牛種と言う程度の存在。
紛い物にはそれに相応しい実力しか持ち得ないのが道理。
留まる事さえなく、半歩右足を踏み込む事でサーベルを何もない空間から廊下へと叩き付けさせ、その場で僅かに腰が沈め、身体を捻じる。
刹那、俺を斬りつけて来た先頭の牛頭人に雷公の腕が振り下ろされた。
声さえ上げる間もない刹那の間に、完全に無力化される牛頭人。
しかし、そんな事は委細構わず、上半身に溜めこまれた力を、其処から更に右足をすり足状に踏み込む際に、破邪の宝刀を振り抜いた。
その瞬間、俺の霊気の高まりに反応した七星の宝刀が、爆発的に蒼白き光りを放つ!
刹那、後方より接近していた牛頭人の上半身が僅かにぶれ、次の瞬間、赤き生命の証を噴出しながら倒れ込んだ。
その勢いを使って半回転。その際、雷公召喚法を使用したタバサの蒼の瞳を見つめる。
しかし!
ほぼ一瞬の内に二体の味方を俺とタバサに倒された事をものともせずに、残った一体の牛頭人が迫る!
対して俺の方は未だ回転の途中。その俺の右側を走り抜ける蒼き影。その瞬間、二人の間の宙を舞う七星の宝刀。
その宝刀を中空にて掴む蒼き姫。
俺の七星の宝刀を右手に、半身に構えし姿は俺と同じ。
淡い燐光に包まれしタバサが、彼女の五行を示す黒曜石の輝きを放つ宝刀を振り抜いた。
そして、次の瞬間。首の辺りからズレ落ち、周囲に赤黒き色を着けながら倒れ込んで行く牛頭人。
最後の一体を無力化した後に、ようやく、その場で大きく息を吐く時間を得た俺。同時に、タバサが手にした七星の宝刀を、元の如意宝珠の姿へと戻す。但し、ここで行えるのは其処まで。
未だ、イザベラの部屋の前までのルートが確保されただけ。これで、すべてが終わった訳では有りませんから。
「シャルル副長を排除したのですか」
こう言う場面でしか登場しないのか、ジョルジュ・ド・モーリエンヌが、軍杖に付いた赤黒き液体を軽く振る事によって振り払いながら、そう問い掛けて来た。
但し、視線はこちらを向けては居ますが、彼自身の足はイザベラの部屋に向かって歩みを止めず。
つまり、ヤツも目的は同じと言う事。そして、ここに北花壇騎士団所属のジョルジュが現れたと言う事は、この騒ぎはガリアに取っては予想された事態だった、……と言う事なのでしょう。
「東薔薇騎士団が現王家に対して、内乱を企てる計画を立てていた事は掴んでいました」
俺が問い掛ける前に、イザベラの部屋の扉を開きながら、そう種明かしを行うジョルジュ。
しかし、それでは、タバサの方には俺が付いて居て、引き離す事はかなり難しいとは思いますが、もう一人の方。イザベラの身に対する守りがどう考えても薄すぎると思うのですが。
元々、東薔薇騎士団がクーデターを起こす予想が立っていたのなら……。
仮にも、彼女はガリアの王女。サリカ法が有るから直接の王位の継承権は持っていませんが、それでも、次のガリアの王位は、彼女の良人となる男系男子の系譜を継ぐ男性貴族と成るのでしょう。
そんな人間が、ここで生命を失ったとしたら……。
「イザベラ姫は言っていましたよ。囮は高価なほど価値が有る、とね」
そう、俺とタバサに告げながら、イザベラの部屋の扉を開くジョルジュ。
しかし……。
開かれた扉の向こう側は既にもぬけの空。そして、暖炉が有るべき個所に、遙か地下へと続く階段が口を開いていた。
「この先に、イザベラ姫は連れ去られたと言う事か」
何処まで続いているのか判らない、地下への入り口を見つめながら、俺はため息交じりの独り言を呟く。
どうも、最近は地下ダンジョンに縁が有るのですが、それでも、入って行かない訳にも行かないでしょうね。
何故ならば、彼女は、初見に等しい俺を信用している、と言ってくれましたから。
ただ、その台詞を口にするのなら、最初から、俺とタバサをもっと身近に置いてくれて居たのなら、こんな地下ダンジョンに入り込む必要など無かったはずなのですが。
地下迷宮への入り口に等しい不気味な雰囲気を漂わせている階段の入り口から、アール・デコ調の、俺から見るとアンティーク仕様のドレスを身に纏ったタバサへと視線を移す俺。
そして、
「毎度毎度、ドレスアップする度に戦闘に巻き込まれるって言うのも、俺と、タバサには似合っているのかも知れないな」
そう伝えながら、右手を差し出す俺。それはまるで、ダンスを誘うような自然な姿。そして、緊張感に欠ける雰囲気。
普段通りの表情……。そう、表情は普段通りの彼女で間違いない。しかし……。
いや、最初から知って居ましたか。彼女に心が存在している事に関しては……。
普通ならば、危険と判っている場所に、彼女を連れて行くのは避けるべきでしょう。しかし、付いて来るか、それともここに居残るか。その判断は彼女に委ねたのです。
彼女は、間違っても足手纏いに成るような人間では有りませんから。
俺の差し出した右手をそっと取るタバサ。不安などは一切感じる事のない、普段通りの落ち着いた雰囲気。
その、繊手と呼ぶに相応しい左手に彼女の覚悟を感じ取り、ジョルジュの方に視線を移す俺。
「この屋敷の制圧は私と、私が連れて来た西百合騎士団の者たちで行います」
……と、そう告げて来る竜殺し殿。そして、更に続けて、
「タバサ嬢の御母堂は既に安全な場所に移送され、王都に残った東薔薇騎士団の連中も、ジル・ド・レイ卿に率いられた西百合騎士団の者に捕らえられているはずです。
更に、東薔薇騎士団に所属する主だった騎士達の領地の方は、南百合騎士団のランスヴァル卿が制圧を完了しているはずです」
簡単な状況説明を行うジョルジュ。しかし、これでは、東薔薇騎士団の連中が、完全に手の平の上で踊らされただけのように思えるのですが……。
最後の一点。俺とタバサが、無事にイザベラ姫を取り戻して来たら、……と言う前提条件が付くのですが。
目指すべき階段の続く世界は――――――――。
俺の不安感を募らせる闇と、暴走寸前の魔力が蟠っているかのようで有った。
☆★☆★☆
一歩、階段を進むごとに渦巻く魔力。いや、これはおそらく……
【肯定。これは移動用の術式なのです】
俺の感じた疑問を、即座に黒の知恵の女神が肯定する。流石に、ゲーティア、もしくはゴエティアに記された智慧の魔神と言うべきか。
但し、この手の移動用の術式はリスクが存在していたような覚えが……。
俺は左手に火行を持って為した光を掲げ、右手にはタバサを感じながら、視線は遙か地下に続く階段を映す。
彼女から発せられる雰囲気は、普段の彼女のまま。何事が有ろうとも、彼女が変わる事などない、と言う事ですか。
「タバサ。これは多分、移動用の術式。長距離を、異空間を通過する事に因って短縮する移動用の魔法やと思う」
タバサより二段分先に進みながら、そう、独り言のように呟く俺。
その俺と、蒼き姫を包み込む魔力の渦。いや、それはまるで、形を失った人。かつて、人だった何かを思わせる存在。
そう。ここは地獄の獄卒たちが移動するに相応しい、此方と彼方を繋ぐ異世界の通路。
「この道を進む者のルールはたったひとつ。何が有ったとしても、絶対に振り返ってはいけない。たったそれだけ」
俺は、自身が絶対に振り返る事なく、タバサに対してそう話し続けた。
その俺の瞳を覗き込み、そして、直ぐに後ろに過ぎ去って行く、かつて人で有った何か達。
そう。そしてもし、この通路を歩む際に後ろを振り返ると……。
今、俺とタバサを見つめているヤツラと同じ存在と成り果てる。……だけならば、俺は別に恐れる事は有りません。
この通路が、冥府の通路の属性を持っているのなら、振り返った瞬間に失うのは我が生命に非ず。
イザナギが、オルフェウスが失った物と同じ物を俺は失う事となる。
その瞬間、氷の如き吐息を首筋に感じる。いや、その感覚は首筋だけでは終わる事はない。右肩が。右腕が。そして、彼女と繋いでいるはずの右手が……。
先ほどから、タバサの声に因る答えも、当然、【念話】に因る答えも返されていない。
突如、沸き起こる不安。その不安が繋いだ右手からそのまま右腕。そして、右半身全体を包み込む。
後ろを振り返れ、と、心の奥から何モノかが叫ぶ。
後ろから付き従って来ているのは、彼女ではない。聞き覚えのある声が、耳元で甘く囁く。
しかし……。
俺は、軽く、鼻で笑うように息を吐き出した。
そう。これはクダラナイ小細工に過ぎない。この右手の先に繋がっているのは彼女以外に有り得ない。
「……シノブ」
彼女に相応しい声で、俺の名を呼ぶ彼女。但し、その声は、何故か地の果てより響く怨嗟の声のような気を帯び、俺を更なる不安へと誘う。
「なんや、何か用か」
右手を少し強く握りしめてから、そう答える俺。生者のそれと思わせる事のない小さな手からは、普段の彼女とは違う、かなり冷たい感触を伝えて来る。
それに、彼女の言いたい事は判ってはいます。少し先に、この永劫に続くかと思われる階段の出口らしき、平坦な石畳が存在していたのですから。
「あそこまで進めば、一旦のゴール。そこが何処に通じているのか判らないけど、通常の空間で有る事を祈るばかりやな」
ゆっくりと、タバサに対してそう話し掛ける俺。もっとも、その場所がロクな場所のはずはないのですが。
何故ならば、イザベラを攫って行ったのは、ほぼ間違いなく殺人祭鬼の一員。何の意味もなくイザベラを連れ去る訳はないでしょう。
まして、その連れ去った道をわざわざ残して有るのです。ブランシュー伯爵邸内の戦いに確実に勝てるなどと言う甘い見通しで居るとも思えないのですが……。
最悪、追っ駆けて来られたとしても、問題のない準備が為されていると言う事なのでしょう。
一段、一段と近付いて来るゴール。
右足が付き、左足がゴールに辿り着く瞬間、立ち止まるタバサ。但し、その意図は判らない。
「心配はないで」
真っ直ぐに先を見つめながらも、そう伝える俺。それに、当然、彼女の懸念は判っている心算でも有りますから。
俺の確信に満ちた答えに安心したのか、タバサは再び歩を進める。
そして、二人が完全に平坦な場所まで到着してから、更に進む事五歩。
「シノブ」
再び、俺の名を呼ぶ声。但し、この度の言葉には、先ほど感じた不安感を喚起されるような雰囲気は有りませんでした。それは普段の彼女と同じ、俺に安寧を与えてくれる彼女の声。
「なんや」
今回も振り返る事なく、ただ、言葉でのみ答えを返す俺。しかし、先ほどと違い、彼女の握る手には、ほんの少しの力が籠められた。
しかし、それだけ。タバサは問い返す俺に対しての答えを返す事すらない。
もっとも、ただ、それだけでも、彼女の問いたい事は判るのですが。
「何故、振り返ってくれないのか、と問いたいのか?」
俺の問い掛けに、普段通り、首肯いたような気を発するタバサ。
本当に、芸が細かい。
「何故、振り返る必要が有る?」
本当に意味がない事のように答えを返す俺。
石畳は妙に湿り、石畳の先からは腐った水の発する、更に、すえた肉の発する酸っぱいような鼻につんと来る、何とも言えない臭気が漂って来る。
はっきり言うなら、長居したいとは言い難い空間。
「未だ、移動用術式の効果範囲内で、それも、タバサ以外の存在から呼び掛けられたとして、わざわざ振り返らなければならない理由は、俺にはない」
まして、腐臭しか発しない存在の言葉に惑わされるほど、俺の心は摩耗している訳でも有りませんから。
それに……。
「タバサは俺の名を呼ばない」
ゆっくりと、出口に向けて進みながら、先ほどよりも俺の右手を強く握って来るタバサ。
それに、彼女が俺の名前を呼ばない理由も、おぼろげながら判っていますから。
それは、最初に俺がタバサの名前から違和感を覚えたのと同じ理由から。
そして、後一歩。彼の世と此の世の境界線上で立ち止まる俺。
ここで振り返れば、オルフェウスがエウリュディケを失ったように、俺は彼女を失い、千曳の大岩にてこの境界線を塞がれる事と成るのか。
「なぁ、タバサ」
未だ振り返る事は出来ない。しかし、ここで無ければ聞けない事も有る。
俺の意志は、普段の言動や雰囲気通り、そんなに強固な物では有りませんから。
もしも、この問い掛けを行うと同時に彼女の瞳を覗き込んで仕舞うと、これからの俺の問いに対する彼女の答えに関係なく……。
「俺の真名を知りたいか」
呟くような、囁くような俺の問い掛けが、石畳に、そして、石造りの天井に反射され、再び俺の耳に届いた時には、何処か別の人間が発した言葉のように感じられた。
しばしの沈黙。そして、
「今は必要ない」
やや抑揚に欠ける、平坦な彼女に相応しい口調の言葉で、そう答えるタバサ。そして同時に、繋いだままの俺の右手に、彼女の心が伝わって来る。
そう、彼女は、『今は』と表現した。これはつまり、未来については……。
「そうか。ならば、先に進むか」
普段の雰囲気に戻し、そう、少し軽い目の調子で問い掛ける俺。彼女が今は必要がない、と言うのなら、今の彼女がそう思っていると言う事。
そして、彼女の方も普段の調子……いや、普段よりも少し好調だとは思うのですが。その彼女から、首肯いたような気が発せられた。
そして、今、境界線を越えた。
☆★☆★☆
二人が立っていたその場所は左右に道が広がる通路用の石畳と、水路だけの煉瓦で造られた構造物。そして、俺とタバサが辿って来たはずの移動用術式に因って造り上げられた通路は、苔むした煉瓦に因る壁に阻まれ、そこに有った事さえ感じる事は出来なく成って居ました。
……ただ、澱み、腐った水やヘドロ。そして、様々な腐臭の入り交じった特徴的な臭気は未だ健在。更に、真夏の夜のはずなのに、ひんやりとした湿った空気が纏わりつくこの場所の正体は……。
「シルフ。早急に、俺とタバサの周りに新鮮な空気を発生させ、この臭気の排除を頼む」
そう依頼する俺。次の瞬間、俺を中心とした空間に発生する、腐った澱んだ大気ではなく、新鮮な空気が供給され、同時に排除される下水独特の臭気。
そう。ここはおそらく、何処かの都市に存在する地下下水道。殺人祭鬼の連中に取っては、この上ない地下と暗黒の楽園。
しかし、これで、大抵の状況には対処出来るでしょう。未だ、物理と魔法は一度だけ反射が可能で、雷と風は無効。呪殺も一度だけは無効化が可能。この状態の存在を即死させるのは流石に難しいはずです。
そうしたら、次はこの地の土地神を召喚して――――――――。
「どうしても進むと言うのですか」
そう考えた刹那、地下下水道に響く俺と、タバサ以外の第三の登場人物の声。
聞き覚えのない女声。しかし……。
「行くしかないな。あの姫さんには言いたい事が山ほど有るからな」
地下に関係する場所にのみ登場して来た彼女に対して、俺はそう答えた。何故ならば、別に驚く必要性など感じなかったから。俺は彼女の事を、最初から人ならざる者として認識していたのですから。
そして、更に続けて、
「信用しているなら、もっと、ちゃんと説明して置け、言うんや。それを、面倒臭い事をして、挙句の果てに攫われていたら意味はないでしょうが」
……と、そう独り言を呟くように続けた。
但し、最初から説明されていたとしたら、ここまで上手く事が運んだかどうかは微妙な線なのですが。何故ならば、俺に出来る策と言うのは、タバサは共に戦場に有りますが、イザベラに関しては後方に置いて、偽物を戦場に連れ出す事ぐらいでしたから。
相手の力量が判らないだけに、そんな方法では騙せない可能性も有ります。いや、更に厄介な状況に陥っていた可能性の方が高いか。
その少女。翡翠の色のドレスを身に纏った長い黒髪を持つ少女が、俺の答えに、僅かに微笑った。
彼女から発せられたのは……。これは、感傷に似た雰囲気。人が懐かしい思い出を語る際に。何か、良い思い出を思い出す際に発せられる気に似ている。
先ほどの俺の言葉、対応の何処に彼女の思い出を刺激する部分が有ったのか判らないけど、何か心の琴線に触れる部分が有ったのでしょう。
「それで、貴女の事はどうお呼びしたら宜しいのでしょうか」
取り敢えず、ファースト・コンタクトには成功したようなので、それまでの雰囲気から、交渉時の雰囲気へと様子を一変させた後に、次の質問に移る俺。もっとも、彼女から感じて居るのは土。おそらく、彼女は土の高位の精霊。
そして、ガリア。つまり、土の王国の守護を担うべき存在でしょう。少なくとも、俺が連れている大地の精霊ノームが発して居る気とは比べものにならない程の土の精気を放つ存在で有るのは間違い有りません。
「私は……ティターニアと呼ばれて居ます」
清楚な雰囲気に相応しい仕草で礼を行いながら、黒髪の少女はそう答えた。
但し、妖精女王と言うよりは、妖精の姫と言う雰囲気だと思うのですが。
しかし……。
成るほどね。シーリー・コートの女王にして、ティターンの娘。まして、彼女の良人と言われるオベロンが姿を顕わすのは、イギリスではなく、フランス。それも、ボルドー伯爵関係の物語の中でした。
そして、このハルケギニア世界で彼女が初めて顕われたのが地下のカジノ。それも、その際に顕われたのはアンシーリー・コートの支配者スカアハ。俺がシーリー・コートの女王に最初から見込まれていたのなら、影の国の女王に妙な依頼が為されるのも、湖の乙女に助力を乞われるのも、神話的に言うと、そう不思議な話でも有りません。
「ならば、妖精女王よ。ガリアの姫の元へ案内をお願い出来ますでしょうか?」
☆★☆★☆
「ここは、リュティスの地下に広がる下水道」
問わず語りに妖精女王は、そう独り言のように語り始めた。地下下水道内に響くのは、落ち着いた雰囲気の彼女の声と、そして、俺とタバサの靴音のみで有った。
「元々、シテ河の中州に当たるリュティスは、大河シテ河の渡河点。そこに、ガリアの首都を造ったのは当然の帰結です」
まるで、その作業に自らが関わったかのように、妖精女王はそう語った。
そう、その言葉からは、懐かしき思い出を語るかのような、良い思い出を語るかのような雰囲気を感じ取る事が出来たのでした。
「民の生活の安定の為には、上下水道の完備は必須。そう言って、歴代のガリアの王はここ、リュティスを造り上げたのです」
成るほど。もしかすると、本当に精霊と契約を交わした王が存在したのかも知れないな。
それに、少なくとも、トリスティンに下水道が完備されていると言う話は聞いた事がないので……。
「それで、今は一体何処に向かっているのです?」
普段通り、タバサは右隣に。そして、左隣には妖精女王と言う両手に華の状態の割には、落ち着いた雰囲気で、そう聞く俺。
もっとも、臭気はカットしていますが、ここはリュティスの地下を走る下水道。こんな場所では両手に華だろうが、ハーレム状態だろうが、あまり浮き立つような気分に成る訳は有りません。
まして、彼女は俺の手伝いをすると言うよりも、自らの関係者。ガリア王家の姫を救い出す手伝いを行うだけでしょうから、その相手が俺やタバサで有ろうと、それ以外の誰で有ろうとも対応は変わらなかったとも思いますから。
「これから向かう先は、ヴェルサルティル宮殿と呼ばれる宮殿が立っている場所に有った古い井戸の跡」
少し……。いや、かなり強い陰に近い気を発しながら、妖精女王はそう言った。
この陰気の意味は判りませんが、古い井戸と言うのは、大抵が龍穴で有る事が多いので、其処で、殺人祭鬼の連中が何らかの儀式を行う心算だと言うのは良く判りました。
俺は、其処まで聞いたトコロで、タバサの方に視線を送る。
しかし、彼女は首を横に振った。これは、タバサも知らない事を、この妖精女王は語っていると言う事でしょう。タバサから以前に聞いた話を信用するのならば、ガリアの歴史は六千年にも及ぶ歴史が有るらしいので、タバサが知らない事実が有るとしても不思議では有りませんから。
俺は、そう考えながら、再び進行方向へと視線を移す。
その先には、より深い闇が横たわり、地下下水道に相応しい澱んだ大気と、腐った水が存在するだけで有った。
後書き
タバサが主人公の名前を、今まで呼ばなかった理由は、今回、本文中で語った理由でほぼ完了です。
それでは、次回タイトルは『太歳星君』です。
最早、西洋風剣と魔法の世界に登場する邪神の名前では有りませんが……。
更に、第49話で第4章『聖痕』は終了。第50話からは新章スタートです。
追記。
奇形の君主アトゥについて。
第45話内で説明した通り、コイツは這い寄る混沌の化身のひとつですが、特に重要な化身ではないようです。
もっとも、この『蒼き夢の果てに』内で登場させるタイミングとしては……。微妙ですか。
黒い仔山羊。
こいつはもっと微妙だったりしますが……。
尚、本文中では、アトゥの方を怪奇植物トリフィドモドキと表現していましたが、どちらかと言うと、コイツの方が姿形は近いと思います。
ただ、千匹の仔を孕みし森の黒山羊が、必ずしも主人公の味方、だと決まった訳ではないのですが。
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