船大工
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第十一章
第十一章
「あれをか」
「今から港に出しますのね。私が用意してきます」
「君がか」
「そうです。今から」
そう注げて離れる。
「すぐにオランダからロシアに帰りましょう」
「うむ、そうだな」
また鷹揚に皇帝に応える。芝居は下手だが板についてきた。
「それでは頼む。すぐにな」
「了解です。では」
皇帝はすっと姿を消した。そのまま店を出て行ってしまった。
「もうすぐなんだなあ」
去った皇帝を見て一人呟く。ロシアに帰られることに郷愁を感じていた。同時に逃げ出したことへの処罰についても考えた。
だがそちらの方はすぐに消えた。それは皇帝になったことで誤魔化せると思ったからだ。有頂天になっているせいかかなり考えが甘くなっていた。
「ロシアか。皆どうしているかな」
家族や友人のことを考える。その後でマリーを見る。
「マリーと。結婚できればこれで最高だな」
「やあやあ、ここにおられましたな」
また誰かがやって来た。見れば市長がオランダの可愛らしい民族衣装を着た娘達を連れている。他にはブローヴェ夫人や市会議員達もいる。
「しかしなあ」
「何でまた」
夫人や議員達は市長の後ろでヒソヒソと話をしていた。どうにもいぶかしみ腑に落ちない顔をしている。
「市長は急にまた」
「皇帝陛下の祝賀をされるのか」
「ゴマスリだろ」
議員の一人から身も蓋もない言葉が出て来た。
「どうせ。だから娘達を急に集めて」
「やれやれ、そんなことをするくらいなら」
別の議員がぼやく。
「書類の山をな」
「片付けてもらわないと」
早く仕事をして欲しいというのだ。だがそんな言葉は当の市長の耳には入らず彼は恭しく偽の皇帝に一礼して必死に機嫌を取っていた。
「いやいや、さあさあ」
市長はイワノフに対して言っていた。
「お酒に御馳走に美女に」
「美女はだな」
イワノフは酒と馳走は受けたが最後は受けようとはしなかった。
「宜しいのですか?」
「それは一人だけでいいのだ」
マリーをチラリと見て言う。当然市長はその目に気付きはしない。
「一人とは?」
「うむ」
またマリーを見る。それから言おうとする。
「それは」
「それは」
いよいよ言葉が発せられる。その時だった。
港の方からであった。突然大砲が鳴った。
「何だ!?」
「大砲が!?」
船乗り達も議員達も驚きの声をあげる。慌てて外に出ると大騒ぎとなっていた。
「何だ、どうしたんだ」
「港が急に。この騒ぎは」
「大変だ、大変だ!」
港の役人が酒場から出て来た一同に対して告げる。慌てて肩で息をしている。
「どうしたのだ、一体」
「港の封鎖が解かれました!」
彼は市長に対して答える。それを聞いた市長は目を丸くさせる。
「そんな筈がない、私はそんな命令を出してはいないぞ」
「市長の命令ではありません!」
「何っ!?」
また驚く。
「私ではない。だとすると」
「まさか」
うろたえる彼を見て議員達はまた声を立てる。眉を顰めさせてヒソヒソと話をしている。
「また命令を忘れたのかな、市長は」
「そうかもな。全くよくもまあこれで」
「皇帝陛下の御命令です」
「なっ!?」
市長だけではない。イワノフもこの言葉には目を丸くさせた。
「私が・・・・・・馬鹿な」
「一体どういうことなんだ」
「ヨットに皇帝陛下が乗っておられていまして」
役人がここで言った。
「ロシアの皇帝陛下が」
「馬鹿なっ」
今度はそこにいる全員が驚く。目を丸くさせてもう何が何なのかわからない。
「陛下はこちらに」
「そんな筈が」
「いえ、本当に」
役人が指差したそこに。何とヨットが出ていた。
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