銀河英雄伝説~その海賊は銀河を駆け抜ける
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第十九話 懸念
帝国暦 489年 4月 15日 オーディン 国家安全保障庁 アントン・フェルナー
「ようやく軌道に乗ってきたかな、ギュンター」
「まだまだ、よちよち歩きと言ったところさ」
ギュンターが肩を竦める。その仕草に苦笑が出た。この男は仕事に厳しい、なかなか褒めると言う事をしない。
目の前に有る報告書を見た。国家安全保障庁が設立されてから初めて上がってきた報告書だ。調査対象はオーディン駐在フェザーン高等弁務官府、黒姫一家のオーディン事務所、憲兵隊……。
「それでも半月でこれなら大したものさ」
「まあそうかもしれないな、しかし国家安全保障庁に期待されているものはこんな状態を許すものじゃない、そうだろう」
「まあそうだな」
ギュンターが俺を見た。ニヤリと笑みを浮かべる。
「長官、宜しいですか、元帥閣下の雷が落ちる前に国家安全保障庁の活動を軌道に乗せないと大変な事になりますぞ」
「分かっているさ、だからその長官と言うのは止めろよ。さもないと俺も卿を副長官と呼ぶぞ」
ギュンターがまた肩を竦めた。
あの親睦会から約半月が経った。帝国はあの日、激震に見舞われたと言って良いだろう。親睦会は急遽中止、その場でフェザーンの協力者の洗い出しと逮捕が行われた。協力者達も写真が有る以上、隠し通せないと思ったらしい。それとローエングラム公の心証を少しでも良くしておきたいという打算も有ったのだろう。彼らは自ら名乗り出た。親睦会に出て居なかった人間は翌日、自首してきた。
軍人、官僚、貴族、総勢二十余名。その全てが憲兵隊に取り調べを受けている。全員がフェザーンから何らかの便宜を受けているがフェザーンのボルテック高等弁務官を処罰できるかと言うと難しい様だ。便宜は図ったが見返りは要求していないと言っているらしい。実際に物証は無いに等しく憲兵隊はボルテックの弁明を否定できずにいる。
逮捕者は彼らだけだったが処罰や叱責された者は他にもいる。ゾンバルト少将は一階級降格されゾンバルト准将になった。他にもエーリッヒと同席していた人間達はミュラーを除いて皆厳しい叱責を受けた。無理もないだろう、公にとっては二重に顔を潰された様なものだ。もてなしの悪さ、フェザーンの協力者……、怒鳴りつけたくもなる。
オーベルシュタイン憲兵総監も叱責を受けた一人だ。フェザーンの動きに気付いていたにも関わらず放置した。理由はいずれフェザーンとエーリッヒをまとめて処断するため……。公は激怒しオーベルシュタイン憲兵総監に対して一日に一度、捜査状況を報告しろと厳命した。エーリッヒの予想通りだ、憲兵総監はローエングラム公の信任を完全に失った。
今回の騒動で利益を得た人間も居る。フロイライン・マリーンドルフは宇宙艦隊総参謀長の任に就く事になった。彼女が総参謀長に推薦された時、当然だが周囲からは驚きと反対の声が上がった。それに対し推薦者はローエングラム公が総参謀長に求めるのは軍事的な助言ではない、政略面での助言だと言った。そして公もそれを受け入れた。これによって彼女は帝国宰相秘書官と宇宙艦隊総参謀長を兼任する事になった。ローエングラム公の側近中の側近と言って良いだろう。
そして俺だ。俺は今、新たに立ちあげられた防諜機関、国家安全保障庁の長官という事になっている。国家安全保障庁は旧内務省社会秩序維持局を引き継いだものだが内務省の一部局ではなく宰相府の外局という形になっている。つまりローエングラム公に直結する機関という事だ。
国家安全保障庁に対するローエングラム公の期待は大きい。公は憲兵隊が今一つ信用できないと思っている。オーベルシュタイン憲兵総監の能力は認めながらも監視役が必要不可欠だと思っているのだ。ギュンターが言った“国家安全保障庁に期待されているものはこんな状態を許すものじゃない”は冗談でも誇張でもない。“元帥閣下の雷が落ちる前に軌道に乗せないと大変な事になりますぞ”も同様だ。国家安全保障庁はギュンター・キスリングを副長官に据え、ようやく機能し始めた。
「アントン、今回の一件は上手く行った、そう思って良いんだろう」
ギュンターが俺の顔を覗き込んだ。眼が笑っている。
「そうだな、幾つかの予想外は有る。しかし総体として上手く行ったと思う。結果は上々だ」
「フロイライン・マリーンドルフもそう考えているのか」
「まあそうだ。総参謀長になった事をぼやいてはいるがね」
ギュンターが苦笑を浮かべた。
上手く行ったと思う。エーリッヒを利用しフェザーンの暗躍を明るみに出した。そしてオーベルシュタイン憲兵総監に釘を刺す事が出来た。俺が国家安全保障庁の長官になった事、フロイライン・マリーンドルフが宰相秘書官に宇宙艦隊総参謀長を兼任する事になったのは予想外だが、それとて良い方向に予想外と言える。
「アントン、今回の一件、結局はエーリッヒの一人勝ちだと俺は思うんだが……」
「そうだな、全て奴の思い通りになった。あれほど騒いでいたヴァンフリートの件も今では誰も口にしない」
「下手に口にすればフェザーンとの繋がりを疑われるさ。それにオーディンには海賊屋敷がある」
ギュンターが嘲笑交じりに言い放った。目には皮肉な色を浮かべている。
事件後、黒姫一家の事務所は海賊屋敷と呼ばれるようになった。そして海賊屋敷に居る人間達は黒姫の目と耳と呼ばれ怖れられている。事件前、ヴァンフリートを接収しろと声高に主張していた人間達は皆口を噤んでいる。いや、エーリッヒを非難する声さえ聞こえてこない。たかが海賊と侮って生半可な気持ちで敵に出来る相手ではないと誰もが分かったのだろう。
「ところでギュンター、フェザーンへ送る人間だが……」
俺が話しかけるとギュンターが頷いた。
「今絞り込んでいる。現時点で三名が確定している、残り七名は明日までには選び終わるよ。それとは別に政治体制、経済、歴史、それぞれの分野でフェザーンを調べさせるべく人を選んでいる。調査室を作るつもりだ」
「そうか……、例の件、どう思う?」
「フェザーンはただの拝金主義者じゃない、あれは擬態だ、だな……」
「ああ、人を送ると決めておいてなんだが、どうも引っかかる」
ギュンターを見た。向こうもこちらを見ている。
「引っかかるから送るんだろう」
「まあそうだが、……嘘だと思うか?」
ギュンターは少し考えていたが首を横に振った。
「エーリッヒは詰まらない嘘を吐くような奴じゃない、フェザーンには何かが有ると見た方が良い。もし嘘を吐いたなら何らかの目的が有るはずだ。辺境にも人は送る、向こうの動きも探らせるさ」
擬態か……。確信有りげな口調だった。そしてフェザーンをかなり危険視していた。
「フェザーンがエーリッヒを危険視しているのは分かっていたが、エーリッヒも相当フェザーンを危険視しているな」
ギュンターが“そうだな”と頷き直ぐ言葉を続けた。
「フェザーンにとっては中継貿易の利を奪われたんだからな。おまけに今ではエーリッヒはフェザーン回廊も使って反乱軍と交易をしている。フェザーンにとってエーリッヒは権益の侵略者だよ、それだけに反発は強いだろう。今回の一件もそれが原因だ」
「なるほど……」
「もっともエーリッヒのおかげで最近では向こうの生産財が安く手に入るようになった。そう考えればフェザーンはこれまで不当に利益を貪っていた、そうも言える。これから益々激しくなるな、対立は」
「うむ……」
独占していた権利を奪われる、得ていた利益が大きければ大きい程その怒りは大きいだろう。その怒りの大きさは昨年の内乱を考えれば分かる。怒りは帝国を二分するほどの内乱になった……。それかな、フェザーンとの対立の激化を心配しているのかな……。
いやそれも有るかもしれないがそれだけじゃないな。エーリッヒはフェザーンの何かを知っている。あるいはフェザーンがエーリッヒを敵視するのはそれを知られたという事も有るのかもしれない。対立する中でお互いに相手の弱みを握ろうとした、そしてエーリッヒはフェザーンの何かを知った……。
「ギュンター、ウチにはエーリッヒの、黒姫一家の調査資料は無いんだよな、これ以外は?」
俺が報告書を指さしながら問いかけるとギュンターは渋い表情で頷いた。
「ああ、社会秩序維持局の時は調べていなかったようだ。所詮は海賊、不穏分子では無い以上気にする事は無い、そういう認識だったようだな」
ギュンターの口調が苦い。認識不足、そう思っているのだろう。俺も同感だ、エーリッヒは不穏分子では無いが要注意人物ではある。扱いを間違えないためにも情報は必要だったはずだ。
「憲兵隊には有るのか?」
「一応有るな。フェザーンの格付け会社の報告書を元に作成したものだ。但し、あれが何処まで役に立つかはわからん。ちょっと調べれば分かる事しか書いていないからな。俺なら参考資料扱いだ」
憮然としている。古巣の不甲斐なさにウンザリしている風情だ。しかし、妙だな……。
「オーベルシュタイン中将は調べていないのか?」
「いや、着任早々調べさせているよ。他の海賊やフェザーン商人にエーリッヒの事を確認させたらしい。警察や社会秩序維持局にも問い合わせをかけたと聞いている」
「それは?」
ギュンターが妙な顔をしている。困った様な笑い出したい様な表情だ。
「情報は集まったんだ。それこそ本が二、三冊書けるほどにね」
「……それで?」
「ゴミ箱行きさ」
「はあ?」
俺の答えにギュンターが笑い出した。
「当てにならない、情報としての精度がどれもこれも低すぎるんだ。エーリッヒの身長一つとっても二メートルを超える大男なんて話まで有る。頬に傷が有るとか大酒のみだとかな。黒姫一家は犯罪に関係してる、覚醒剤を扱っているって情報まで有った。警察に確認しても真偽は分からないと言われたらしい。酷いのになると未来を読める、そんなのも有ったようだ」
「……」
唖然としてギュンターを見ていると今度は肩を竦めて苦笑した。
「そんな顔をするなよ、アントン。黒姫一家は急速に組織が大きくなったからな、真実よりも風聞の方が多いんだ。エーリッヒは海賊組織の間では生きている伝説みたいな存在だよ。何処までが本当で何処からが嘘なのかは誰にも分からない」
「……冗談じゃないんだよな……」
俺が問いかけるとギュンターが頷いた。もう苦笑はしていない。
「冗談じゃない。……なあ、アントン。黒姫一家の組織の規模、収益なんて外見は参考資料を見れば簡単に分かる。とんでもない勢いで成長しているよ。でも俺はそれを知る事に意味が有るとは思えない、いや意味は有るのだろうがもっと重視すべき事が有る、そう思っている」
「どういう事かな」
一瞬だけギュンターが口を噤んだ。
「その先だよ、その先が分からないんだ。何故そんな成長が可能なのかがな。最初は貴族の相続、反乱を利用して儲けた、次は反乱軍、貴族との戦争だ、今は反乱軍との交易で儲けている」
「……」
分かるかと言うようにギュンターが目で問い掛けてきた。ゆっくりと頷く。ギュンターはそれを見てまた話し始めた。
「滅茶苦茶だよ、やりたい放題やっているとしか思えない。でも誰にでも出来る事じゃないんだ、エーリッヒだけがやっている、おかしいだろう?」
「……確かに、そうだな」
俺の言葉にギュンターが頷いた。
「そう思うと未来が読めるっていうのもあながち嘘じゃないんじゃないかって思えてくる、……馬鹿げているよな」
「……」
少しの間沈黙が有った。お互いに顔を見合わせ黙っている。馬鹿げているだろうか? ギュンターがまた話し始めた。
「海賊とは言っているが他の組織とは全く違うんだ。黒姫一家には既存の海賊の常識が当て嵌まらない。あれは海賊とは名乗っているが何か別のものだよ、別の何かだ」
「確かに海賊がイゼルローン要塞を攻略するなんて考えもしなかったな。ヴァンフリートを割譲させることも……」
「そうなんだ、海賊と言う枠に収まりきらないし国という枠にも収まりきらない。結局はエーリッヒは何を考えているのか、エーリッヒとはどういう人間なのかを調べるしかないんだ。オーベルシュタイン中将がエーリッヒの事を調べさせたのもそれが理由だと思うんだが……」
「……入って来るのは訳の分からん風聞ばかりか……」
ギュンターが頷いた。そして何を思ったか顔を顰めた。
「まあ、分かっている事だけでも十分とんでもないんだがな。……卿は知らんだろうな、表向き黒姫一家の構成員は八万人と言われている。だがそれは交易、輸送、警備業務に携わっている人間だけの数字だ。実際にはもっと多い、三倍近く居るだろう」
「どういう事だ」
俺が問いかけるとギュンターは微かに笑みを浮かべた。冷笑だろうか。
「エーリッヒは辺境の企業を買い取って規模を大きくして開発をさせているのさ。道路、宇宙港、電力、上下水道、ガス、通信……。もっぱらインフラ関係に従事する企業だ。それらの企業は黒姫一家とは表向きは無関係という事になっているんだが勤めている人間は十五万人以上いる。そしてその数字は開発が進むにつれてさらに増えるだろうな」
「そんな馬鹿な、聞いていないぞ、そんな話は……」
今度は首を横に振った。
「隠しているわけじゃないだろう、調べれば分かる事だからな。彼らはエーリッヒが給料を払うのではなく企業が給料を払っている。海賊として活動しているのが八万人という事だ。フェザーンや帝国の経済人達は知っているよ」
「……」
ギュンターが俺を見ている。切なそうな表情だ。
「已むを得ない事なんだ。辺境は貧しかった、インフラ整備も碌にされていなかった、発展のしようが無かった……。辺境を発展させようとすれば先ずインフラの整備が要る。政府がやらない事をエーリッヒが自費でやっただけだ。辺境は少しずつインフラが整備され住民達の生活水準も向上した」
「……」
「結果として辺境は宇宙空間も地表もエーリッヒの影響下に有る。中央の企業はエーリッヒが整備したインフラを前提として進出を決めている。そして反乱軍から生産財を入手してくるのもエーリッヒだ。分かるだろう、辺境は発展するにはエーリッヒが必要で発展すればするほどエーリッヒの影響力は強まる。だがそれを責められるか?」
「……いや、責められんな。……辺境をこれまで見捨ててきたのは他でもない帝国政府だ」
ギュンターが溜息を吐いた、俺もだ。
「オーベルシュタイン中将がエーリッヒを危険視するのも当然なんだ」
「ギュンター!」
「勘違いするなよ、アントン。俺は中将のやり方を認めているわけじゃない、だが中将が何を危険視したか、それは分かる様な気がするんだ……。いや理解しなければいけない、そうでなければ中将に対抗できない。おそらく中将は徐々に徐々にだが辺境が一つの人間の下に経済的に政治的に纏まるんじゃないか、中央と対立するんじゃないか、そう考えたんだと思う」
「……馬鹿馬鹿しい、考えすぎだ。確かに辺境は発展しているかもしれない、一つに纏まりもするだろう。しかし中央から比べれば遥かに小さく弱体だ。対立すればあっという間に潰れるだろう。そんな事をするほどエーリッヒは馬鹿じゃない」
そうだ、エーリッヒはそんな馬鹿じゃない、杞憂だ。
「今はそうだ。だが十年後、いや二十年後はどうだろう。辺境が独自の経済圏を作って中央と対立する、その可能性が有る、オーベルシュタイン中将はそう考えたんじゃないかと思う。そしてその時はとんでもない騒乱になるだろうと。……否定できるか?」
「……」
否定できるだろうか? 十年後、二十年後か……。おそらく帝国は宇宙を統一しているだろう、その中で中央と辺境が対立する? 馬鹿げている、宇宙が統一された中で対立? そんなことは有り得ない……、有り得ない筈だ……。
「……否定は出来ないな」
我ながら口調が苦い。
「アントン……」
帝国は宇宙を統一しているだろう。反乱軍の旧領土が果たして何処まで帝国の支配を受け入れるか、心服するか……。彼らにとっては帝国中央よりも辺境の方が身近に有る……。反帝国感情の強い新領土と自らの力で発展してきたと自負する辺境……。経済的な繋がりは現段階で既に密接なものになりつつある。十年後、二十年後、……統一された宇宙の中で対立が起きるかもしれない。その時、その中心にいるのは……。
ページ上へ戻る