銀河英雄伝説~その海賊は銀河を駆け抜ける
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第十八話 黒真珠の間(その三)
帝国暦 489年 3月31日 オーディン 新無憂宮 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
皆凍りついている。
「引かないんですか? ローエングラム公の期待を裏切る事になりますよ。……公もなかなか冷酷な方だ。リヒテンラーデ公を私に始末させ、もはや用済みとみて今度は私を事故に見せかけて始末させる。狡兎死シテ良狗煮られ、高鳥尽きて良弓蔵われ 敵国破れて謀臣亡ぶ。なるほど、良く言ったものだ。次は誰の番かな」
「……違う、そ、そんなんじゃない……。ただ、ちょっと脅して、それだけだ……」
ゾンバルトが喘ぐ。馬鹿な奴だ、お前がどう思うかなんて関係ないんだ。俺がどう思うか、周囲からどう見えるかだ……。皆を見渡した、蒼褪めている、震えている奴もいる。次は自分の番だとでも思ったか。
「黒姫の頭領、ブラスターを収めていただきたい」
「……」
メックリンガーだ、血の気の無い表情をしている。
「ゾンバルト少将の非礼、御詫びする。重ねて我らの非礼を御詫びする。ローエングラム公の御招きした賓客に対する礼儀では無かった。どうか、ブラスターを収めていただきたい……」
そろそろ潮時かな? ラインハルトが近くのテーブルまで来ている。もうすぐ此処にも来るだろう。本命はそっちだからな、御遊びは此処までだ。
「非を認めると仰られる?」
「認める、申し訳ない事をした。その上で誤解を解きたい。ローエングラム公も我らも卿に危害を加えようなどと考えた事は無い。卿の力量は良く分かっている。だがその事に対して敬意を払う気持ちが足りなかった。その事が誤解を生んだと思う、どうか許して頂きたい。皆も同じ気持ちだと思う」
皆、神妙な顔をしている。
「エーリッヒ、頼む、ブラスターを収めてくれ」
「……分かりました。どうやら私の誤解の様です。こちらもいささか礼を失しました。お許しいただきたい」
俺がブラスターをホルスターに収めるとほっとしたような空気が流れた。
難しいよな、理性で認める事と感情を納得させる事は別だ。世の中何が厄介と言ってもこの面白くないという感情くらい厄介なものは無い。ほとんど理由になっていないんだからな。そして程度の差はあれ行動に出る。積極的に嫌がらせはしなくても見て見ぬ振りは有り得るのだ。要は苛めと同じ構図だ。
少しの間居心地の悪い時間が続く。ミュラーも含めて皆が俺に当たり障りのない話をしてきた。ラインハルトが俺達のテーブルにやってきたのは二十分ほど経ってからだ。
「久しぶりだな、楽しんでいるかな」
「お招き、有難うございます、閣下。黒真珠の間に入るのはこれが最初で最後かもしれません。貴重な想い出を下さった事、御礼申し上げます」
ラインハルトが話しかけた時は緊張が走ったが俺が答えると皆がホッとした表情を見せた。
「そうか、それは良かった」
御機嫌だな、ラインハルト。まあ最初で最後は本当だろう。
「メルカッツ提督の事、御理解頂きました事重ねて御礼申し上げます」
「うむ、まだ私の下に来るのには抵抗が有るのか」
少し不満そうだな、まあ若いからな、そういうのが出るのは仕方ないんだろう。
「愧じておいでなのかもしれません、不甲斐ない戦いをしてしまったと。私にはメルカッツ提督が居たから貴族連合はあそこまで戦えた、提督に全ての権限があれば失礼ではありますが閣下とて勝つのは容易では無かったと思うのですが……」
「そうだな、卿の言う通りだ、メルカッツに全権が有ればもっと苦労しただろう、……メルカッツも不運だな」
ラインハルトが感慨深げに頷いた。プライドは高いんだがこういう所は素直なんだよな、だから好きなんだ。もう少しこういう所を前面に出せばもっと魅力が出ると思うんだが……。
「今少し、御時間を頂きたいと思います」
俺の言葉にラインハルトが頷いた。
「うむ。幸い反乱軍の下に行ったのではないのだ。そう思えば大したことでは無い。卿に全て任せる」
「有難うございます」
なんか友好的だな、招待したって事で優越感が有るのかな。もしかすると上に居ないと安心できないタイプなのかもしれない、上司に恵まれなかったからな……。
少しの間ラインハルト、キルヒアイス、ヒルダと歓談した。フェルナー、シュトライトとリュッケは黙って話を聞いている。リュッケがこちらを興味深そうに見ているのが分かった。さてそろそろ始めるか、今日はこのために来たのだからな。
「ところで閣下、最近の帝国軍では副業を行うのが流行っているそうですね」
「何の事だ?」
ラインハルトがキョトンとしている、キルヒアイスも訝しげだ。そうだろうな、やはりこの二人は知らなかった。ヒルダの表情は厳しい、ある程度知っていた、いや感づいていたな。だが確証が無いから黙っていた、そんなところか。そして……、なるほど、そうか、そう言う事か……。
「帝国の利益ではなく、フェザーンの利益を図ろうとしている人間が居る、そう言っています」
「馬鹿な、何を言っている」
不愉快そうだな、ラインハルト。だが不愉快なのは俺の方なんだ。何だって俺がこんな事をしなければならんのか。周囲がざわめくのが聞こえた。
「ここ最近、フェザーンは酷く困っているようです。中継貿易の独占が出来なくなりこれまでのように利益が上がらなくなっている……。我々は利益よりも発展を重視していますからね。我々が運ぶ品物は価格が安いのです」
「……」
「我々が邪魔だ、そう思ったフェザーンは閣下の部下にヴァンフリート星系を接収せよ、黒姫一家が不満を述べるなら叩き潰せと言わせて周囲を煽らせているのですよ。我々は軍内部でも評判が悪いですし嫌っている人間も多い。協力者を見つける事も煽らせることも躍らせる事も簡単でしょう」
何人か顔を強張らせている奴が居るな。
「馬鹿な、そんな人間が居るわけがない。卿らは帝国の発展のために役だっているではないか。それに私は卿との約束を破ろうなどと考えてはいない」
ラインハルトが力説した。そうだよな、誰だって自分の部下にそんな奴が居るとは思いたくないし嘘吐きだなんて思われたくない。そしてラインハルトは俺が役に立つと理解している。腹が立つ事も有るだろうが、そんな事で排除していたらオーベルシュタインなんて三日と持たずにクビだろう。
だからこそラインハルトの性格では公益より私益を優先する人間が自分の部下に居るなんて信じたくないだろうし理解も出来ないだろう。だが組織が大きくなれば腐った林檎は必ず出る、そして腐った林檎は周囲の林檎も腐らせる。俺の組織でもそういう奴が居た。叩き出したがな。こっちでも俺がやらなければならん、今回はな。
「だからフェザーンは困っているのです。自分達の利益が減り、存在価値が減少している、存続の危機だと……」
「……」
「フェザーンにとって我々の存在は許す事が出来ないものになりつつあるのです」
「……」
「閣下が考えを変え接収すれば良し、そうでなくても私がオーディンの状況を憂え閣下に不安を感じれば良し、いずれ何らかの事件が起きればそれを利用して亀裂を大きくし決裂させよう、そんなところでしょう」
「……証拠が有るのか、一体誰だ?」
低く問い詰める様な口調だ。かなり怒っている。俺に対してか、それとも腐った林檎に対してか。
「そこに居ますよ。クーリヒ少将、ザウケン少将、そうでしょう」
「馬鹿な!」
「何を言っている!」
クーリヒ、ザウケンが口々に否定した。残念だがお前達がフェザーンに、ニコラス・ボルテックに繋がっているのは分かっている。オーディンに開いたウチの事務所を軽視するべきでは無かった。
ポケットから光ディスクを出した。皆の視線が集中する。
「これが何か分かるでしょう? 何が入っていると思います?」
クーリヒ、ザウケンの顔が強張った。眼が飛び出しそうになっている。
「本当なのか、クーリヒ! ザウケン!」
ラインハルトの叱責に近い問いかけにも沈黙したままだ。
「ゾンバルト少将、貴方はこの二人に上手く操られたのですよ、可哀そうに」
「貴様ら……、俺を騙したのか……」
呻く様な口調でゾンバルトがクーリヒ、ザウケンを睨んだ。二人は眼を逸らしたままゾンバルトを見ようとしない。
ラインハルトがどういう事だと問いかけてきたからさっきの一件を話すと苦虫を潰したような表情になった。主人役の面目丸潰れだろう。キルヒアイスも厳しい表情をしている。そして二人が一件に関わった人間を睨み据えた。トップとナンバー・ツーに睨まれているのだ、皆面目なさそうな表情をしている。後でこってりと怒られるだろう。
気が付けばロイエンタール、ミッターマイヤー、ケンプ、シュタインメッツ、レンネンカンプも集まって来た。どうやら何か起きていると感じたらしい。訝しげな表情で皆を見ている。
「クーリヒ少将、ザウケン少将、ローエングラム公は例え敗者であろうと有能で節義の有る人物だと思えば侮蔑はしません。その事はファーレンハイト提督、シュトライト少将を見れば分かるでしょう。公が侮蔑するのは節義の無い、卑怯卑劣な人間です。そのまま沈黙していて良いのですか? せめて公の前で男らしく自らの非を認めてはどうです。少しは違うと思いますよ」
クーリヒ、ザウケンが顔を見合わせた。おいおい、この期に及んでまだ一人で決断できないのかよ。まあ裏切っていたなんてのは出来るだけ言いたくないんだろうが、だったら裏切り自体するんじゃない。こんな事態は想定外だったか? まあラインハルトが睨んでいるからな、溜息が出そうだ。
「申し訳有りません」
もごもごとした口調でクーリヒが、そしてザウケンが謝罪すると周囲から溜息が洩れた。ラインハルトも溜息を吐いている。“連れて行け”とラインハルトが言うと何処からともなく兵士が現れ二人を連れて行った。警備の兵か、或いは憲兵か……。
「そのディスクの中には何が入っているのだ」
ラインハルトが視線でディスクを示した。
「写真です、ボルテックと親しげに話している何人かの写真が入っています」
「……」
「それだけでは証拠になりませんからね、彼らの自白を引き出しました。上手く引っかかってくれましたよ、閣下のおかげです」
周囲から溜息が聞こえた。なんか嫌な感じだな。
「油断も隙も無い男だな、卿は」
お前もか、ラインハルト。お前の脇が甘いから俺がやってるんだ、少しは感謝して欲しいものだな。
「お渡ししますので使ってください。他にも協力者が居ます」
ディスクを渡すとラインハルトはシュトライトに渡しディスクの中を確認しろと命じた。シュトライトが一礼して場を離れた。この広間にも何人か協力者は居る、首を括りたい気分だろう。
「ところで閣下」
「なんだ」
おいおい、そんな怖い顔をするなよ。俺は味方だよ、少なくとも今は味方だ。
「このような事態が生じたとなりますと国内の防諜、治安維持を担当する組織が必要と思われますが?」
ラインハルトが眉を顰めた。
「卿は社会秩序維持局を復活させろと言うのか?」
感心しない、そんな口調だな。政権安定のためには帝国臣民の支持が必要か、しかし支持を得ようとするのと媚を売るのは別だ。
「閣下が躊躇われるのは分かります。社会秩序維持局は帝国臣民を抑圧する組織でした。それを復活させれば帝国臣民の反発は必至、そうお考えなのでしょう」
「そうだ、いずれは必要としても今は……」
「帝国臣民のために改革を行う政府を守る、より大きな意味では帝国臣民を守る組織が必要だと公表しては如何でしょう。その上で新たな組織として立ち上げる。当然ですが組織の統括者はハイドリッヒ・ラングではなく別な人間を任命します」
「……なるほど」
ラインハルトが考え込んでいる。そしてヒルダに“どう思うか”と問いかけた。俺の予想が正しければ彼女は反対しない。
「私も国内の防諜を司る組織は必要だと思います」
ラインハルトが大きく頷いた、そしてキルヒアイスを見る。キルヒアイスも頷いた。二人とも必要性は感じていたのだろう。周囲から勧められたとあれば平民達に説明もし易い、良い機会だと思ったに違いない。
「しかし、誰に任せれば良いか……」
「フェルナー准将は如何でしょう」
「フェルナーか、しかし彼は……」
「総参謀長代理の職にあります。しかし元々はブラウンシュバイク公の部下だったため周囲からの風当たりが強いようです。むしろ新たな任務で使われた方が良いでしょう、そして彼の後任にはフロイライン・マリーンドルフを……」
周囲から驚きの声が上がった……。
帝国暦 489年 3月31日 オーディン 新無憂宮 アントン・フェルナー
人気のない新無憂宮の通路を小走りに急いだ。エーリッヒの奴、言いたい事を言ってさっさと帰った。おそらくもう新無憂宮を出ただろう。黒真珠の間は大騒ぎだ、親睦会は直ぐに中止になった。エーリッヒの渡したディスクの写真によって何人もの人間がその場で逮捕された。おそらくそれ以外にも協力者は居るはずだ。その割り出しも急がねばならないだろう。
新無憂宮を出ると遠くに道路照明灯の灯りを浴びながら歩き去る男達の姿が見えた。距離、約三百メートルほどか。おそらくエーリッヒとその護衛だろう、駐車場に向かっているに違いない。走って後を追った。百メートルも走ると男達が足を止めた。そしてこちらを見ている。残り約五十メートルまで走った。そこからは息を整えつつゆっくりと近づく。
大体三十人程か、エーリッヒは中心に居るのだろう、姿は見えない。少しずつ彼らの事が分かった。昼間見たときはスーツだったが今は違う、全員が黒っぽい服を着ている。上はピーコート、下は膨らみ具合から見て防寒防水ズボン、半長靴、そしてレッグホルスター……。全員がグリップに手をかけている、ハーフグローブだ。近づく俺をじっと見ている。威圧感が凄い、嫌でも緊張した。
「アントン・フェルナーだ。昼間会ったから覚えている人間も居るだろう。エーリッヒに会いたい」
出来るだけ親しみを込めて言ったつもりだったが誰も反応しなかった。少しの間が有って中に通された、中央にエーリッヒが居た、こちらを見ている。
「何の用だ、アントン。礼でも言いに来たのかな、思い通り動いてくれたと」
「……気付いていたか」
俺が苦笑するとエーリッヒが頷いた。
「ローエングラム公、キルヒアイス提督の二人は知らなかった。しかし卿とフロイラインは知っていた、あの事態を驚いていなかった。卿とフロイライン、そしてギュンター・キスリング、三人が今回の一件を仕組んだ……」
周囲の視線が強まったような気がした。喉が干上がるような感じがする。
「……その通りだ。オーベルシュタイン中将は部下にフェザーンの動きを探らせた。その部下の中にギュンターが居たんだ。証拠が有るにも拘わらず中将は何もしなかった。危険を感じたギュンターは俺に相談に来たんだ」
「オーベルシュタインの考えははっきりしている。フェザーンと私を噛み合わせる、騒動を起こさせ両方叩き潰す。そんなところだ」
おそらくそうだろう、ギュンターもそれを恐れていた。そして相談を受けた俺も危険だと思った。俺が相談したフロイライン・マリーンドルフも危険だと同意した。
「ギュンターは黒姫一家が動いている事も知っていたはずだ。そこで卿らは私を親睦会に招待する事を考えた。私が何らかの行動を起こすと期待してね」
やれやれだ、全てお見通しか。
「何故、ローエングラム公に憲兵隊の事を言わなかった?」
「私が言わなくても公はオーベルシュタインに不審を抱く。必ず問いただすはずだ。オーベルシュタインは沈黙するか正直にフェザーンと私を噛み合わせるつもりだったと話すだろう、そして叱責される。彼が沈黙したばかりに公は満座の中で顔を潰されたんだ。彼が公に信頼されることは無い」
エーリッヒが薄く笑っている。カミソリのような笑みだ、昔はこんな笑みを見せる男ではなかった。
「それにしても新たな防諜組織の長に俺をか……」
「オーベルシュタインに対抗できるのは卿ぐらいのものだ」
「評価してくれて嬉しいよ」
「毒には毒、そう評価している。嬉しいだろう?」
「……」
エーリッヒが笑みを消した。
「気を付ける事だ、オーベルシュタインは味方を作る事よりも味方を切り捨てる事、敵を作り出して潰す事を優先する男だ。彼にとっては自分以外の全ての人間が反乱予備軍だ。彼の好きにさせたら陰惨なことになる」
「そうだな」
エーリッヒはさっきからオーベルシュタイン中将を呼び捨てだ。敬意など欠片も払う気になれない、或いは敵と見定めているということだろう。
「ローエングラム公は英雄だ、公明正大でもある。しかしそういう人間ほど人間の卑小さを理解できずに足元を掬われがちだ」
「なるほど」
「ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムが銀河帝国皇帝になったのは彼が英雄だからじゃない、狡猾で強かだったからだ。公にはそれが足りない」
「随分な言い様だな」
「フェザーンもオーベルシュタインも一筋縄ではいかない、気を付けろと言っているんだ。負ける事は許されない」
「分かっている」
「いいや、分かっていない」
「……」
断定するような言い方だった。エーリッヒが俺を見詰めている。そして微かに笑みを浮かべた。
「フェザーンはただの拝金主義者じゃない。あれは擬態だ」
「どういうことだ?」
「自分で調べるんだな。……では失礼する」
エーリッヒが背を向けた。護衛の男達二人が威圧するかのように俺の前に立ち塞がる。エーリッヒの姿が男達の中に消えた。
「待て、エーリッヒ。俺と手を組まないか、それを言いに来たんだ」
「断る。どの程度の実力を持っているのかも分からない組織と手は組めない。そして我々は利で動くが卿らは国家のためという理で動く、価値観が違う以上協力は出来ても手は組めない」
声だけが聞こえた。男達は去っていく、俺の前を塞いだ男達も少しずつ後退っていく。やがて海賊達は闇の中に消えて行った。
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