戦国異伝
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第五十話 徳川家康その十一
「あれ一つで一国の価値、いえそれ以上のものだとのことです」
「そこまでというのじゃな」
「あの松永弾正が何よりも大事にしているとか」
「釜もか」
信行もその話を聞いてだった。まずは唸りだ。
そうしてだ。こう答えたのだった。
「それだけの価値があるのか」
「そうよ。それが茶器よ」
ここでまた弟に話す信長だった。
「茶器なのじゃ」
「恐ろしい話ですな」
「恐ろしいか」
「一見すると只の釜です」
実際にだ。今茶室の中にある。その黒い鉄の釜を見てだ。信行は話す。
「しかしその釜がですか」
「左様、一国の価値じゃ」
「そこまではわかりませぬ」
「ははは、すぐにわかるようになる」
「すぐにですか」
「茶をしておればな」
そこからわかるというのだ。信長はいぶかしむ顔になっているその信行に話した。
そしてそのうえでだ。これまで黙って茶を飲み茶器を隅々まで見回している長益に対してだ。こう声をかけて尋ねたのであった。
「して御主はじゃ」
「はい、それがしですか」
「どうも近頃はこればかりじゃな」
「茶ばかりだと」
「そうではないのか?」
こう問うのである。
「朝から晩まで時間があればじゃ」
「いや、どうも」
長益本人もだ。兄の言葉に応えて話す。
「最初は茶を飲みその味を楽しむだけでしたが」
「それが変わってきたな」
「茶。茶の道ですな」
茶にも道があると。こう言ってであった。
「その道を歩いてみたいと思いまして」
「それでか」
「茶器もです」
その茶器の話もするのだった。
「そのどれもまた」
「気に入ったか」
「この茶室そのものが天下であるような」
まるで何かそこにある様にだ。熱い口調で長兄に話していく。
「そして茶器も素晴しい宝の山だとわかり」
「そうしてじゃな」
「茶から離れられなくなりました」
こう兄に言うのである。
「いや、茶はいいものでございますな」
「それはわかるが」
信行はその長益にだ。顔を顰めさせて小言を述べはじめた。
「御主は少しじゃ」
「過ぎるというのですな」
「自分でわかっておるな。そうじゃ」
まさにだ。その通りだというのだ。
「御主はちと茶にのめり込み過ぎておるぞ」
「これでも連枝衆のすべきことはしていますが」
「それはそうだがだ」
信行も引かない。彼も織田家の御意見番として言わねばならなかった。
時として兄であり家の棟梁でもある信長にも意見を言うのだ。ならば弟である長益に対してもだ。やはり言うのだった。言わねばならなかった。
その彼がだ。長益に話す。
「全く。茶三昧でじゃ」
「酒も賭けもおなごもしませぬぞ」
「そこまでのめり込んでは同じよ」
そしてだ。信行はこうも言った。
「何でも過ぎたるは及ばざるが如しだ。忘れるな」
「やれやれ、勘十郎兄上は相変わらず厳しいですな」
「それもそなたを思ってのこと」
やはり厳しい。口調もまた。
「それもわかれ」
「わかれと仰いますか」
「左様じゃ。本当に誰に似たのやら」
「わしじゃな」
ここで信長が信行に言った。
「こ奴はわしに似たのじゃろう」
「兄上にでございますか」
「顔立ちだけでなくな」
見れば見る程似ていた。しかし似ているのはそれだけではないというのだ。
「奇矯なところはよく似ておるわ」
「兄上の奇矯とはまた違うのでは?」
「そうかのう」
「はい、違います」
こう信長に話すのだった。
「そこはです」
「茶にのめり込んでおるのは似ておると思うが」
「兄上の奇矯は天下の奇矯です」
そうしたものだとだ。信行は話した。
「この者の奇矯は茶の奇矯ですから」
「わしの奇矯は随分と大きいのう」
「まさに天下の奇矯です」
また言うのであった。
「しかも大きくなっております」
「ははは、ではこのまま大きくなってじゃ」
どうするか。信長は笑いながら話した。
「天下を奇矯で覆おうぞ」
「そう思うことこそが奇矯でございます」
信行はやや呆れた笑みで兄に話した。そしてそのうえでだ。立派な茶器を手にしてそのうえで。彼もまた茶を楽しむのだった。
第五十話 完
2011・7・20
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