戦国異伝
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第三十五話 奇妙な砦その八
だがその当の信長はだ。こんな有様だった。
今は胡瓜をだ。縁側で食っていた。そのうえでこう傍にいる帰蝶に話す。
「この胡瓜もよいな」
「胡瓜もお好きなのですか」
「うむ、大好きじゃ」
笑いながらこう話すのだった。
「甘いものだけでなくこうしたものもじゃ」
「左様ですか」
「それでどうじゃ」
答えてからだ。帰蝶に言ったのである。
「御主もな」
「その胡瓜をですか」
「そうじゃ。食うか?」
「はい」
帰蝶は微笑んで信長のその誘いに応じた。
そのうえで皿の上の胡瓜を一本手に取って口にする。一口食べ終えてからこう言うのだった。
「美味しいものですね」
「採りたてだからのう」
「それをそのままですか」
「水で洗ってそれをじゃ」
食べているというのである。
「野菜も果物も新鮮なのが一番じゃ」
「魚もですね」
「うむ。まあ干したものや燻製も嫌いではないがな」
酒以外はだ。どれもいける信長だった。
しかしここでだ。彼はこんなことを言った。
「じゃが。味はじゃ」
「味は?」
「わしは濃い方がいい」
こう言うのである。味に関してはだ。
「その方がしっくりとくるわ」
「そうですね。私もそれは」
「尾張や美濃は味付けが濃い」
そうした味なのだ。信長はとりわけ味噌が好きだ。その味噌の味もなのだ。
「それがよい」
「左様ですね。味はやはり濃い方が」
「今川じゃ」
彼の名前も出した。必然の様にだ。
「京風の味を好むそうじゃがな」
「駿府には都落ちした公卿の方が大勢おられるそうですね」
「その方々の影響でじゃ。そうらしい」
「京の味ですか」
「わしは好かん」
その京の味はというのだ。
「やはり濃い方がよい」
「味噌の味も随分違うとか」
「色まで違う」
味どころではないというのだ。それまでもというのだ。
「何もかもが違うのじゃ」
「色までなのですか」
「そうじゃ。尾張の味噌は赤いのう」
そうなっている。とにかく尾張の味噌は赤い。しかし京はというと。
「都の味噌は白いのじゃ」
「味噌が白いのですか」
「そうじゃ、白いのじゃ」
このことをだ。帰蝶に話す。
「面妖じゃろ」
「はい、確かにそれは」
「味噌は赤い方がよい」
信長はあくまで己の好みを述べる。
「白い味噌は口に合わぬ」
「では駿河には」
「何が悲しくて行くものか」
駿河、ひいては今川へのだ。他ならぬ意志表示であった。
ページ上へ戻る