SAO─戦士達の物語
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ALO編
七十話 地底氷河と邪神水母
その場所は、氷と雪に全てが閉ざされていた。上を見上げると、遥か高い高い位置に、キラキラと光る物が有る。星ではなく、氷。天井のつららが、内側から青白く光り輝き、地底に広がるその世界を明るいと感じられる程度には照らしてくれている。
現在地は、簡単に言うととても巨大な洞窟だった。……否。最早地底世界と言うべきか。
徘徊するのは妖精たちの四倍以上の背丈を誇る、超巨大モンスター。《邪神》。
直径約30キロ、天井までの高さは500メートルを超える、超巨大地下空間。アルヴヘイムの地下に広がる最高難易度エリア。その名を……《ヨツンヘイム》
────
「ぶえーっくしょい!!」
「うおっ!?ば、バカ、声……!」
「あっ……!」
女性としてそれはどうなんだ、と言うような強烈なくしゃみをしたリーファは、リョウに言われて慌てて口を押さえる。
そして、二人同時に洞窟の入口を覗き込み、先程のリーファのくしゃみに気付いた邪神がぬっと洞窟の入口から顔をのぞかせやしないか窺う……が、幸いにも、入ってきたのは冷たい空気と、地下なのになぜが降り注ぐ外の雪だけだった。
リョウ達は今、広大な地下世界内にある、縦横四メートル程度の小さな祠で、焚火を囲んで暖を取っていた。何やら古代の怪物のようなものが書かれたレリーフが有り、焚火の不安定な光によってゆらゆらと揺れている。そんな中を、リョウの吐き出した薄緑色の煙が行き過ぎ、再びミントの香りが辺りを包んだ。
「おーい、寝るなー起きろー」
ふぅ~。と一服やりながら天井を眺めていたリョウが、リーファの声がした方をふと見やると、彼女はむにゃむにゃと今にも寝そうに……と言うか半分寝ているだろう同行者の少年を起こそうと、その尖った耳をくいくいと引っ張っている。ちなみにユイはと言うと、キリトの膝の上でこれまたくうくうと小さな寝息を立てている。
「ほーらー、寝ると落ち(ログアウト)ちゃうよー」
言いながらリーファが更に耳を引っ張る……と、脱力したキリトの体がスッと傾き……そのままコテンッ。と、リーファの膝の上に頭を着地させた。所謂膝枕だ。
「んむぅ」とか言いながらコロコロと動いたキリトの頭が何処に触ったのか、リーファが急に「ひゃっ!」と言いながら背筋を引きのばした。咥えた煙草を口から離しつつ、リョウは笑う。
「ははは、ラッキースケベって所か?我が弟ながらやりおる」
「何馬鹿なこと言ってんのよ……笑ってないでリョウも起こすの手伝いなさいよもう……」
「一発殴ってやれ。それで起きる」
「あ、成程」
納得したように掌の上で拳をポンっと叩いたリーファは即座に拳を振り上げると……
ディキシッ!と言う打撃特有の効果音と、黄色いエフェクトと共に、キリトに拳を直撃させた。
「へぶっ!」
妙な声と共にリーファの膝から飛び起きたキリトに対して、彼女がにっこりと笑う。
「おはよーキリト君」
「……お、おはよう……俺、寝ちゃったりしてました?」
「あたしの膝枕でね。小パンチ一発じゃホントは足りないくらいだけど……時間も時間だし、ま、勘弁してあげるわ」
「そりゃ失礼。なんならリーファも俺の膝枕とか……」
「要りません」
「……やれやれ」
ぷいっと顔を反らしたリーファと、苦笑したキリトを見ながら、リョウは小さく首を横に振る。そうしてもう一度煙を吹くと、また天井を眺めた。
現在時刻、午前二時。このタンジョンに落ちてしまい、モンスターに抜け殻になったアバターが襲われる可能性を考慮してログアウト出来ずに此処にこもって既に一時間経っていた……
────
そもそもなぜこんな状況になったかと言うと、まぁ当然、別に来たくて来た訳ではない。
つい一時間前の事、もう間もなくすれば深夜だし、アルンに入るのはまた明日にしようと言うことになった三人が前方に見えた小さな村へ立ち寄った時だった。
リョウ達が降り立ったその村には、NPCが一人もおらず、なんとなくいやな予感がしつつも宿くらいはあるだろうと思い、村で一番高い建物へと向かったのだが建物内にも誰もおらず……その時点でリョウは脱出を叫んだが、いかにも遅かった。
突然街中が少々グロテスクな肉壁で出来た物へと姿を変え、リョウ達三人が唖然としている間に間髪入れずに地面が左右に割れ、その向こうにあったヌルヌルした赤銅色の肉壁洞窟……恐らくは超巨大モンスターの腹へと吸い込まれてしまったのである。
つまりは、村丸ごとそのモンスターの擬態だったのだ。
で、リーファが最悪の死に方やら胃液に溶かされるなんて等と喚くのを聞きながら数分間の間消化器ツアーを体験し、突然放り出されて着地(リョウは足から。リーファとキリトは犬神家)した雪原が、このヨツンへイムだった訳である。
現在、リョウの傍らにある武器は、何があっても即座に対応出来るよう既に冷裂だ。まぁ……いくらリョウでも、冷裂を持ったからと言って邪神級モンスターを一人で相手に出来るとは思って居ないが……
所で、何故リョウの下にSAOでの彼の武器であった冷裂が舞い戻って居るのか、そろそろ説明しておこう。
仕組みは、ユイと全く同一だ。ユイは本来、SAO終了時まではコアプログラムをクリスタルにの形に変える事でアスナの所有アイテムとなっていた。もしもSAO終了時の完全デリートにそのアイテムが巻き込まれていた場合、そもそも所有権はアスナに残ったままだし、そもそも半削除されてあの意味不明な文字羅列の一員になり果てていた事だろう。
ならば何故そうならなかったかと言えば、リョウがユイをクリスタル化させて凍結させる際に、「ゲームクリアと同時にこのプログラムID[MHCP001]をプレイヤーID[Kirito]の、ナーヴギアローカルメモリへ転送しろ」と言うような内容の命令を、カーディナル内部に割り込ませて居たからだ。カーディナルは自身のバグには強い設計のプログラムだが、GMとしての権限を使用した人間側からの直接命令として打ち込めば、元来プログラムである彼は素直に従ってくれた。そしてその時が、リョウが冷裂をカーディナルから奪う唯一のチャンスだったと言って良い。リョウはユイに関する一連の命令を組んだ後間髪入れずに、冷裂の方にも近い内容の命令文を組んでいたのである。唯一違ったのは、転送先がリョウコウであったと言うだけ。早めに気付いたリョウの行動の速さが生んだ時間的余裕の成せた技であった。
要は、いい加減カーディナルにもうんざりしていたリョウが起こした、茅場へのちょっとした反抗である。まぁ……
「それが後々此処まで役に立つとか思って無かったがな……」
取り留めも無く、そんな事を考えていた……その時だった。
「お、叔父さん……パパとリーファさんが……!」
「ん?」
不意に、ユイの小さな声が耳元で響いた。何故かオロオロしているように聞こえる。と……
「じゃあ君は、私が此処まで嫌々付き合ってきたって、そう思ってるの?」
それまで聞いて居なかったリーファの声が何故か泣きそうに震えた調子で聞こえて来る。
先程まで二人で脱出の方法を練っていた筈なのだが……
「ちょ、なんで喧嘩腰なんだユイ坊……」
「ぱ、パパが、リーファさんは学生だし、もう落ちた方が良いって言って、そしたらリーファさん急に……」
いまだにおろおろした顔で言うユイの言葉を聴いているうちに、リーファは更に言葉を続けてしまう。しかも祠の出口を向いて、立ち上がっている。
「あたし……、今日の冒険、ALOに来てから一番楽しかった。ドキドキ、ワクワクする事沢山あったよ。だから、キリト君や、リョウのおかげで、この世界がもう一つの現実なんだって、やっと信じられる気がしてたのに……!」
「ちょ……と、まてまてまて!」
言ってから祠の外へ飛び出そうとしたリーファの細腕を、リョウはあわてて掴み、引きとめる。それに対して振り向いたリーファが何かを言おうと口を開いた……その時だった。
ズズンッ!と言う重々しく、地面を揺るがすような音と振動が、祠の中を駆け抜け、直後、雷鳴を思わせる低い咆哮が、ごく近くから降り注いできた。おそらくは、自分の声が呼び寄せたのだろうと思ったらしいリーファが、腕を振りほどこうと暴れ出すが、しかしリョウは離さない。がっちりと腕をダメージを与えない程度に握り、その腕は一寸も動きそうにない。リーファがひそひそと、しかし明らかな怒鳴り声で、声を上げる。
「離してよリョウ……!あたしが敵をプルするから、君達はその隙に離脱して……!」
「落ち着けって、ちょっと待て……!なんか変だろうが……!」
「変って……」
負けずに返したリョウの声に対して訪ねたリーファに、今度はキリトが返す。
「リーファ、ほら、聞こえないか?……一匹じゃない……」
言われてから、リーファはようやく耳を澄ました。確かに、重々しい低音の咆哮の向こうで、ひゅるるる……と言う木枯らしのような高い音が聞こえた。しかしそれに対し、リーファはより一層声に焦りを募らせる。
「それなら尚更よ……!どっちか一方にタゲられたらアウトってことよ……!?
「いえ、違います!リーファさん!」
さらに答えたのは、ユイだった。そのままつなげて言う。
「接近中の邪神級モンスター二体は、互いを攻撃しています!」
「えっ……!?」
そう言われて、リーファはようやく気が付いた。近くで鳴り響くドスンドスンと言う地響きが、一直線に此方に向かっていると言うより、転げまわるようにランダムな場所から響いて来ているのだ。
「モンスター同士で戦闘……?どう言う事……?」
「とにかく、一度様子を見に行ってみよう。此処じゃどうせシェルター代わりにもならないし……」
「だな。どうするかは見てから考えるとしようぜ。
「う、うん……」
そう言って、リョウ達は祠から出て言った。
────
祠から出て数歩ほど進んだところで、音の元凶である二体はすぐに見つかった。
「いや、改めて言うがよ……デカすぎだろ、これ」
雪原の上で、二体の巨大な図体がドカン、ドズンと大音量の重低音を出しながら戦闘を行っている。一体は、人型に近い形だ(と言っても辛うじてだが)縦に並んだ三つの顔に四本のやたら太い腕。それぞれの腕に、やはり滅茶苦茶に大きい剣を携え、それを軽々と振り回している。
もう片方は……最早なんと言うべきか分からない。
長い口吻と巨大な耳のような物がついた顔は象のようだが、それが付いている胴体は饅頭のような円形に鉤爪付きの触手が二十本以上も地面に向かって伸びている。強いて言うなら、象の顔が付いた水母と言うべきだろうか……長いので象水母としよう。
二体の体表は、どちらも邪神級モンスター特有の青っぽい灰色に染まっており、大きさとしては三面巨人の方が象水母より一回り大きい。
通常モンスター同士が戦う場合、その要因はプレイヤーが起こせるもので三つある。一つは猫妖精《ケットシー》辺りが、スキル、飼い慣らし(テイミング)によって手に入れたペットモンスターがMobと戦っている場合。一つは音楽妖精《プーカ》辺りが、ある種類の演奏効果によってモンスターを扇動している場合。最後の一つは幻属性の魔法によってモンスターが錯乱状態にさせられている場合だ。
しかし目の前のモンスターたちは、その枠には当て嵌まっていなかった。邪神級モンスターはペットモンスターにする事は出来ないし、プーカの扇動演奏も効果が無い。幻属性の魔法は多少効果が望めるが、そもそも目の前の邪神級モンスターについているカラーカーソルに、錯乱の異常状態にかかっている事を示すライトエフェクトも見えない。つまりこの二体は、自分の意思で、目の前のもう一体に戦いを仕掛けている事になる。
さて、そんな二体の戦いは、はっきり言えば優劣がはっきりしていた。
すなわち、三面巨人優勢。象水母が劣勢だ。連続して叩きつけられる巨人の剣劇の嵐に対し、象水母は自らの触手で対抗しようとしているが、凄まじいスピードで振りまわされる剣戟が邪魔で相手の体まで届かない。寧ろ押し負け、体に剣が叩きつけられるたびに、どす黒い体液が飛び散るエフェクトが出ている。
と、ついに巨人の剣がクラゲの触手の一本をまともに捉え、斬り飛ばした。跳んできた一本の触手がリョウ達の方へと吹っ飛んできて……
「うおわっぶ!!?」
見事に、リョウが居た地点に着弾した。リョウはそれを、ヘッドスライディングの要領で地面に飛びのいて避ける。それをみたキリトが、ぎょっと目を向いた。
「お、おい、此処にいるとまずいんじゃ……」
「不味いんじゃ……じゃなくて不味いっつーの!逃げるぞ、リーファ!」
リョウは地面に手をついたままそう言ったが、リーファは動かない。唯じっと、巨人の嵐のような攻撃から離脱できずについには縮こまりだした水母型邪神を見つめている。その声は、みるみる内に弱弱しくなっていき……
「助けよ。キリト君。リョウ」
ついに、こんなことを言いだした。
「……はぁ!?」
「ど、どっちを……?」
いや待てキリト、聞くべきはそこでは無いはずだ。モンスターを助けるとか何を言っているんだこの少女は。
「勿論、苛められている方よ」
「いやリーファお前……んな苛められてるって……どっちだってありゃ邪神だぞ?モンスターだぞ?分かってるよな?」
「でも……!可哀そうよ!」
「可哀そうって……お前……」
リョウの確認するような……半ば呆れたような言葉にも怯まず必死の目で訴えて来る。どうやら本気らしいと悟り、リョウは額に手を当てる。
「ていうか……仮に助けるとしても、どうやって?」
「えーと……」
今度は、キリトが聞いた。いや、だから助けるのかそもそもと、リョウとしては非常に疑問なのだが、どうやら聞き届けられないらしい。
というか、リーファはどうやらどうやって助けるかまでは考えていなかったらしく、むぅ……とうなっている。
「……なんとかして!」
「よし、行くぞキリト。全力で逃げる」
「あぁぁ!待ってってば!」
「アホか!そもそもモンスター同士が争ってるなら都合いいだろうが!方法も無いのに助けろとかアホか!お前はアホか!」
「アホアホ連呼しないでよアホぉ!!」
そもそもゲームなのだからモンスター同士の戦闘は予定されたものなのだろうし逃げるべきだとリョウは思っている。寧ろモンスターを助けようと言うその発想自体普通はあり得ないと思うのだが……と、その時だった。
「あ、あの~」
「「んだよ!(なによ!)」」
横から小さくなりながら手を上げたキリトを、理不尽ながらリョウとキリトが同時に睨む。心なしか、ユイもビビっているように見える。と言うかビビってる。
「す、すみません……助ける方法あるかも……」
「はぁ!?」
「ホント!?」
キリトの超絶発言に、リョウは驚愕し、リーファは目をキラキラと輝かせる。と、リーファが顔をずんずんと近付けて聞く。
「どんなの!?」
「あー、説明するよりやった方が早いかも……とりあえず、此処から北に二百メートルの所に凍った湖が有るらしいから……二人とも、そこまで全力で走るぞ」
「え……え?」
「……しゃーねーか……」
リーファはいまいち分かっていない様子だったが、何の皮肉か反対派のリョウはすぐにキリトの言いたい事を理解してしまった。最早何か行動を起こさなければリーファは納得しなさそうだったし、そろそろ象水母の鳴き声が本気で弱弱しくなって来たため、リョウは一度額に手を当てると……
「やるなら早くしろ」
「あぁ。……セイッ!」
屈伸をしながらそう言った。即座に、キリトが懐から取りだしたピックを構え……邪神めがけて投げた。
「あ」
リーファの思わず出たと言った声と共に、キリトのピックが三面巨人の方に命中する。と、同時に……
「ぼぼぼるるるううう!」
「来るぞぉ……!」
三つの頭が同時に「ぼる」と言うせいでエンジン音のように立て続けに聞こえる巨人の雄叫びがゆっくりとこっちを向くとともに大きくなり……
「……逃げるぞ!」
「全力疾走っ!!」
男二人が同時に叫び、間髪いれずにリーファを置いて逃げ出したでは無いか!
「ちょっ……?」
付いていけていないリーファは一瞬口をパクパクとさせながら、直ぐに二人を追いかけて“頑張って”追いかけだす。直後……
「ボル……ボボボルルルアアアアアアアアアアァァ!!!」
──ズシン……ズシン……ズシン……ズシンズシンズシンズシンズシンズシンズンズンズンズンズンズンズンズン……!!!!
「待っ……や……いやああああああああああ!!!!」
すぐにそれは、“必死”の全力疾走へと変わった。
三面巨人が後ろから追いかけて来るのが、見なくても分かったのだ。しかもその距離はどんどん縮まっているらしく、重々しい足音はどんどん近くなっている。悲鳴を上げながら必死になって走っていると、不意に、前方のキリトがズザザッ!と雪煙りを巻き上げ、急停止した。そのまま腕を大きく広げ、突っ込んできたリーファを抱きとめる。リョウの方は少し止まるのが遅れたらしく、キリトの後ろにいる。そして後ろを振り向くと……
「──────ッ!!?」
目が飛び出そうなほど近くに、三面巨人の姿が有った。改めて見ると本当に大きいその姿に、リーファは声にならない悲鳴を上げる。キリトに一体何のつもりで此処まで逃げてきたのか激しく問いたかったが、そんな暇もない……と
ビシビシビシッ。と、軋むような、あるいは割れるような音がリーファの耳に届いた。なんだろうと思う間もなく、直後……
凄まじい音と水しぶきを上げながら、邪神の体がガクンと下がった。三面巨人の足元にあった湖に張った氷が、その巨体が持つ重さに耐えきれず割れたのだ。丁度湖の真ん中にあったその巨体が、キリト達のほんの十数メートル先で一気に水に沈みだす。
と、男二人がまるで打ち合わせて居たように、声を上げた。
「「やったか!!?」」
「ちょと、そう言う事言うと……!」
お約束のフリとなっている台詞に、本気で沈んでほしいと思っているリーファは思わず悲鳴を上げる……と、ザブンザブンと巨人の体が浮上し、その巨大な手をオールのようにして泳ぎ出したではないか!
「ありゃ」
「ほらぁ!余計な事言うからぁ!」
甲高い声で腕をぶんぶん振りまわして男二人に向かって喚くリーファを、リョウが片手で制する。
「待て待て、この後だこの後」
「え……」
リーファの出した疑問の声を、二つ目の巨大な水音が遮った。
見ると、先程三面巨人にずたずたにやられていた象水母が、巨人に続いて着水していた。そうして巨人の方に近づくと、ひゅるるる!と言う高い音の雄叫び(?)を上げながら細い脚を次々に巨人の体に巻き付けて行く。
「あ、そ、そっか……」
そう。あの象水母邪神は元々、水中戦を得意とするフォルムなのだ。というか水母なのだからよくよく考えれば当たり前なのだが……
三面巨人の方も剣を振りまわして対抗しようとするが、なまじ水の中なので上手く動けていない。そうしてそのまま水母の胴体に青白い光が纏われたかと思うと……
バヂバヂバヂバヂッ!!と言う電撃じみた音と共に、その光が標的である巨人へと叩きこまれた。同時に、巨人のHPが一気に減り始める。
と、リョウとキリトが思い切り息を吸い込み……
「やったか!!!?」
「だーかーらー!!」
何故わざわざフリを打つのか。と、まぁそんな心配は必要なく、そのまま三面巨人は大量のポリゴンと共に爆散した。
────
「……はぁ、それで?」
「これからどうすんの」
リョウとキリトが順番に呟いた。
目の前には、先程一応リーファの感覚では「助けた」象水母がのーんと立っている。正直相手の象殿のHPは敵対を示すイエローなので、彼を攻撃していた巨人が居なくなってもこの象水母がリョウ達を攻撃しないこと自体不自然と言えばそうなのだが……寧ろリョウには、一応援護してくれた奴を今日の晩飯にするか否かを考えているようにも思える。
しばらくそのままにしていると、象水母は突然、リョウ達の方へとその長い触手を伸ばしてきた。キリトが「げっ」と言いながら飛びのこうとするが……
「大丈夫ですパパ。この子、怒ってません」
ユイがそう言って、キリトを止める。「子」と言うには少々図体が大きすぎる気がするが……しかしまぁ、停止した三人を彼(?)は逃さないらしく、そのまま触手に体を絡め取られ、
「ひええええぇぇぇっ!?」
「おっ……と……」
情けないリーファの悲鳴と、リョウの戸惑ったような声が重なる。そのまま触手にからめとられた三人は口の中……ではなく、象水母の頭に載せられた。
「おわっぷ!?」
ぽいっと頭の上に投げ捨てられ、頭から着地して変な声を上げたリョウはふさふさとした短毛の生えた象水母の中央に三人が着地すると、象水母はそれがさも当然の状態であるかのように移動を始めた。
こうして高い位置にいると、この広いヨツンヘイムも良く見渡せる。凄惨ながらも美しいその景色に、リョウ達はしばらくの間見とれていた。が、やがてリョウが口を開く。
「…………」
「こりゃぁ……どんなタクシーだ?」
「邪神級のタクシー?っていうか、クエスト?」
「クエストなら、ここら辺にスタートログが出るはずなんだよね……でも出てないってことは、イベント的な物だと思う……でもそうすると、ちょっと厄介かも……」
俯き、顎に手を当てて考え始めたリーファに向かって、リョウ達は首をかしげる。
「厄介って、どう言うこった?」
「クエストなら、クリアすれば報酬もらって終わり。で良いのよ。でもイベントって言うのはプレイヤー参加型のドラマみたいなものだから、絶対ハッピーエンド。ってわけじゃないのよね……」
「……って、結局ものすごく酷い目に会う。とか?」
「うるうる。あたし前、ホラー系イベントで行動選択ミスって、魔女に窯で煮られて死んだ事あるもん」
「す、凄いゲームだな……」
「つーか自分でうるうる言うな」
「そこは突っ込まないでよ……」
少し恥ずかしかったのか頬を掻いたリーファを見ながら、キリトがどさっと足を投げ出して座りながら言う。
「ま、もうこうなったら乗りかかった船……というかクラゲだな。どうせ此処から落ちたら大ダメージだろうし、最後まで付き合おうぜ。で……その、リーファ……、今更だけどさっきの事……ごめん」
その後少しの間リーファとキリトはお互いの非を認めあい、互いに謝罪し合っていた。リョウには結局のところどうして二人が喧嘩になったのか分からなかったが、仲直りしたのなら、いちいち外野が口を出す必要もあるまい。
「じゃ、これで仲直りだね。私なら、何時になっても大丈夫。学校はもう自由登校だもん」
「そっか」
言いながら手を差し出したリーファの言葉に小さく返すと、キリトは同じような仕草で手を出し、握手をした。リーファの方が照れ隠しなのか手をぶんぶん振っているのを、キリトの肩にいるユイと、脇に座っていたリョウがニコニコニヤニヤとみているのに気付いたころ、リーファはあわてたように手を離し。頬を染めたままプイッと顔を反らしそのまま少しの間何を言わずに座っていた。
しかし不意に、リーファの眼が真剣な物になる。
「どしたの?」
「なんだ?なんか変なもんでも見えたか?」
キリトとリョウが立て続けに尋ねると、リーファはまっすぐに右手をのばして言った。
「あのね、さっき地上に出るルートを考えてた時、外周部の階段から上に上がろうって言ってたでしょ?でも……見て」
そう言ってリーファが指を察す先には、ひときわ巨大な円錐状のつららに絡みつく網のようなものが有った。
「ありゃあ……根っこか?」
「うん。あたしも実際に見るのは初めてなんだけど、あれは世界樹の根っこなのよ」
「世界樹の……って事は、こいつは外周部じゃなくて、エリアの中心に向かっているってこと?」
ヨツンヘイムは央都アルンの地下を中心位置にして地下円形に広がる世界なので、つまりはそう言う事になる。当然、リーファは素早く首を縦に振った。
「世界樹の根っこはすごく大きいからかなり下まで伸びてるけど、それでも絶対届かない高さにある。これでますます、出口は遠ざかったかも……」
「そうか……」
キリトは小さく嘆息したが、少しすると、リョウがにやりと笑って言った。
「ま、此処まで来ちまった以上もう流れに身ぃ任せるしかねぇよ。この、ゾウムシだかダイオウグソクムシだかに任せようぜ。果たして、助けたクラゲに連れられて~な事になんのか、こいつの宴会のつまみになんのかはわかんねえけどな」
「ちょと、何よそのダイオウなんちゃらって。たとえるなら象かクラゲじゃないの?」
「あ、おれ知ってる。あれだよなこんくらいのダンゴ虫みたいな……」
「そそそ。最大で五十センチ超えるって奴だ」
「ごじゅ……!?あああ!いい!その先聞きたくない!」
「えー、知りたくねぇのかよ。深海に住む生き物の神秘……」
不満そうに、と言うか面白そうに口をとがらせるリョウに、リーファは手をぶんぶん振りながら慌てて話を逸らす。
「わかった!じゃあ、名前付けよ!かわいい奴!」
「名前、か……」
「ん~」
提案すると案外、リョウもキリトも真面目に考えだした。リーファもうなりながら考えだし……と、リョウが口を開いた。
「ゾウリ……」
「履物じゃない。かわいくないわよ」
リーファが突っ込む
「ゾウサン……」
「まんまだろそれじゃ」
今度はキリトだ。
「イゾウ……」
「それじゃ時代劇よ」
またリーファ。
「シュウゾウ……」
「「暑苦しい」」
そのまましばらく考えていると、今度はキリトが言った。
「じゃ、トンキー」
聞いて、リョウもリーファもあぁ。と呟いた。確か、なんかの絵本に出てきた象の名前だったはずだ。しかしあの物語だと、象のトンキーは最後には死んでしまうんだったような……
「あんまり縁起の良い名前じゃないような……」
同じ本を読んだ事が有ったのだろう。リーファがそう突っ込んだのに対し、キリトはバツが悪そうに苦笑する。
「そうかもな。なんとなく頭に浮かんだんだけど」
「いや、案外名前としちゃ良いんじゃねぇか?」
「そうね。て言うか君もあの本読んでたんだ。ま、じゃあそれにしましょ!」
そうしてリーファは象水母に向かって「おーい!今から君はトンキーだからねー」と叫んだが、当然何も反応が返ってくるはずはない。そもそも名前を付けると言っても気分だけで、システム的には何の意味もないのだ。
しかし……
「トンキーさん、はじめまして!宜しくお願いしますね!」
キリトの型でユイがパタパタとてを振りながらそう言った時には、偶然であろうがその大きな耳をトンキーはパタパタと振って返したのだった。
かくして、邪神の上に乗ったプレイヤー三人とピクシー一人。外野が見ればさぞ異常な光景であろう組み合わせの彼等は、のっしのっしと、世界樹の根元目指して進むのだった。
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