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SAO─戦士達の物語

作者:鳩麦
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SAO編
  五十七話 矛と盾

 深呼吸。
簡単に出来る精神安定法として、世に浸透しているこの行動だが、リョウにしてみると、それは一種のスイッチのようなものだった。
それをするだけで、自分の中の何かが変わる。集中力に、スイッチが入る。視界が狭まる……

 見るべき者は目の前に居る。部屋の壁の装飾も、周りに転がる者達も、“戦闘”と言う行動を行う上では不必要な要素だ。意識の中で認識しておく必要は無い。
故に、それらを視界の外に追い出す。

 徐々に、目の前に立つ男が大きく見え始める。

 雑音も邪魔だ。周囲の余計な叫び声等も全てカット。
 感情云々も邪魔だ。精神が乱れる。カット。
 正気も狂気も必要ない。カット。
 必要な物は観察眼と、動く身体、相手を倒す《ころす》意思、その手段を瞬時に導き出せる判断力だ。それ意外は全てカットする。

 集中すると言うのは本来そう言う事だ。他のどんな物にも注意を奪われる事無くただ眼前にあるこなすべき事項にのみ意識を向ける。全力を持って相手を殺すことだけ考えるだけでも、大分違う物だ。

 そうして、倒すべき男の存在だけが視界を満たしたころ、リョウコウは口を開く。

「……ヤルカ」
 この上なく“集中”した頭のまま、最後にそう呟いた。

────

 聖騎士ヒースクリフの特徴を上げるとするならば、間違いなくトップに来るのはあの防御力だろう。
どんな攻撃であろうと事も無げに防ぎ切り、システムの守護が無くともおそらく大概は自らのアバターに傷一つ付ける事無く勝利を手にするで有ろう。最高の防御能力。
しかして、それを支えるのは案外、たった二つの要素であったりする。


 一つは、《神聖剣》のスキルに盾による攻撃スキルが有ること。
通常、ヒースクリフが持つような大型のタワーシールドを使うプレイヤーには、「盾を構えている方向の防御力は高いが、攻撃する事も出来ない」と言う弱点がある。
しかし《神聖剣》の場合、その弱点を「盾で攻撃する」ことによって克服してしまっているため、セオリー通りの戦略はほぼ通用しない。しかも「攻撃出来る」と言うのは、盾によって身を守った後即座にカウンターを出しやすい。と言うことでも有るため、近接武器である刀剣類を使うプレイヤーの殆どは、下手に接近出来なくなる。
 特にこういったギリギリのPvPの戦闘においては、このような危険《リスク》には非常に気を使わなければならないし、向き合っているだけでかなりのストレスを受ける。

 第二の要素は、彼自身のステータスだ。
大きい分重量のあるタワーシールドを片手のみで取り回し、どんな方向からの攻撃であっても即座に反応。対応するその速度。
筋力値、敏捷値が共にバランスが良く、その上高すぎるのである。
 壁戦士《タンク》系装備のプレイヤーは通常動きが鈍いものだが、この半チート気味なステータスを持つヒースクリフはそれを看破。二刀流の速度に追い付いてこれるタワーシールドなど、通常の1対1のPvPで突破出来る者など居ないだろう。

 まさしく鉄壁。
単純な要素であるが故に、破る事が非常に難しい二つの要素が、ヒースクリフの“最強”を支えて来たのだ。

──しかし世の出来事においては、完全に見える出来事に意外な“例外”が起こる時も、また確かに存在する。

 ヒースクリフに向かって接近したリョウは、初手としてすくい上げるような下からの斬撃を選んだ。
間合いの広い薙刀であれば、あくまでも身体に密接しなければ反撃出来ない盾の一撃を受ける心配は少ない。当然、ヒースクリフは反撃出来ない間合いに居るリョウの一撃を自慢の盾で受け止める……が。

「「「!?」」」
「…………」
「ぬ……」
 冷裂が十字盾に直撃した瞬間、ヒースクリフの身体が“浮いた”。
空中に浮き、後方に向かって吹き飛ばされる。
 SAOで盾を構えた敵の身体を吹き飛ばすと言うのは、並の事ではない。
何故ならそれには、相手の持つ武器、防具全てを含めた総重量に加え、耐えようとする相手の筋力値も含めてその全てを数値上で圧倒する筋力値が必要になるからだ。

 先程の《The Skullreaper》ですら、最後までヒースクリフを多少後退させるに留まった事を考えれば、それが可能なリョウの最大筋力値は、最早化け物《モンスター》をとすら言えた。


 30センチ近く空中に浮いたヒースクリフの身体は、そのまま後方へと吹き飛ばされ……少々危うい体制で着地する。

「…………」
「…………」
 互いに無言ではあるものの、ヒースクリフは内心リョウコウの持つ予測外の破壊力に舌を巻いていた。

 SAOでは、ある一定以上の力を出そうとする時、必ず、壁に当たる。
 例えばどれだけ敏捷値が高くとも、使い手であるプレイヤーの脳の反応速度がそれに追い付けなければ一定以上身体の動きが速くなる事は無いように、筋力値にも使い手による限界……壁を決める要素があるのだ。
即ち、想像力《イメージ》。

 自分が何処まで筋力を出すことが出来るのか、どれだけの事ならば可能なのか。それらの可能性イメージし切る事。言い換えるならば、己の力量を把握し疑わない事こそが、SAOにおいてプレイヤーが最大限の筋力値を使用する為に必要な壁を打ち破る鍵だ。

 もし自身が、それを出来る事を疑わず、なおかつ数値がその条件を満たしていさえすれば、プレイヤーはアインクラッドその物を持ち上げる事すら出来る。……理論上は。
つまり……

『彼は私を吹き飛ばせる自分を疑っていなかったと言うことか……』
 簡単……ではない。
 人間は基本的に、よくも悪くも周りに流されてしまう生き物だ。そしてヒースクリフと言うキャラクターは、このSAOと言う世界の中で既に確定された役割を持っている。即ち──最強。
 誰にも敗北する事無く、どんな強大なボスにも打ち破られる事のない無敵にして無敗の聖騎士。それこそがヒースクリフと言う名のキャラクターに与えられた配役で有り、そしてシナリオ通り、ヒースクリフは全てのプレイヤーの頂点に立ち、最強と呼ばれ続けて来た。
故に、ヒースクリフにイメージで勝つことは難しい。

 全てのプレイヤーが、彼を“最強”と呼び、そして尊敬と一種の畏怖を抱いているのだ。当然殆どの人間は、より多くの人間の意見に自覚は無くとも少なからず影響を受ける。「自分は間違ってはいないか?」「他の全てが逆の事を言っているにも関わらず、それに逆らう自分はおかしいのではないか?」そう言った感情を持つ。自分を疑う。
恐らくこの場に居たリョウコウ以外の全てのプレイヤーが、「ヒースクリフを吹き飛ばす」等と言う現象は、想像もしていなかっただろう。

 それは全てのプレイヤーがヒースクリフを最強と述べる限り起こるはずであった必然で有り、ヒースクリフ自身、それを疑う事は無かった。しかし、この男はそれをやってのけた。

『誰にも影響される事無く、自らを保つ強さ……成程』
 精神力の……心の強さ。
見せつけられたそれは、恐らく、SAOでも最高峰の物。此処に来て、自分が眼前の青年の強さを測り切れていなかった事を悟りつつ、ノックバックの隙を逃さず青龍偃月刀を振り上げ突進して来たリョウコウに、ヒースクリフは再び盾を構える。
二発目は、少々大振りな赤いライトエフェクトを纏った振り下ろし。

薙刀 重単発技 剛断

 タイミング的にも体勢的にも回避は不可能な、受ける以外の選択肢が無い一撃。

「…………」
『手強い……』
 感情も思いも読み取れぬ、唯此方を見据えるだけの眼と視線を合わせつつ受けた一撃は、ヒースクリフの身体を再び地面を滑らせながら後退させた。

────

 闘いは、初手を覗いては互角に進んだ。
初めこそ意識の不意を突かれたヒースクリフだったが、決して彼はやられるままになりはしない。
 三発目以降の攻撃は、巧みに十字盾の角度をずらし、あらゆる角度から打ちこまれる《冷裂》の攻撃の威力を、逸らそうとし出したのだ。
 SAOの物理エンジンと言うのは実に優秀な物で、以前のバックステップの様に、こう言った行為も十分に衝撃を叩きだす計算式に配慮してくれる。その結果、基本的にはヒースクリフの盾を“抜けた”ダメージはゼロ。時偶受け損ね、正面になってしまった時のみ幾らかのダメージが入り、稀には逸らし切られてリョウの方に若干の隙が出来ると言う結果になってしまった。

 ちなみに当然、ヒースクリフがそんな隙を逃す訳も無い。
打ち込んで十発を超えたあたりで初めて隙が出来た時、ヒースクリフが反撃の突きを打ち込んだことで周囲のプレイヤーたちは一様に息をのんだ。が、その後すぐに、その恐怖は驚愕へと変じた。
 針の穴に糸を通すこうな正確さを持ってリョウコウの首元を狙い放たれたヒースクリフの突きを、リョウコウはこの上なく冷静に、“首を捻っただけ”で避けたのだ。続けてソードスキルを使わずに放たれた六発の連撃も、胴を狙えば冷裂の柄で逸らし、肩を狙えば身を捻り、足を狙えば軽いステップで。全ての攻撃を、リョウコウは最小限の動きだけで回避し切った。
 ただそれでも、掠り傷やまともに受けた時に“抜けた”ダメージで多少のHPは減ったが、あくまでヒースクリフと同程度の微量。勝負を決するにはまだまだ遠く、HPゲージは互いに残り20%以下の危険域《レッドゾーン》。
ただ勿論、三発目にヒースクリフが衝撃を逸らしだしてから、下手に打ち込む訳にはいかないと警戒し出したのだろう。決してソードスキルを打つことはせず、ただ己のセンスに従って武器を振る通常攻撃だけで戦っていた。

 冷裂から繰り出される“線”の攻撃を、盾と言う“面”で防御するヒースクリフと、基本的に“点”、稀に“線”で構成された攻撃群を、冷静に観察し、必要最小限の動きでかわし続けるリョウコウ。
互いに一言も発する事は無く、床に転がるプレイヤーたちが見守る中、鉄と鉄がぶつかり合う衝撃音だけを響かせながら、二人の戦いはもう二十分以上平行線を保ち続けて居た。

 そんな停滞した闘いの中で、転機は、突然訪れた。

「…………」
「…………」


 無言で戦う二人の間で、青龍偃月刀が唸りを上げてリョウコウの右斜め下からヒースクリフの盾へと打ち掛かって行く。それを……ヒースクリフは十字盾をリョウコウの攻撃のベクトルと平行に近づけるように防ぐ……“前に出ながら”

「…………!」
 此処に来て、これまで受ける事に終始して来たヒースクリフが前に出て来た事に、リョウコウは不意を突かれ、初めて、ほんの少しだけ眼を見開く。
そしてその不意を突かれた事が隙となり、冷裂は十字盾の正面を掠りながらヒースクリフの右側に抜けてしまう。そこに、ヒースクリフが少し引いた十字剣が美しい黄金色の光を帯び、高速で突き出される。

神聖剣 三連続刺突技 クラージュ・アンジュ

 技が来るであろう軌道を確認しつつ、リョウは全力で回避行動を始めて居た。
先ず一突き。顔面を狙って来たそれを、首を後方に逸らす事で回避。二突き、今度は胴を狙って来た刃を、先程の攻撃の際前に出していた右足を引き戻し、一歩下がる事でギリギリに回避。だが……最後の三突き。

「リョウッ!」
 これはタイミング的に絶対に回避不可能だ。しかし……アスナの悲鳴じみた声が聞こえた様子も無く、リョウは既に対策に出て居た。右足に体重を掛け、左足を、胸のあたりまで振り上げたのである。銀色のライトエフェクトと共に。

足技 単発技 月波《げっぱ》

 通常は、正面の敵の胸から顎にかけてを蹴り上げるための業だが、リョウはそれをあえて此処で使う。そうして振り上げられた左足は……ガキンッ!と言う鈍い音と共に、ヒースクリフの剣を見事に弾き上げた。

「…………!」
 振り上げられた足が、突き込んで来るヒースクリフの十字剣の腹部分を直撃し、剣を弾き上げたのである。当然、ソードスキルに生身である足で触れれば余波によるダメージがあるが、使われたのが《足技》で有るならばそれほど大きなダメージにはならない。結果として、リョウコウは左足を振り上げた体勢のまま一瞬だけ硬直し……ヒースクリフには、剣を跳ね上げられた体勢になってしまうせいで大きな隙が生まれる上、ソードスキル後であるため、それによる硬直時間も課されてしまう。
その隙をリョウが逃す訳は無かった。

 振り上げられた左足を思い切り振り下ろし……がら空きになったヒースクリフの左側に、大きく踏み込む。両腕は振り上げられ、そこには、先程と同じく真っ赤なライトエフェクトを纏った青龍偃月刀。

「…………ワレロ」

薙刀 重単発技 剛断

──────

 この瞬間、リョウコウの勝利は確定したと、それを見て居た全てのプレイヤーは思っただろう。


──偶然にも一人だけヒースクリフの表情が見える位置に倒れて居たキリトと、踏み込んだ事によってそれを見たリョウコウを除けば。

「……!?」
「兄貴!待てっ!」
 ヒースクリフは、笑みを浮かべていた。それも歓喜に満ちた光を瞳に湛え、まるで勝利を確信したかのような笑みを。
そしてその時、リョウコウは初めてそれに気が付く。ヒースクリフの右足が、少しばかり宙に浮いているのだ。
“土色”のライトエフェクトと共に。

 この時リョウが犯したミスは二つ。
一つは、直前までヒースクリフ一連のミスを本当のミスだと思いこんでしまっていた事。
そしてもう一つは──選んだ技が、ソードスキルだった事。

 その足が、一息に、振り下ろされた。

足技 範囲妨害技 大震脚

 地面がすさまじい勢いで揺れ、周囲のプレイヤーたちが悲鳴を上げる。しかし始めから地面に転がっている以上彼らに全くダメージは無い。またリョウコウも、《大震脚》の抜け道の一つである、「装備の総重量が一定以上に達している」と言う条件を冷裂によって満たしているため、転倒する事は無い。だが、問題はそこでは無いのだ。
 元々、《足技》を多用するリョウは良く分かっていた。大震脚の妨害以外に存在するもう一つの大きな特徴。即ち、地面に足が付いたままであると言う事。
通常足技のスキルは、それが全て《足》を使うがゆえに短いスキル硬直が終了した後も振り上げたりした足を下ろすと言うワンステップが次の動作までの間にどうしても入り込む。
対し、《大震脚》は元々足を地面に打ち付けるスキルであるため、そのワンステップが存在しない。
そして本来ならばそれほどの問題では無いその違いが、今は大きな意味を持つ。なぜなら足が付いていると言う事は……即座にステップ動作が取れると言う事だから。

 システムに従い、リョウが冷裂を振り下ろす。ヒースクリフが自分の視界の中で右に飛び退く。何も無い場所に冷裂が打ち付けられる。

 この瞬間、今度こそリョウに完全にして致命的な隙が生まれた。

 横に目を向ければ、ヒースクリフが剣を勝ち誇るように振り上げて居るのが見える。

 その剣が、純白の神々しくそれゆえに何処か恐ろしい光を纏う。

神聖剣 単発技 ヘヴンス・ゲート

 身を躱す……自分は剛断による硬直時間で現在動けない。剛断の硬直は振り下ろしが始まった辺りで切れるが間に合わない。通常回避不可。
武器防御……同様の理由により武器を動かせない。防御不可。
足技を使用してスキル割り込み……大震脚では動くより前に剣が振り下ろされる。回避不可。
真横に向かって放てる足技……該当する技が数個有り、ただしどれも十字盾を少し動かしただけで防御可能、敵の技を止められない。回避不可。

 対応手段……無し。

『ア、やべ……詰んだ』
 その瞬間、リョウコウの“集中”が完全に途切れた。

────

 戦闘の勝利が不可能になり、これ以上戦闘を続ける意思が途切れた。
それに伴って、今まで彼の戦闘状態を保っていた“集中”も切れる。
そして元に戻ってしまえば……

『あっちゃあ……見事にハマっちまったな』
 “何時も通り”まるで人事の様にこんな事を考えてしまう。
ほんの短い時間のはずなのだが、未だに戦闘時の思考の加速が残っているらしく、時間がやけに遅く感じる。

『最後の最後でフェイント掛るとか……締まんねぇなぁ……』
 全く、キリトやアスナにかっこつけてまで始めた死合でこれだ。一体何をやっているのやら……無様なものである。
しかし今更言った所でどうこう成る物でも無し……

『まぁ、しゃあねぇわな』
 諦めよう。そうリョウは結論を出す。
これ以上は何やったって無駄と言うか……そもそもこのタイミングでは出来る事が無い。
まぁ、自分の事だし、今になって悪あがきするのも無様だろう。と言うか悪あがきすら出来ないし。
少々無責任だろうが、ここらで後はキリトに任せて自分は退場だ。

 ヒースクリフの掲げた腕が、視界の端で止まった。時間だ。
感覚的にはゆっくりと、リョウは目を閉じる。
 なんだかんだで、最後の時が来ても自分は本当に“何時も通り”らしい。死がすぐそこにあると言うのに、特に恐怖も感じない辺り特に。
 身体も、既に余分な力も全て抜けて居るはずだが、硬直時間のせいで未だに全く動かない。これではやはり回避は不可。

 しかし感覚は戻り始めている、力の抜けた身体に触れる浴衣の感触が、胸のあたりから戻ってきている。肩にかかる、冷裂の重み。自分と武具の重みを支える、膝の感覚。
──右腕に付いた、金属質な腕輪の感触。

──これ、俺にとっちゃ嫌味だぞ?──

 普段は気にかけずとも、確かにそこにある。

──にへへ……良いの。私はそれの色が好きなんだから──

 自分の罪の象徴。

──はぁ……んじゃまぁ、貰っとくか──

 純白の……彼女の腕輪。

──あ、外しちゃだめだよ?それは……──

「ったくよぉ……」

──お守りなんだから──

 純白の刃が振り下ろされ……リョウの腕が、それを防いだ。


────


 ヒースクリフは思う。彼について驚くのは、これで何度目だろうか、と。

 この攻撃は、完璧なタイミングだった。

 これまで長々と繰り返して来た戦闘は、相手に一撃でも攻撃を命中させれば終わる闘いだ。
故に、もし茅場晶彦がこのゲームをシナリオ通り最後まで果たそうとするのならば、初めからオーバーアシストなりなんなりを使えば済む話だった。それをしなかったのは、彼がそのような理不尽を自らの聖域とも言うべきこの世界に持ち込む無粋を許せなかったからで有り、何より、ヒースクリフとしての自分が、騎士道の欠片も存在しないその行動を真っ向から否定したからである。

 3500を超えるプレイヤーを殺害しておいて、何を今更と言う者は勿論居るだろう。全てのスキルの動きが予測できる時点で、既に反則だと言う者も居るだろう。

 しかしあくまでSAOと言う世界の中だけにおいては、彼はGMたる茅場晶彦であり、同時に“聖騎士ヒースクリフ”なのだ。
 そして戦闘を始め、自身の完全な勝利に曇りが出てからも、彼の騎士たる部分はあくまで《神聖剣》の範囲内で勝つ事にこだわり続けた。当然茅場晶彦も初めはそのつもりだったし、ヒースクリフの邪魔をするつもりなど毛頭なかったため初めは問題無かったのだが……戦闘が長引くにつれ、《神聖剣》の範囲内で彼に勝つことは不可能なのではないかと、茅場晶彦の学者としての論理的思考を持つ部分に無意識下での疑念が生じる。その疑念は彼と打ち合うほどに強くなり、茅場は少々の反則技すら念頭に置き始めてしまった。
無論、無意識下であったそれはヒースクリフの動きを阻害するほどの物では無く、聖騎士としての意識は戦闘に集中し続けたが、膨れ上がった疑念と、何より茅場自身が持つ敗北を良しとしない性格が、ヒースクリフに“ほんの少し”の反則を許してしまった。

 それが《足技》である。

 本来、自分では無く相手の十八番であるそのスキルを、一応全てのスキルをマスターさせてあるヒースクリフに、茅場は使わせてしまったのだ。
無論、完全に不意を突いたその奇襲は成功し、聖騎士は勝利する……はずだった。

 それが、何故だろう。
完璧な、絶対に防げないはずの一撃は、彼の右手首より少し下、腕の部分の浴衣の生地に食い込んだ所で強制的に停止させられていた。
彼が、何かを呟く。

「これじゃ、(かせ)じゃねぇか」
 何を、と思う間もなく、ヒースクリフは再び驚愕した。
彼の今の体勢は、右腕で自分の右腕が持つ剣を受け止め、得物である青龍偃月刀を持った左腕を地面ギリギリの所まで引いている。そしてその偃月刀の刃が、まるで深い森の様な、濃厚な深緑色の光を帯びていたからだ。

 反射的に、左腕に持った十字盾を引き戻そうとして、気付く。身体が、動かない。
 《スキル硬直》と言う、全てのプレイヤーに平等に与えられる。比較的短く設定してある《神聖剣》であっても、僅かながらには生じる決定的な、隙。

 偃月刀が振り上げられ、左腕が、二の腕から切断された。
衝撃で一歩後ろに下がる。タイミング良く硬直が解けたが……些か遅すぎた。
連撃が、始まる。

「阿ァァァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア…………!!!」

 切り上げ、切り上げ、振り下ろし、切り上げ……

 薙刀と言う武器スキルでありながら、有り得ない様な連撃が次から次へと繰り出され、ヒースクリフは残った右手に持った十字剣を使ってそれらを逸らし、或いは回避する。

 何が来るかなど分かっている。そもそもあの体勢から放てるスキルは、薙刀の中では一つだけ。
使いこなせる者など居ないと思いつつも、カウンターとしてデザインした、薙刀最強の技の一つ。

薙刀 最上位重連撃技 戦神

 再び振り下ろし、突きからの五回転切り。

 しかし幾ら何が来るか分かっていたとしても、初めの時点で自分は彼の技の間合いに接近し過ぎて居たのだ。むしろ初めの一撃で切り捨てられなかっただけマシ。
パリィによる硬直も限界。この流れだと最後の一撃は……

『避けられぬだろうな……』
 もしかすると、《神聖剣》のスキルを捨て、相手の十八番に頼るなどと言う無粋な手を使った時点で、こうなる事は決まっていたのかもしれない。
自分が負けることなど、想像したことも無かったし、一度も良しとはしなかった。しかし生まれて初めての敗北が、自らの作った世界でならば……

──否──

 そう。自らの作った世界だ。
その世界においては、ヒースクリフは最強だった、最強でなければならない。この世界を作り上げた、夢見続けた自分が、聖騎士ヒースクリフを最強の座から下ろす等……断じて否!

「アアァァァァァァァ……!!!」
「……むん!」
 下がり気味になり、後ろへ反らされていた体勢を前傾型に無理矢理戻し、回転切り最後の五発目を受け止めた瞬間それまで下がる事に徹していた足を叱咤して前へと出る力を込める。
互いに技は刺突。間合いで勝る薙刀に勝ちうるかは怪しい。だが、先に身体を打ち出せれば、戦神は刺突の直前に一瞬の硬直がある。そこに……跳び込む!

「ふっ!!」
「オッ、羅アアアアアアァァァァァァァッッ!!!!」
 互いに最後の一撃が、尖端をぶつけ合う事無く交錯し──



──鋼鉄の城に、二つの爆砕音が木霊した。 
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