MUV-LUV/THE THIRD LEADER(旧題:遠田巧の挑戦)
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閑話Ⅱ 岩沢慎二という男
⑮閑話Ⅱ 岩沢慎二という男
日本帝国に存在する兵器メーカーは主に富嶽重工、光菱重工、河崎重工、遠田技研の四社であり、その他は各メーカーの下請けまたは子会社である。現状で遠田技研は戦術機開発に乗り遅れており、一般的に言って帝国の戦術機開発は三社が独占状態であると言える。実際にこれまで開発されてきたF-4J<撃震>、F-4J改<瑞鶴>、F-15J<陽炎>も現在開発されている純国産新型戦術機も三社の共同開発である。
しかしこの三社の中でも力関係はある。第一が富嶽重工。富嶽重工は大戦時代から主に航空兵器の開発に秀で、貧困状態と言っていい状態の帝国にあって良質で安価な戦闘機、爆撃機を開発してきたことで兵器メーカーとして確たる地位を築いた。その技術力、人材、資金力は帝国の中ではトップクラスで国防省からの信頼も厚い。
第二に光菱重工。光菱重工の歴史は三社の中で最も古く、大本の光菱財閥の原点は幕末にまで遡る。日本帝国は歴史上様々な政変があったが、五摂家や譜代武家に代表されるように歴史のある家柄の多くは経済、軍事、政治に強い影響力がある。大戦時代も軍部からの発注を受けて多くの兵器を製造しており、現在も変わらぬ政治力を持っている。
第三に河崎重工。河崎重工はもともと河崎製鉄の子会社であったが、大戦時代に兵器産業に乗り出してから親会社から供給される安価な鉄、合金などの材料を用いることで帝国で頭角を現した。蓄積された技術力がなかったために三番手に甘んじているが、近年では新しい合金やスーパーカーボンといった新素材の研究に力を入れており、三社共同の戦術機開発においては不可欠な存在になっている。
これらの企業は帝国の戦術機開発の中心的存在であり、それぞれの長所を活かし合いつつ米国の技術力に追いつこうとしている。様々な思惑はあるが、重役から下のスタッフまで優秀な人材が揃っており、帝国における兵器開発の中核を担っている。
しかし、物事には例外というものがある。
岩沢慎二。光菱重工の社長の二男であり、光菱財閥の創業一族の血を引くものでもある。彼の性質は傲慢な凡人と言えるだろう。光菱の家に生まれた彼は、自分が特別な存在であると信じて疑わなかった。能力云々の話ではなく、その身に流れる血は偉大な一族のものであり、庶民の些事など取るに足らぬと見下していた。それは周囲の環境にも問題があった。彼の思い通りにならないことなど無かった。金も権力もある。家族以外の全ては媚びへつらい、家族は彼を甘やかし続けた。
しかし、彼の人生は22歳の時に急激に変化する。すなわち徴兵である。光菱の血を引き、父親が大企業の社長ということもあって徴兵される年齢は遅かったが彼は二男。企業と家督は兄が継ぐ、子孫を残すという役割は妹ができる。彼が自身についてどう評価するかは関係なく、客観的に言って彼はただの『金持ちの息子』というだけの凡人だった。
家族から徴兵の話を聞いた時、彼は都合がいいと思った。兄は優秀で交渉力や経営力においては傲慢な慎二も認めるところである。そして長男である兄は今後この家の中心に立っていくだろう。慎二は二番手に甘んじることになる。地位も金も兄ものもの。ならば自分は違うステージで名を上げれば良い。衛士になって英雄にでもなれば、地位も金も女も思いのまま。兄に負けない力を得るだろう。そんな馬鹿馬鹿しい人生設計を彼は本気でしていた。
しかしそんな思惑は当たり前のように崩れる。訓練校は彼にとって地獄だった。教官から浴びせられる罵詈雑言、年下の仲間に向けられる同情や嫌悪の入り混じった見下した視線。金持ち次男の凡人、徴兵から逃げ続けてきた腰抜け、プライドだけ高い道化、それが周囲が持つ彼の評価だった。そんな状況は耐えがたかったが、家に逃げ帰ることはできない。そんなことをすれば親族は身内の恥として慎二を扱うだろう。家柄こそアイデンティティーだった慎二にとって、それを失うことは何よりも恐ろしかった。
そんな環境に最初こそ反発していた慎二だったが、それを覆す実力も気概も無いため、いつの頃からか卑屈に屈辱に耐える日常を送るようになり、金をばら撒くことで機嫌を取るようになってしまい、ついには『分隊の財布』とまで言われるようにまでなっていた。
だが彼はその待遇を良しと思っていたわけではない。保身のために媚びへつらっているものの、性根は元のままである。機会があれば復讐するつもりでいたのだ。
基礎訓練を二年かけて合格した慎二は、衛士適正試験も何とかパスした。適正は下の中、D評価である。実戦で戦う衛士には最低C評価は必要とされる。D評価は『長時間の実戦機動は難しいが乗れないことはない』という正に最低限のものである。慎二は自分を凡人に産んだ親を恨んだ。
そんな鬱屈した感情を持ったまま、戦術機教練が始まった。そこでも慎二の扱いは変わらない。あだ名は『七光』、または『落ちこぼれ』。そんな生活が続く中でそれまで耐えてきた慎二も限界を迎えようとしていた。仲間たちが気を配っていれば彼の様子がおかしいことに気づいただろうが、慎二を思いやる仲間はいなかった。そして事件は起きた。
それはシミュレーターによる基礎課程が終了し、実機での応用課程に入ったときのことである。訓練中に分隊長の戦術機がバランスを崩し倒れた。別にそれだけでは問題になることもなかったっが、眼の前で倒れこんだ分隊長を見た慎二に悪魔が囁いたのだ。いつも自分を虐げ、見下してきた分隊長が今、自分の目の前で無防備に倒れている。それを認識した瞬間に慎二は無意識に行動に出ていた。跳躍ユニットで機体を浮かし、その落下を利用して右主脚部を胸部のコックピットに叩きこんだのである。教官が即時に操縦管制を奪ったため暴走は一瞬だったが、被害にあった訓練兵は内部の強化外骨格ごと押しつぶされ圧死した。演習は即時停止、MPに逮捕された慎二は軍法会議にかけられた。
訓練兵とはいえ軍人である。仲間を故意に殺し戦術機を大破させた罪は重く、銃殺刑は確実だった。しかしここで光菱財閥の存在が状況を複雑にする。慎二は紛れもなく光菱の関係者であり、父親は光菱重工の社長。そして光菱重工は日本の戦術機開発に不可欠な存在だった。さらに光菱は帝国軍上層部とも結びつきが強いために軍としても公に罰することは難しかったのである。さらに当時、父の右腕として辣腕をふるっていた慎二の兄も東奔西走し何とか慎二の罪状を軽くしようと裏に表に交渉していた。
結果として会議では『演習時の戦術機接触による不慮の事故』ということで内々に処理された。慎二は実刑を受けることはなかったが衛士になることはもちろんできず、軍の不祥事の渦中にいた人物なので家に帰ることもできなかった。そのために軍で飼い殺しにされ、技術廠参与という立場で配属された。本来は兵器開発を担当する技術廠に知識人として様々な観点からの助言をする役職であるが、逆にいえばそれだけである。何の実権もなく毒にも薬にもならない存在であった。それからというもの慎二からは生気がなくなり、酒と女の自堕落な日々を過ごすことになった。
慎二が技術廠参与に任命されてから一年後。定例会議に出席しいつも通りぼんやりしながら会議を聞き流していると、気になる言葉が出てきた。
「先日の厚木基地で行われた米軍試験部隊との模擬戦闘の報告です。」
「米軍のF-15E<ストライク・イーグル>か…。厚木基地の大隊に中隊規模で圧勝するとは、相も変わらず米国の技術力は恐ろしいものがあるな。新型ではなくただの改修機でこの性能だ。また上層部から無茶な命令が増えそうだな。」
米国製の戦術機の性能を知り、技術廠にそれを超えるものを作れと命令する。いつものパターンである。
「新型の開発も急がねばならんな。だが陽炎の技術研究も終わり、試作機も完成間近だ。」
「はい。試験部隊の人員も考えなくてはなりませんね。」
「そうだな、やはり富士教導隊あたりが適当か。」
「はい。しかしいくつか問題があると思います。」
「ふむ?」
「富士教導隊は歴戦の凄腕衛士ですから、新型の能力を最大限発揮してくれると思います。ただ一方で新人や平凡な能力しか持たない衛士による試験も必要です。新型は帝国の主力となる予定ですから、戦術機操縦の経験の浅い訓練兵や大多数の平均的な能力の衛士の反応も重要となるかと思われます。」
「なるほどな…しかし人事は難しいぞ?試験機は多くないからな。無作為に選抜することはできん。何かあてがあるのか?」
「現在のところ数人ですが。新人からはこの衛士を推薦したいと思っています。この資料をご覧ください。」
「遠田巧訓練兵…厚木の訓練校か。………これはっ!?16歳で志願、半年で基礎訓練を終え戦術機教練課程も2カ月で終了、米軍との模擬戦にも参加しているのか!」
「しかも米軍機を一機落としています。小隊の連携が上手くいったためですが、彼個人の能力も素晴しいものがあります。また技術系の知識にも長け、整備士にアドバイスできるほどです。幼少から家の方で英才教育を受けていたようですね。厚木基地では有名人ですよ。」
「遠田巧…遠田…そうか、遠田技研の所の息子か。」
「はい。かなり色々な意味で特殊な人材ですが才能に疑いはありません。新人で戦術機の能力を引き出すという点では適任かと思います。」
その話を聞いていた慎二は久しく感じていなかった激情に駆られていた。
(遠田技研?あの成り上がり共か…)
遠田技研という歴史の浅い成り上がりの息子。本来自分などとは比べ物にならないほど格の低い存在のはず。それにも関わらず運や才能に恵まれ、自分が手に入れられなかったものをすべて持っている。若くして衛士として注目を浴び、新型の開発衛士にすら推薦されている。
何故自分ではないのか。
何故自分はこんなところで腐っているのか。
何故こいつらは自分に注目しないのか。
激情の正体は嫉妬だった。光菱の自分が落ちぶれ遠田の巧が持て囃されるのが我慢できなかったのだ。
(どうにかして追い落とせないものか…)
慎二は考える。自分が巧を追い落とすことはできない。自分の能力が低いことはもう嫌というほど分かっているし、自分はもう一生浮かび上がることはないだろう。ならば引きずり落とすしかない。しかし直接的に手を出すことはできない。もう一度問題を起こせば確実に処刑される。何の権限もない自分では正規の手段は取れない。
ならば間接的にはどうか。そこまで思い至ったとき一つの案が浮かんだ。
「私は反対です。」
その声に会議に参加してる誰もが耳を疑った。岩沢慎二は不祥事を起こして左遷されてきたお飾りであり、今まで一度も発言したことがない。そもそも参与として有意義な発言をする能力がないことは分かっている。そんな男が急に何を言い出すのか。
「それは何故かね?」
「私は光菱重工の関係者ですから業界の噂をよく耳にするのです。遠田技研は成り上がりの弱小企業という分を弁えず、戦術機開発に着手しようとしているとか。しかし単独で出来る訳もないので金のために帝国戦術機の情報を売ろうとしている売国奴共です。もしその遠田巧とやらを開発衛士に選べば、米国に新型情報が渡るでしょう。ああ、もしかしたらそのための英才教育なのではないのですか?もしそうなったときは責任を問われるのはあなた方ですよ?」
慎二の案は悪い噂を流して巧の評価を地に落とすことだった。
慎二の言ったことはすべてが嘘ではない。遠田技研が米国のノースロックと提携しようと画策していたことは真実で、巧の英才教育の最終的な目的は遠田技研が戦術機開発をする際にその経験や知識を会社に還元することである。
慎二は過去に父から聞いた話に嘘と脚色を混ぜることで違和感のないウソを作ったのである。
「そっ、それは本当かね?もしそうなら大問題だぞ!」
「向こうは断ったそうですがね、もし新型のデータを手土産にするなら話は変わってくるでしょう。」
「むぅ…では遠田巧を開発衛士に抜擢するというのはリスクがあるか…。」
「しかし彼の能力は惜しい。そこで私に一つ案があります。」
「ほう、君の意見というのは初めて聞くが言ってみるがいい。」
「はい。新型の試作機は出来ていても、その性能実験を確実にこなすためにはかなり時間がかかります。もちろん従来通りの方法で各項目をこなしていくことも大事ですが、それと同時に実戦試験をすることで制式採用までの期間を大幅に短縮できます。」
戦術機の開発には膨大な時間と労力がかかる。軍で要望仕様が決定され制式採用に至るまでには、研究や設計、部品の製造と組み立てだけでなく、試験機の運用試験というプロセスも必要になる。そして運用試験はすぐに済む場合もあれば、数年間にわたって行われることもある。特に改修ではなく一から新しい戦術機を作ろうとした場合は十年近くかかることすらある。実際に帝国は純国産の戦術機を作ろうと1982年以降尽力してきたが、未だ配備には至っていない。配備するためには基本性能の確認と安全性、整備性、実戦での運用等の試験と調整が不可欠なのである。
その視点のみで見れば慎二の案は合理的なものである。通常は安全な内地で運用試験をこなし、実戦に耐えられると確証を得たうえで実戦試験を行う。しかし実戦試験で全て項目をチェック出来れば運用試験に費やされる時間は大幅に短縮できる。
しかし実際にそんなことをしている国はない。性能実験をしていない機体はかなりの確率で動作不良を起こすのである。設計やシミュレーションの段階で検出できない問題はかなり多く、段階を踏んでいかなければ衛士の命がいくつあっても足りない。そして開発衛士を務められるほどの人材は貴重であり、大抵の場合エースや指揮官を務められるほどの熟練者である。
故に開発されたばかりの試験機を実戦に投入することはある意味人体実験と変わらない、非人道的な手法なのであり、全体から見ればマイナスなのである。
「有効な案ではある。しかしそんなことは出来んよ。そもそも上が認めないだろう。」
「技術廠にとって遠田巧が危険分子なのと同じように、各部署にも危険分子はいます。そういった奴らを集めて部隊を構成し大陸派遣部隊として送り込むんですよ。米国の影響力の少ない戦地に送り、情報を封鎖する。今であればインドあたりが良いと思います。そこで戦い続けさせるもよし、死んでしまえばそれもよし。危険分子を処分した上で実戦データを回収できます。」
慎二からしてみれば新型の配備などどうでも良いことであるが、巧の出世を阻み、あわよくばその存在そのものを消し去りたい。
そして技術廠の面々からすればそれは悪魔の誘いだった。人でなしのすることだと分かってはいても、長年の夢である純国産の新型を早く実戦配備にしたい。そして米国への技術流出の危険性を断つという名目もある。
その後様々な議論が行われたが、帝国軍のためという御題目によってこの案は通ることになったのである。
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