銀河英雄伝説~その海賊は銀河を駆け抜ける
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第九話 オーベルシュタイン
帝国暦 488年 8月31日 ガイエスブルク要塞 カルステン・キア
“真実も事実も必要ない。これが歴史です”
痺れたぜ、本当に痺れた。金槌で脳天ぶっ叩かれたみたいな感じだ。親っさんの言うとおりだぜ、真実とか事実とかそんなものはどうでも良いさ、これが歴史だ。そして俺達は海賊黒姫一家なんだ。何処までも頭領である親っさんに付いていく、それで十分じゃねえか。真実とか事実とか詰んねえ事をグダグダ悩む必要はねえ。
親っさんが金髪に向かって歩いていく。アンスバッハ、ブラウンシュバイク公の遺体を避けゆっくりとだ。副頭領も後をついていく、俺達も後に続いた。右手にはブラスターを持ったままだけど良いのかな。拙い様な気もするけど親っさんもブラスターを抜いたままだ。親っさんがしまうか、俺達にしまえと言うまでは持ってて良いんだろう。
親っさんが金髪から五メートルくらいの所で止まった。副頭領が親っさんの後ろで、俺達はさらにその後ろで止まる。周りの視線が痛いぜ。何か文句あんのか、金髪を救ったのは俺達だぞ、お前らじゃねえ。
「助けてくれた事、礼を言う。卿が居なければもう少しで私は死んでいただろう、危ない所だった」
結構素直だな。やっぱり命の恩人ってのは大きいよな。金髪よ、もっと言えよ、もっと。お前が俺達を褒めればそれだけ俺達の点数が上がるんだ。つまり報酬も上がる、そうだろう? お前の一言で一人頭五千帝国マルク増ぐらいの価値は有るかな?
「まだ終わっていません」
え、終わっていないの。親っさんの声に驚いたぜ。やべえな、気入れなおさないと、銭勘定の話は後だ。周囲もざわついている、親っさんがブラスターを抜いたままなのもその所為か。ブラスターのグリップを強く握る。身が引き締まる感じがした。
「どういうことだ、終わっていないとは」
金髪が訝しげに問いかけた。
「他にもリヒテンラーデ公の息がかかったと思われる人間が居る、そう言っています」
ざわめきが大きくなった。皆顔を見合わせている。そうだよな、この中に敵が居るって言うんだ、皆疑心暗鬼だろうぜ。金髪も顔を顰めてる。俺だって吃驚だ。
「誰だ、それは。確証が有るのだろうな」
おいおい金髪、そんな怖い顔で親っさんを睨むなよ。助けてくれて有難うって言った直後にこれだからな。そりゃお前にとっちゃ不本意なのは分かるよ。でもな、お前誠意が足りないよ。これじゃあ、友達はいないだろうな。可哀想な奴。
「総参謀長、パウル・フォン・オーベルシュタイン中将です」
どよめいたぜ、総参謀長って金髪の軍師だろう、それがリヒテンラーデ公のスパイ? あの死人みたいな顔色の悪い奴? 薄気味悪い奴だけどあいつが? 野郎を見たけど無表情に突っ立っている。こいつ、自分が疑われているって分かってるのか?
「馬鹿な、一体何を言っている。冗談でも言っているつもりか」
金髪が呆れた様な顔をして親っさんを見ている。まあそうだろうな、自分の軍師がスパイだなんてちょっと信じられないよな。その気持ちは良く分かるぜ、金髪。でも親っさんは“そうです、面白い冗談なんです。続きを聞いてください”って言って言葉を続けた。親っさん、頼むから笑うのは止めてください。俺、寒いです。
「閣下が元帥になられた頃ですが国務尚書であったリヒテンラーデ公には大きな不安が二つありました。一つはブラウンシュバイク、リッテンハイムの外戚が大きな勢力を持ち帝国の後継者が決まらない事。もう一つはローエングラム侯、閣下です」
「……私?」
金髪が眉を顰め親っさんが頷いた。周囲からはコソコソと私語が聞こえる。総参謀長の事を話しているのかな、それとも他の事か。連中、チラッ、チラッって親っさんを見ている。
「二十歳の元帥、このままいけば何処まで行くのか? もしかすると簒奪を考えるのではないか……。そう危惧するリヒテンラーデ公を閣下はさらに不安にさせる事をしました……」
「何だ、それは」
あれ、なんか楽しそうだな。金髪ってこういうの好きなんだ。でもなあ、お前何時まで楽しめるか疑問だぞ。大体こういうのって最後は引き攣って終わりなんだ。
「下級貴族、平民出身の提督を抜擢し正規艦隊司令官にした事です。リヒテンラーデ公にとっては閣下が下級貴族、平民を統合し新たな勢力を作ろうとしているように見えた。そしてカストロプの動乱、キルヒアイス提督が僅か十日で鎮圧しています。リヒテンラーデ公の不安はさらに大きくなったでしょう。否定できますか、閣下」
「……いや、否定はしない」
金髪が呟いた。何か考えてるな、昔の事を思いかえしてるのか? 金髪の配下も皆考え込んでいる、話している奴は居ない。
「そんな時、オーベルシュタイン総参謀長がイゼルローン要塞から味方を見捨てて敵前逃亡してきた。リヒテンラーデ公は総参謀長に閣下の元に行くように命じた……」
「馬鹿な、そんな事は有り得ない……」
金髪は首を左右に振っている。
「初めて会った時、総参謀長は閣下に何を話しました?」
金髪が親っさんを見た。何だ、変な顔だな、迷っているのかな。そして少し間をおいてから話し始めた。
「……ゴールデンバウム王朝を憎んでいると」
また周囲がどよめいたぜ。おいおい、こんなところで言って良いのか? 俺達を信頼してるって事かな? まあ誰しも多かれ少なかれ帝国を憎んではいたさ、門閥貴族どもが好き勝手やってたからな。何とも思っていねえのは門閥貴族ぐらいのもんだったろう。
「やはりそうですか……。リヒテンラーデ公が最も知りたかった事でしょうね。閣下がそれをどう思っているか、どう反応するか……。そして閣下は総参謀長を受け入れた……」
「馬鹿な……」
金髪が呻き声を上げた。おい金髪、顔が強張ってるぞ、大丈夫か。それにしても半死人みたいな総参謀長は少しも動じてないな。何考えてるんだ、こいつ。本当に生きてるのか、本当は死んでるんじゃねえかって思うぜ。薄気味悪い奴だ。
「リヒテンラーデ公は閣下を排除する意思を固めたでしょうね。そしてその最初の機会が来ます。反乱軍による帝国領侵攻です」
「……」
「閣下、辺境に焦土戦術をと言ったのは誰です?」
「……オーベルシュタインだ」
親っさんが頷いた。
「閣下が辺境に焦土戦術を行っていれば辺境からは強い不満、いえ怨嗟の声が上がったでしょう。リヒテンラーデ公はそれを理由に閣下を排除しようとしたはずです」
「馬鹿な、閣下は反乱軍を破ったのだぞ、大勝利を得たのだ、それを排除などと」
オレンジ色の髪の毛の野郎が騒いでいる。こいつなんか親っさんに敵対的だよな。あ、親っさんが笑った。馬鹿野郎、親っさんを笑わせやがって、一度死んで来い。
「反乱軍に大きな打撃を与えれば有能ではあっても危険な指揮官など必要ない、そうでは有りませんか」
「……」
「反乱軍を打ち破るのが帝国を守る事なら国内の不満を宥めるのも帝国を守る事です。粛清か失脚か、どちらでも良かったでしょう。何より平民達にローエングラム侯は勝利のために辺境の住民を見殺しにした。侯は平民達を守る存在ではないと知らしめることが出来る。政治的には抹殺したのも同然ですよ、支持基盤を失うのですから」
彼方此方で呻き声が起きた。金髪も顔面を蒼白にしている。あの馬鹿なオレンジ色の髪の毛の野郎は何も言えずに身体を震わしていた。阿呆、そこでしばらく震えていろ。親っさんを怒らせた罰だ。黒姫の頭領を舐めるんじゃねえぞ。親っさんはな、お前らドンパチしか出来ねえ阿呆どもとは違うんだ。黙って聞いてろ。
「しかし、あの時は上手く行かなかった。私達の所為で辺境住民からはそれほど不満は上がらなかった。リヒテンラーデ公にとっては予想外だったでしょう。しかし、それが公にとって幸いした。皇帝陛下崩御、帝国は後継者の座を巡って争う事になった」
「……」
「リヒテンラーデ公はブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯に比べて武力を持たない。そこで閣下の武力と用兵家としての才能を必要とした。閣下を始末するのは内乱が終了した後、そう考えを変えたんです。そして閣下に共闘を持ちかけた」
「馬鹿な……」
呟く様な口調だ。いつもの金髪じゃねえな。明らかに弱っている、いや迷っているぜ。
「ヴェスターラントを見殺しにしろと言ったのは誰です」
親っさんの言葉に式場がどよめいた。
皆知らなかったようだな。となるとやっぱり金髪か総参謀長のどちらかだよな。しかし妙な野郎だよ、半死人の総参謀長は。表情なんて欠片も動かさねえ。周囲が皆奴の事を見てるのに何の反応も示さない……。
「……オーベルシュタインだ。私は迷っていた、まさかブラウンシュバイク公が攻撃時間を早めようとは……」
少し言い訳がましいが嘘じゃねえんだろう。実際どんな判断をしたかは分からねえけどな。見殺しにしたか、止めたか……。
「誰かがブラウンシュバイク公に通報したんでしょうね。閣下が軍をヴェスターラントに派遣するかもしれないと。或いは攻撃時刻を敢えて偽って閣下に報告したか……」
金髪が呻いている。いや呻いているのは金髪だけじゃない。皆呻いている、俺もだ。酷い話だ、上の人間を欺いて二百万人見殺しかよ。人間のする事じゃねえな。反吐が出るぜ。
「何故そうする必要が有ったか、もうお分かりでしょう。辺境の時と同じですよ。閣下を貶めるためです。失脚させる名目になる、ヴェスターラントの二百万人を見殺しにしたと……」
「……そうなのか、オーベルシュタイン」
押し殺した声だ、金髪が半死人の総参謀長を睨んでいる。野郎の腹の中は煮え繰り返っているだろう。だけど半死人は何の変化も示さなかった。
「私がリヒテンラーデ公のスパイだという証拠は有るのか、黒姫」
抑揚の無い声だ。前にも聞いたけどスゲエ嫌な気分になる。こんな時にこんな声を出すなんて一種の化け物だな。
「有りませんね。しかし貴方がリヒテンラーデ公のスパイではないという証拠は有りますか」
「……」
「お互いに証拠はない。そして状況証拠なら貴方は黒だ」
親っさんも半死人も互いに見詰め合ったまま視線を逸らさねえ。睨んでいるんじゃねえ、ただ相手を静かに見ている。そして周りの連中は皆沈黙している、金髪もだ……。声なんてかけられる雰囲気じゃねえ。睨みあってるなら“止めろ”って言えるさ。でもな、ただ静かに見ているんだ、静かなのにスゲエ空気が重い、胃が痛くなる。何時まで続くんだろう、少なくても三分は経ったはずだ、そう思った時だった。
「後はローエングラム侯にお任せします。総参謀長はスパイかもしれないし違うかもしれない。しかしどちらにしても彼は危険だ。閣下のお立場を悪くすることしかしていない」
ホッとしたよ、皆に分からねえように大きく息を吐いた。俺以外にも同じ事をした奴は居るだろうな。
皆が金髪を見ている。どういう判断をするかってところだな。上に立つ奴はいつもこうやって試されてる。楽じゃねえよな。
「オーベルシュタイン、何か言いたい事は有るか」
「有りません」
「……卿の身柄を拘束する。卿に疑いが有る以上それを放置する事は出来ぬ、詮議の場にて自らの無実を証明するが良かろう。なお、嫌疑が晴れるまでの間、外部との接触は禁じる」
ちょっと間が有ったな。金髪は怒っているんだろうが確信は持てないんだろう。野郎は平然としているからな。俺だって迷うところだ。ああいうのは遣り辛いよな。衛兵が二人来て総参謀長を連れていく。これまた全然抵抗しないんだよな、普通なら抵抗とか無実を訴えるとかすると思うんだが何も感じていないように歩いてる。妙な野郎だ。
オーベルシュタイン総参謀長が連れ去られ式場から居なくなると金髪が親っさんに声をかけた。
「卿は本当にオーベルシュタインがスパイだと思うか。彼に対しては腹立たしい思いは有る、しかし今一つ私は確信が持てないでいるのだが……」
「私も分かりません。ただオーベルシュタイン総参謀長に疑わしい点が有るのは事実です。良くお調べになるべきだと思います。そうでなければ軍内に不安が広がるでしょう」
金髪が“そうだな”と頷いている。
「彼が無実の場合はその用い方に気を付けて頂きたいと思います」
「と言うと」
「彼を遠ざけろとは言いません、有能な人物です、お傍に置くのも宜しいでしょう。ただ彼の危険性を理解したうえで用いて欲しいのです」
「……危険性か」
金髪が眉を寄せている。分かってるのかな、こいつ。
「彼の提案する作戦は味方を、弱者を切り捨て犠牲にする作戦であることが多いと思うのです」
「……焦土作戦とヴェスターラントか……」
金髪が呟くと親っさんが頷いた。
「それがいかに危険かはブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯の末路を見れば明らかでしょう。閣下は既に帝国軍最高司令官の地位にあります。帝国人二百五十億の人間が閣下の一挙手一投足に注目しているのです。特に閣下の基盤は軍に有り、将兵の殆どが平民だという事を忘れないでください。その事を忘れればあっという間に閣下の覇権は崩れると思います」
「卿の言う通りだな。私はもう少しでブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯と同じ運命を辿るところだったと言う訳か。彼らを愚かだなどと笑っていながら私自身の愚かさに気付かずにいた。恥じ入るばかりだ」
金髪が大きく頷いている。うん、こうして見ると金髪も中々だよな。自分の欠点を素直に認めて謝る、口で言うほど簡単な事じゃねえ。
それにしてもさっすが親っさんだぜ。帝国軍最高司令官に物を教えるなんてそうそう出来る事じゃねえ。周囲の連中も皆頷いている、感服したってところかな。普段海賊なんて蔑んでいるんだろうが、親っさんは帝文に合格してるんだぜ、お前らなんかよりずっと学が有るんだ。
話しも一段落した事だしそろそろ報酬の話に行きましょうよ、親っさん。俺もう待ちくたびれましたよ。最後の最後で大仕事をした事だし、金髪もたんまり弾んでくれるはず、楽しみだよな。
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