ソードアートオンライン 無邪気な暗殺者──Innocent Assassin──
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SAO
~絶望と悲哀の小夜曲~
圏内事件~殺人者~
シュミットは驚きの余り息も絶えだえになりながら、死神ローブの下から現れた二人のプレイヤーの顔を何度も交互に見返した。
グリセルダとグリムロックだとばかり思っていた死神の正体は、ヨルコとカインズだった。
しかし、この二人とてすでに死んでいることに変わりはない。カインズの死亡は伝え聞いただけだが、ヨルコのそれは――つい数時間前、自分の眼で確かに見たばかりなのだ。
窓の外から飛来した黒いダガーに貫かれ、街路に落下してその仮想体(アバター)を飛散させた。
やはり幽霊なのか、と一瞬ほんとうに気絶しそうになったが、顔を露わにする直前にヨルコが発した台詞が、危ういところでシュミットの意識を救った。
「ろ......ろく、おん......?」
喉から漏れた嗄れ声に答えるように、ヨルコはローブの懐から引き抜いた手をシュミットに示した。握られているのは、ライトグリーンに輝く八面柱型の結晶。
録音クリスタルだ。
幽霊が、アイテムを使って会話を録音などするはずはない。
つまりヨルコの、そしてカインズの死は偽装だったのだ。手口は想像もつかないが、二人は自分の《死》を演出することで存在しない復讐者を造り上げ、真に復讐されるべき三人目を追い詰めた。
そして恐怖に駆られた三人目の、罪を告白し懺悔を乞う声を記録した。すべては――遠い過去の、ひとつの殺人事件の真相を暴くための計画だった。
「............そう......だったのか............」
ついにことの真相に辿り着いたシュミットは、声ならぬ声で呟き、その場にぐたりと脱力した。
まんまと騙され、証拠まで抑えられたことへの怒りはなかった。
ただただ、ヨルコとカインズの執念――それに、グリセルダを慕う気持ちの深さへの驚嘆だけを感じていた。
「お前ら......そこまで、リーダーのことを............」
呟いた声に、カインズが静かに応じた。
「あんたも、だろう?」
「え......?」
「あんただって、リーダーを憎んでたわけじゃないんだろ? 指輪への執着はあっても、彼女への殺意まではなかった、それは本当なんだろう?」
「も......もちろんだ、本当だ、信じてくれ」
シュミットは顔を歪め、何度も首肯した。
戦力差で言えば、おそらくこの二人を合わせたよりも自分のほうが強いだろう。
しかしここで武器を抜き、二人の口を封じるといったような選択肢はまったく浮かんでこなかった。レッドプレイヤーに墜ちればもうギルドに、ひいては攻略組にいられなくなる、という気持ち以上に、ここでヨルコとカインズを殺せば、自分はもう二度と正気ではいられなくなるという確信があった。
だからシュミットは、まだ録音クリスタルが作動中なのを承知の上で、再び告白を繰り返した。
「オレがやったのは......宿屋の、リーダーの部屋に忍び込んでポータルの出口をセーブしたことだけだ。そりゃ......受け取った金で買ったレア武器と防具のおかげで、DDAの入団基準をクリアできたのは確かだけど......」
「メモの差出人に心当たりがない、っていうのは本当なの?」
ヨルコの厳しい声に、もう一度激しく頷く。
「い、今でもまったく解らないんだ。十人のメンバーのうち、オレとあんたら、リーダーとグリムロックを除いた三人の誰かのはずだけど......その後、一度も連絡してないし......あんたらは、目星をつけてないのか?」
シュミットの問いに、ヨルコは小さく首を横に振った。
「三人全員、ギルド解散後も《黄金林檎》と同じくらいの中堅ギルドに入って、普通に生活してるわ。レア装備やプレイヤーホーム買った人は一人もいない。いきなりステップアップしたのはあなただけよ、シュミット」
「............そうか......」
シュミットは呟き、下を向いた。
グリセルダが死んだのちに、部屋に届けられていた皮袋の中の金(コル)は、当時では想像もできないほどの大金だった。
それまでは指をくわえて見ているしかなかったオークションハウスの出品リストの天辺近くに並ぶ超高性能装備を、一気に全身ぶん揃えられたほどだったのだ。
あの金を遣わずにストレージに放置しておけるとは、凄まじいと言うしかない自制心だ。いや、それ以前に──
顔を上げ、シュミットは己の苦境も一瞬忘れて、胸中に生じた疑問を口にした。
「......で、でもよ。おかしいだろ......遣わないなら、なんでリーダーを殺してまで指輪を奪う必要があったんだ............?」
虚を突かれたように、ヨルコとカインズがやや上体を引いた。
アインクラッドでは、稼いだ金をストレージに貯め続けておくことのメリットはほぼ存在しない。
1コルの価値は、カーディナルシステムの緻密なドロップレート操作によって常に等価に保たれ、インフレもデフレも起こらないからだ。遣われないコルに意味はない。つまり──
「てことは......あのメモの差出人は......」
必死に思考を回転させながら、シュミットはおぼろげに浮かびつつあった推測を口にしようとした。
しかし、意識を集中しすぎていたせいで、それに気付くのが遅れた。
「シュ............!」
目の前のヨルコが掠れた声を漏らしたときには、背後から回り込んできたダガーが、すと、とプレートアーマーの喉部分の隙間に潜り込んでいた。
一瞬の驚愕から、最前線でそれなりに鍛えた対応力で立ち直り、シュミットは飛び退こうとした。
たとえ喉を切り裂かれても、この世界では即死はしない。
急所ゆえにダメージはやや大きいが、それでもシュミットの膨大な総HP量に比べれば微々たるものだ。
しかし──
体を反転させるより早く、両脚の感覚が切断され、シュミットはがしゃりと音を立てて地面に転がった。
HPゲージを、緑色に点滅する枠が囲っている。麻痺状態だ。壁戦士(タンク)として耐毒スキルを上げているのに、その防御を貫通するとは物凄いハイレベルの毒だ。いったい誰が──
「ワーン、ダウーン」
しゅうしゅうと擦過音の混ざる声が降ってきて、シュミットは必死に視線を上向けた。
鋭い鋲が打たれた黒革のブーツがまず見えた。同じく黒の、細身のパンツ。ぴったりと体に密着するようなスケイルメイルも黒。右手には、刀身が緑に濡れる細身のダガーを携え、左手はポケットに差し込んでいる。
そして頭は、頭陀袋のような黒いマスクに覆われていた。
眼の部分だけが丸く繰り抜かれ、そこから注がれる粘つくような視線を意識するのと同時に、シュミットの視界にプレイヤーカーソルが出現した。見慣れたグリーンではなく、鮮やかなオレンジ色が眼を射た。
「あっ......!」
背後で小さく悲鳴が聞こえ、視線を振り向けると、ヨルコとカインズを一まとめにして極細の剣で威嚇する、やや小柄なプレイヤーが見えた。
こちらも全身黒尽くめだが、革ではなくびっしりと襤褸切れのようなものが垂れ下がるギリースーツだ。
頭部までも覆うその襤褸の間から、暗い赤に光る両眼が見えた。右手に握るのは、ヨルコが持っている逆棘の剣と同じエストックだが、自ら血の色に発光するかのような地金の煌めきは圧倒的なスペックの高さを伝えてくる。
カーソルの色は同じくオレンジ。
この二人を、シュミットは知っていた。直接見たことがあるわけではない。
ギルド本部で回覧される、要注意プレイヤーリストの上位に全身のスケッチが載っていたのだ。
ある意味ではボスモンスター以上に攻略組の仇敵である、殺人(レッド)プレイヤーたち。
そのなかでも最大最凶のギルドで幹部を勤める男たちだ。シュミットを麻痺させたダガー使いが《ジョニー・ブラック》。ヨルコたちを押さえる針剣使いが《赤眼のザザ》。
ということは。まさか──あいつまでもが。
嘘だろう。やめてくれ。冗談じゃない。
というシュミットの内心の絶叫を裏切るように、じゃり、じゃり、と新たな靴音が聞こえた。
呆然と視線を振ったシュミットは、アインクラッドにおける最大の恐怖を体現するその姿を見開いた眼で捉えた。
膝上までを包む、つや消しの黒いポンチョ。目深に伏せられたフード。
だらりと垂れ下がる右手に握られるのは、まるで中華包丁のように四角く、血のように赤黒い刃を持つ大型のダガーだ。
「............《PoH》............」
シュミットの唇から漏れたひと言は、恐怖と絶望を映して激しくわなないてた。
そのユーモラスなプレイヤーネームに反して、氷のような冷酷さのみを放射する男は、シュミットのすぐ近くまで歩み寄ってくると短く命じた。
「ひっくり返せ」
即座にジョニー・ブラックのブーツのつま先が、うつ伏せに倒れるシュミットの腹の下にこじ入れられる。ごろりと上向けにされたシュミットの顔を真上から覗き込み、黒ポンチョの男は再び声を発した。
「woa......確かに、こいつはでっかい獲物だ。DDAの幹部様じゃないか」
張りのある艶やかな美声なのに、なぜかその声には深い異質さがまとわりついている。
フードに隠れて顔は見えないが、波打つ豊かな黒髪がぱさりと一房垂れ下がり、夜風にゆらりと靡いた。
己が絶体絶命の危地にあることを認識しながらも、シュミットは思考の半分で、なぜ、どうして、と疑問詞だけを繰り返していた。
なぜこいつらが、今この場所に出現するのだ。《ラフィン・コフィン》のトップスリーと言えば、恐怖の象徴であると同時に最大級のお尋ね者であり、こんな下層のフィールドを理由もなくうろついてるはずがない。
つまりこの三人は、シュミットがここに居ることを知ったうえで襲ってきた、ということになる。
だがそれも間尺に合わない。DDAの人間には行き先を言わずに出てきたし、ヨルコとカインズが情報を流すはずもない。
そもそも、彼らは二人とも《赤眼のザザ》の針剣に威嚇され、血の気を失っている。偶然、こいつらの配下が近くのフィールドに居てシュミットたちを見かけ、上に連絡したのだとしても、出現があまりにも早過ぎる。
なんでこんなことに。何らかの事情があってこの三人が偶然この層に居合わせたという、万にひとつの巨大な不運なのか? それとも──この偶然こそが、死んだグリセルダの復讐なのか......?
丸太のように転がったまま、縺れた思考を彷徨わせるシュミットを見下ろして、PoHが小さく首を傾げた。
「さて......、イッツ・ショウ・タイム、と行きたいとこだが......どうやって遊んだもんかね」
「あれ、あれ行きましょうよヘッド」
即座にジョニー・ブラックがしゅうしゅうと甲高い声を出した。
「《殺し合って、生き残った奴だけ助けてやるぜ》ゲーム。まあ、この三人だと、ちょっとハンデつけなきゃっすけど」
「ンなこと言って、お前このあいだ結局残った奴も殺したろうがよ」
「あ、あーっ! 今それ言っちゃゲームにならないっすよヘッドぉ!」
緊張感のない、しかしおぞましいやり取りに、ザザがエストックを掲げたままヒャッヒャッと笑った。
ここにきて、ようやく現実的な恐怖と絶望が背筋を這い登ってきて、シュミットは思わず目を瞑った。
生き残るためにひたすら強化したステータスも装備も、この連中の前には無意味だ。
こいつらはもうすぐ食前酒めいた戯言を打ち切り、それぞれの武器を振りかざすだろう。ことにPoHの持つ大型ダガー《友切包丁(メイトチョッパー)》は、現時点での最高レベルの鍛冶職人が作成できる最高級の武器を上回る性能を持つモンスタードロップ、いわゆる《魔剣》だ。
シュミットが着込む分厚いプレートアーマーの防御をも容易く抜いてくるはずだ。
──グリセルダ。グリムロック。
これがあんた達の復讐だというなら、オレがここで死ぬのは仕方ないのかもしれない。しかしなぜヨルコやカインズを巻き添えにするんだ。あんた達を殺した真犯人を暴くために、とてつもない労力をつぎ込んできた彼らまで。なぜ──
シュミットが、絶望に彩られた思考を泡のように弾けさせた、その時。
「う~ん。さすがにそれは困るかな」
何の気負いもなく、緊張感の欠片もない、むしろのんびりとした空気を纏った言葉がいきなり、驚くほどの至近距離から聞こえてきた、子供の声。
気付けなかった。
その小さな影は、樹の影に隠れていた訳でも背後から忍び寄ってきた訳でもない。
恐らく、この広いアインクラッドの中でも十の指に入るほどの殺人者の前に平然と、一人で、夜の闇を思い出させる瞳がある顔を同色のマフラーに埋めさせ。
立っていた。
暗がりで見えなかったとか、気がつかなかったとか、そんな次元ではない。確かに一瞬前まで誰もいなかった。だが、たった一度瞬きした瞬間、そこに少年は立っていたのだ。
同時にシュミットの体が地面に貼り付けられたかのように動かなくなった。
動きが鈍ったとかの話ではない。たとえ麻痺していても、腕くらいは動かせる。
ここにきて、ようやくシュミットは悟った。昼間見たとき、普通の子供だな、とシュミットは思った、思ってしまった。
ちがうのだ。
そんなことを思うことがおかしいのだ。
なぜならその少年はアインクラッド史上最凶の殺人者なのだから。
後書き
なべさん「始まりました!そーどあーとがき☆おんらいん!!」
レン「いよいよ圏内事件もラストスパートだねぇー」
なべさん「ああ、本当に長かった!やっと新しい編も近いよ」
レン「ほいほーい、それではお便り紹介コーナー行っちゃうよ♪」
なべさん「まずは霊獣さんからのお便りです」
レン「最近ユウキねーちゃんが空気になってるとゆーことだね」
なべさん「……………………………………………次」
レン「はいはい♪……んじゃ、次は月影さんから」
なべさん「何々?」
レン「第三者視点からの見方は珍しいってさ」
なべさん「ああ、まー確かにね。いっつもレン視点だからねえ」
レン「そー言えばそーだね。何で?」
なべさん「んー、単純に他人目線が苦手なだけかな♪」
レン「……………………………」
なべさん「……………………………」
レン「はい、お便り、感想を送ってきてくださいねー(棒)」
──To be continued──
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