ドリトル先生の長崎での出会い
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第十一幕その三
「明王で一番強くて位の高い不動明王はね」
「あの有名な仏様だね」
「実際に怒ったお顔でね」
「後ろに燃え盛る火を背負った」
「物凄く強くてね」
「あらゆる魔を降すんだよね」
「あの仏様はヒンズー教ではシヴァ神なんだ」
この神様だというのです。
「不動明王の梵語での呼び方はアカラナータっていうけれどね」
「仏教って元々インドの宗教だしね」
「お釈迦様がはじめた」
「それであっちじゃヒンズー教の一派になってるね」
「そうなっているね」
「そうだけれどね」
皆にさらにお話します。
「アカラナータってシヴァ神の別名なんだ」
「へえ、そうなんだ」
「不動明王てシヴァ神だったんだ」
「そうだったんだ」
「そうなんだ、明王は仏の戦う姿というお話もあって」
仏教にはというのです。
「不動明王は大日如来の憤怒した姿とも言われていてね」
「シヴァ神とも言われている」
「そう考えると凄い仏様ね」
「道理で強い筈だよ」
「あの仏様はね」
「そう、そしてね」
先生はミルクティーを飲みながらお話します。
「ガネーシャ神はシヴァ神の息子さんだよ」
「へえ、そうなんだ」
「それはまた縁だね」
「面白いね」
「そんな関係だったんだ」
「太郎は知らなかったけれど」
それでもというのです。
「そうした間柄なんだ」
「成程ね」
「インドから日本に来て」
「仏教にも入ってね」
「そうした風になってるのね」
「そうなんだ、お話していてこれはと思ったよ」
先生としてはというのです。
「宗教のお話をしてね」
「神様と仏様」
「そしてガネーシャ神とシヴァ神のこともあって」
「明王んのお話もして」
「何かとだね」
「神仏を感じたよ、やはりね」
先生は神妙なお顔になって言いました。
「神仏は存在するよ」
「この世にね」
「だからこうした時にお話にも出るね」
「そして意識するね」
「そうだね」
「そうなるよ、あと団長さんが信仰心深いということも」
このこともというのです。
「わかったよ」
「仏像さんに手を合わせる位ね」
「そこまでだね」
「信仰心があるね」
「そうした人だね」
「本当に何も信仰もない人は」
先生は今度はお顔を曇らせて言いました。
「間違えやすいね」
「悪いことを平気でしたり」
「おかしな考えに至ったりね」
「そうなったりしてね」
「間違えるね」
「うん、そこに倫理が備わらないから」
だからだというのです。
「そうなりやすいね」
「宗教って信仰を通じてね」
そしてと言うトートーでした。
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