ドリトル先生の長崎での出会い
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第十幕その八
「絶対にそうだったよ、しかし」
「しかし?」
「しかしっていうと?」
「うん、あの人は」
着物の若い女の人を見て言いました、見れば見る程蝶々さんを思い出させる雰囲気なのが印象的です。
「教会にいてもただ見回っていて」
「あっ、お祈りしていないね」
「そうだね」
「何かを感じ取っている様な」
「そうした風だね」
「うん、不思議とね」
それこそというのです。
「そうした感じだね」
「そうだね」
「キリスト教徒じゃないね」
「そんな感じがするね」
「あの人は」
「日本はキリスト教徒じゃなくてもね」
それでもというのです。
「教会に行くしね」
「仏教徒でもね」
「逆にキリスト教徒でもお寺行くし」
「神社にも行くし」
「天理教だってね」
「そうしたお国柄でね」
そうであってというのです。
「普通にね」
「仏教徒でも教会お参りするし」
「神父さんや牧師さんも言わないし」
「それが普通だから」
「お坊さんも神主さんもね」
「お互いの祭事を楽しんだりするし」
「お寺の人達が家族でクリスマスお祝いしても」
先生は笑って言いました。
「悪くないしね」
「お盆もお正月もお祝いするし」
「そうだしね」
「だったらいいよね」
「日本ではね」
「そうだよ、そしてね」
先生はさらに言いました。
「この天主堂は観光地でもあるし」
「尚更だね」
「誰が来てもいいね」
「そうだね」
「そうだよ、そしてね」
そのうえでというのでした。
「あの人も何かありそうだね」
「あの白人の人と同じで」
「それを感じるね」
「どうもね」
「根拠はないけれど」
「根拠は後でわかったりする時があるね」
そうだというのです。
「そうだね」
「その時わからなくてもね」
「実はあった」
「そうだってことがね」
「うん、若しかして本当に」
先生はこうも思いました。
「蝶々さんと中尉の因縁がね」
「蝶々夫人で描かれた」
「それがだね」
「今また蘇るかも知れない」
「そうかも知れないんだね」
「そしてそれは繰り返されるんじゃなくて」
そうでなくというのです。
「今度は幸せになる」
「あの時の過ちが正されて」
「そうしてだね」
「そのうえでだね」
「今度こそ二人が結ばれる」
「そうなるかもね、悲劇は繰り返されるものじゃないよ」
そうだというのです。
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