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拝啓、あしながおじさん。 ~令和日本のジュディ・アボットより~

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第2章 高校2年生
  冬休みin東京 ①

 ――そして、二学期終業式の日の午後。

「さやかちゃん、治樹さんたちによろしくね。よいお年を!」

「うん、ちゃんと伝えとくよ。愛美もよいお年を」

「さやかさん、治樹さんに連絡を下さるようお伝え下さいな」

「分かった。それも伝えとくから。っていうか珠莉、自分で伝えなよー」

 双葉寮のエントランスで、愛美と珠莉はさやかと別れた。さやかは電車で埼玉の実家に帰るけれど、二人には珠莉の実家から迎えの車が来ることになっているのだ。

「――あ、辺唐院さん。お迎えが来たみたいよ」

 寮母の晴美さんが、玄関前に停まった一台の高級リムジンに気がついて珠莉に声をかけた。

「あら、ホント。じゃあ愛美さん、行きましょうね」

「うん」

 運転席から降りてきたのは五十代~六十代くらいの穏やかそうな男の人で、珠莉の姿を認めると深々と彼女に頭を下げた。

「――珠莉お嬢様、旦那様と奥様のお言いつけどおりお迎えに上がりました。……そちらのお嬢さんは?」

「ありがとう、(ひら)(いずみ)。彼女は相川愛美さん。私のお友達よ」

「お嬢様のお友達でございましたか。これは失礼を致しました。わたくしは辺唐院家の執事兼運転手の平泉でございます。ささ、どうぞ後部座席にお乗り下さいませ」

「あ……、ありがとうございます。失礼します」

 愛美はちょっと緊張しながら、珠莉は悠然と車に乗り込んだ。

(わぁ……、すごく豪華な車。施設で空想してたリムジンの中ってこんな風になってたんだ)

 広々とした車内、ゆったりとした対面式のフカフカのシートは座り心地もバツグン。
 あの頃空想して楽しんでいた「リムジンに乗るお嬢様」が、今目の前にいる珠莉と重なって見える。

「……どうしましたの? 愛美さん」

 まじまじと物珍しく眺めていたら、珠莉と目が合ってしまった。首を傾げられて、愛美はちょっと気まずくなった。

「あ、ううん。施設にいた頃にね、ちょうど今みたいな状況を空想して遊んでたなぁって。珠莉ちゃん見てて思い出したの」

「あら、そうでしたの。愛美さんの空想好きは昔からでしたのね。ホント、作家になるために生まれてきたような人ね、あなたは」

「珠莉ちゃん……、それって褒めてる? (けな)してる?」

 珠莉のコメントはどちらとも取れる言い方だったため、愛美は念のため確かめた。

「もちろん褒めてるのよ。私は感心してるの。周りの意見に振り回されることなく自分のやりたいことに真っ直ぐなあなたが羨ましいのよ、私は」

「珠莉ちゃん……。ねえ、お父さんとお母さんにモデルになる夢の話してなかったんだよね?」

「ええ。話したところでどうせ反対されるのが目に見えてますもの」

「そっか。じゃあこの際、純也さんがいる前で話してみるのは? わたしからも彼にお願いしてみるから。珠莉ちゃんの味方してくれるように」

 愛美はここぞとばかりに珠莉を勇気づけた。〝あしながおじさん〟として愛美の夢を応援し、色々と尽力してくれている彼だ。多少なりとも自分の血を分けた姪の夢のためにも色々と根回しやバックアップをしてくれると思う。

「純也叔父さまねぇ……。そりゃあ、叔父さまが味方について下されば私も心強いですけれど」

「きっと大丈夫! 純也さんは夢のために努力してる人を絶対に見捨てないもん。わたしとかリョウちゃんの時みたいに」

 心配そうに眉をひそめた珠莉の背中を、愛美は優しくポンポン叩いた。いつもはキリッとしていて自信満々に見える彼女も、こういう時は小さく弱々しく見える。

「…………まぁ、お父さまはそれで折れて下さるかもしれないけれど。問題はお母さまの方なのよ。あとお祖母さまも。あの人たちは世間体と見栄だけで生きているようなところがあるから。『モデルになりたいなんて(てい)(さい)が悪い』とか言われそうだわ」

「体裁とか、そんなこと関係ないよね。珠莉ちゃんのお母さんって、そもそも我が子に関心なさそう。純也さんも言ってたけど」

 千藤農園で一緒に過ごした夏休み、彼も自分の母親――珠莉の祖母だ――のことを同じように言っていて、愛美はすごく心を痛めたのだった。

「純也叔父さまも……? そうね、お母さまとお祖母さまは似た者同士だったから、お祖母さまに気に入られたのかもしれないわ。お祖母さまが望まれるままにお父さまと結婚して、私を産んだ。でも私が女の子だったから、関心を無くされたのね。……結局、私も祖母や両親の望み通り、婿を迎えるしかないのかしら、って思っていたの」

「……珠莉ちゃん、わたしもね、施設にいる頃には思ってたんだ。わたしはこの先、高校を出るまでここにいて、弟妹たちのお世話や施設のことをしながら学校に通って、卒業したらお金のためだけに働く人生が待ってるんだろうな、って。人生なんて自分の思い通りになるもんじゃないんだ、って。……でもね、〝あしながおじさん〟が援助してくれるって分かった時、園長先生に言われたの」

「……何て言われたんですの?」

「『あなたの人生なんだから、これからはあなたの夢のために生きなさい』って。私も田中さん……おじさまも、ずっと応援してるから、ってね。だから、珠莉ちゃんの人生だってそうだよ。わたしもさやかちゃんも、純也さんだって珠莉ちゃんの夢、応援してるから。珠莉ちゃんも自分の夢のために、自分の人生を生きなよ」

 その言葉を聞いて、珠莉の表情がパッと明るくなった。

「『自分の人生』……ね。そうかもしれないわ。たとえ親でも、個人の夢を理不尽に奪っていいはずがないもの。家のために自分のやりたいことを犠牲にするなんて、今の時代ナンセンスよね。――その園長先生、とてもいいことおっしゃったわ」

「でしょ? その言葉にわたしもすごく勇気づけられたの。だから、純也さんに相談してみよう? わたしも一緒にお願いしてあげるから」

「ええ、そうするわ。ありがとう、愛美さん。私、あなたを見直しましたわ」

「うん、一緒に頑張ろ! ……でも珠莉ちゃん、『見直した』はないんじゃない? わたし今までどんな人だと思われてたの?」

「あら失礼! 今のは失言でしたわね、ホホホホ」

 憎まれ口が飛び出すあたり、珠莉はすっかり普段の彼女に戻ったようで、愛美はちょっとだけムッとしたけれど安心した。

(よかった、この調子なら大丈夫そう)

「――あのですね、珠莉お嬢様。先ほどのお話ですが」

「なぁに、平泉?」

 これまで運転に専念していた執事が、二人の会話に割り込んできた。

「わたくしも純也坊っちゃまと同じく、珠莉お嬢様の味方でございますから。……旦那様と奥さまの手前、表立っては申し上げられませんが、そのことはぜひ憶えておいて頂きたく、僭越ながら口を挟ませて頂きました」

「平泉、あなた……」

 珠莉は目を丸くした。この執事もきっと両親に従順だから、彼らと同じく夢を反対しているのだと思っていたので、今の発言が意外だったからだろう。

「平泉さん、いつも珠莉ちゃんのご両親の前では〝すん〟としてるんだよ。ホントは珠莉ちゃんの背中を押してあげたいのに、健気だよねー」

 施設で育ち、自分の家がない愛美には使用人の苦労というものが想像できないけれど。小説家になった今、想像力を働かせることはできる。

「〝すん〟っていうのはよく分らないけど……。つまり、本心を隠していたということね。あなたも苦労しているのねぇ……。知らなかったわ」

「お気遣い、恐縮でございます。お嬢様はよいご友人に出会われましたね。高校にご入学される前よりお優しくなられました。――相川様、でございましたか」

「あ、愛美でいいですよ、平泉さん」

「では愛美様。先ほどの園長先生……でしたかのお言葉、わたくしも大変感服致しました。お嬢様のお話によれば、愛美様は施設のご出身であったことに少々コンプレックスを感じておられたとか。ですが、あなた様がお育ちになった施設は大変いいところだとお見受け致しました」 

 平泉さんの言い方は、愛美のことを不憫に思っているようには聞こえなかった。
 世の中には悲しいかな、施設出身者に対する偏見や同情的な見方をする人もまだまだ残っている。愛美もそのことは少なからず感じてきたけれど、彼や純也さん、さやかのような人たちもいるのだ。愛美のことを〝施設出身のかわいそうな子〟ではなく、一人の人間として見てくれる人も。

「ええ、すごくいいところです。園長先生も他の先生たちも、わたしたちのことを大事にして下さって。ただ優しいだけじゃなくて、社会に出てから困らないようにって、色んなこと教えて下さいました。ゴハンも美味しかったし、イベントごとも多かったし」

「さようでございますか。きっとその施設の方たちは、園に暮らす子供たちを心から愛しておられるのでしょうね。旦那様と奥様にも見習って頂きとうございます」

 彼の最後の言葉には、愛美にも分かるほどの怒りの感情が込められている。使用人にまでこんな言い方をされる辺唐院家ってどうなんだろう?

「……ねえ珠莉ちゃん、もしかして珠莉ちゃんのお父さんとお母さんって夫婦仲悪かったりする?」

「ええ。元々二人は政略結婚で、愛情なんてなかったの。だから夫婦なのに、お互いのことに興味がないのよ。私のあとに子供をつくらなかったのがその証拠ね。お母さまは私を産んだことで、ご自分の務めは終わったと思われたのよ」

「へぇ…………」

 それなのに、生まれたのは娘だった。元々義務だけで結婚した夫婦だから、跡継ぎにならない子(少なくとも辺唐院家では)には愛情を注げないのだ。

「なんか……、やっぱり珠莉ちゃんのお家って変だよね。時代錯誤っていうか」

「愛美さんもそう思うわよね。戦前じゃあるまいし、って」

 愛美は珠莉の話を聞いていたら、これってホントに令和の話? と首を傾げたくなる。彼女の家だけ昭和――それも第二次大戦前で時間が止まっているような感じだ。

「うん。だからこそ、余計に純也さんがリアルな今の時代の人だって思えるんだよね」

「純也坊っちゃまは独自の価値観や考えをお持ちの方でございますから。当家では『それがおかしい』と思われておりますが、わたくしは坊っちゃまの考え方こそ今の時代にふさわしいと存じております。お嬢様方が先ほどおっしゃいましたように、純也坊っちゃまを『おかしい』と思われる旦那様や奥様、大奥様の方がおかしいのでございます。……や、これは失礼を! このことは他言無用に願います」

「分かりました。わたしたちの胸の中だけに収めておきます。ね、珠莉ちゃん」 

「ええ。あなたの名誉と、純也叔父さまのお立場のためにも、このことは私たち三人だけの秘密ということにしておきましょう」

 愛美・珠莉・平泉さんの三人は、この場で紳士協定を結んだ。

 ――リムジンは首都高速に乗り、東京都心の超高層ビル群や東京タワーなどを追い越していく。
 車窓からの眺めを楽しむ余裕の出てきた愛美はちょっとした観光気分だった。

「……わぁ、東京タワーだ! あれが見えたら『東京に来たんだな』って思うよねー。わたしも去年、さやかちゃんと一緒に見たなぁ。――ねえ、珠莉ちゃんはスカイツリーとか東京タワーに上ったことある?」

「ええ、あるわよ。純也叔父さまに連れていって頂いたの。両親にお願いしてもダメだったから」

 珠莉の両親は子育てに消極的で、珠莉のしたいことにも関心がなかったのだろう。純也さんは珠莉のことを苦手だと言いつつも、やっぱり自分の姪ではあるので放っておけなかったのだ。

「そうなんだ。純也さん、何だかんだで面倒見いいもんね。わたしも『連れてって』ってお願いしたら連れて行ってくれるかな」

「あなたのお願いなら、純也叔父さまは何でも聞いてくれそうね。だってあなたは、叔父さまにとって特別な人だもの」

「……そうかな?」

「お嬢様、今のお言葉はどのような意味でございますか?」

 平泉さんが首を突っ込んできたので、愛美と珠莉は顔を見合わせた。果たして、愛美と純也さんが恋人同士だという事実を彼に打ち明けていいものか――。

「……あのね、平泉。愛美さんと純也叔父さまは……その」

「わたし、夏から純也さんとお付き合いしてるんです。でも、他の人には言わないで下さいね?」

「もちろんでございます、愛美様。わたくし、口は()とうございますので」

「よかった……」

 愛美はホッと胸を撫で下ろした。

 まだ自分が辺唐院家の、純也さんと珠莉を除いた人々からどう見られるかも分からないのに、そのうえ純也さんの恋人だと知られたら……。
 施設出身というだけで偏見に満ちた目で見られそうなのに、純也さんに財産目当てで近づいた他の女性たちと同じように思われたくない。自分は決してそうではないというプライドがあるから。

「わたし、純也さんから聞いてます。彼が今までお付き合いしてた女性たちはみなさん、打算で彼に近づいた人ばっかりだったって。でも、わたしは違います。わたしは純也さんというひとりの男性を、心から好きになったんです」

「さようでこざいますか。愛美様は純也坊っちゃまと……。坊っちゃまは女性を見る目がおありのようで、わたくしも安心致しました」

「愛美さん、よかったわねぇ。純也叔父さまに見初められた女性で、この平泉のおメガネに叶ったのはあなたが初めてなのよ」

「えっ、そうなの?」

「ええ。平泉は我が家の使用人の中でもっとも古株でね、おじいさまの代から辺唐院家に仕えてくれているのよ。いざとなったらおばあさまや両親にガツンと言えるのは、この平泉くらいだわ。だから、味方についてくれたことは大きいわよ」

「へぇ……、そうなんだ」

 ここへ来て、愛美と純也さんの恋愛に心強い味方ができた。

「――お嬢様、愛美様。間もなくお屋敷に到着致します」

 リムジンはいつの間にか、高級住宅地である白金台(しろかねだい)を走っていた。周りには豪邸がズラリと建ち並んでいる。

「うわー……、大きなお家ばっかり。珠莉ちゃんもこんなにスゴいところに住んでたんだね。わたし、なんかドキドキしてきちゃった。この服でおかしくないかな……?」

 立派なお屋敷に招かれたんだからと、愛美もこれでも精いっぱいおめかししてきたつもりだ。

「大丈夫よ、愛美さん。家に上がるだけならドレスコードなんて必要ないもの。堂々としていらっしゃい」

「……うん」

 ――やがてリムジンは辺唐院(てい)の立派なゲートをくぐり、お屋敷の玄関前に停まった。

「ささ、到着致しました。どうぞ、足元にお気をつけてお降り下さいませ」

「ありがとうございます」

 ――平泉さんに後部座席のドアを外から開けてもらい、愛美と珠莉はリムジンを降りた。
 外は寒かったので、二人ともすぐにコートを羽織る。

「お荷物は、わたくしがお部屋までお運び致しますね」

「はい、すみません。ありがとうございます。――あ、純也さんのクルマだ」

 愛美はカーポートに、見憶えのあるSRV車が停まっていることに気がついた。あれは、夏に純也さんが長野の千藤農園まで運転してきていた車に間違いない。
 高級外車がズラリと並んで停まっているカーポートの中で、この一台だけがかなり目立っている。「浮いている」と言った方が正しいだろうか。

「あら、ホントね。あんなお車に乗られるのは純也叔父さまくらいだわ。……ああ、ごめんなさいね、愛美さん。悪気はなかったのよ」

「ううん、気にしないで。ってことは、純也さんはもう帰ってきてるってことなのかな」

「そのようね。じゃあ、私たちもお家に入りましょう。――あ、靴は履いたままでよろしくてよ。我が家は欧米スタイルだから」

「へぇ……。うん、分かった」

 日本にもそういう生活スタイルを取り入れたお家があるなんて、愛美は驚いた。茗倫女子大付属の寮もそのスタイルだけれど、一般家庭でそうなっているところは初めて知った。

「――珠莉お嬢さま! お帰りなさいませ。お友達もご一緒でございますね。お嬢さまからご連絡を受けておりました」

 玄関ホールに一歩足を踏み入れると、そこは愛美のまったく知らなかった世界だった。
 床は大理石、天井には(きら)びやかなシャンデリア。おまけに、このスペースだけで愛美たちが今暮らしている〈双葉寮〉の三人部屋ほどの広さがある。
 出迎えてくれたのは、五十代の初めくらいの家政婦さんだった。

「ええ、ただいま。彼女が電話で伝えていた、相川愛美さん。同じ高校のお友だちよ」

「は……っ、初めまして。相川愛美です。この冬休みの間、お世話になります」

「愛美さま、よろしくお願い致します。(わたくし)、この家の家事一切を取り仕切っております、家政婦の高月(たかつき)(よし)()と申します。何かご要望がございましたら、何なりとお申し付け下さいませ。お部屋はお嬢さまのお部屋の隣にございます、ゲストルームをご用意させて頂いておりますので」

「はい、よろしくお願いします」

 話し方からしてキビキビした印象があり、仕事はバリバリできそうだけれど何だか冷たい感じのする女性である。

(……なんか怖そうな人だなぁ。同じお家の家政婦さんだった多恵さんとは全然違う)

 愛美は早くも、この家ではのんびり寛げなさそうだな……と思った。

「由乃さん、お父さまとお母さまはどちらに? 純也叔父さまはもうお着きになっているのかしら?」

「純也坊っちゃまはまだお見かけしておりませんが、旦那さまと奥さまはリビングにおいででこざいます。大奥さまも」

(〝大奥さま〟っていうと……、珠莉ちゃんのおばあさま。ってことは、純也さんのお母さまか……)

 子育てをすべて多恵さんに任せていた人だと、愛美は純也さんから聞いて知っている。孫娘である珠莉のことだって可愛がってくれているのかどうか。

(はぁ……、わたし、来るんじゃなかったかな……)

 純也さんと一緒に過ごせるから……と珠莉のお誘いを受けた愛美だったけれど、すでに後悔し始めていた。


   * * * *


「――お父さま、お母さま、おばあさま。ただいま帰りました」

 ここもまたバカみたいに広すぎるリビングで、珠莉が両親と祖母に帰省の挨拶をするのを、愛美はすぐ後ろで居心地悪く見ていた。

(う~ん……、わたしがこの場にいるの、ものすごく場違いな気がするな……)

「珠莉、おかえり」

「おかえりなさい、珠莉」

「珠莉ちゃん、おかえりなさい。今年はお友だちも一緒なのねぇ。あなたがお友だちをこの家に連れてきたのは初めてね」

 最初に挨拶を返したのが辺唐院グループの現会長である珠莉の父、二番目に挨拶を返したツンケンした女性が珠莉の母――この人も子育ては使用人に任せっきりだったと珠莉から聞いていた――、そして最後に挨拶を返し、この三人の中では唯一愛美に関心を示してくれた高齢女性が珠莉の父方の祖母だろう。

(珠莉ちゃん、おばあさまにはちゃんと可愛がってもらってるみたいだ)

「ええ、紹介しますわ。私の高校での同級生でルームメイトの相川愛美さんです。愛美さんはこの秋に作家としてプロデビューなさったばかりですのよ」

「あの、初めまして。相川愛美です。珠莉ちゃんとは一年生の頃から親しくさせて頂いてます。一応、作家としてデビューはしましたけど、まだまだ駆け出しで――」

「愛美さん、とおっしゃったわね。あなたのご両親は何をなさってる方?」

「はい……?」

 一生懸命自己紹介をしているのに、それを途中で遮った珠莉の母から飛んできた質問はよりにもよって、愛美の両親の職業についてだった。

(初対面の人に対して、それも娘の友だちに対してよ? 最初の質問がそれって、一体どういう神経してるの?)

 愛美はムッとしたけれど、両親の生前の職業を知らなかったわけではない。それに、施設で育ったことを恥とも思ったことはないので、正直に話すことにした。

「両親とも、山梨で小学校の教師をしていたそうです。でもわたしが物心つく前に亡くなって、わたしは中学卒業までは児童養護施設で育ちました」

「施設でお育ちになったの。あら、それは可哀そうね」

「こら、やめないか! 愛美さん、すまないね。ウチの珠莉と仲良くしてくれてありがとう」

 愛美のことを(あわ)れんでいるのか、(さげす)んでいるのか分からない口調で言う妻を、珠莉の父がたしなめた。

「……いえ、どういたしまして」

(お父さまの方が、お母さまより常識はありそう)

 珠莉の母はこうやって、娘が友人を連れてくるたびにマウントをとってきたのだろうか。何だかイヤな感じである。

「――お義姉(ねえ)さん、またそうやって珠莉の友だちにマウントとって喜んでらっしゃるんですか。それ、性格の悪さが露見するんでやめた方がいいですよ」

(……この声は、純也さん!)

 愛美が振り向くと、そこにはダウンジャケットを着込んだ純也さんが立っていた。その中もハイネックのニットにブラックデニムというカジュアルスタイルらしい。
 彼は手に何やら紙袋を提げている。中身はキレイにラッピングされた箱のようなものが二つ。

「……純也さん。あなたはまたそんな、みっともない格好でこの家の敷居を跨いだというの?」

「へぇー? 実家の敷居を跨ぐのに、いちいちドレスコードなんか必要なんですか」

 兄嫁にイヤミを言われた純也さんは、イヤミで返した。彼の言うことは正論だ。
 そして、愛美は知っている。彼の服装は一見カジュアルに見えて、身に着けているアイテム一つ一つはお金のかかったいいものばかりだということを。

「それよりも俺は、お義姉さんの大人げない振る舞いこそみっともないと思いますけどね。ここにいる愛美ちゃんは施設の育ちですけど、だから何だって言うんですか? 彼女は自立心が強くて、頭もよくてしっかりした女の子ですよ。両親がいないから、施設で育ったからって、そうやって蔑むのは人としてどうなんですかね」

 純也さんはここで、愛美の味方だという自分の立ち位置をハッキリと示してくれた。

「……なっ!? 何ですって!?」

「俺の言ったこと、何か間違ってますか? 申し訳ないですけど俺は、母さんやお義姉さんに味方するつもりはありませんから。兄さんも兄さんだよ。お義姉さんの暴走は兄さんにも責任あるんだからな」

(……スゴい、純也さん。こんなに正面切って、自分の身内にケンカ売ってる……)

 愛美はただただ、彼の堂々たる振る舞いに圧倒された。しかも彼は、「いざとなったら愛美の盾になる」という約束をちゃんと守ってくれた。

「これ以上彼女のことを悪く言ったら、俺はこの家と縁を切りますから。じゃ、俺はこれで。――愛美ちゃん、珠莉、上に行こう」

「はっ、ハイっ!」

「え、ええ……」

 愛美と珠莉は純也さんな後ろについて、二階へと続く立派な螺旋階段を上がっていく。 
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