拝啓、あしながおじさん。 ~令和日本のジュディ・アボットより~
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第2章 高校2年生
疑いから確信へ ②
「――さあ、愛美ちゃん。しっかりつかまってるんだよ」
朝食後、自前のオフロードバイクのエンジンをかけた純也さんは、スペアのヘルメットをかぶって後ろに乗った愛美にそう言った。
「はい! わぁ、ドキドキするな……」
好きな人と、バイクや自転車の二人乗りをする。愛美にはずっと憧れのシチュエーションだった。でも機会がないまま十七歳になって、今日初めての二人乗りが実現したのだ。
愛美はそっと両腕を伸ばして、純也さんの引き締まったお腹に回した。
「コレをできるのが、両想いになってからでよかったです。片想いの時だったら、気まずくてできなかったと思うから」
彼の背中にもたれかかるのは、恋人である愛美だけの特権だと思う。
「うん。じゃあ行こう!」
二人の乗ったバイクは勢いよく、そして安全運転で走り出す。
田舎道なので、途中で何度もガタガタ揺れたけれど、それさえも愛美にはテーマパークのアトラクションのようで楽しかった。
「――おかえり。ちゃんと出せた?」
「うん。付き合ってくれてありがと。次はどこに行くの?」
「せっかくバイクで来たんだし、ちょっと遠出しようか。途中で昼食を摂って、それから帰るとしよう」
純也さんは愛美の質問に答えてから、嬉しそうに笑った。
「? どうしたの?」
「そういや愛美ちゃん、僕への敬語はどこに行ったの? さっきから思いっきりため口で喋ってるけど」
「あ……、ゴメンなさい! 付き合ってるからってつい……。敬語に戻した方がいいですよね」
「ううん、いいよ。直さなくていい。これからは対等に話そう」
「うん……!」
二人の間から敬語がなくなったおかげで、また少し距離が縮まった気がした。
――ただ、「純也さんが〝あしながおじさん〟じゃないか」という愛美の疑惑は、まだ晴れないままだけれど……。
* * * *
「――ねえ、愛美ちゃん。例の屋根裏部屋、僕も見せてもらっていいかな?」
翌日。朝食を済ませた純也さんが、食後の片付けを手伝っていた愛美に訊ねた。……もっとも、このことを訊く相手は多恵さんなんじゃないだろうかと愛美は思ったのだけれど。
「多恵さん、純也さんがこう言ってるんですけど。どうします? いいですか?」
「ええ、構いませんよ。いつでもご覧になって下さいましな。あそこは元々坊っちゃんのお部屋でございますから」
「……だそうなんで、わたしはいいですよ。一緒に行きましょう」
――というわけで、愛美は純也さんと二人、屋根裏部屋へと足を踏み入れた。
「わぁ……、ここに来たの久しぶりだ。懐かしいなぁ」
彼は約二十年ぶりに入ったこの場所に、懐かしさで目を細める。
「純也さん、ここ天井が低いから頭をぶつけないように気をつけてね」
「うん、ありがとう。大丈夫だよ」
彼は百九十cmもある長身なので、梁かどこかに頭がつっかえないかと愛美はヒヤヒヤしていたのだ。
「ここに最後に来たの、中三の夏休みだったかな。ここにある飛行機の模型はその頃に作ってたものなんだよ」
「へぇ……、そうなんだ」
純也さんは部屋の隅に置かれていたグローブと野球のボールを手に取った。よく見たら、グローブは二人分ある。大きめのと、少し小さめのと。
「これも残ってたんだ。――昔はキャッチボールもよくやってたなぁ」
「キャッチボール? 誰とやってたの?」
純也さんは夏休みの間しかここには来ていなかったはず。この地域に住んでいた同年代の男の子と仲良くなっていたのだろうか? それとも……。
「中学に入ってからは善三さんともやったけど、それまでは多恵さんと。愛美ちゃん知ってた? 多恵さんって学生時代はソフトボール部員だったんだって」
「えっ、そうなの!? 知らなかった」
「うん。球技だけじゃなくて、スポーツ全般得意だったらしいよ」
「へぇ……」
今はふっくらしていて、おっとりしている多恵さんが……。昔は細くて運動ができたなんて、愛美には想像がつかない。
「――純也さん、今日は二人でキャッチボールしませんか? いいお天気だし」
せっかくいいものを見つけたんだから、愛美も純也さんともっと遊びたい。そう思って提案してみた。
「いいけど、愛美ちゃんってキャッチボールできるんだ?」
「うん! 施設出身者をなめないで!」
というわけで、今日は千藤家の広い庭の一画でキャッチボールをすることにした愛美と純也さん。外は真夏らしくカンカン照りだった。
「――愛美ちゃん、行くよー!」
「はーい!」
……パシッ! 純也さんが投げたボールは、見事に愛美のグローブに収まった。プロ野球選手ほどではないけれど、長身の彼の投球はそこそこ速い球だったはずなのに。
「うぉっ、スゴいなぁ」
「じゃあ、今度はこっちからねー」
愛美の投球も、小柄な女子にしてはなかなかのスピード。コントロールもいい。純也さんはそれを華麗にキャッチして見せた。
「愛美ちゃん、なかなかいい球投げるねー」
「うん、まあね。施設にいた頃、野球やってる子の相手してたから」
「なるほどー」
二人は大きめの声で会話をしながら、キャッチボールを続けていた。
「純也さんだってスゴいじゃないですか。まるで大谷選手みたい」
愛美は彼のことを、メジャーリーグで大活躍している日本人選手みたいだと感心した。
「それは褒めすぎだって、愛美ちゃん。彼の方が僕より身長も高いし、体型もガッシリしてるじゃないか」
「そうだけど、わたしには純也さんも彼とおんなじくらいカッコよく見えるから――、あれ?」
そう言った次の瞬間、愛美は目眩を起こした。
「大丈夫か、愛美ちゃん!」
倒れかけた彼女を、慌てて駆け付けた純也さんが抱き留めた。
「うん……、ありがとう。大丈夫。ちょっとクラーッとなっただけ」
「軽い熱中症かなぁ。ちょっと日陰で休憩しようか」
純也さんに支えてもらいながら、愛美は涼しい日陰へと移動した。
「――はい、これで水分補給しなよ。よく冷えてるから保冷剤代わりにもなるしね」
「あ……、ありがと」
愛美は冷たいスポーツドリンクのペットボトルを受け取ると、まずは火照った首筋に当てがった。それだけで、体にこもった熱と汗がスッと引いていく。
そしてキャップを開け、ゴクゴク飲んだ。
「ゴメンねー、愛美ちゃん! 目眩起こす前に、大人の俺が気づいてあげるべきだったよな」
「そんなことないよ。こんな暑い日にキャッチボールしようなんて言い出したわたしが悪いんだもん。っていうか純也さん、久しぶりに『俺』って言ったよね」
水分補給をして熱も冷めた愛美は、そういう話もできるくらい元気を取り戻していた。
「……えっ? あれ、そうだっけ?」
「うん、そうだよー。多分、珠莉ちゃんたちと一緒に原宿に行った日以来じゃないかな」
あの日以降、純也さんは「僕」としか言わなくなっていた。愛美と二人っきりだから、彼は素の自分を出せたのかもしれない。
「そっか……。いや、珠莉の前ではよく『俺』って使うんだけどな。愛美ちゃんが俺に敬語なしで話せるようになったのと同じかな、理由は」
それは年の差を超えて、心が通じ合ったからなのかなと愛美は思った。
「ね、純也さん。これからはもっともっと『俺』って言ってほしいな。珠莉ちゃんの前だけじゃなくて、わたしと一緒の時にも」
珠莉は彼の姪だから、いやでも素が出てしまうのかもしれない。でも、これからは〝彼女〟になった愛美にも飾らない彼自身を見せてほしい。
「うん、分かった。まあ、できる限り頑張ってみるよ」
「えーー? それってどっちなのー?」
愛美はブーイングしながらも、彼と一緒に過ごせる時間がすごく愛おしく感じていた。
「――これ以上外にいたら、俺まで熱中症になりそうだな。もうじき昼食の時間だし、そろそろ家の中に戻ろうか。午後は屋根裏部屋で読書でもして過ごすか。愛美ちゃんの宿題を見てあげてもいいし」
「残念でした。宿題はもう終わっちゃってるんで」
(……っていうか、純也さんがおじさまなら知ってるはずだよね。わたしが勉強できる子だって)
内心ではそう思いながら、愛美は澄まし顔で純也さんにそう言ってのけた。
****
『拝啓、あしながおじさん。
今年の夏も毎日暑いですね。お元気ですか? わたしは元気です。ちょっと熱中症にはなりかけましたけど……。
今日の午前中、千藤さんのお家の庭で、純也さんと二人でキャッチボールをしました。そのキッカケは、彼が「屋根裏部屋を久しぶりに見たい」って言ったからなんですけど。
おじさまは憶えてますか? 去年の夏休み、わたしが「この家の屋根裏部屋に野球ボールとグローブが置いてある」って手紙に書いたのを。実はそのグローブ、大小二つあったんです。
純也さんは昔、このお家に来てた頃によくキャッチボールをしてたんだそうです。相手はなんと多恵さん! 善三さんともやってたそうなんですけど。
何でも、多恵さんは学生時代、ソフトボール部に所属してたらしいんです。純也さん曰く、多恵さんも昔はスラッとしてて、スポーツ万能だったんだとか。今はあんなにふくよかな多恵さんがですよ? おじさま、信じられますか?
それはともかく。今日は朝からよく晴れてたので、わたしから「キャッチボールしよう」って純也さんに言いました。
日本人メジャーリーガーの大谷翔平選手並みの純也さんの投球をキャッチしたら、彼はすごく驚いてました。そして、わたしが投げ返した球の速さにも。「なかなかいい球投げるね」って。
〈わかば園〉にいた頃、わたしはよく弟たちの球技の練習に付き合ってあげてました。多分、それで上手くなったんじゃないかな。だからわたし、野球だけじゃなくてサッカーとかバスケットボールとか、球技全般が得意なんですよ、実は。って、おじさまはもうご存じですよね。
でも、ピーカンで暑い中ずっと屋外にいたので、わたしがちょっと具合が悪くなっちゃって。そこでキャッチボールは打ち切りになっちゃいました。
誘ったわたしの自業自得なのに、純也さんが責任感じちゃって。「大人の自分が先に気づいてあげるべきだったね」って。彼ってホントに優しい人!
そんなわけで、午後からは二人で屋根裏部屋で過ごしました。読書をしたり、彼にアドバイスをもらいながら新作の小説の下書きを書いたりして。途中、一度キッチンまで下りて行った純也さんが、多恵さんがわたしのために作ってくれた冷たいスムージーを持ってきてくれました。「具合の悪い時は、ちゃんと栄養を摂った方がいいから」って。
淡いオレンジ色のスムージーは、カボチャやニンジン、パプリカなどの野菜がベースになっていて、桃やバナナなどのフルーツも入っていて、それを冷たい牛乳と氷で割ったもので、甘くてスッキリした味で飲みやすかったです。
純也さんはわたしと二人でいる時、一人称が「僕」から「俺」になります。それは珠莉ちゃんと同じように、わたしにも心を許してくれたからだそうです。そしてわたしも、彼相手だと敬語抜きで話すことができるようになりました。
彼がここにいる間、屋根裏部屋はわたしと彼が人目を忍んで二人で過ごせるいいデート場所になりそうです。とはいっても、この家にいる人たちみんな、わたしが純也さんとお付き合いを始めたことを知ってるんですけどね(笑)でも、善三さんや天野さんの前でキスするわけにはいかないから……。
おじさま、もしかして今いたたまれない気持ちになってますか? ノロケ話はこれくらいにしておきますね。
話は変わりますけど、わたしが「球技が得意」という話が出たので、おじさまにお伝えしたいことがあるんです。
〈わかば園〉にいる、小谷涼介君っていう男の子をおじさまはご存じですか? わたしの二つ年下で、サッカーを頑張ってる子なんですけど。
リョウちゃんはご両親から(多分、お母さんからの方がひどいのかな)のネグレクトによって施設に来た子でした。施設に来てからは元気になりましたけど、五歳で〈わかば園〉に来た時にはゴハンもちゃんと食べさせてもらってなかったのかすごくガリガリで、わたしもショックでした。
その子のご両親は、園長先生にお説教されて心を入れ替えられたそうで、何度もリョウちゃんとの面会を望んでるんですけど。リョウちゃん本人がご両親のことをものすごく恨んでるので会いたがらないんです。
そんな彼も今年中学三年生になって、進路の問題にぶち当たっているはずです。わたしがそうだったみたいに。
彼の実のご両親はこれ幸いと、引き取るって言い出すかもしれない。でも、サッカーを続けたいリョウちゃんの気持ちなんてきっと考えてくれないとわたしは思うんです。
だから、おじさまお願い。施設を訪ねる時、園長先生と一緒に彼の様子を注意深く見てあげて下さい。そして、彼が困ってたらどうか味方になってあげて下さい。そして……、これはできればですけど。彼のために、いい里親になってくれそうな親切なご夫婦を探してみてはもらえないでしょうか?
リョウちゃんはわたしの大事な弟の一人です。わたしも彼のことは心配だけど、わたしにできることはこれくらいしかないから……。
長くなっちゃってごめんなさい。奨学金が受けられるかどうかの連絡はまだ来てません。そろそろだと思うんですけど……。ではおじさま、おやすみなさい。 かしこ
八月十五日 午後十時過ぎ 愛美』
****
――それから五日後、純也さんの休暇が終わり、彼は東京へ帰ることになった。
「愛美ちゃん、この夏は一緒に過ごせて楽しかったよ。残念だけど、僕は帰らないと」
純也さんは玄関先まで見送りに出た愛美に、名残惜しそうにそう言った。
「うん……。またデートしてくれるよね?」
「もちろんだよ。また連絡するからね」
「うん! わたしも、また連絡する。お仕事頑張ってね」
彼はこれから、また東京で忙しい日々を送ることになるのだ。恋人である自分からの連絡が、少しでも彼の癒しになってくれたら……と愛美は思う。
「うん、ありがとう。愛美ちゃんも頑張って夢を叶えなよ。僕も応援してる」
(そりゃそうだよね。だって、この人はそのためにわたしを……)
愛美の彼に対する疑念は、ほぼ確信に変わりつつあった。
考えてみたら、彼の言動はところどころ怪しかった。愛美はカンが鋭いので、それで「おかしい」と思わないわけがないのだ。
(まだ、本人に確かめなきゃいけないことはあるんだけど……)
「ありがと。……ねえ、純也さん」
気づいていないフリをしようと決めたものの、ついつい確かめてみたい衝動に駆られた愛美は思わず彼に呼びかけていた。
「ん? どうしたの、愛美ちゃん?」
(……ダメダメ! ここで確かめたら、わたしのせっかくの決意がムダになっちゃう!)
「あ……、ううん! 何でもない」
愛美はオーバーに首を振って、どうにかごまかした。
――こうして純也さんは帰っていき、愛美の夏休みも残りわずかとなった。
もう宿題は全部終わっているし、あとは横浜の寮に帰る準備をするだけだ。
――そんなある昼下がり。愛美のスマホに一本の電話がかかってきた。
「純也さん? ……じゃない! 学校の事務局からだ」
そういえば、奨学金の審査の結果は夏休み中に知らせてくれることになっていた。
「――はい、相川です」
『二年三組の相川愛美さんですね。こちらは茗桜女子大学付属高校の事務局です。申請してもらっていた奨学金の審査結果をお知らせします』
「あ……、はい! お願いします」
電話をかけてきたのは、学校の事務局で奨学金を担当している男性だった。声の感じからして、四十代から五十代と思われる。
『えー、審査を行いました結果、相川さんに奨学金を給付することが決定しました』
「えっ、本当ですか!? ありがとうございます!」
愛美は驚き、ホッとし、無事に審査を通してくれたことに感謝の言葉を述べた。
『はい。つきましては、相川さんが今後の学習においても、優秀な成績を修められることを私どもお祈りしております。しっかり頑張って下さい。では、失礼いたします』
「はい! 頑張ります。ご連絡ありがとうございました」
愛美は電話を切った後、ホッとして呟く。
「よかった……」
この一ヶ月半、心穏やかではいられなかった。純也さんと一緒にいる時でさえ、いつ連絡が来るかとソワソワしていたものである。
もちろん、奨学金を受けられることが決まったからといって、それがゴールではない。この先、ずっと優秀な成績を取り続ける必要がある。――けれど、元々成績優秀な愛美にはそれほど厳しいことではない。
「――あ、おじさまに報告しなきゃ! それとも、純也さんに連絡するのが先かな」
愛美は考えた。もしも純也さんと〝あしながおじさん〟が別人だったら、両方に知らせる必要があるけれど。
(もし同一人物だったら、わざわざ手紙で知らせる必要はなくなるってことだよね……)
愛美も本当はそうしたい。でも、それでは彼の方が不審がるかもしれない。
だって彼は、まさか愛美が自分の秘密に気づいているとは思っていないだろうから。それに、気づいていないフリをすると決めたのに、それでは意味がないし。
「とりあえず、先に純也さんに知らせて、その反応を見てからおじさまに手紙を書こう」
悩んだ末、最終的に愛美が出した結論は、これだった。
* * * *
――九月に入り、二学期が始まった。
「なんかあっという間だったねー、今年の夏休みは」
二学期初日の終礼が終わり、さやかが教室を出る前に大きく伸びをした。
「さやかちゃん、インターハイお疲れさま。残念だったねぇ……、せっかく頑張ってたのに」
「うん……。まあ、しょうがないよ。上には上がいたってことだもん。また来年があるし、秋にも大会あるからさ」
「そうだね」
――さやかは陸上競技のインターハイで、無事に予選は突破したものの、決勝では思うように記録が伸びずに六人中五位の成績に終わったのだ。
「っていうかさ愛美。ヘコんでる時に、電話で延々ノロケ話聞かされたあたしの身にもなってよねー」
「……ゴメン。嬉しくてつい」
愛美はさやかにペロッと舌を出して見せる。
「まぁねー、初めて彼氏ができて、しかも初キスまでして。その喜びを誰かに聞いてほしいってのは分からなくもないんだけどさ」
「うん、まぁ。――あ、あとね。奨学金受けられることになったんだ、わたし」
「へぇ、そうなんだ? よかったじゃん、愛美!」
「うん! もう純也さんとおじさまには報告してあるんだ」
――愛美は長野を離れる前に、純也さん宛てにこんなメッセージを送っていた。
『純也さん、嬉しい報告☆
学校の事務局の人から連絡があって、わたし、奨学金を受けられることになったの!(*≧∀≦*)
その分、学校では優秀な成績をキープしなきゃいけないけど、わたしなら大丈夫!
二学期からも頑張ります♪ もちろん、小説家になる夢もね。』
〝あしながおじさん〟にも、同じような文面の手紙を書き送った。
彼からはまだ返事が来ていないけれど、純也さんからはすぐに返信が来た。
『よかったね、愛美ちゃん。おめでとう!
僕も嬉しい☆ 田中さんもきっと喜んでくれてるよ。
ただ、ちょっと淋しいとは思ってるかもしれないけどね(^_^;)』
(――純也さん、心の声がダダ漏れ……)
この返信を見た時、彼が〝あしながおじさん〟の正体だと確信している愛美は苦笑いしたものだ。
やっぱり、自分が愛美のためにできることが減ってしまうのは、彼としても淋しいらしい。
「――そういえば、珠莉ちゃんは夏休み、どうだったの? 治樹さんには会えた?」
寮に帰る道すがら、愛美は珠莉に訊ねてみた。
「…………ええ。早めにグアムから帰国できたから、丸ノ内を一人で歩いていたら、スーツ姿の治樹さんにお会いできましたの」
「スーツ姿? ああ、就活か」
さやかは自分の兄の年齢を思い出して、納得した。治樹は大学四年生。ちょうど就活に追われている時期である。
「にしても、お兄ちゃんがスーツ姿……。想像つかないわ」
「……それはともかく! 私が話しかけたら、治樹さんも私のことを覚えていて下さって。『連絡先を交換して下さい』って言ったら、OKして下さったんですの!」
珠莉はさやかに咳払いした後、続きを一気にまくし立てた。よっぽど嬉しかったらしい。
「へぇ、意外だったなぁ。お兄ちゃんが珠莉と付き合う気になったなんて。もう愛美のことはふっ切れたってことかな?」
「うん、そうなんじゃないかな。治樹さんもやっと前に進む気になったんだよ、きっと」
愛美には純也さんという恋人ができた。珠莉と治樹さんにも、やっと春が訪れたということか。――あと残すはさやか一人だけだけれど……。
「――あ、ちょっと待ってて。郵便受け見てくるから」
もしかしたら、〝あしながおじさん〟からの返事が来ているかもしれない。そう思って、愛美は自分の郵便受けを開けてみたけれど――。
「来てないか……」
他に来る郵便物もないので、郵便受けの中は空っぽだった。
(今更反対する理由もないから、返事を下さらないのか。それとも……)
純也としてちゃんと「返事」を送ったから、〝あしながおじさん〟の返事は必要ないと思って出さないのか……。
愛美は後者のような気がしてならなかった。
* * * *
「――ねえ、珠莉ちゃん。純也さんのことで、ちょっと訊きたいことがあるんだけど」
愛美は部屋に戻ると、意を決して珠莉に声をかけた。
〝訊きたいこと〟とはもちろん、純也さんのこと。彼について訊ねるなら、彼の親戚である珠莉が一番の適任者だ。
「ええ、いいけれど。何ですの?」
「あのね、春に純也さんが寮に遊びに来た時のことなんだけど……」
あの日からずっと、珠莉と純也さんの力関係が微妙に変わったと愛美は感じていたのだ。
「わたしがインフルエンザで入院してたこと、ホントは純也さんに話してないよね? あの時は話を合わせてたみたいだけど」
「……ええ、話していないわ。だから私もあの時、おかしいなと思ったの。でも、何か事情がおありなんだと思って、とっさに話を合わせたのよ」
「やっぱり……」
(あの時の引っかかりの原因はコレだったんだ……)
愛美は合点がいった。あの時、彼女の様子がおかしかったのには、こういう事情があったらしい。
「それでね、私はピンときて、叔父さまを問いつめましたの。『愛美さんの保護者の〝おじさま〟って、純也叔父さまのことですわよね?』って。そしたら、叔父さまは渋々ですけれどお認めになりましたわ。『どうして分かったんだ?』って」
「そうだったんだ……」
珠莉は、叔父が愛美の〝あしながおじさん〟だということを知っていたのか……。
「だから珠莉ちゃん、あれからわたしに協力的になったんだね。ありがと」
「……愛美さんも、もしかして気づいていらっしゃるんですの? おじさまの正体に」
「うん。でもね、わたしは気づいてないフリをすることにしたの。だから純也さんの方から打ち明けてくれるまで、わたしからは訊かない」
彼は愛美を欺いていることを心苦しいと思っているだろうから。いつか良心の呵責で、打ち明けてくれる時がくるだろう。――彼はそういう人だから。
「そうですの。……まぁ、それがいいかもしれませんわね。お二人のためには」
「……うん、そうだね。珠莉ちゃん、ありがと」
愛美としては、苦しんでいる純也さんをこれ以上追い詰めるようなことはしたくなかったので、珠莉からそう言ってもらえてホッとした。
「叔父さまは、本当に分かってらっしゃらないのかしら? 愛美さんに正体を見破られていること」
「多分……ね。気づかないフリができるほど器用な人じゃないもん」
姪の珠莉よりも、恋人である愛美の方が彼の性格を熟知しているというのもおかしな話だけれど――。
「――それにしても、さやかちゃんは大変だね。二学期始まって早々、部活なんて。お昼ゴハンに間に合うように帰ってくるとは言ってたけど」
今この場に、さやかはいない。彼女が所属する陸上部はインターハイの反省会をやっているのだそう。
ミーティングだけなので練習があるわけではないけれど、二学期初日に集まらなければならないのは確かに大変である。
「その点、私たち文化部はいいですわよね。基本的に自由参加ですもの」
「うん」
文芸部も茶道部も一応、今日も活動はしているのだけれど。参加しているのはごく一部の部員だけだろう。
「……そういえば珠莉ちゃん。さやかちゃんにも話したの? 純也さんが、わたしの保護者の〝あしながおじさん〟だってこと」
「ええ、早い段階でお話ししてあるわ。でも、愛美さんご自身が気づかれるまでヒミツにしていましょうね、ということになったのよ」
「そうだったんだ……」
愛美は何だか、自分一人だけがのけ者にされたような気持ちになったけれど。それはきっと、親友二人の愛美への思いやり。彼女と純也さんの恋をそっと見守っていようという気遣いだったんだろう。
「――あ、もうすぐお昼のチャイム鳴るね。さやかちゃん、そろそろ帰ってくるかな」
キーンコーンカーンコーン ……
「ただいま! お腹すいたぁ! 二人とも、食堂行こう」
十二時のチャイムが鳴るのと、さやかが空腹を訴えながら部屋に飛び込んでくるのはほぼ同時だった――。
* * * *
それから一ヶ月。愛美たちの学校では体育祭や球技大会、文化祭などの大きな行事も終わり、二学期の中間テストを間近に控えていた。
そんなある日のこと――。
『――恐れ入ります。こちらは明見社文芸部の、〈イマジン〉編集部でございますが。相川愛美さんの携帯で間違いありませんでしょうか?』
休日の午後、さやかと珠莉と三人で、部屋でテスト勉強に励んでいた愛美のスマホに一本の電話がかかってきた。
「はい、相川ですけど。……ちょっとゴメン! 外すね」
愛美は電話に応対するために二人のルームメイトに断りを入れ、一旦自分の寝室に引っ込んだ。
「――あ、失礼しました。改めて、わたしが相川愛美です」
『この度は、〈イマジン〉の短編小説コンテストにご応募頂きましてありがとうございます。相川さんの選考結果をお伝えしたく、お電話を差し上げました』
「はい」
そういえば、そろそろ結果が出る頃だと愛美も思っていたのだ。
『厳正なる選考の結果ですね、相川さんの応募作が佳作に選ばれまして。〈イマジン〉の来月号に掲載されることが決まりました!』
「……えっ!? それホントですか?」
『はい、本当です。おめでとうございます! 相川さん、当誌から作家デビュー決定ですよ! これからも頑張って下さいね!』
「ホントなんですね!? わたしが……作家デビュー……。あの、ご連絡ありがとうございます! わたし、頑張ります! 失礼します」
興奮のあまり声が上ずって、心もち血圧も上がっているかもしれない。それでも何とか落ち着いて、愛美は通話を終えた。
「さやかちゃん、珠莉ちゃん! わたし――」
「聞こえてたよ、愛美。おめでとう!」
勉強スペースに戻ってきた彼女が口を開こうとすると、さやかがみなまで言わせずに喜びの言葉をかぶせて来た。
「愛美さん、デビュー決定おめでとう。やりましたわね」
「うんっ! 二人とも、ありがと!」
親友二人からの温かいお祝いの言葉に、愛美は胸がいっぱいになりながらお礼を言った。
「――そうだ愛美。このこと、おじさまに報告しなくていいの? おじさまも待ってるんじゃない?」
「……うん。そうだね」
さやかに訊ねられ、愛美は悩んだ。――この報告は、〝あしながおじさん〟と純也さんの両方にすべきなのか、それとも〝あしながおじさん〟だけにしてもいいのか?
(だって、結局は同じ人に報告してることになるんだもん)
両方に報告することは、愛美にしてみれば二度手間でしかない。けれど、どちらか一方だけに知らせれば、彼は「もしかして、自分の正体がバレているんじゃないか」と感づくかもしれない。
(どうしようかな……)
「愛美さん。純也叔父さまには私からお知らせしておきますわ。だから、あなたはおじさまにだけお知らせしたらどうかしら?」
悩む愛美に、珠莉が助け船を出してくれた。
「姪の私が知らせても、純也叔父さまは不思議に思われないわ。お二人とも回りくどいのが嫌いなのは分かっておりますけど、そうした方がいいと思うの」
そうすれば、純也さんからはきっと後からお祝いのメッセージが来るだろう。……珠莉はそう言うのだ。
「そうだね。珠莉ちゃん、ありがと。じゃあそうしようかな」
「あたしもそれでいいと思うよ。まどろっこしいけど、仕方ないよね」
「うん」
やっぱり、さやかも珠莉が言った通り、〝あしながおじさん〟の正体を知っているらしい。
「じゃあわたし、勉強が終わったらおじさまに手紙書くね」
「うん! そうと決まれば、早く勉強終わらせよ!」
この嬉しいニュースのおかげで、この後三人の勉強が捗ったのは言うまでもない。
****
『拝啓、あしながおじさん。
おじさま、ビッグニュースです! わたし、作家デビューが決まりました!
今日の午後、さやかちゃんと珠莉ちゃんと三人でテスト勉強をしてた時に、出版社の人から連絡が来たんです。わたしが応募した作品が、文芸誌の短編小説コンテストで佳作に選ばれた、って。その作品は、その文芸誌の来月号に掲載されるそうです!
この小説は、夏休みにわたしが書いた四作の中から純也さんが選んでくれた一作です。彼には本当に、感謝しかありません!
わたしとおじさま、そして純也さんの夢が早くも叶いました。しばらくは雑誌に短編が載るくらいですけど、いつかは単行本も出してもらえるように、わたし頑張ります! その時には、ぜひ買って下さいね。
短いですけど、今回はこのお知らせだけで失礼します。テストの結果、楽しみにしてて下さい。奨学生になったんですから、絶対に優秀な成績を取ってみせますよ!
十月十八日 作家デビュー決定の愛美』
****
「――よし、こんなモンでいいかな。純也さんには、珠莉ちゃんが知らせてくれるって言ってたし」
これまで純也さんのことをさんざん書いてきたのに、いきなりそれをやめてしまったら、〝あしながおじさん〟も首を捻るだろう。そして、勘繰るに違いない。「もしや、自分の正体がバレてしまったのでは?」と。
だから、これでいい。――愛美は一人頷いた。
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