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拝啓、あしながおじさん。 ~令和日本のジュディ・アボットより~

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第2章 高校2年生
  疑いから確信へ ①

 ――純也さんとの恋が実った夜。愛美は自分の部屋で、スマホのメッセージアプリでさやかにその嬉しい報告をしていた。


『さやかちゃん、わたし今日、純也さんに告白したの!
 そしたら純也さんからも告白されてね、お付き合いすることになったの~~!!!(≧▽≦)』


「……なにコレ。めっちゃノロケてるよ、わたし」

 打ち込んだメッセージを見て、自分で呆れて笑ってしまう。


『っていうか、純也さんはもうわたしと付き合ってるつもりだったって! 
 さやかちゃんの言ってた通りだったよ( ゜Д゜)』


 愛美は続けてこう送信した。二通とも、メッセージにはすぐに既読がついた。

 ――あの後、千藤家への帰り道に、純也さんが自身の想いを愛美に打ち明けてくれた。


   * * * *


『実はね、僕も迷ってたんだ。君に想いを伝えていいものかどうか』

『……えっ? どうしてですか?』

 愛美がその意味を訊ねると、純也さんは苦笑いしながら答えてくれた。

『さっき愛美ちゃんも言った通り、君とは十三歳も年が離れてるし、周りから「ロリコンだ」って思われるのも困るしね。まあ、珠莉の友達だからっていうのもあるけど。――あと、僕としてはもう、君とは付き合ってるつもりでいたし』 

『えぇっ!? いつから!?』

 最後の爆弾発言に、愛美はギョッとした。

『表参道で、連絡先を交換した時から……かな。君は気づいてなかったみたいだけど』

『…………はい。気づかなくてゴメンなさい』

 さやかに言われた通りだった。あれはやっぱり、「付き合ってほしい」という意思表示だったのだ!

『君が謝る必要はないよ。初恋だったんだろ? 気づかないのもムリないから。こんな回りくどい方法を取った僕が悪いんだ。もっとはっきり、自分の気持ちを伝えるべきだったんだよね』

『純也さん……』

『でも、愛美ちゃんの方が(いさぎよ)かったな。自分の気持ちをストレートにぶつけてくれたから』

『そんなこと……。ただ、他に伝え方が分かんなかっただけで』

『いやいや! だからね、僕も腹をくくったんだ。年齢差とか、姪の友達だとかそんなことはもう取っ払って、自分の気持ちに素直になろうって。なまじ恋愛経験が多いと、余計なことばっかり考えちゃうんだよね。だからもう、初めて恋した時の自分に戻ろうって』

 純也さんだってきっと、自分から女性を好きになったことはあるんだろう。それが身を結ばなかったとしても、好きになった時のトキメキはずっと忘れないはず。

『愛美ちゃん、ありがとう。僕の想いを受け止めてくれて。君は、僕がこれまで出会った中で、最高の女の子だよ。君とだったら、純粋に一人の男として恋愛を楽しめる気がするよ』

『はい。わたし、これだけは断言できますから。純也さんの家柄とか財産とか、わたしはまったく興味ないです。わたしが好きになったのは、純也さんご自身ですから!』

 愛美は胸を張って言いきった。
 お金なんて、生活していくのに必要な分さえあればそれで十分。彼は「人並みの生活」ができるように努力している人だ。たとえ将来お金持ちじゃなくなってしまったとしても、彼ならきっと(たくま)しく生きていけるだろう。

 そんな彼女に、純也さんはもう一度「ありがとう」と言った――。


   * * * *


 そんなやり取りを思い出しながら、愛美は幸せを噛みしめていた。
 すると、さやかからメッセージの返信が。


『やったね! 愛美、おめ~~☆\(^o^)/ 
っていうかノロケ? コレ聞かされたあたしはどうしたらいいワケ??(笑)』 


「さやかちゃん……、ゴメン!」

 文面からは、さやかが喜んでいるのか(これは間違いないと思うけれど)怒っているのか、はたまた困っているのか読み取れない。
 でも夏休み返上で寮に残って部活に励んでいる彼女には、ちょっと面白くなかったかも……と思ったり思わなかったり。

「あとで電話した方がいいかも」

 こういう時は文字だけのメッセージよりも、電話で生の反応を聞いた方が分かりやすい。

「――そういえば純也さん、まだ起きてるのかな」

 愛美はスマホで時刻を確認してみた。九時――、まだ寝るのには早い時間だ。
 帰ったら小説を読ませてほしい、と純也さんは言っていた。もしかしたら、起きて待っていてくれているかもしれない。
 辛口の批評はできれば聞きたくないけれど、「彼に自分の原稿を読んでもらえるんだ」という嬉しい気持ちもまぁなくもない。ので。

「緊張するけど、約束だし。早い方がいいもんね」

 愛美は書き上がっている四作分の短編小説の原稿を持って、リラックスウェアのまま部屋を出た。そして、純也さんのいる隣りの部屋のドアをノックする。

「はい?」

「あ……、愛美です。今おジャマして大丈夫ですか?」

「大丈夫だよ。入っておいで」

 純也さんの許可が出たので、愛美は「おジャマしまーす」と言いながら室内へ。
 彼はノートパソコンを開いて、何やら険しい表情をしていたけれど、愛美の顔を見ると笑顔になってパソコンを閉じた。

「ゴメンなさい。お仕事中でした?」

「いや、今終わったところだよ。急ぎの件があったから、メールで指示を出してたんだ。――ところで、どうしたの?」

「小説を読んでもらおうと思って。約束だったから」

 愛美は大事に抱えていた原稿を、彼に見えるように(かか)げて見せた。原稿はひとつの作品ごとにダブルクリップで綴じてあって、一枚ずつ通し番号も振ってある。

「ああ、そうだったね。……ところでさ、女の子がこんな夜に、男の部屋に来るってことがどういう意味か分かってる? しかも、そんな()(ぼう)()な格好で」

「…………えっ?」

 純也さんは明らかに面白がっている。愛美が顔を真っ赤にして固まったので、途端に大笑いした。

「……なんてね、冗談だよ。からかってゴメン! そうやってあたふたする愛美ちゃんが可愛いから、つい」

「~~~~~~~~っ! もうっ!」

 愛美はからかわれたと知って、あたふたした自分が恥ずかしくなった。この「もう!」は純也さんにではなく、自分自身に対してである。

「とにかく座りなよ。っていっても、ベッドしか座る場所ないけど」

「え…………」

 まだ警戒心が解けない愛美は、座るのをためらったけれど。

「大丈夫だって。僕は紳士だから。何もしないから安心して」

「……はい」

 愛美は「ホントかなぁ?」と(いぶか)りつつ、シンプルなベッドに腰を下ろした。実はけっこう根に持つタイプなのだ。

「――じゃあ、原稿読ませて」

「はい」

 純也さんが手の平を見せたので、愛美は原稿を全部彼に手渡した。

「ありがとう。どれどれ……」

 原稿に目を通し始めた彼を、愛美は固唾(かたず)をのんで見守る。
 もし全滅だったら……と思うと、何だかソワソワして落ち着かない。

「……あの。下のキッチンでカフェオレでも淹れてきましょうか?」

 読んでもらっている相手に気を利かせて、というよりは、この緊張感から少しの間でも離れていたくて、愛美は提案した。

「ありがとう。そうだな……、全部読み終わるまでには時間かかりそうだし。愛美ちゃんもここにいたって落ち着かないよね」

 そんな愛美の心境を察して、純也さんは「じゃあ頼むよ」とその提案に乗ってくれた。

 ――十分後。愛美は二人分のマグカップとクッキーのお皿が載ったお盆を手にして、純也さんの部屋に戻ってきた。

「カフェオレ淹れてきました。どうぞ」

 愛美の声に気づき、純也さんは原稿から顔を上げた。

「ありがとう、愛美ちゃん。ちょっと待って」

 彼はアウトドア用品の詰め込まれたスーツケースから、折り畳み式の小さなテーブルを出して室内に設置してくれた。

「お盆はここに置きなよ」

 愛美がそこにお盆を置くのを見ながら、彼は何やら考え込んでいる。

「うーん……、この部屋にはテーブルも必要だな」

「そうですよね……」

 愛美も頷く。たまたま純也さんがアウトドア用のテーブルを持ち込んでいたからよかったものの、やっぱりテーブルはないと不便だ。

「よし。東京に帰ったら、家具屋で小さなテーブルを買ってこっちに送るとしよう」

 けっこう真剣に純也さんが言うので、愛美は吹き出した。

 愛美はしばらくカーペットの上に座り、クッキーをつまみながらカフェオレをすすって、原稿を読む純也さんの姿を見ていたけれど。何となく手持ち無沙汰になってしまった。
 スマホは自分の部屋に置いてきたし……。

「――ねえ純也さん。まだかかりますよね?」

「うん、多分ね。どうして?」

 原稿から目を離さず、純也さんが答える。

「ちょっと、さやかちゃんに電話してこようかと思って。――いいですか?」

「いいよ。行っておいで」

「じゃあ……、ちょっと失礼して。そんなに長くはかからないと思います」

 ――愛美は自分の部屋に戻ると、スマホでさやかに電話をかけた。

『ああ、愛美。メッセージ見たよ』

「うん、知ってる、ちゃんと返信来てたし。――今大丈夫? もうすぐ消灯でしょ?」

『大丈夫だよ。長電話しなきゃね』

 それなら大丈夫だと、愛美は返事をした。そんなに長々とするような話でもないし。

「あのね、さやかちゃん。……もしかして、怒ってる?」

『はぁ? 別に怒ってないよ。なんで?』

「なんか、さっきもらった返事が……。なんていうか、『リア充爆発しろ!』的な感じだったから。ちょっと違うかもしんないけど」

 愛美がそう言うと、さやかはギャハハと笑い出した。

『違うよー。あたし、マジで嬉しかったんだから。愛美の初恋が実って、親友としてめっちゃ嬉しかったんだよ。それはアンタの考えすぎ』

「ああ、なんだ。よかったぁ。でも、やっぱりさやかちゃんの言う通りだったね」

『純也さんがもう告ったも同然だってハナシ? だって、見りゃ分かるもん。純也さん、愛美にゾッコンだったじゃん。……あれ? アンタは気づかなかったの?』

「……うん、あんまり。そうじゃないかって薄々思ったことはあるけど、わたしの思い過ごしだと思ってたから」

 全然、といったらウソになる。でも、自分に限って……と考えないようにしていたというのが本当のところで。

『おいおい、アンタどんだけ自分に自信ないのよ。誰が見たって純也さんの態度は、好き好きオーラ出まくってたって』

「…………う~~」

『んで? 両想いになってどうした? もうキスとかしちゃってたり?』

「まだしてないよ! さやかちゃん、面白がってない?」

 〝まだ〟は余計だったかな……と思いつつ、愛美はさやかに噛みついた。……まあ、純也さんはいきなりがっついてくるような人じゃないと思うけれど。

『うん、ぶっちゃけ。だって面白いもん、アンタがうろたえてるとこ。――っていうか、純也さんは今一緒じゃないの? こんな話してて大丈夫?』

「大丈夫。純也さんには今、隣りのお部屋でわたしの小説読んでもらってるから。わたし今、自分の部屋で電話してるの」

『そっかぁ。じゃあ今ドキドキだね』

「うん……。彼からどれだけ辛口評価が下されるのか、もう心配で」

 最悪の場合、四作全滅の可能性もあるのだ。そしたらきっと立ち直れないだろう。

『まあ、そんなに心配しないでさ。胃に穴空くよ。……じゃあ、ぼちぼち切るわ。消灯迫ってるから』

 愛美はスマホ画面の隅っこに表示されている小さな時刻表示を見た。間もなく九時五十分になるところである。

「あー、もうそんな時間か。ありがとね、話聞いてくれて。じゃあ、また電話するよ。おやすみ」

『うん、おやすみ』

 ――電話を切ると、愛美は純也さんの部屋と接する壁を見つめた。

「純也さん、そろそろ読み終わった頃かな」

 もう一度彼の部屋を訪ねてみると、ちょうど彼は最後の原稿を机の上に置いたところだった。

「愛美ちゃん、ちょうどよかった。今、全部読み終わったところだよ」

「そうですか。……で、どうでした?」 

「うん……、そうだな……」

 そう言うなり、腕組みをして長~い溜めを作った純也さんに、愛美はものすごくイヤな予感がした。

「もしかして、全滅……?」

「……いや。確かに、この中の三作はちょっと、箸にも棒にもかからないと思った」

「はあ」

 彼の評価は思っていた以上に辛口で、愛美は絶望的な気持ちになった。
 四作中三作がボツをくらったら、ほとんど全滅のようなものである。……けれど。

「でも、この一作はなかなかいいんじゃないかな。応募したら、けっこういいところまで残ると思うよ」

 純也さんは表情を和らげながら、愛美に原稿を返した。

「えっ、ホントですか!? コレ、一番最後に書き上げたんです」

 純也さんが唯一褒めてくれた作品は、昨日書き上げたばかりのノンフィクション作品。愛美が実際に、今の学校生活で経験したことをもとにして書いたものだった。

「ああ、やっぱり。短編っていうのはね、数を多く書くことで内容もよくなっていくんだって。愛美ちゃんのもそうなんだろうね。全部の原稿を読ませてもらってそう気づいたよ」

「純也さん、ありがとう! わたしもこれで自信がつきました。この一作で勝負してみます!」

 これだけ手厳しい彼に褒められたんだから、きっといい結果が出ると思う。

「うん、頑張って! ――そういえば、愛美ちゃんってパソコン使えるんだね。原稿、てっきり手書きだと思ってた」

「使えますよ、施設にいた頃から。そんでもって、この原稿はおじさまから入学祝いに贈られた自分のパソコンで書きました。ここにも持ち込んで」

「そっか、ここもネット環境整ってるからね。――ところで愛美ちゃん、僕に何か相談したいことがあるって言ってたね。今ここで聞かせてもらっていいかな?」

「はい」

 愛美は原稿を傍らに置き、冷めたカフェオレを一口で飲み干すと、純也さんに話し始めた。

「わたし、卒業後はこのまま大学に進もうかどうしようか迷ってたんです。で、担任の先生から奨学金の申請を勧められて。申請したんですけど」

「うん」

「奨学金が受けられるようになったら、これから先の学費はかからないって。もちろん、大学に進んでからも。……ただ、おじさまが許してくれるかっていう心配はあったんだけど」

「うん」

 純也さんは途中で口を挟むことなく、相槌を打ちながら愛美の話に真剣に耳を傾けてくれている。

「でもね、おじさまは許してくれたんです。わたしが奨学金を受けることも、大学に進むことも。学費はもう出してもらわなくてよくなるけど、お小遣いだけはこれからも受け取るつもりでいるって、秘書さんには伝えました」

「うん。……えっ? それが僕に相談したいこと?」

 ここまでの話だと、むしろ喜ばしいことなんじゃないかと純也さんは思ったようだけれど。

「あ、ううん。そうじゃなくて……。わたしは逆に、コレでいいのかなぁって思っちゃって。せっかくのおじさまの厚意を途中でムダにして、おじさまのメンツっていうか……立場を潰しちゃったりしないかな、って」

「ああ、なるほどね。君は田中さんに対して遠慮があるわけだ。『せっかく援助を申し出てくれた彼に申し訳ない』って」

「はい……。こんなの、わたしのワガママじゃないかな……と思って」

 愛美は純也さんの解釈に頷く。
 別に、純也さんにどうこうしてほしいわけじゃないけれど。聞いてもらうだけで気持ちが軽くなるということもあるわけで。

「僕の知る限りじゃ、彼はそんなことで気を悪くするような人物じゃないけど。むしろ、喜んで申請用紙も書いてくれたんじゃないかな」

「えっ? ……はい。秘書さんもそう言ってました。あと、わたしが恋をしてることも、おじさまは嬉しく思ってるって」

「愛美ちゃん……、もしかして僕のことも田中さんに?」

「はい、手紙では何度も。――何かマズかったですか?」

「…………いや、別に」

(純也さん、今の溜めはナニ?)

 愛美はちょっと首を傾げた。もしかして純也さんは、愛美と付き合うことになったので、彼女の保護者にあたる〝あしながおじさん〟と顔を合わせづらくなるんじゃないかと心配している? それとも……。

(やっぱり彼が〝あしながおじさん〟本人で、この先わたしとの関係がこじれることを心配してる?)

 そう思うのは、愛美の考えすぎだろうか?

「実はこの話、純也さんと両想いになれるまではするのやめとこうって思ってたんです。どうしてもあなたのことに触れなきゃいけなくなるし、告白する前に話しちゃったらわたしの気持ち、あなたにバレちゃうから」

「うん、なるほど。だから話すのが今日になったわけだね? っていうか僕は、君の気持ちにはだいぶ前から気づいてたけど」

「え……。もしかして、珠莉ちゃんから聞いたんですか? それともわたし、思いっきり態度に出てました?」

 初めて恋をして一年やそこらでは、恋心を顔に出さないというスキルは簡単には身に着かないんだろうか?

「ふふふ。まぁ、それはノーコメントってことで」

「え~……? なんかズル~い!」

 純也さんもうまく逃げたものである。これでは答えが「イエス」なのか「ノー」なのか、愛美には判断がつかない。

「えっと、話戻しますけど。――おじさまって、わたしにとっては父親代わりみたいな存在なんですよね。だから、わたしに好きな人ができたことも、あんまり面白くないんじゃないかなって思ってたんです」

「そりゃあ、本当の娘だったらね。たとえば、珠莉に好きな男ができたとしたら、兄は――珠莉の父親は面白くないと思うよ。でも、田中さんはまだ若いし、君の〝父親代わり〟であって〝父親〟ではないから」

「はあ……、なるほど。そうですね」

 純也さんの話には妙な説得力があって、愛美は納得した。

「――純也さん、色々とありがとう。なんかわたし、話を聞いてもらったらちょっとモヤモヤが晴れた気がします」

「そっか、よかった。僕なんかで愛美ちゃんの役に立てたみたいで」

「僕〝なんか〟なんて卑下して言わないで下さい。わたしは純也さんがいてくれて、すごく心強いです。――じゃあ、そろそろ失礼します。おやすみなさい」

 純也さんも疲れているだろうし、あまり長居しても申し訳ない。愛美が原稿を持って、ベッドから腰を上げると……。

「あ、待って愛美ちゃん」

「……えっ?」

 純也さんに呼び止められた。そして彼は顔を赤真っ赤に染めて、愛美のコットンワンピースの裾をつかんでいる。

「どうしたの? 純也さん」

 困惑して、思わず敬語が飛んでしまった愛美に、純也は照れ隠しなのかボソッと問うた。本当に、聞こえるか聞こえないかくらい小さな声で。

「あの。…………キスしていいかな?」

「……は?」

(だい)の大人が何を言い出すのかと思ったら、そんなこと?)

 愛美は面食らった。そんなの、本人に断りを入れる必要もないだろうに。

「その……、相手は未成年だし。一応、ひとこと断りを入れた方がいいかと思って」

 彼の弁明を聞いて、愛美はクスクス笑い出した。

(純也さんって、ホントに律儀な人だなぁ)

 三十歳にもなった男の人が、まるで中学生の男の子みたいに見えて、なんだか微笑ましかった。

 そして愛美は、笑顔のままで頷いた。

「はい……!」

 純也さんは愛美をもう一度ベッドに腰かけさせると、自分もその隣りに腰を下ろした。座ることにしたのは、自分と愛美との身長差を考えてのことのようだ。

 愛美はそっと目を閉じた。実際の経験はないものの、小説やTVドラマなどでキスシーンの時にはそうしているのを知っていたから。

 そして、純也さんは愛美の唇に優しくそっと自身の唇を重ねた。

 愛美にとって初めてのキスは、ものの数秒で終わったけれど。彼女はそれだけで何だか幸せな気持ちになった。
 でも心臓はバクバクいっているし、同時にかぁっと顔が火照(ほて)っていくのも感じていた。

「ありがと、愛美ちゃん。じゃあ、おやすみ」

 愛美の柔らかい黒髪を指先で撫でながら、純也さんがそう言うのが彼女には聞こえた。

「……おやすみなさい」

 愛美はしばらく金魚みたいに口をパクパクさせていたけれど、やっとそれだけ言って自分の部屋に戻っていった。

 自分の部屋のベッドでしばらくゴロゴロと寝返りを打っていた愛美だけれど、まだ心臓の鼓動はおさまらず、なかなか寝付けない。

「う~~~~っ、寝られない……」

 これまで、心配ごとが原因で眠れなくなることはあったけれど、幸せすぎて眠れなくなったのは初めてかもしれない。

「コレがよく恋愛小説に出てくる、〝恋(わずら)い〟ってヤツなのかな……」

 愛美は目を閉じて、さっきキスしてくれた純也さんの唇の感触や、髪を撫でてくれた時の彼の指の感覚を思い浮かべていた。
 彼は今、隣りの部屋で何をしているんだろう? 彼もまた、愛美の事を考えてくれているんだろうか――。

「~~~~っ! ダメ、眠れない! ……よしっ! こんな時こそ、おじさまに手紙を書くべきだよね」

 時間は有効に使わなければ! 愛美はベッドからガバッと起き上がり、机に向かってだいぶ中身が薄くなってきたレターパッドを広げた。


****

『拝啓、あしながおじさん。

 今日はわたしにとって、忘れられない日になりました。特に夜から色々あって……。さて、何から書こう?
 夕食後、わたしは純也さんと二人で近くの川にホタルを見に行きました。
 純也さんはその時、わたしに言ってくれました。「ホタルっていうのは、亡くなった人の魂が生まれ変わったものなんだ」って。「だから、ここにいるホタルの中に、わたしの亡くなった両親がいるかもしれないね」って。
 わたしもそう思いました。きっと、わたしの両親もあの場所にいて、わたしのことを見守ってくれてたんだって。
 そしてわたしは、そこで思いきって純也さんに告白しました。男の人に自分の想いを伝えるなんて初めてだったから、最初はどう伝えていいか分からなくて途中で詰まってしまったけど、でもちゃんと最後まで伝えられました。
 そしたらね、おじさま。純也さんもわたしに「好きだよ」って言ってくれたんです! 「付き合ってほしい」って! もちろん、わたしはOKしました。
初めての恋が、ついに実ったんです! やったぁ☆ わたし今、すごく幸せです!!
 そして彼は、なんと五月からわたしと付き合ってるつもりだったって言うんです! さやかちゃんからは「そうなんじゃないか」って言われてましたけど、まさかその通りだったなんて……! わたし、ビックリしました!
 夜九時ごろになって、わたしは純也さんのお部屋を訪ねました。公募に出す小説一作を、純也さんに決めてもらうためです。
 心配しないで、おじさま。純也さんは誠実な人だから、わたしが夜にお部屋を訪ねて行ってもいきなり押し倒すようなことは絶対にしません(わたしをからかって、あたふたするわたしを見て楽しんではいましたけど……)。おじさまは彼と知り合いなんだから、それくらい分かってますよね?
 わたしの小説に対する彼の評価は、本当に辛口でした。でも、一番最後に書き上げた短編のノンフィクションは「なかなかいい」って言ってくれたから、わたしはその原稿で挑戦することに決めました。明日、この手紙と一緒に郵便局で出してきます。
 それでね、おじさま。……これは、おじさまに打ち明けていいのか分からないんですけど。純也さんはわたしがお部屋を出る前に、わたしにキスしてくれました。もちろん、わたしにとってはファーストキスです。
 その後のわたしは幸せな気持ちと、心臓のドキドキとで顔が火照っちゃって、今もまだフワフワしてます。今夜はもう眠れない気がするんです。
 恋が実って、恋人ができるってこんな気持ちになるんですね。
 彼と一緒にいるとホッとして、彼になら何でも話せる気がします。
 これからはきっと、おじさまに手紙でご相談してたことを、純也さんに聞いてもらうことが増えるかもしれません。
 でもそうなったら、わたしとおじさまとの関係は、これまで築き上げてきた信頼関係は崩れてしまうのかな……。それはわたしも不本意なので、これからもちゃんとおじさまに手紙は送り続けます。
 この封筒の厚み、おじさまはビックリなさったんじゃないでしょうか? 純也さんが来て下さる前から、手紙を出せないままずっと書き溜めてたんです。もう一週間くらいかな? だから、だいぶ長い手紙になっちゃいましたね。
 それじゃ、そろそろおしまいにします。次はきっと、奨学金の審査の結果についてのお知らせになると思います。

    八月十三日    愛美    』

****


「――ホント、すごい厚み……」

 折り畳んだ便箋を封筒に収めた後、愛美はフフッと笑った。純也さんが来るまでの間にも、〝あしながおじさん〟に伝えたい色んな体験をしていて、愛美はそれを毎日日記のように便箋に綴っていたのだ。

 スタンドライトの明かりだけがついている机の上にはもう一通、A4サイズの茶封筒が置いてある。この夏に愛美が執筆し、四作ある中から純也さんに選んでもらった文芸コンテストへの応募作品だ。

(明日これを郵送したら、あとは運を天に任せるだけ……。お願い、入選させて! 佳作でもいいから!)

 願かけするように、愛美は封筒の表面をひと撫でした。

「――さてと。ボチボチ寝られるかな……」

 手紙を書いているうちに、少しずつ眠気が戻ってきた。気持ちが落ち着いてきたからかもしれない。

 愛美はスタンドの明かりを消すと、再びベッドに潜り込んだのだった。


   * * * *


 ――翌日の朝。愛美は八時になってやっとダイニングまで下りてきた。

「おはようございます。――すみません、多恵さん! 朝ゴハンの支度お手伝いするつもりだったのに、寝坊しちゃって」

 農家の朝は早い。愛美も普段は朝早くに起きて、多恵さんや佳織さんと一緒に朝食の準備を手伝っているのだけれど。昨晩はなかなか寝付けなかったので、朝目が覚めるのも遅くなってしまったのだった。

「あらあら。おはよう、お寝坊さん。いいのよ愛美ちゃん、たまには朝のんびり起きてくるのも。誰だって、早く起きられない日くらいあるものね」

「ええ、まぁ……」

 愛美はテーブルに純也さんもついていることに気づき、頬を染めた。
 彼とキスをしてまだ数時間しか経っていないので、ちょっとばかり気まずい。

「愛美ちゃん、おはよう」

「……おはようございます」

 けれど、純也さんはいつもとまったく変わらない調子で挨拶してくれたので、愛美はまだ少し照れながら挨拶を返した。

「ゆうべはあんまり寝られなかった?」

「えっ? ……まぁ。だから、しばらく起きてました」

 彼と面と向かって言葉を交わしているだけで、愛美には昨晩の出来事がありありと思い出せる。今もまだ、あの時の延長線上にいるような気持ちになるのだ。

「そっか……。なんか僕、君に悪いことしちゃったな」

「そっ……、そんなことないです! わたしは別に、あれで困ってるワケじゃ……」

 申し訳なさそうに頬をポリポリ掻く純也さんに、愛美はもごもごと弁解した。

「あら? 坊っちゃん、昨夜は愛美ちゃんと何かあったんですか?」

 そんな二人の様子を眺めていた多恵さんが、会話に割って入った。

「まさか坊っちゃん、愛美ちゃんに手をお出しになったんじゃないでしょうね? お預かりしてる大事なお嬢さんで、しかもまだ未成年なんですから。傷ものにしてもらっちゃ困ります!」

「おいおい! 多恵さん、ずいぶんな言い草だな……。――実はさ、僕と愛美ちゃんは付き合うことになったんだ」

 ね? というように、純也さんは愛美を見た。

「……はい、そうなんです。純也さんもわたしのこと好きだったみたいで。手は……出されてない……と思います。キス……したくらいで?」

 愛美は純也さんの視線に圧を感じたわけではないけれど、「話していいのかなぁ」と思いながら、しどろもどろに多恵さんに話した。

「あらまあ、そうだったんですか! よかったわねぇ、愛美ちゃん。個人的に連絡を取り合うようになったって言ってたのは、そういうことだったんですねぇ……」

「うん。僕はね、彼女が未成年ってことや、十三歳も年が離れてることもあって、告白するのをためらってたんだけど。彼女が『それでもいい』って言ってくれたから」

 純也さんは純也さんで悩んでいたんだと、愛美は昨晩知った。だから、「それでもいい」と言った愛美の言葉がどれだけ彼の救いになったか、彼女には分かる。

「ええ、ええ。キスなんて手を出したうちには入りません! 法に触れるようなことさえしなきゃいいんです。その代わり坊っちゃん、愛美ちゃんを泣かせるようなことがあったら、その時は私が許しませんよ!」

「分かってるよ。っていうか、多恵さんは一体どっちの味方なんだ」

「多恵さん、わたしのお母さんみたい」

 多恵さんの熱のこもった演説に純也さんは呆れ、愛美は笑った。
 これじゃあまるで、娘に彼氏ができた時の母親みたいだ。さしずめ、純也さんがその彼氏というところか(まあ、実際に彼氏になったのだけれど)。

「それより多恵さん、早く朝食にしてくれよ。僕も朝寝坊して、今すごく腹ペコなんだから」

「わたしも。お手伝いすることがあったら、何でも言って下さい」

「はいはい。――あ、愛美ちゃんは座ってていいわよ。すぐできますからね」

 多恵さんがそう言うので、愛美は素直にその言葉通りにした。他の人たちの朝食はもう済んでいるようで、今テーブルについているのは愛美と純也さんの二人だけだ。

「愛美ちゃん、あのさ。……僕に幻滅(げんめつ)した? いきなり『キスしたい』なんて言って」

 二人きりになったからなのか、純也さんがばつの悪そうな顔でそう切り出した。実はあのことを、かなり気にしていたらしい。

「そんな……。幻滅なんかしませんよ。そりゃあ……、もっと強引だったら幻滅しちゃってたかもしれないけど」

 愛美は思いっきり否定した。あんなに優しいキスで幻滅していたら、恋なんてしていられない。

「よかった。純也さんがよく小説に出てくるような俺様な御曹司じゃなくて。わたし、ああいう男の人たちって好きじゃないんです。女の子が何でも自分の思い通りになると思い込んでる。ふざけるなって思います」

 小説の登場人物に腹を立てても……と、純也さんは苦笑い。

「そうだね。僕は強引に恋愛を進めたいタイプじゃないから。っていうか、できないし。愛美ちゃんに嫌われるのが一番イヤだもんな。せっかく僕のことを本気で好きになってくれたんだから、大事にしたいんだ」

「純也さん……、ありがと」

 愛美は心からの笑顔で、彼にお礼を言った。

「――で、今日はどうするんだい? 僕は、一緒にバイクでツーリングしたいなぁって思ってるんだけど」

「あ……、今日は郵便局に行くつもりでいたんだけど」

「郵便局? ……ああ! 小説を応募しに行くんだね」

「はい。あと、おじさまに手紙出すのもね。これだけの厚みになっちゃったモンだから、通常の料金じゃ足りないと思って」

 愛美はもう出かける支度をしてあって、リュックには郵便局に持っていく二通の封筒も入っているのだ。そこから小さいほうの封筒を取り出して、純也さんに見せた。

「これは……、確かに分厚いな。明らかに二センチはありそうだ。これじゃ、郵便局に持って行って、料金を調べてもらうしかないな」

「でしょ? もう一週間くらい書き溜めてあったの。でも、ついつい出しに行きそびれちゃって、気がついたらこんな状態に……」

 〝あしながおじさん〟はきっと、愛美からの手紙を首を長くして待っているだろう。――そう思うと、愛美は申し訳ない気持ちになる。

(でも……、もしも純也さんがおじさまの正体なら、今手紙を出したって意味がないってことになるんだよね……)

 愛美は向かいに座っている純也さんの顔をチラッと窺う。

「あの、そろそろ封筒返してもらっていいですか?」

 愛美は純也さんに向かって手を差し出す。

「ああ、ゴメン! ……ん? ちょっと待って。〝久留島栄吉〟っていうのが田中さんの秘書の名前なのかい?」

 やっと封筒を返してもらえた愛美は、目を丸くした。

「ええ、そうですけど。純也さんスゴい!」

「えっ! スゴいって何が?」

「初めてこの字見て〝くるしま〟ってすんなり読める人、めったにいないの。だいたいの人は〝くりゅうじま〟とか〝きゅうりゅうじま〟って読んじゃうんです。だからスゴいな、って」

「ああ、そういうことか。――ほら、田中さんと僕は知り合いだろ? だから、彼の秘書のことも知ってたんだ」

「…………へえ、そうなんですか。今までそんなこと、一度も言ってくれたことないから」

 しれっと弁解する純也さんに、愛美の疑惑はますます膨れ上がっていく。

(多分この人、ウソついてる。わたしが気づいてないと思ってるんだ)

 手紙を出すのをやめようかと一瞬考えたけれど、そんなことをしたら純也さんに不審に思われかねないし、まだそうと確信したわけでもないので、やっぱりこの手紙は出すことにした。

「ね、愛美ちゃん。郵便局に行くなら、僕のバイクの後ろに乗っていかないか? そのついでにツーリングに行こうよ」

「はいっ! ありがとう、純也さん!」

 それに、彼と一緒にいられる時間は心から楽しみたいので。

(今はまだ、このままでいよう。彼が話してくれるまで……)

 彼にも色々と打ち明けられない事情があるんだろう。それなら、もし愛美の疑惑が本当のことだったとしても、可能な限り気づいていないフリをしていようと、愛美は心に決めた。 
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