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ドリトル先生の長崎での出会い

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第五幕その六

 皆で乱で命を落とした人達に対して深々と頭を下げてご冥福を祈りました。そうしてその後で、でした。
 皆でお昼を食べてから有明の海を見ます、ここで先生はこんなことを言いました。
「ここは夜になると不知火が出るんだ」
「海の上に火が浮かぶんだよね」
「それも沢山」
「そうだよね」
「そうだよ、自然現象でそう見えるけれど」
 それでもというのです。
「実はね」
「そこに火はなくてね」
「ただそう見えるだけだね」
「そうだね」
「そうであってね」
 それでというのです。
「そのこともだよ」
「学ぶことだね」
「先生としては」
「そして僕達も」
「残念だけれど季節によって出ない季節もあって」 
 そうであってというのです。
「最近はどうもね」
「あまり出ないんだ」
「昔よりも」
「そうなんだね」
「そうらしいんだ」
 こうお話するのでした。
「これがね」
「それは残念だね」
「面白いのにね」
「夜の海の上に火が沢山浮かぶなんて」
「幻想的でね」
「ウィル=オ=ウィプスみたいな感じでね」
 先生はイギリスのこの妖精もお話に出しました。
「そうだけれどね」
「また違うね」
「不知火は」
「そう思うと面白いよね」
「実際に見たいね」
「そうだけれど」
 それがというのです。
「若し見られたら」
「そうだね」
「その時にだね」
「また見ればいいね」
「そうだよね」
「そう、だからね」 
 それでというのです。
「機会があればね」
「そうすればね」
「またここに来ようね」
「そうしましょう」
「是非ね」
 こうしたお話をしてでした。
 皆島原を後にしました、ですがこの時にです。
 ふとです、皆は考えて先生に言いました。
「キリスト教徒から考えると切支丹への弾圧は駄目だね」
「許せないね」
「何があっても」
「それは」
「そう、けれどね」
 それでもと言う先生でした。
「当時の日本にとってはね」
「侵略を防ぎ為に必要だったね」
「日本人を奴隷にされない為にも」
「そう考えたらね」
「当然のことだね」
「信仰は大事だよ」
 先生はこのこと自体は否定しませんでした。 
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