ドリトル先生の長崎での出会い
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第五幕その五
「戦う前に和歌を詠んだり」
「スポーツみたいなものもあってね」
チーチーも言います。
「潔い感じだけれどね」
「基本戦うのは武士同士で」
ジップは自分が学んだ日本の戦いは宋だとお話しました。
「無残な殺し合いにもならないしね」
「日本の戦争って本当に儀礼があるのよ」
ダブダブが見てもです。
「具足を着けて刀や弓矢で戦ってね」
「恰好いい感じはしても」
「陰惨な感じはあまりしないよのよね」
チープサイドノ家族もお話します。
「これといって」
「そうなんだよね」
「けれど島原の乱は違うのね」
ポリネシアはしみじみとした口調で言いました。
「これが」
「大勢の人が死ぬまで戦って」
「三万七千いた人が殆ど残れなかった」
オシツオサレツの言葉はしんみりとしたものになっています。
「悲しいね」
「そう言うしかないね」
「そんな戦争もあったって」
ガブガブも彼にしては珍しく悲しいお顔と声になっています。
「日本でも」
「そうなんだ、本当に日本の歴史では少ないけれど」
そうした戦いはとです、先生も言います。
「実際にあってね」
「それでだね」
「ここに来てそのことを学んでいるんだ」
「フィールドワークをしているのね」
「そうなんだね」
「そうなんだ、そして天草四郎さんも死んだけれど」
その島原の乱でというのです。
「創作の題材にはなっているよ」
「そうなんだね」
「魔界転生にしてもそうで」
「日本人の心には残っているんだね」
「日本人は絶対の正義も絶対の悪もないから」
そうした考えだからだというのです。
「それで叛乱を起こしたとしても」
「受け入れるね」
「決して悪く思わないね」
「そうだね」
「そのこともいいことだよ」
日本人のとです、先生は言うのでした。
「天草四郎さんや乱に参加した人達の冥福もね」
「祈るんだね」
「日本人は」
「そうだね」
「乱が終わった時はやっぱり酷い扱いだったけれど」
それでもというのです。
「今はだよ」
「ちゃんとだね」
「供養されているね」
「そうなんだね」
「そう、だからね」
それでというのです。
「僕達もね」
「うん、ちゃんとね」
「ご冥福を祈ろうね」
「そうしようね」
「命を落とした人達の為にね」
「そう、幕府側の人達も沢山命を落としたからね」
それでと言う先生でした。
「その人達の為にもね」
「祈ろうね」
「皆で」
「そうしようね」
「是非ね」
こうお話してでした。
ページ上へ戻る