| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

ドリトル先生の長崎での出会い

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

第二幕その十二

「この長崎にもあるんだよ」
「僕達が今暮らしている神戸にもあって」
「横浜にもあるよね」
「日本にも中華街があるのがいいね」
「イギリスにもあって」
「アメリカにもあるけれどね」
「ない国もあるけれどね」
 中華街はというのです。
「韓国には最近までなかったしね」
「あちらはそうだったんだね」
「中国と近いのに」
「あの国の文化や風土は独特で」
「中々馴染めなかったのかな」
「そうみたいだね、日本統治時代はあったんだ」
 その中華街がというのです。
「ソウルにもね」
「ああ、そうだったんだ」
「あの街にも昔中華街があったんだ」
「そうだったんだ」
「何処にあったかと思えば」
「そうだったんだ、けれど日本の統治が終わったら」  
 そうなればというのです。
「あっという間にね」
「なくなったんだ」
「それで最近までなかったんだ」
「韓国には」
「そうした歴史があったんだ」
「けれど日本にはずっとあって」
 そうであってというのです。
「それでだよ」
「今もだね」
「神戸や横浜にあって」
「この長崎にもある」
「そうなんだね」
「そうだよ、だからね」 
 是非にというのです。
「また行こうね」
「うん、行こう」
「絶対にね」
「それも学問の一環だし」
「中華街に行くのもね」
「そうしようね、そして」 
 さらに言う先生でした、今度は餃子を食べながら。
「餃子は日本では焼き餃子が主流でも」
「そうそう、実はね」
「水餃子か蒸し餃子なんだよね」
「主流はね」
「そうなんだよね」
「日本では満州、今の中国の東北からだよ」
 こちらからというのです。
「伝わったんだ」
「あそこで焼き餃子があって」
「それでだね」
「日本に伝わって」
「日本の餃子の主流になってね」
「そうなんだ、今は水餃子も蒸し餃子もあるけれど」
 日本にというのです。 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧