ハッピークローバー
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第百四十三話 豆腐を食べてその十
「本当に」
「その死をどう見るか」
「そのことも大事なんだ」
そうだというのだ。
「人生にはな」
「そうなのね」
「そこを失敗するとな」
「駄目なのね」
「そうだ、ただな」
「ただ?」
「死んだ時おもわれることはいいことだろうな」
父は一華にこうも言った。
「それだけでな」
「そうなの」
「嫌いな奴が死んだらどう思う」
「ざま見ろよね」
一華は少し考える顔になって答えた。
「もう」
「悲しくも何ともないな」
「そうなるわね」
父に確かにと答えた。
「誰だって」
「そうだな、本当にな」
「嫌いな人が死んだら」
「心底嫌いな相手だったらな」
その場合はというのだ。
「そう思われる、死んでよかったとさえな」
「思われるのね」
「死んで仏様になることは事実でも」
母も一華に話した、見れば母は今は湯豆腐の上に練り生姜を乗せている、そしてそこに醤油をたらそうとしている。
「嫌われているとね」
「よく思われないのね」
「お父さんが今言った通りにね」
まさにというのだ。
「死んでよかったとかね」
「思われるのね」
「ざま見ろとかね」
その様にというのだ。
「思われるのよ」
「嫌われてると」
「そうなるわ」
「嫌ね、それは」
「そう思うならね」
それならというのだった。
「ちゃんとね」
「嫌われない様にすることね」
「そうよ、死んで残念だった悲しいとか」
母はさらに言った。
「忘れないとかね」
「思われるといいわね」
「そうでしょ、それで生きる人はね」
残った人はというのだ。
「その人のことを想ってね」
「生きるのね」
「その人のいい部分を思い出しながら」
そうしてというのだ。
「その人の分までね」
「生きようって思うのね」
「立派にね」
「そうなのね」
「それがね」
「人の死を見るってことなのね」
「お母さんはそう思うわ」
まさにというのだ。
「色々考えてるけれど今はね」
「そうなのね」
「死はね」
それはというのだ。
「本当にね」
「とても大きなことね」
「皆何時かは絶対に死ぬけれど」
それでもというのだ。
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