ドリトル先生と奇麗な薔薇達
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第十幕その五
「何とでもなるよ」
「変わるね」
「それも普通に」
「そうなるね」
「ある人が人種で知能指数は決まると言ったけれど」
そうした人がいたけれど、というのです。
「この人は白人至上主義を言いたかったみたいだね」
「ああ、白人が一番頭がいい」
「そう言いたかったんだ」
「要するに人種差別主義だね」
「その時点で間違いね」
「それでもね」
白人の人達が一番頭がいいと、というのです。
「実際はね」
「違ったんだね」
「白人の人達が一番じゃなかった」
「そうだったんだね」
「実際に見ると」
「この人はアメリカ人だったけれど」
それでもというのです。
「アメリカではアジア系の人達がね」
「白人の人達より頭がいい」
「そうなんだね」
「その実は」
「国家別の知能指数の平均値を見ても」
そうしてもというのです。
「トップクラスの国々はね」
「アジア系国家なんだね」
「そうなんだね」
「そちらの統計を見ても」
「そうなんだ、そして訓練や環境で」
またこちらのお話をする先生でした。
「どうとでもね」
「変わるんだね」
「知能指数は」
「そうなのね」
「食生活もそのうちの一つで」
そうであってというのです。
「本当に訓練とかでどうでもなるから」
「個人の努力で」
「じゃあ知能指数って個人差の範囲内ね」
「それも努力でどうとでもなる」
「絶対のものじゃないのね」
「そうだよ、運動神経もそうだしね」
こちらのこともというのです。
「それでだよ」
「こうしたもので人種とかの優劣を言うなんて」
「とんでもなく馬鹿なことね」
「そう言うしかないんだね」
「訓練や環境でどうとでもなるし」
「例えばヒトラーはゲルマン民族至上主義で」
ナチスのこともお話します、人種主義で有名な。
「頭のことも運動のこともね」
「ゲルマン民族が最高」
「そう言ってたね」
「それで色々とんでもないことをして」
「歴史に悪い意味で名前を残したね」
「けれど実際はドイツは知能指数でトップでないし」
そうであってというのです。
「運動でもね」
「そうでもないね」
「どちらも努力次第で」
「どうとでもなるね」
「そうだよかといってドイツが駄目かというと」
逆にというのです。
「全くだね」
「学問や技術で凄いことしてるし」
「スポーツだってね」
「そうしたものを見るとね」
「ドイツ人は凄いね」
「そうだね、人は努力次第だよ」
それによるというのです。
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