冥王来訪
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第三部 1979年
迷走する西ドイツ
暮色のハーグ宮 その3
前書き
ゲーレン編はこれで終わりになります。
四か月の連載は長かった……
御剣は、ブラントの話を補足すべく、マサキ達に西ドイツ政界の動きに関して簡潔に述べた。
そして付け加えるように、米国から数名の政府関係者がオランダにヘリで急行した事を明かした。
「キッシンジャーが、蘭王室を……」
鎧衣は、本気かと、疑うような眼をして御剣の面を見直した。
先頃から国際金融資本の腹中に、何があるかは、およそ推量をつけていた。
だが、オランダまで出てきたと聞いては、一驚せずにいられなかった。
「動きが速い……
最初から誰かが描いていた絵だという事か……」
米政府の動きを聞いて、マサキは、首をかしげた。
鎧衣は、驚き顔のうちにも、御剣の話を、仔細に検討している気ぶりだった。
「王配殿下が木原博士となら引見なさりたいと、今しがた電話がありました」
だが白銀は、その連絡を聞くと、それこそ不安なのだといわぬばかり眉をひそめ、
「こういう誘いの時は、ろくな匂いがしない。
嫌な匂いだ」
白銀が、これ以上はいうべき言葉もなしと、総身を汗に濡らして、うつむいてしまった。
マサキは始終だまって聞いていたのだが、白銀の焦りを見ると、初めて穏やかに口をひらいた。
「白銀、せっかく御剣が作ってくれたチャンスだ。
乗らない手はない」
承知とも、不承知ともいわないのである。
マサキの心はすでに諾否の先へ超えているのであった。
白銀はからだが感激にふるえると同時に、ひそかに恥じた。
自分は軍事諜報員であるが、何かの場合、この人のように死生に超然としていられるだろうか。
危険を受くるのに、顔色もうごかさず、それを歓びとして迎えることができるだろうか……
カーチス・ライト社の輸送機C-46が、ボンからオランダのハーグに急いだ。
1930年代に作られた試作民間機CW-20を基にし、史上最大のピストンエンジン双発機である。
元々は米軍から帝国軍に供与され、昨年まで運用されていた機体である。
新機種選定のため、1978年に退役させたが、予想以上に状態が良かった。
そのため、帝国軍から譲り受け、近衛軍で整備し、使用することにしたのだ。
全長も25メートル弱なので、都市部の飛行場に着陸できるという利点があった。
ハーグ市郊外にあるハウステンボス宮殿は、近隣のロッテルダム空港から、20キロメートルほど先。
同地にある日本領事館が事前に準備した車列で、ハーグ市内に向かった。
宮殿は、オランダの政治の中心となっているハーグ市郊外に1645年、夏の離宮として建設された。
当初はオレンジ広場という名前だったが、世人は森の家と評した。
もともとオランダは沼地を干拓して、中世に定住がはじまった場所のため、固有の王室は無かった。
ハプスブルグ家から地元の有力貴族が総督に任命され、間接統治を任されていた。
その為、蘭王室には、強大な王権がなく、この王宮も別荘地として建てられた。
故にベルサイユ宮のような行政機能はなく、豪華さは一切ない。
18世紀に改装されたが、費用面からバロック形式の庭園が見送ら、未建設のまま終わった。
(なおバロック形式の庭園は、後日、日本の佐世保で作られた「ハウステンボス」で日の目を見ることになる)
車列が鬱蒼とした森に近づくと、高い塀に囲まれた建物が目に入ってくる。
この一帯は、ハーグの森と呼ばれるオランダ最古の森で、およそ100ヘクタールほどある。
16世紀以降に開発が進み、オランダ国内から森林は消えてしまった。
今は、このハーグの森とハーレムの森に残るわずかな緑地が、オランダの自然の一つであった。
マサキ達は、宮殿に入ると各部屋を手分けして探すことにした。
王配殿下からどこで引見するという指定を受けていなかったからだ。
そうこうする内に、大広間にたどり着くと、一人の偉丈夫が立っていた。
黒いダブルのスーツに、水色のワイシャツ、紺のネクタイを付けた男こそ、マサキが探し求めた人物であった。
「フフフフ……天のゼオライマーのパイロット、木原か……
こんな青二才に振り回されるとは……」
王配殿下は、それまで燻らせていたシガー・オリファントを投げ捨てる。
インドネシアの高級葉タバコ「ジャバノ」を使用した葉巻を、さも紙巻煙草の如く踏みつぶした。
「西ドイツの大統領は引退し、政府はばらばらになった。
内閣は私の手足となった者たちが次々と辞職に追い込まれた。
GSG-9の急襲も無駄だったようだな……
科学者の一途な執念がこれほどまでとは……知らなかった」
マサキは、ぶっきらぼうに訊ねた。
「どうして、俺を呼んだ」
「にくい黄色猿が殺したくてな」
王配殿下は、懐中から銀色のオートマグを取り出し、マサキの方に向ける。
マサキは動じることなく、不敵な笑みを湛えた。
「撃てるなら、撃ってみろ。
でも俺を撃てない。
貴様にとって、俺の様な悪党が羨ましいからだ!」
しかしそのとき、広間に、銃声が揚った。
ビュンッと、一弾、風を切って、彼の面と柱のあいだを通った。
ブスッと、そこらの家具にも、銃弾のもぐる鈍い音がした。
マサキは咄嗟に、近くにある鋼鉄製の暖炉に身を隠した。
連続した自動拳銃の発砲音が耳朶に響く。
何が起こっているか、判らない。
M29リボルバーと、2つの六連発スピードローダーを準備する。
頃あいを計って、反対側の敵へ、銃を揃えていちどに弾丸を浴びせる。
数発の銃声の後、どたッと、地ひびきを立てて人が倒れる音がする。
離れた場所から、恐る恐るみれば、70歳ぐらいの老婆が、血の池の中に倒れていた。
右手にイタリア製のベレッタM1951Rを握ったまま、動かない。
目の前の死体は、後頭部から前頭部にかけて撃ち抜かれている。
どうやら、マサキの放った弾が、死因ではないようだ。
物陰から姿を出してきたマサキに、王配殿下は声をかける。
「木原博士、これで邪魔者はいなくなった。
貴族として、名誉のために、一対一の決闘を君に申し込む」
突如とした決闘の申し込みに、マサキは面食らった。
「何!」
「木原博士、私は猛烈に感動しているのだよ。
君と対決できることにな……」
「そんなオモチャのピストルで俺を撃つのか。
フハハハハ」
ハリー・サンフォードが作った44オートマグには、重大な欠陥が存在した。
それは1970年代当時の未熟なステンレス加工による動作不良の多発である。
また自動拳銃故の機構の複雑さも、射撃に影響した。
頻繁に手入れをしなくてはならず、コッキングスプリングもかなり強力で非力な女性などには扱えなかった。
「そういうが、君の拳銃は6連リボルバー。
この銃は7連弾倉の自動拳銃。
リボルバーで、オートマグの前に生き残れるかな」
マサキはもしもに備えて、ナイロン製のインナーベスト型の防弾チョッキを着ていた。
だが精々効果があるのは25口径ほどで、マグナム弾では貫通してしまう恐れがあった。
この勝負は、マサキにも賭けだった。
そんなマサキの焦りを見たのか、王配殿下は不敵に笑う。
「今、私たちは19世紀の欧州にいるのだよ。
神妙に決闘を受けたまえ」
そういってピストルを持つ右手を前面に出した状態で、マサキの方を向く。
ポイントショルダーと呼ばれる射撃方法で、冷戦時代に一般的な方法だ。
利点は体の向きを変えることで銃弾の被害を抑えられることだが、弱点として弾道が安定しなかった。
今は射撃競技にのみ残る古典的な手法である。
対するマサキは、両手でM29を持ち、王配殿下に相対する。
この二等辺三角形の構え方は、当時非常に珍しかったアイソセレスと呼ばれる拳銃の保持方法であった。
利点は銃身が安定し、弾道が正確になるが、弱点として、無防備の胴部が晒されるという事だった。
「ここに1ペニー硬貨がある。
このコインが、宙を舞ったら、決闘の合図だ!」
(ペニーとは、英国及び英連邦における補助通貨の単位である)
王配殿下が合図のコインを投げると同時に、マサキはリボルバーの引き金を引いた。
一閃の光がほとばしる。
勝負は、一瞬にして決まった。
マサキのはなったマグナム弾が。王配殿下の腹部を貫いた。
「すべてを捨てて、純粋に悪のために生きる俺の姿が……
世界を征服するという野望のためにいる俺が羨ましかった」
床に崩れ落ちた王配殿下は、マサキの顔を見るなり満足そうに笑みをたたえる。
今、彼の命が旦夕に迫っているのは明確だった。
「フフフ……君もいずれ判る。
政治という泥の中に身を置けば、体中が泥で腐っていくのを……」
王配殿下は、オートマグを、自分のこめかみに押し付ける。
マサキが原因での死を、受け入れられないという姿勢だった。
「さらばだ」
その瞬間、銃声が鳴り響く。
弾は頭を貫き、王配殿下は黄泉路へと向かった。
西ドイツでの電撃的な内閣総辞職の翌日。
オランダは、全土で火が消えたようになっていた。
アムステルダム、ロッテルダム、デン・ハーグ、デルフトの各都市には黒い弔旗が垂れ下がる。
国家元首の女王殿下とその夫である王配殿下の本当の死因は隠された。
蘭政府により、二人が交通事故により薨御したと公式発表された。
王配殿下が運転する車が、西ドイツに向かう高速道路を走行中、事故を起こした。
カーブを曲がり切れずに、路側帯に衝突し、自爆事故を起こしたという形となった。
乗っていた1978年型の真紅のシボレー・コルベットは、瞬く間に燃料タンクに火が移った。
ウレタン製のバンパーが燃え盛り、消防隊が到着するころにはすっかり焼け落ちていたという内容だった。
オランダ政府の動きは早かった。
二日後、国葬を執り行い、3日間の喪に服すよう国民に告げたのであった。
蘭王室の対応に接したマサキは、疑問に感じていた。
国家元首の死と国葬、議会による後継者指名と新王即位。
王の死からあまりにも早すぎる動きに、何かしらの作為が見て取れる。
一種の宮廷革命であり、女王殿下と王配殿下の排除が事前に準備されていたのではなかったか……
これほど短時間で、国葬と国王宣言(即位式)は出来ない。
王配殿下は反対派によって暗殺され、ビルダーバーグ会議からの離脱、或いはマサキとの融和を望む勢力が権力を奪取したのではないか。
そうすると、ビルダーバーグ会議の情報を提供したゲーレンとココットが危ない。
ゲーレンは既に70を超えた老境だ。
いつ彼に、ヴァルハラからの迎えが来ても仕方がないが、ココットはまだ20歳そこそこだ。
BNDの秘密情報部員の彼女に待つ運命は、悲惨だ。
恐らく秘密情報を扱う都合上、男と簡単に関係することは難しかろう……
事と次第によっては、誰にも看取られず、人知れず死んでいくのであろう。
前々世において、防衛庁長官の陰謀のために暗殺され、人知れず葬り去られた。
ココットの姿を過去の自分に当てはめたマサキは、涙を禁じ得なかった。
その夜、マサキ達は、ベルクにあるゲーレン宅に滞在していた。
今回の事件の目的であるBNDの女スパイの情報と、ココットの進退について問うためである。
「例の事件はお前が絡んでいるのか」
マサキの問いに、ゲーレンは黙って頭を振った。
「ゲーレン……」
「礼が欲しいわけではない……
全てはドイツ国家自存自衛のためさ」
ゲーレンは持参した鞄を開けると、紙の束を取り出し、テーブルの上に広げ、おもむろに語りだした。
女スパイ、アリョーシャ・ユングの生い立ちから始まり、その勤務実態と交友関係などへ話をすすめた。
1972年にBNDに入った後、1973年に新設された連邦軍大学で幹部職員研修を受けた。
その際に西ドイツ軍の将校と知り合いになった経緯を、いっさい無駄な修辞を交えず、語った。
最後に、戦術機の機密情報提供に関しては、背後に米国大統領顧問団(米国の内閣)の閣僚の影が見え隠れすると付け加えた。
ゲーレンは語り終えて、息を突き、椅子の背もたれに身を預けた。
マサキは暫く黙っていたが、ゲーレンに静かに言った。
「よくわかった」
言葉を切ると、タバコに火をつける。
「ドイツ連邦軍まで関わっているとは、思いもよらなかった」
紫煙を燻らせながら、脇にいる鎧衣の方を向く。
それを受けて、鎧衣がゲーレンに語った。
「先日、木原君から話を聞いて、すぐにこの一件を調べ直したところ、ユング嬢の足取りがニューヨークで消えていました。
どうやら本来は、大罪である情報漏洩をしたユング嬢を西ドイツに戻すこと。
BNDには、CIAの諜報活動に全面協力をするという密約を結んだ。
そのことによって双方両得し、丸く収めたとするつもりだったらしいのです」
古今東西、権力機構の人間関係は複雑だ。
派閥間での激しい権力闘争が進行中で、時として外部にその内情が漏れ伝わることがある。
鎧衣は、米国内から出てくる膨大な情報を綿密に調べて、その一端をつかんだのであろう。
すぐれたスパイとはかくあるものなのかと、マサキは感服を覚えた。
「ありがとうございます。
これで、ドイツの政界は落ち着くでしょう」
ゲーレンは、マサキ達に深い謝意を伝えた。
その際、脇に立っていたココットがマサキの傍に駆け寄る。
「一区切りついたら、バイエルンで私と暮らしませんか」
突然の事に、びっくりしてマサキはココットを見つめた。
ココットも、強い情炎の光を放つような眼差しで見返して来る。
思わず、マサキはココットの唇に、自身の唇を重ねていた。
ココットは、マサキの春機に抗いもせず、受け止めていた。
マサキは情炎の誘惑に勝てないで、ココットの柳腰に手をかけて、引き寄せる。
まるで根元の朽ちた古木のようにココットの体が傾いて、マサキの胸に倒れてきた。
これには、マサキが慌てた。
二人が見つめ合ったのは一瞬だった。
ココットは目を閉じて、マサキの出方を待つ。
「済まなかった。
不意の内にお前を……」
マサキが、戸惑った表情で口ごもる。
目を見開いたココットは、顔を寄せて、マサキの表情を見た。
「ねえ……
何を考えているの……」
答えを引き出すまで、ココットは引き下がらないつもりだ。
マサキは、ココットに驚嘆すべき情熱があることを今知った。
「俺と暮らせば、死ぬか、生きるかを、ギリギリの日々で過ごすことになるぞ。
女の身空で、耐えられる自信はあるか……」
マサキとの冒険の日々にはドキドキ感が伴ったが、この先どんなことが起こるだろうという興味や不安もあった。
ココットの中に、様々な感情が交差した。
「落ち着いたら、私に連絡を頂戴……」
ココットは右手で、電話番号を書いた名刺を、マサキのシャツの胸ポケットに差し込む。
すると、マサキがいきなり抱き寄せる。
「ただ、浮気はゆるさんぞ。
俺以外の男に、その身を預けるような真似はするなよ」
マサキは、そういって、ココットのスカートに指を走らせて、雄大なヒップを撫でた。
何の気なくマサキの行動を許してしまったが、ココットは後から、かあっと熱くなった。
「……はい」
ココットは、襟もとまで赤くしながら、どうしていいか知れないような心地だった。
呆然とする彼女をしり目に、マサキはゲーレン邸を後にした。
後書き
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