ドリトル先生と奇麗な薔薇達
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第三幕その十一
「水道水を飲まない人はね」
「間違ってるね」
「それは本当の美食家か」
「疑問よね」
「昔はね」
かつてはというのです。
「やっぱり技術的に未熟でね」
「水道水は美味しくない」
「そうだったんだね」
「かつては」
「カルキが強くて」
そうであってというのです。
「夏は特に、だったけれど」
「日本でもね」
「それでそのまま飲まないで一旦沸騰させたりして」
「カルキ抜いてから飲んでいる人いたわね」
「夏だと麦茶にして」
「そう、そこから冷やしてね」
そうもしてというのです。
「飲んでいたよ」
「そうだったね」
「昔はね」
「日本でもそうだったわね」
「水道水は」
「けれど今は技術も上がって」
水道水を浄化したりするそれもというのです。
「カルキの匂いや味もね」
「なくなったね」
「それで夏も普通に飲めるね」
「そうなっているわね」
「そうだよ、もう今はね」
それこそというのです。
「水道水はね」
「決して馬鹿に出来ないね」
「そのまま美味しく飲める」
「勿論こうしてポットでお湯を作って」
「お茶にして飲んでもいいわね」
「美味しいんだね」
「そうだよ、水道水を馬鹿にするなら」
それならというのです。
「もうね」
「それこそだよね」
「こうして普通に飲めない」
「食べものだってそうだね」
「水道水を使っているからね」
「その通りだよ、水道水を馬鹿に出来ないよ」
今もローズティーを飲みつつ言うのでした。
「絶対にね」
「そうしたことがわかっているのも先生だね」
「ちゃんとした知識がある」
「そのうえでお話して動く」
「それも先生だね」
「科学の知識はちゃんとないと」
そうでないと、というのです。
「困るからね」
「自分も周りも」
「そうなるよね」
「どうしてもね」
「そうなるからね」
だからだというのです。
「僕はいつも意識してるよ」
「科学への知識」
「正しい知識を備える」
「そうしているね」
「そうだよ、ただこの世に万能のものはなくて」
こうも言う先生でした。
「科学だってね」
「同じだよね」
「科学も万能じゃない」
「そして絶対じゃないね」
「神のお力の一つだからね」
科学はというのです。
「それでね」
「そのこともだよね」
「しっかり頭に入れてるね」
「そして万能視しない」
「絶対視もしないね」
「そうしたら失敗するよ」
科学を万能とか絶対とか思ってはというのです。
「まして進歩していくものだし」
「今の化学で何でも語るとね」
「失敗するよね」
「そうなるね」
「そうだよ、今の科学をそう思って」
万能や絶対のものと、というのです。
「何でも語るとね」
「とんでもない間違い犯すよね」
「もう恥ずかしいことこの上ない」
「そんな間違いをするわね」
「まして未来の技術を語ったら」
現代の科学の知識でというのです。
「こんな滑稽な失敗はないっていう位のね」
「間違いを犯して」
「目も当てられないわね」
「そうよね」
「一九四〇年代の科学の知識だとね」
これならというのです。
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