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八方塞がり

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第九章

 ある日だ。彼はこう言ったのだった。
「少し勉強がしたい」
「勉強って?」
「流石に仕事を辞める訳にはいかないがな」 
 大学教授の仕事、それはだというのだ。妻に対して話していく。
「もっと仏教のことを本格的に勉強したい」
「ひょっとしてお坊さんになりたいの?」
「いや、禅宗はそう簡単に僧侶にはなれない」
 それは話を聞いて知ったことだった。禅宗の僧侶になるには三年は寺に入りそこで修行を積む。その修行は中々厳しいものがある。
 その修行についてもだ。彼は言うのである。
「だからそれはな」
「ならないのね」
「なれないと言うべきか。けれどな」
「勉強はしたいのね」
「ああ、していきたい」
 宇山は切実は顔で幸恵に話した。
「そこに何かあると思う」
「そうね。それじゃあね」
「共産主義は崩壊した」
 これが彼の結論だった。共産主義に対する。
「そしてあの思想は失敗だった」
「マルクスは間違っていたのね」
「ソ連を見る限りそうだな」
 あの全体主義国家、後には禍根しか残さなかった国家はそうだったというのだ。
「だからな。もうな」
「共産主義は捨てるの?」
「終わった」
 そうした思想だというのだ。
「俺が至った結論はこれなのだろうな」
「それでなのね」
「ああ、仏教を勉強したい」
 特にだ。禅宗をだというのだ。
「そこから何かが見えるだろうしな」
「見えるのは何かしら」
「さあな。ただな」
「ただ?」
「共産主義は間違っていた」
 そのことは確かだった。最早彼もこう言うことだった。
「あれは何も生み出さなかった」
「じゃあ禅は何かを生み出すのね」
「絶対にな。あるからな」
「あるのね」
「そのことがわかってきた。これまで無闇に否定してきたのは間違いだった」
 その間違いにも気付いたのだ。今は。
 それでだ。日々座禅をして禅宗の寺に入ってそのうえで少しずつ何かに近付いていっていた。だがその中でもだった。
 その何かがわからずだ。彼は妻にこう言った。
「わかりにくいな。どうもな」
「禅問答って言葉もあるからね」
「そうだな。禅宗、いや悟りは」
「辿り着くことはとても難しいわね」
「そういうものだな、本当にな」
「ええ。けれどね」
「けれど。何だ?」
 宇山は妻の微笑みと共の言葉に顔を向けた。すると妻はその夫に対して微笑をそのままにして言うのだった。
「あなた最近いい顔になってるわよ」
「いい顔にか」
「ええ、それになってるわ」
 その微笑での言葉だった。
「とてもね。そうなってるわよ」
「そうなのか」
「共産主義ばかり言っていた時よりもずっとね」
「そうかもな。思えばな」
「思えば?」
「誰かを倒して。自分達以外を否定する考えっていうのはな」
 労働者だの農民だの言っても結局は戦いだった。そして血塗れになtって倒して何かを手に入れるということはというと。
「間違ってるよな」
「そう思うのね」
「今はな。本等にな」
「けれど禅は」
「誰も倒さない」
 それはなかった。修行し悟りを目指しても。
「ただ己で瞑想してな」
「悟りに近付くことね」
「そのことがわかってきたな」
 悟りには辿り着いていない、それでもだった。 
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