【KOF】怒チーム短編集
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最後の上官命令
レオナがラルフ大佐の異変に気づいたのは、山岳地帯のゲリラ掃討作戦を遂行した直後のことだった。
麓へ戻るべく下山している最中、彼の歩調が次第に鈍り始めたのだ。
もしかしたら脚に怪我を負っているのかもしれない。
「大佐……怪我をされたのですか?」
レオナはラルフの背中に向かって尋ねた。
歩みを緩めて立ち止まったラルフが前を向いたまま頭を振る。
「いいや。何ともない」
「ですが……」
「麓に下りればヘリで基地に戻れる。急ごう」
レオナの案じる声を遮り、ラルフは再び重い足取りで前進し始めた。
麓に下りたレオナとラルフは、先に到着していたクラーク中尉の部隊と合流し、待機していたヘリコプターに乗って本部基地のある空母へ帰還した。
空母は五日後に港を離れ、公海に出た。
無事に任務を終えたレオナは、同僚のウィップとともに執務室で報告書の作成に勤しんでいた。
「報告書はまだか? 今日が期限だぞ」
突然、ラルフの大声が響いた。
いつにも増して大きい彼の声に驚き、レオナはびくりと肩を震わせる。
「わっ!? びっくりしたぁ……。もう、部屋の中でそんな大きな声を出さないでくださいよ」
隣の席のウィップが大げさに反応し、ラルフを見上げて眉を吊り上げる。
「えっ? いつもと変わらんがなあ」
「またそんな大声を出して! 鼓膜が破れたらどうしてくれるんですか!」
ウィップは顔をしかめ、これ見よがしに耳を塞ぐ仕草をした。
不可解そうに首を傾げているラルフを見上げ、レオナはふと過去に読んだある記事を思い出した。
軍人や猟師など、長年銃を扱う職業に携わってきた者は難聴を患う率が高い、という内容の記事だ。
さらに、難聴になると声が大きくなりがちだとも言われている。
もしかして大佐は、耳の聞こえが悪くなっているのでは……。
一抹の不安が胸をよぎり、レオナはとっさに椅子から立ち上がった。
「大佐、お話ししたいことがあるのですが」
「おっ、めずらしいな。ここじゃ話しづらいことか?」
「……はい」
「そうか。じゃあ、大佐室へ行こう」
ラルフはくるりと背を向けて歩き出した。
彼に従い、レオナは執務室を出て正面にある大佐室に入った。
入口正面に大きな執務机と革張りの椅子があり、その横に応接用のソファとローテーブルが配置されている。
レオナはラルフの指示に従ってソファに座り、彼と向かい合った。
「――それで、話っつうのは何だ?」
ラルフが気さくに尋ねてきた。
一呼吸置いてから、レオナは率直に話し始めた。
「大佐は、耳が遠くなられたのではないかと……」
「お前もそう思うか……。最近、左耳の聞こえが悪くなったような気がしてな。やはり難聴になっちまったようだな」
ラルフは沈んだ声で言い、小さく息をついた。
「ま、戦場でドンパチやってる人間には付き物の症状だ。なっちまったもんは仕方ねえ。お前も気をつけろよ」
いつもの軽妙な口調に戻ったラルフが白い歯を覗かせる。
しかしその笑顔はすぐに消え、青い瞳が灰色に曇っていった。
翌日、ハイデルン総帥から異動通達が発出された。
それによると、ラルフは今月限りで陸上部隊大佐の任を解かれ、来月からマーシャルアーツの教官に任命されるとのことだ。
後任の大佐は現在選定中と書かれていた。
あの大佐が、前線から退いてしまうだなんて……。
レオナは信じられない思いで異動通達のメールを凝視した。
だが、早くも翌朝にラルフから後任者のグラント中佐を紹介され、いよいよレオナは強く思い知らされた。
ラルフが特殊部隊から去ってしまう日が迫っているという事実を。
それからラルフは引き継ぎで忙しくなったのか、執務室に顔を出さなくなった。
そのことについてウィップは、「これで仕事を邪魔されなくて済むわね」などと言い、明るく笑っていた。
レオナはとてもそのようには思えず、日に日に喪失感を募らせていった。
瞬く間に月末を迎え、ラルフ大佐の退任が迫ってきた。
昼のうちに指揮官クラスの隊員達だけで行われた送別会とは別に、レオナはクラーク、ウィップと一緒にラルフの送別会を開くことにした。
定刻で仕事を終えて執務室を出たレオナは、寝室に置いてある送別の花束を取りに行くため、居住区画へ向かおうとした。
その時、ちょうどミーティングルームから出てきたクラークと鉢合わせした。
レオナはすぐさま直立して敬礼し、
「お疲れ様です、中尉」
「ああ、お疲れ様。仕事は終わったか?」
「はい。これから大佐にお渡しする花束を取りに行ってきます」
「そうか。よろしく頼む。それと……」
わずかに唇の両端を上げたクラークが手のひらを上に向け、人差し指をちょいちょいと動かしている。何か話があるのだろうか。
レオナは数歩近づき、クラークとの距離を縮めた。
「……何でしょうか?」
「だいぶ前に、大佐からバンダナをもらっただろう? それは取ってあるか?」
クラークが小声で尋ねてきた。
レオナも声を潜めて「はい」と答える。
「よかった。じゃあ、それを髪に結んできてくれ。きっと大佐が喜ぶぞ」
あのバンダナで髪を結ぶと、なぜ大佐が喜ぶのかしら……?
そんな疑問を抱きつつ、レオナはクラークの指示に対して「了解」と返事をした。
クラークと別れたレオナは寝室に戻り、赤地に緑の迷彩柄が施されているバンダナをロッカーから取り出した。
かつてレオナが自ら命を絶とうとした時、それを止めてくれたラルフが髪に結び付けてくれたものだ。
普段はロッカーの奥にしまい込んだままだが、ふとその日の記憶が蘇ってきた時に取り出し、ラルフへの感謝の念を抱くことがある。
レオナはラルフからもらったバンダナをポニーテールの結び目に括り付け、リボン結びの形に整えた。
そして部下一同からという形で贈るスイートピーの花束と、個人的に用意した送別の品――赤地に黒のリーフ柄が施されたバンダナを持って寝室を出た。
港に停泊している空母の下艦口から岸壁に降りたレオナは、外で待っていたウィップと一緒に、港からほど近い場所にあるレストランに入った。
予約を入れたクラークの名をウェイターに伝えると、奥の個室に案内された。
部屋の中央には純白のテーブルクロスが敷かれた丸テーブルがあり、色とりどりの薔薇が生けられた透明の花瓶が飾られている。
ジャズピアノの曲が控えめな音量で流れているが、部屋の外の物音や声はほとんど聞こえてこない。
どうやら難聴を患ってしまったラルフのために、クラークが気を利かせて静かな個室のある店を選んだようだ。
「さすが中尉、元情報員なだけあってお店のリサーチも完璧だわ」
ウィップは感心したように頷き、窓を背にする席に腰を下ろす。
レオナはウィップの正面の席に座った。
ほどなく先ほどのウェイターがやって来て、ラルフとクラークを個室に通した。
「大佐! お元気でしたか?」
ウィップはラルフを見るなり笑顔で声をかけた。
ラルフもまた上機嫌な様子で破顔し、
「おうよ。お前らも元気にしてたか?」
「ええ。私もレオナもこの通り、元気ですよ。ここのところ、なかなか大佐にお会いできなかったので、とても寂しかったです」
ウィップが意外な言葉を口にした。
明らかに本心とは違うであろうその言葉を耳にした瞬間、レオナは不信の眼差しをウィップに向けた。
「大佐が来なくなったおかげで仕事を邪魔されなくて済むわ、って言っていたのに……」
「ちょっと! 余計なことを言わないでよ!」
慌てた様子でレオナの二の腕を叩いたウィップを、ラルフがぎろりと睨みつける。
「ムチ子! 最後の最後まで悪態つきやがって! ったく、可愛げのねえ女だぜ」
「あっ、またムチ子って言った! そんなことだから最後の最後まで部下に憎まれ口を叩かれるんですよーっ」
「てめえ、それがこれから送り出す上官に向かって言う言葉か!?」
「だって――」
「よさないか、ウィップ! 大佐もどうか落ち着いてください。せっかくの送別会の席なんですから」
いつものように始まったラルフとウィップの口喧嘩を、間に入ったクラークが冷静に執り成す。
ウィップはふんとそっぽを向き、ラルフは渋々といった表情で口を閉ざした。
子どものような反応を示した二人を交互に見て、レオナはふふっと笑い声を漏らした。
やれやれとでも言いたげに肩をすくめたクラークが、窓側の席へ向かっていく。
一方、ラルフは夜景が最もよく見える席に腰を下ろし、レオナが髪に結び付けているバンダナに目を移した。
「おっ、そのバンダナは……」
「これで髪を結ぶよう中尉に指示されたので、そのようにしました。そうすればきっと大佐が喜ぶだろうとも仰っていました」
レオナはありのままの経緯を話した。
それを聞いたクラークが手で額を覆い、盛大に溜め息をつく。
「レオナ……それを言っちゃあダメだろう」
「ははは、それでも構わねえや。そのバンダナを大事に取っといてくれたんならよ」
眉間に皺を寄せて呆れ顔をしているクラークとは対照的に、ラルフは嬉しそうに笑い、レオナの頭頂部に結ばれているバンダナを人差し指でつついた。
それからレオナ達は料理とワインを堪能しつつ近況を語り合った。
ラルフの話によると、彼の後任者であるグラント中佐は冷静沈着だがエリート意識が強く、間違っても部下の世話を焼いたり、危険な潜入任務に同行するようなタイプではないらしい。
要はラルフとは真逆の性格をした人間が大佐になるということだ。
だが、大佐とは本来、そのような存在である。
数千人単位の傭兵を統率する身で、レオナのような無階級の兵士にまで親身に接していたラルフが稀有な存在だったのだ。
それを知っているからこそ、レオナはラルフが大佐ではなくなってしまうことを、彼の部下ではいられなくなってしまうことを寂しく思うのだった。
一方、クラークはハイデルンから二階級特進の話を持ちかけられていることを明かした。
今まで頑なに昇進を辞退してきたクラークも、ラルフが大佐の階級を返上するのを機に、特進を受諾する決心を固めたようだ。
この話に最も喜びを表したのはラルフで、「これでお前もめでたく上級指揮官の仲間入りだな」と、クラークの昇進を大いに祝福していた。
和やかに会食が進み、近況を報告し合う会話が一段落した時、ウィップがラルフに目配せをして尋ねた。
「ところで大佐、なぜ急に部隊を離れることになったんですか?」
「ああ、それはだな……」
ラルフはいったん言葉を区切り、ワイングラスを傾けてから再び口を開いた。
「歳なりに体力の衰えを感じたからだ。おまけに難聴を患ってしまった。この調子では、もう前線では通用しないだろう。そう判断して一線から退くことにしたんだ」
「そうだったんですか……」
ラルフの答えを聞いたウィップが心底驚いたように絶句する。
その反応から察するに、ラルフが大佐の地位から退く事情を誰からも知らされていなかったようだ。
レオナもまたラルフの話を聞いてようやく気づいたことがある。
ゲリラ掃討作戦の遂行後、ともに下山していたラルフの足取りが妙に鈍かったが、あれは怪我を負っていたからではなく、体力の限界が迫っていたことが原因だったのだろう。
「傭兵ってのは、通用しなくなるまで続けちゃならねえんだ。そうなってからも前線に出続けていた連中は、みんなあの世に行ったからな。己の引き際を見極め、潔く足を洗える奴だけが生き残れるんだ。お前達もそれだけはよく覚えておけよ」
ラルフはいつになく真剣な表情で語った。
レオナはクラーク、ウィップとともに「はい」と返事をする。現実的思考の持ち主である大佐らしい言葉だと思いながら。
送別会も終わりに差し掛かった頃、レオナはウィップと一緒にスイートピーの花束をラルフに手渡した。
『門出』や『別れの言葉』といった花言葉を持つその花束を受け取ったラルフは目を潤ませ、
「ありがとよ。お前達は本当に可愛い部下だったぜ。これからはマーシャルアーツの教官としてビシバシしごいてやるからな」
と、冗談か本気かわからないことを言って部下達を笑わせた。
それからレオナ達は各々用意した送別の品をラルフに渡し、送別会はお開きとなった。
空母に戻ったレオナ達は一列に並び、狭い通路を歩き進んでいく。
途中にあるラウンジの前を通りかかり、レオナは素早く部屋の中を窺う。
大抵、この時間はソファに座って談笑している隊員を数人見かけるが、今夜はめずらしく誰もいなかった。
大佐と二人きりで話せるチャンスは、今しかない。
「大佐」
レオナは目の前を歩いているラルフに声をかけた。
「ん? 何だ?」
「少しお話がしたいのですが……」
「おう、いいぜ。そこのラウンジで話そう」
ラルフは二つ返事でレオナの申し出を承諾し、親指でラウンジを示した。
「えっ、何? もしかして……告白?」
レオナの顔を覗き込んだウィップが意味深な笑みを浮かべる。
先頭のクラークが振り返り、ヒューと口笛を吹いた。
「こんな美女に想われていたとは、大佐も隅に置けませんねえ」
「お前らなあ……どう考えてもそういう話じゃねえだろ。ほら、邪魔だから行った行った」
顔をしかめたラルフがしっしっと手を払うと、クラークとウィップは含み笑いを残して去っていった。
レオナはラルフとともにラウンジに入り、ソファに並んで腰を下ろした。
出入口をちらと見て人の気配が無いことを確認し、ラルフに視線を転じる。
「大佐……このバンダナをくださった時のことを、覚えていらっしゃいますか?」
レオナは髪に結いてあるバンダナを撫でながらラルフに尋ねた。
「忘れるわけねえだろ。目の前であんな真似をされたらな……。二度と自分から命を絶とうだなんて考えるんじゃねえぞ」
「はい。もう自ら捨てるつもりはありません。命も、未来も」
ラルフの瞳をまっすぐに見据えながら、レオナはきっぱりと答えた。
力強く頷いたラルフがレオナの頭を優しく撫でる。
彼の大きな手が髪を滑っていった瞬間、レオナは幼い頃によく頭を撫でてくれた父の姿を心に描いた。
「あの時、大佐が私を止めてくれなかったら……私は今頃、この世に存在していなかったでしょう。本当に感謝しています。ありがとうございました」
「上官として当然のことをしたまでだ。礼には及ばねえよ」
そう言って、ラルフは少し照れくさそうにへへっと笑った。
話を終えてラウンジをあとにした二人は、指揮官専用の居住区画へと続くドアの前で足を止めた。
「大佐……来月からの格闘訓練の時間を楽しみにしています。それでは、おやすみなさい」
レオナはラルフに向かって敬礼し、その場から立ち去ろうとした。
「待て、レオナ」
ラルフに呼び止められ、レオナは静かに振り返る。
「……何でしょうか?」
「これから最後の上官命令を下す。一度しか言わねえからよく聞けよ」
はい、と答えたレオナは神経を集中させ、じっと耳を澄ませる。
ラルフは無言の溜めを置き、すっと息を吸い込んでから口を開いた。
「もっと笑顔を見せろ。それと、ちったあ女らしくなるんだぞ。以上」
最後の上官命令を聞いて拍子抜けしたレオナは、思わず唇を綻ばせた。
そして満面の笑みを浮かべているラルフを見上げ、「了解」と敬礼をした。
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