傍にあった日本の暮らし
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第四章
ジュリアーノは畳と障子の部屋で日本のお茶とお菓子を楽しみつつ裕子達と共に日本の住居を満喫した。
そしてだ、数年後。
大学の同窓会でだ、地元の企業に就職した裕子は大学でイタリア語を教えかつ日本の歴史を学び続けているジュリアーノと再会したが。
「あら、近所ね」
「うん、この前引っ越したよ」
彼は裕子に笑顔で話した、二人共今はスーツ姿である。裕子は膝までのタイトスカートのスーツである。
「丁度空き家があってね」
「それでなのね」
「日本の大きなお家で」
そしてというのだ。
「お庭もね」
「日本のものね」
「裕子の実家とね」
大学時代に行った、と言葉の中に入れて話した。
「同じ様な」
「そうしたお家でね」
「暮らしているのね」
「畳と障子のお部屋で」
それでというのだ。
「お布団で寝ているよ」
「願いは適ったのね」
「うん、最高だよ」
「本当に日本のお家に住みたかったのね」
「是非ね、大学を卒業してからはアパート暮らしで」
そうなってというのだ。
「畳のお部屋だったけれど」
「それでもだったのね」
「障子もお庭もなかったから」
「物足りなくて」
「今そうしたお家で暮らせてね」
「外観もお庭もお家の中も日本のお家ね」
「勿論玄関だってね」
そちらもというのだ。
「日本のお家でね、願いは適ったよ」
「そこまで言うのがね」
「わからないかな」
「ちょっとね、そんなにいいかしら」
「裕子はそう思っても僕は違うよ」
こう返すのだった。
「人の願いはそれぞれだね、日本に憧れて来たのは」
「日本のお家にも憧れてだったのね」
「その憧れのお家に住めて」
「それでそう言うのね」
「そうだよ、だからこれからもね」
今だけでなくというのだ。
「日本のお家に住んで」
「幸せに暮らすのね」
「そうしていくよ」
満面の笑顔で言うのだった、そしてだった。
ジュリアーノはその家に住んでいった、やがて日本の車を買って日本人と結婚した。そしてその家に住み続け自分は最高に幸せだといつも言うのだった。
傍にあった日本の暮らし 完
2023・12・15
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