冥王来訪
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第三部 1979年
孤独な戦い
姿を現す闇の主 その3
前書き
劇中のインド軍の装備が古いのは、今も同じなので、大目に見てください。
マレ国際空港内には、また元の小康状態に復活するかに見えた。
その後、国籍不明の戦術機がやって来なかったし、市街から聞こえる銃声も至極緩慢だった。
ただ駐留インド軍にとって、困ることは、外部からの襲撃が刻一刻と緊張の度合いを増して来る事であった。
その為に部隊の三分の一は、塹壕の構築という仕事に没頭せねばならぬことであった。
空港の管制塔にある司令室では、インド本国からかかってきていた電話を副指令が受けていた。
司令官のラダビノッド少佐は、副指令の傍らに立って、静かに受け答えを聞いていた。
電話の内容が、非常に重大性を含んでいることに気が付いたからだ。
彼は、副官が受話器を置くのを待つことにした。
シーク兵の副官は姿勢を正すと、その目に食い入るような視線を注ぎながら、 答えた。
「少佐、先ごろの国籍不明機の機種が判明いたしました」
「どんな機種だね」
「スウェーデン製のドラケンとして知られる、サーブ35です」
「たしか、北欧以外には採用されていない機種のはずだ」
ラダビノッド少佐は、不安に駆られた様子で室内を歩き回っている。
彼は増援が来なくて、何もかも心配でたまらぬという顔つきである。
「実は、次期戦術機の選定をしていた西ドイツ向けに少数の改良型が発注をされていたことが判明をしています」
司令官は、苦い顔をしてそれを聞いていた。
「つまり、木原博士をつぶしたい勢力による犯行という事か」
その調子はまるで、マサキに責任があるかのように叱責する調子だった。
「と言いますと……」
シーク兵の中尉が腑に落ちないような顔をしていると、少佐は決めつけるように言い放った。
「博士の親しい友人には、東ドイツのシュトラハヴィッツ少将が居られる。
彼は親ソ派の将軍として有名だったし、プラハの春の際に今のソ連赤軍の参謀総長と懇意になった。
今回の会談の真相は明らかになっていない……
だが、木原博士がシュトラハヴィッツ少将を通じて、ソ連側に提案したとなれば、話につじつまが合う」
そう答えた時には、ラダビノッド少佐もすでに観念の眼を心にとじていた。
「西ドイツは、ソ連との国交回復に際して、ドイツ国内の外交権を一手に担うことを前提としていた。
博士が善意でシュトラハヴィッツ少将を使ってソ連側にアプローチをしたとなる。
そうすると、西ドイツはどう思う」
「面目が丸つぶれですな……」
「そうだ。
西ドイツがソ連と近づいたとき、対立関係にあった中共が東ドイツに近づいたが失敗に終わった」
「木原博士は、志那の北京政権とも昵懇の間柄とも聞いております」
「これは博士が知らないところで、我々が知らないところで陰謀があったのかもしれん」
「どうしますか」
「誘拐されたソ連軍人の事は、日本政府に頼もうと思う」
「司令官、私もそれがよいとおもいます。
この会談自体、木原博士自身がまいた種ですから、彼らが片付けに来ますね。
テロリストどもを消すつもりで……」
ふしぎな事に指令室の要員の顔には、誰の顔を見ても緊張感が欠けていた。
これから戦争が始まるのかもしれないのに。
各自の顔を見ても、通常の軍事演習と変わらないような静かな気持ちで、驚くほどであった。
誰もことさらにこのことに関して、反省する者はいなかったらしい。
これは一体どうしたものだろうと、反問する者がいたら違ったかもしれない。
だが、司令官の言葉で兵たちの不安は、消え去ってしまった。
「私がすることは許されないことだが、これでインド政府は無関係でいられる」
こうして話しているうちに、ラダビノッド少佐も心の内で、やや安堵を抱いて来た。
救援に来たグルカ兵たちによって、御剣以下日本政府外交団はマイソール級巡洋艦に移っていた。
戦前に作られたこの船は、英国海軍からインド軍に武装を撤去した後引き渡された。
建造から40年近い歳月がたっている為か、すでに老朽化し、その上、海難事故の影響で速力も大してでなくなっていた。
今はインド海軍の軽巡洋艦デリーとともに、停泊練習艦となっていたのだ。
マサキは御剣と共に、マイソールの艦橋に呼ばれていた。
その時、現地協力者と接触した鎧衣が情報をもたらした。
「今回の事件を引き起こしたグループの多くは、南アフリカ経由で来たとの事です。
その点から考えられるのは、コンゴ動乱で知られる「灰色雁」が関与しているという可能性です」
鎧の話はこうだった。
「灰色雁」とは、コンゴ動乱時に活躍した傭兵を中心としたコマンド部隊である。
傭兵の多くは白人で、ベルギー軍退役将校、CIA工作員、南アやローデシアの義勇兵などであった。
彼らを率いたマイケル・ホーアは、敵軍に包囲されたスタンリービル(今日のキサンガニ)から1600名の民間人救出を成功させた。
その後、コンゴ動乱の敗戦を受けて、南アに隠居した。
そして、見初めたスチュワーデスを後添えとして迎え、最近は映画撮影に没頭しているとされる人物である。
「昨晩発生した、ベンガル州での反乱も……
この度、モルディブを襲撃したタミル・イーラム解放の虎も……
双方とも、表看板としては、インド共産党毛沢東派の集団です。
インド、モルディブ、セイロンの三か所同時に発生していますから、中共が起こしたという風に目を持っていきやすい面があります」
そう話しながらも、鎧衣は傭兵グループに旧知の仲間たちが多く参加していることに心を痛めていた。
彼自身も、ベトナムやカンボジア戦線で、商人という肩書で共産ゲリラに潜り込み、CIAやSASRの破壊工作を手伝ったからだ。
「木原君は、東ドイツと関係が深い人物です。
ホアー少佐は、かつて東ドイツから血塗られた狂犬と宣伝煽動されたことがございます。
反共主義者ですし、英国からの誘いがあって、木原君の命を狙うような行動をとっても矛盾はありません。
案外、日ソ交渉つぶしも彼から英国に持ち込んだ線もあります」
「そうか、英国の連中はそんな恐るべき計画を立てていたのか」
「敵としては、支那や東ドイツ仲と間割れをすれば、良い機会になります。
今こそ、叩き潰すチャンスです」
「うむ……」
御剣が、語気を強めて聞く。
「では、木原よ。中南海に連絡してくれ。
インド亜大陸の共産党組織は、あきらめろとなッ」
その時、マサキには中南海という言葉の意味が解らなかった。
中南海という言葉は、単に北京にある中国共産党の施設を表す言葉だからだ。
インドの話なのに、なぜ支那政府に相談するのだ……
信じられない面持ちで、御剣に聞き返す。
「ど、どういうことだ」
「これを機会に日本政府がインド、モルディブ、セイロン、ネパールの共産党組織をつぶす」
御剣が言わんとしている共産党組織とは、インド周辺国にいる毛沢東主義の集団。
つまりこの機会に乗じて、中国共産党の影響や支援を受けた団体をつぶそうという話だった。
「何!」
「それから、東ドイツ政府を通じて、セイロンにあるスリランカ人民解放戦線に連絡を問てほしい。
彼等ならば、タミル・イーラム解放の虎の拠点を知っているはずだ」
御剣に冷ややかな声で言われて、マサキは改めて事の重大さに身をすくめる。
「……」
マサキは一瞬、沈黙するしかなかった。
インド周辺において中共の影響力を削げば、自然とソ連が優位になる。
ただでさえ、今インド軍は、旧式化した英国製の装備から、ソ連製の装備に更新し始めている。
戦術機でさえ、英国や米国の提案した案を拒否し、ソ連製のMIG21を導入したのだから……
「そいつぁ、無理だ!スリランカ人民解放戦線は毛沢東主義のグループ。
東ドイツは1969年の中ソ紛争以降、支那の中共政府と断交に近い状態だ」
「だから、こうして君に頼んでいるのではないか。
世界最強のマシンを持つ人物で、しかも共産圏に有人が多い木原マサキ君に……」
マサキは、自分で自分が、今更ながら口惜しくてたまらなかった。
ユルゲンと組んで、東欧全域まで事実上支配下におきながら、ついに最後の一線を超えることが出来なかった自分が、不甲斐無かった。
そんな自分が、ここで御剣の条件を飲むというのは、男として敗北を認めるように思えたのだった。
いや、命令を受け入れたならば、前の世界の様に惨めな最期を迎えるかもしれない。
世界征服という、自分の野望の為ばかりではない。
アイリスディーナの為にも、ここは頑張りとおすしかない。
「俺は人から命令されるのが、大嫌いでね。
特に老いさらばえた政治家からな……」
マサキは言葉を切ると、胸ポケットからホープの箱を取り出した。
使い捨てライターで、茶色のフィルターのついたシガレットをあぶり、火をつける。
彼がタバコを吸うときは、大体話を別なところに持っていく手段でもあった。
「そうか……。
これはわしの独り言だがな……」
そういうと、御剣は懐中より煙管入れを取り出した。
胴乱の中にある刻み煙草を丸めて、純銀製のキセルに詰める。
火をつけ、ゆっくりとキセルを吹かした。
器用に煙の輪を吐いた後、問わず語りが始まった。
「次の臨時国会では、ココム規制の……緩和に関する改正案が提出される。
5年の時限立法ではあるが、BETA戦争を鑑みて、20年ぶりに紛争当事国への先進技術輸出が再開される見通しとなった。
これは東欧も含んだ、合法的な輸出制度だ」
御剣の言う意味は、周囲のものにも、そしてマサキにも伝わった。
これは日本政府としての、マサキへの譲歩なのだと。
「ま、まてッ!た、頼まれたら別だ。
見返りのあるお願いに喜んで答えるのが、俺の心情だからな」
御剣が今しがた言ったことは、日本政府の懐柔策であることは、マサキにも理解できた。
それに、今のこの場では、マサキは弱い立場だった。
「一つだけ、聞かせてくれ」
これで、俺が改良したF-4とA-10を、アイリスディーナの手元に送り込むができる。
アイリスディーナへの思慕と自己陶酔な高ぶりに、マサキは甘酸っぱい胸騒ぎを覚えてしまった。
「本当に、東側に戦術機を輸出できるのだな」
老獪な政治家は、マサキがもう拒めないのを見越していた。
「そうだ……」
御剣は、意味ありげにマサキの顔を見て、ほくそ笑んだ。
マサキ達を襲撃した謎の犯人たちは、ラトロワたちを誘拐したまま、マレ市内にいた。
彼は、ちょうどスリランカへ向けて飛行艇の離陸準備をしているところであった。
「どうしたマイク」
マイケル・ホーア元英国軍少佐は、仲間内ではマイクと呼ばれていた。
「どうもこうもねえよ。今回の日ソ会談を仕掛けたのは例のガキだってよ。
木原マサキとかいう」
マサキの行動には、マイクも呆れるしかなかった。
いや時には、何か不気味な感じすらうけないこともない。
「聞いたことあるな、その名前」
「『ザ・サン』(英国のスポーツ新聞)で見たんだよ。
アイツだろう、東トルキスタンのハイヴを落とした……」
「おお、生きていたのか」
「さっき連絡があって、ジャフナに向かう船に、鎧衣左近がいる」
ジャフナとは、セイロン島北部にある都市である。
13世紀に建国されたジャフナ王国の王都の歴史を持つ、古都でもある。
植民地時代から1983年のスリランカ内戦勃発前までは、首都コロンボに次ぐ人口を持つスリランカ第2の都市であった。
ここにはタミル・イーラム解放のトラの一大拠点があったのだ。
かすれた声でマイクが言葉を切ると、大きなため息をついた。
その仕草は、鎧衣に興奮しているのか、あるいは恐れを抱いているのか。
少なくとも何らかの影響を受けて、落ち着きを失ていることを意味していた。
ベルギー人の副官は、カナディア・CL-215飛行艇のエンジンの起動をかける。
そういう手配りをした後、彼はマイクの方を向いて、言った。
「なんで木原と鎧衣が一緒に」
「鎧衣が護衛に付いたんだろう」
そしてテーブルの上に一梃のピストルを置いて、彼は言い添えた。
「ジャフナに行ってくる。鎧衣には死んでもらうしかないな」
レシプロエンジンの轟音が響き始めた機内には、人質の他に十数名の乗員がいた。
イスラエル製のウージ機関銃を持った男が、マイクの方に向かって怒鳴る。
「俺も行くぜ、相手は鎧衣だ。簡単にはいかん」
ドドドと、爆音をあげるエンジンの為に大声を張り上げねば、話が出来ないほどであった。
男はいったが、マイクは、むしろよろこばない様子を示して、
「待ちな、何かの罠かもしれない」
「例えば、どんな」
男は、解し難い顔をして、仔細を追求した。
マイクは、顔を振って、傍らの迷彩服姿の男たちへ眼をそそぎながら、
「俺たちをあぶりだすための」
「そうか、ジャフナへノコノコでかけていけば、俺たちの事がばれてしまうかもな」
「木原ってガキは、ソ連に近づくために、この会談を始めたんだ。
当然、日本政府にもこのことを話している」
「どうする」
「危険な芽は、摘まなくちゃなぁ」
マイクの声は一転して、かなり上気したものになっていた。
話している内に心身が高揚してきたようだった。
「人間狩りに、良い場所さ」
そういって、木箱の中から真新しい自動小銃を取り出して見せる。
銃は、ベルギー製の自動小銃・FNFALのコピー品である、インド製の1A自動小銃であった。
ベルギーとのライセンス契約を無視し、英国軍の銃を模倣して作った違法生産品であった。
後書き
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