或る皇国将校の回想録
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第二部まつりごとの季節
第二十六話 陪臣達の宴
前書き
益満昌紀 近衛禁士隊勤務の騎兵大佐 駒城家重臣団の筆頭格益満家の長男
佐脇俊兼 生真面目な貴族将校 陸軍大尉
久原少佐 駒城家陪臣 水軍少佐
駒杉和正 駒城家陪臣 水軍中佐 都護陸兵団勤務
鍬井大佐 駒城家陪臣 駒州鎮台司令部勤務
供駒中佐 駒城家陪臣 駒州鎮台司令部勤務 騎兵中佐
富成中佐 叛徒出身 駒州鎮台司令部勤務 砲兵中佐
豊久が龍火学校(砲兵専科学校)に居た時の教官
皇紀五百六十八年 四月三十一日 午後第四刻
皇都 大馬場町 桜契社本部
駒城家陪臣 〈皇国〉陸軍中佐 馬堂豊久
「本部に来るのは久しぶりだな。」
此処は陸軍将校の親睦団体である桜契社の本部である。所謂、共済組合としての役割も持っており、豊久が監察課に居た時にも何度か職務上の必要で立ち寄ったことのある場所であった
〈皇国〉陸軍将校に任官した者はすべてが加盟する事になっており、予備役に編入されてからも会員の権利は一生保有し続ける。運営費は現役将校の俸給から一定額を差し引く事によって捻出されている。主な活動内容は将校たちの会食や宿泊といった保養の面倒から個人的な軍事研究の支援、そして戦死した将校達の遺族への援助金を出す事である。
施設自体は会員の紹介があれば他の者でも利用可能であり、外部の人が退役将校の同僚に連れられて、なんて光景も偶に見られる。
そして、会員である限りは衆民であろうと将家であろうと平等な権利を有するというのが運営理念であり、この理念には公爵大将から下士官上がりの退役少尉まで誰もが従っている。
そして今日、此処へやって来たのは益満大佐主催の駒州兵理研究会の会食の為である。
駒州鎮台も皇都周辺に集結しており、北領最後の残存部隊達が帰還したことで出征前の景気づけにと音頭を取られたのである。
「相変わらず、豪華だな。」
本部の内装は皇国陸軍が経験した戦いにちなんだ装飾や絵画で統一されている。
駒城篤胤大将や他の五将家当主達の率いる軍勢が東州から凱旋する場面の絵も掲げられている。
「――何時か此処に第十一大隊が加わるかもしれない、かな?」
――そうなったら嬉しいな。尤も奴は鼻で笑うのだろうが。
仏頂面で含羞と自己嫌悪を覆い隠し、鼻で笑う旧友の姿はまるで見てきたように想像できた。
――こんな物が兵の健気に報いるか、とでも言うのだろうな。
此処に描かれている将家の将達も俺達の矜持の証から歴史の遺物となり、これもまた一時代の鎮魂になるだろう。
――ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず、なんて、ね。時代は変わる、だな。
茫洋と諸将時代の終わりを告げる東州凱旋の絵を眺めながらも、豊久の意識はそこから〈帝国〉によって終わらせられた“時代”へと飛んでいた
天領は活気に溢れ、港には回船がひっきりなしに出入りし、辺境は開発されていた。
そう、間違いなく〈皇国〉は発展していた。『馬堂豊久』で無かった遠く朧な過去に憧れていた
『旧き良き時代』に酷似していた。ただ幸せな人間ばかりでは無いが、
それでも何時かは何かを得られる、と希望を持っている者達が街を歩き、軍服に身を包んだ軍人たちは閉塞していたが厳格な規則を守り更に独特な不文律を守り、“将家”たれ、とする者たちによって統率されていた。
――時代は変わり、将家は消える、将家の将家たる故最後の拠り所を失う。
衆民の時代が来る、衆民の政府となり、衆民の軍となり、〈皇国〉は皇家を御輿にした衆民達の国になる。そして家名では無く、財貨で地位が決まり万民平等を嘯く国になるのだろう。
――それが良いことなのかは分らない。それはそうしたモノなのだ、と考えるしかないのだろう。
朧気ながらも民主主義を奉じていた身であった筈だが、立場が変われば変わるものだ。と内心苦笑を浮かべた。
無論、体制だけで全てを論じる事はできない、経済・技術・教育等々の発達があってこそ、あの民主主義なのだから
「何をしている?豊坊。まだ歩けもしなかった頃の戦が懐かしいのか?」
そう言いながら豪快に笑う声には聞き覚えがあった。
「――お久しぶりです、益満大佐殿。御健勝そうで何よりです」
そんな十余年も前の呼び方は止めてほしいのだが、と溜息をつきながら豊久は頭を下げる。
「ふん、馬堂中佐、か。気がついたら閣下とお呼びしなくてはならなそうですな」
そういいながらバシバシと豊久の背中をどやすのは益満家の跡継である益満昌紀大佐の纏う軍服は豊久と同じ漆黒が基調であったが、豊久のそれの様に金糸によるものではなく、赤と白銀でより壮麗に飾りつけられている――近衛禁士隊の軍服である。彼は禁士隊司令部の首席幕僚であった。
「ははは、軍監本部に顔見せに行った時も言われましたよ。
まぁその分、色々と酷い目に遭いそうですがね」
「だが、冬まで生きていれば大佐だろう?父から聞いたが、若殿様も貴様の事を買っている様だな」
「こんな戦況では大佐の階級章をぶら下げる前に『閣下』に成りかねないのが恐ろしいとこですが。ま、帷幕院に行き損ねましたし家格を鑑みても、この戦の間は大佐でしょうね」
――そう若者がそうポンポン出世する程、上の席が空く様な戦況にならないで欲しいものだ。
と内心、豊久は呻いた。
――兵部省にとって涙すべき四十寸なぞ御免だ。
「確かに、貴様が経験不足なのは否めないがまぁ働き次第だろうよ。
だが確かにこれで貴様も一生分の栄達が約束されたようなものだろうな」
そう言い、顎を掻く。
「俺も遠からず、総軍司令部に転属だ。さすがに出征する際にはそちらに権限が集中されるからな。俺も禁士隊の中じゃそれなりに実戦派で通っているからな。前線に出張る事になる。――その前に馬鹿な騒ぎを片付けなくてはならないが」
うんざりした様に頭を振る。
「馬鹿な騒ぎ、ですか?」
「まぁ色々と、な。栗原閣下も家格だけの御方では無いのだが、五将家の横車には弱くてな。
面倒を背負い込む羽目になる。だから今日は貴様を肴に馬鹿騒ぎして憂さ晴らしだ」
そしてまた、呵呵と笑った。
「さぁ! 主賓の癖に皆を待たせるな!さっさと行くぞ!」
そういうと傲然と益満大佐は豊久を大会堂の奥へとずるずると引っ張り込んでゆく。
「――――もうどうにでもなぁれ」
諦めきった下戸の生贄は諦観の呟きを張り切った酒豪の背中にひっそりとぶつけた。
同日 午後第五刻 桜契社本部 大会堂
駒城家陪臣 馬堂家嫡男 馬堂豊久
大会堂は喧騒に包まれていた。十数卓の円卓を占領している駒州産の分家・陪臣格の少壮有為の将校達が集まっているからだ。
「兵理研究会にこれ程の人数が集まるのは初めてでは無いでしょうか?」
「だろうな、俺もできるだけ出ているが、これほど集まったのは初めてだ。まさしく戦時体制だ」
隣に座っていた駒城家重臣の佐脇家の嫡男――佐脇俊兼が真面目な顔で首肯する。
家の位階は同列だが、佐脇家はガチガチの武門で馬堂家はやや文門よりなので序列は佐脇家が上、だが家産は馬堂家が上。個人的には年齢は俊兼が二つ上で階級は豊久が二つ上とややこしい立場であるが、生真面目で裏表が出せない人柄であるので豊久は軍務の外では唯の良き先達として接している。
「厭なひびきですね、戦時って。それで集まれたのだと前向きに考えますか」
「――まぁそうするしかないな。将家の哀しいとこだ。
俺も一個小隊の部下が美奈津の海で見送って来たから気持ちは分かるよ」
佐脇俊兼大尉は、派遣された集成兵団に居た銃兵第九旅団で中隊長をしていた。
美奈津浜で撤退に成功した者の一人であり、であるからこそ豊久には素直に好意的であった。
似たような再会を喜ぶ同輩達が交わす雑談の切れ目を見計らい、陪臣格の筆頭でこの会の主催者である益満昌紀大佐が音頭をとる。
「それでは、我ら駒城家家臣団が俊英、馬堂豊久の生還を祝って!」
「「乾杯!!」」
皆が好き好きに飲み物を注いだ杯を呷り、そうそうに話のネタにされた約一名がむせこむ中で宴は始まった。
「酷い目にあった――」
まだけほけほとやっている後輩を見て笑いながら佐脇は笑う。
「まぁまぁ大目に見てやってくれ。あの育預が大隊を率いて帰ってきた時には君は死んだものだと思われていたからな。武勲も、奏上の機会もあの育預に――」
喋りながら興奮しだした佐脇に豊久は肩を竦めていった。
「――早々に酒精が過ぎているようですね」
「あぁ、すまないな」
と決まり悪そうに佐脇も微笑した。
「おい!馬堂水軍中佐殿!此方に来い!」
割れた声が大会堂に響いた。
調度良いタイミングであるといそいそと豊久は立ち上がって笑う。
「おっと。頭に名誉をつけ忘れている奴がいますね。少し注意してこなくては」
「あぁ、それではまたいずれ」
そう言って佐脇も杯越しに手を振って見送った。
呼ばれた先は駒州出身の水軍の士官達が集まっている円卓であった。
尤も今は結構な人数が混ざり合っており、その分類ももう役に立たないが。
「おい、それより貴様、<畝浜>に乗ったそうだな。あの熱水機関、どうみた?
俺は最初から熱水機関は輸送船から試すべきだと言っていたのだ。そうすればあんな無益な溺死者も――」
「フゥ・・・」
溜息をついて豊久は相伴相手を観る。
相手は水軍の久原少佐と云った。酒が入っているらしく、日と潮に焼かれている事を差し引いても顔が赤い。延々と畑違いの相手に愚痴だか持論の展開だか良く分らん話をしている。
――東海洋艦隊の人だったかな?権門意識も薄いし悪い人じゃないと聞いているが――
「済まないね。この人は転進作業の時に船上から何人も溺れ死ぬのを見ているんだ」
同期らしい同じ水軍の軍服を纏った男が隣に座りひそひそと囁いた。
「そんなに酷かったのですか?」
「少なくとも、千人は亡くなったらしい。
海が荒れていた上に真冬だったからな、運荷艇がひっくり返ったらまず助からない。
――君も苗川を利用したのだ、分かるだろう?見かねた笹嶋が無理に救命艇で運ぶ要請を出した程だ。詳報でははっきり書いていなかったが、他の艦では渋った艦長も居ただろうよ」
暗い顔をして頭を振った。
――そこまでする程、酷かったのか。
荒れた海で救命艇を出させる命令への反発は門外漢の豊久にとてぼんやりとだが想像できた。
「まぁ、何だ。君も一応は、水軍中佐なのだ。
これからはより一層宜しく頼むよ。」
にやりと――笑った。
「あの――失礼ですが――」
「あぁ、これは失敬! まだ名乗っていなかったな。
――駒杉和正、水軍中佐だ、都護陸兵団の大隊長をやっている。
今後ともヨロシク。」
そう言って円卓に残っていた洋餅を丸齧りした。
「ははは、私は前線行きですから。
当分は顔を忘れないでいただくだけで十分ですよ。
馬堂豊久、本業は〈皇国〉陸軍砲兵中佐です。よろしくお願い致します」
そう言って久原少佐の方を見ると同じ水軍組二人を捕獲していた。
――やっぱり絡み酒かよ。
「それは御愁傷様。――彼は俺が相手しておくよ。
君と話たがっている連中も多かろう」
「それでは御二人とも、またいずれ」
会釈をして離れると僅かに喧騒から外れた年長組の円卓へと向かった。
益満大佐に鍬井大佐、供駒中佐、そして珍しい事に正式には駒州陪臣団ではない富成中佐までいた。
駒州軍の参謀組かな?益満大佐は近衛総軍だが。
この席に座っている人は皆、階級が上か先任で年上と、急な昇進を果たした身である豊久としてはある意味で気が楽な場所であった。
「お久しぶりです、皆様」
「おや、貴官の愛弟子じゃないか、富成」
供駒中佐は豊久が近寄るのを見て隣の同僚へ話しかける。
「愛弟子? 手間は掛かったが愛なんぞかけた覚えは無いな。」
一間五尺の小柄な体で長身の騎兵将校である供駒中佐と並んでいる富成は無愛想に答える。元々は叛徒であった弱小将家の当主であり、龍火学校で豊久を厳しく鍛えた教官である。
「ははは、確かに、随分と辛口の考課表をいただきましたが。」
思い出しただけで笑みが引き攣る、割と情け容赦の無い教官だった。
だからこそ駒州公子に気に入られたのであろうが。
「手を抜くのは良いが、お前はそれが下手過ぎる。下士官に任せる方が良いのに何でも自分でやろうとしていたからな」
遠慮なく古傷を抉られている主賓だったなにかを見かねたのか鍬井大佐が助け舟を出す。
「だが、北領では崩れかけた大隊を上手く取り纏めていたじゃないか。中尉時代とは随分変わっただろう」
「どうでしょうかね。まぁ、大尉の時に二年ばかり彼方此方で面倒事に首をつっこんで回っていましたからね。如何に自分が頼りない存在かを知る経験は積みましたよ」
「君の場合は直属の上官がアレだったからな」
鍬井がそう云って笑う中で杯を傾けながら益満大佐がぼそり、と呟いた。
「経験を活用出来るのならば、それで十分マトモだ。
中には教本通りの工夫の欠片も無い行動しか執れない理屈倒れの馬鹿も居る。
そうした奴に限って幕僚に頼る事をしない。間違った場面でもその論理に従う。
失敗したら自分ではなく教本の責だとでも言うのか!」
酔いが回っているのか鬱憤が溜まっているのか普段とは違い乱暴に器を机におく
「何処にでも居ますよ、その手の人間は。
私の世代では責められないし、そのままであって欲しかったですけれど」
そういいながらも豊久は苦笑いする。
――若菜は論外としても実際、実戦経験が無い将校はその手の問題を抱えた奴が多い。この二十五年間、まともな戦争が無かったからだ。
「確かに、机上でしか戦えない者も多かったのだ、机上の空論に陥る者を責められない。
だからこそ、大佐殿の言うとおり、学べぬ者は責められるべきなのだ。我々が兵の命と国の興廃を背負うのだから」
富成は理知的な態度を崩さずに杯を再び空ける。
「それは分かっていますよ。
戦争が始まった以上は学び、戦う必要がある事も。」
弟子は黒茶で唇を湿らせ、溜息をつく。
「ですが、対策は極論すれば訓練の激化と前線送りだけですからね。金も人材も大量消耗します、まさに戦争ですな」
かつて、ささやかながら学んだ事を思い出す
――戦争などするものではない。大量の消費と技術開発が見込めるとしても、血を流して得た物に国は、大衆は固執する。以前の己の国だったものを鑑みれば分かる。
――だが、国が自由を謳歌するには軍事力が必要なのも確かだ。二度目の大戦の理由を考えれば分かりやすい。血を流し、勝ち得た権益の危機。全てを奪われ、困窮した国が選択した現状打破の為の総力戦。自給自足の生存圏を持った国とそれ以外の国の対立、
混乱し、迷走し、そして大戦へと至り、人間は遂に人間を滅ぼす力を手に入れた。
「――楽園は永遠に存在しないからこそ楽園、か。」
「どうした?」
「いえ、どんな事にも終わりはある、と思っただけですよ。今までの平和にも、この無益な戦にも」
「どんな結末であれ――か。」
富成は悲しげにこの闊達な喧騒を見た。
「負ける、と決まってはいないさ。」
供駒中佐が励ます。
「数だけが問題では無い。やりようはあるさ、俺達は若殿と共に〈皇国〉の為にあるのみだ。
俺達は〈皇国〉陸軍の将校なのだから。」
鍬井大佐が明快極まりない結論を出す。
「俺は近衛だがね。陛下の宸襟を安んずる為にも、な。」
益満大佐もそう言って笑った。
「――まぁ、やれるだけやりましょう。悪戦が来るという現実は変わらないでしょうが気の持ちようで結構かわるもんですよ」
――此処に居る人達は旅団を率い、司令官を補佐する事は出来てもけして軍を率いる事は出来ない。戦場で万を超えた命を預かるのは五将家だ。有能であれ、無能であれ選択の余地は無い。――そうした世界なのだ、此処は。
口にした黒茶はやけに渋かった。
――今回ばかりは酒にすれば良かったな――
後書き
転生者要素がやっと出てくる悲しさ。
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