ソードアート・オンライン 幻想の果て
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九話 林檎の欠片達
「一ヶ月ぶり、だな」
「ええ、前の時ほどじゃないけど久しぶりね、シュミット」
店内の一角、テーブル席に向かい合って座るシュミットとヨルコ、カインズの二人。先の反応で示したとおり彼らは以前からの知り合いだった。偶然の再会に驚いていたシュミットだったがヨルコらは彼ほど動揺を見せず、座って話さないかとの提案を彼女達の側から持ちかけその状況に至っている。
「シュミットがこんな層に来るなんて珍しいね、トール君達に何か用でもあったのかい?」
「ああ、少し前にあったあいつらとのいざこざでここの――コミュニティだったか、集まりのことを知ってな、今日はスカウトに来たんだ」
「スカウトって、《聖竜連合》に?」
攻略組最大手ギルドたる《聖竜連合》の彼が中層プレイヤーであるトールらを勧誘しに来たということに軽い驚きをこめてカインズが尋ねる。「フラれちまったがな」と肩をすくめて見せるとシュミットは視線を落とし、口にしようか迷っているような間を空けて勧誘の理由を打ち明けだした。
「近頃ギルド内の方針でもめることが多くなってな、このままギルドが空中分解しちまうんじゃないかって思うときすらある。毒をもってなんとやらじゃないが、あいつらの加入がいい刺激になるんじゃないかと期待しちまったんだ」
「シュミット……」
「まあそれは俺達の問題だ、それよりお前ら……ここに参加してるってことはまさか、攻略組を目指しているのか?」
最前線ギルドのディフェンス隊リーダーを務める彼の苦悩を慮るような眼差しを二人が向けるが、シュミットは話題を打ち切るとヨルコらに問いかけた。その問いかけに二人は静かに頷いてみせる。
「そうだよ、大分出遅れてしまったけどね、僕達も攻略組を目指すことにしたんだ」
「今になってどうしてなんだ?」
「そうすることが――グリセルダさんの意思を継ぐことになると思ったからよ」
ヨルコが発した言葉にシュミットは息を呑む。彼女が口にしたその言葉、特にグリセルダという名は彼ら、過去《黄金林檎》というギルドに所属を同じくした三人にとって重大な意味合いを持つ人物のものだった。
ギルドリーダーとしてメンバーを導き、剣士としても優れた技量を有していた女性グリセルダ。しかし当時のメンバーからは《指輪事件》という呼び名で記憶されている出来事により彼女は帰らぬ人となってしまう。超級のレアアイテムのドロップに端を発したその事件の詳細は長らく真相不明のままだったが一月ほど前起きた、関わった者達からは《圏内事件》と呼ばれる騒動により明かされることとなる。
その真相は事件に深く関わったシュミット、ヨルコ、カインズらにとってあまりに衝撃的で、救いのないものだった。
「グリセルダの意思……?」
「ええそう、このSAOをクリアしてデスゲームから皆を、夫だったグリムロックさんを解放することがあの人の望みだったんじゃないかって、私達は思うの」
「なっ!いや、あの時グリムロックの話はお前らだって聞いただろう!?グリセルダはこの世界で人が変わったみたいに生き生きとしていたって――」
声を上ずらせながら否定しようとしたシュミットの言葉にヨルコは黙って首を振ると、彼と対照的な落ち着いた所作で語り始める。
「ねえシュミット、変わったのはグリセルダさんだけだったのかしら」
「……どういうことだ?」
「グリムロックは言っていたわよね自分はデスゲームに脅えて、竦んでしまったって。その姿を見て、グリムロックの言葉通りならそれまで従順に彼に付き添っていたグリセルダさんはどう思ったかしら」
ヨルコが言わんとしているところを薄々理解し始めたのか、シュミットは彼女の真摯な雰囲気にのまれたようにその真っ直ぐな瞳から目を逸らせなくなっていた。
「助けたい、愛しい人が相手ならなおさらそう考えたんじゃないかって思うの。そのためにグリセルダさんは強く変わらざるを得なかったんじゃないかしら」
「だが……それが正しいとしてもグリムロックのやったことはもう取り返しがつかない……」
シュミットが言いづらそうに口ごもる。《指輪事件》の真相、自分の意思ではないとはいえそれに加担してしまった身の彼にとっては口にするのも躊躇われる事柄だったそれを考えると、ヨルコが言うグリセルダの意思は無意味なものに感じられてしまったからだ。
「それでも、よ」
しかしヨルコは考えを曲げない、どころかその面持ちには強い決意が満ち溢れている。シュミットは彼の記憶にある彼女とは似ても似つかないその姿に呆然としていた。
「私はグリセルダさんのやろうとしたことを無駄にしたくない。それにグリムロックに分からせたいの。自分がやったこと、何を失くしてしまったのかを……この世界で死ねば私達の体は消滅するだけ、何も残らないからきっとPK、人殺しをするプレイヤー達も自分の手が何を奪っているのか実感しづらいのよ。だから現実に、グリセルダさんのいなくなった家にあの人を帰す。それが今の私達の目標よ」
「……そうか」
ヨルコの言葉からそれが生半可な決意ではないことを理解したシュミットは深く溜め息を吐くと、自嘲するような薄笑みを浮かべる。
「まったく、攻略組なんて呼ばれているのに見せ掛けだけだったみたいだな俺は、お前達がこんなになっているのに……誰かに頼ろうとしてばかりだった――何か、手伝えることはないか?」
「大丈夫だよ、皆よくしてくれるし、この集まりは職人プレイヤーのスポンサーも多いみたいで色々と支援してもらえてるんだ」
カインズの答えにシュミットは頷くと椅子から立ち上がり、ヨルコらと視線を交し合うとしばしの間を置く。その強い眼差しは一月ほど前見えない復讐者の影に脅えていた彼とは別人のようだった。
「最前線は危険だぞ」
「理解してるわ、それでも行くと決めたの」
「ならこれ以上俺から言うことは何も無いな。カインズ、ヨルコ……前線は俺達が支えてみせる、お前達が来るのを待ってるぜ」
「うん、アスナさんやキリトさんにもよろしくね」
最後にヨルコが伝えた言葉に苦笑いを返しながら、シュミットはプレートメイルの重厚な足音を鳴らして店から力強い足取りで出て行った。
* * *
去っていくシュミットの横顔は来たときとは別人のようだった。ヨルコらとの会話を終えエルキンの店から出て行く彼を見送るとそれまで黙っていた少年達が口を開き始める。
「知り合い……だったみたいよね、あの人前線の人なんでしょ?どういう関係だったんだろ」
「さーてな、険悪な仲じゃないみたいだし、気にすることもないんじゃね?」
マリの疑問にアルバが投げやりな返答を返すが実際ヨルコらとシュミットの関係は傍目にはむしろ良好そうに見えた。心配することは無いだろうと結論付けた彼らの話題はやがて日常的な会話に戻っていく。
「そうだ、シュウ君」
「ん?」
「ちょっと作ってみたんだけど、これ見てもらえるかな」
そう言ってリコがメニューを開き、ストレージからアイテムオブジェクト化の操作を実行すると、彼女の手元にロール状にまとめられた薄い布地が出現した。深い緑色のそれを手渡されたシュウは布地の表面に手を滑らせると目を軽く見開き感嘆の息を漏らす。
「これは……ラシャなのか?」
「うん、シュウ君達と前ビリヤードできたらって話してたから、作ってみたの。手触りなんかはほとんどイメージで編んでみたんだけどどうかな、それらしく出来てる?」
「――ああ、この硬さに弾力、十分だよ。どのみち正規品でも多少のクセは出るんだ、まさかSAOで本当にこれが作れるとは思わなかった」
ビリヤードテーブルに用いられるマット材であるラシャ、リコが裁縫スキルによる布加工で作り上げたらしいそれに皆が興味深そうに注目しだす。武器という分野以外の製作スキルは意外に遊びのあるSAOでもこういった娯楽品の製作物は物珍しかった。
「リコ、これ買い取らせてもらえるのかな」
「そんな……お金はいいよ、私が勝手に作ったようなものなんだから」
「いいや、駄目だ」
遠慮をはっきりと拒むシュウにそこまで強く断られると思っていなかったのかリコが軽く驚きを見せる。そんなシュウを見てアルバは呆れたようにして口を挟む。
「お堅すぎんじゃねえのシュウ?リコちゃんがいいって言ってくれてんだからもらっとけばいいじゃん」
「いいや、好意でこんな面倒なものを作ってくれて、そんなものを受け取っておきながら何も返さないなんて不誠実だ。せめてリコに対する俺の感謝の気持ちぐらい表したい――だから、受け取ってくれないか」
リコを真っ直ぐに見据えてそうシュウが言い切ると、リコはしばしぼうっとした後、見つめてくるシュウの視線に慌てたように顔を伏せてしまった。その行動が不可解そうにシュウが首を傾げるとリコはどこか震えたような落ち着かない声を絞り出した。
「う、うん……それじゃあ受け取っておくね」
その返事に薄く安堵の笑みを浮かべたシュウはトレードウィンドウを開き受け渡すコルの額を入力していく。トレード相手として目の前に同様のウィンドウが開かれたリコが表示された金額に一瞬シュウを見るが、有無を言わせない笑みを目の当たりにすると再び赤みが差した顔を伏せてしまい、そのままOKのアイコンを押しこんだ。
トレードが成立したことに頷いたシュウが周囲を見ると、生暖かい視線を送ってきているアルバにトール、複雑そうな表情でシュウとリコを見ているマリに気づき、半目で少年達を見返す。
「何だその妙な顔は、マリまで」
「別にー?ただ見てるだけだよ」
「……あんたの自覚のなさに呆れてるのよ」
向けられた苦言の意味が分からないというように考え込むシュウと未だ顔を赤くしたまま上げられていない親友の姿にマリが大きな溜め息を吐く。
「まあいい、マリに頼みたいことが出来た」
「あたしに?」
「ああそうだ、一番の問題だったラシャが解決できたからな、ビリヤードテーブルの製作を依頼したい」
さらりとシュウが言ってのけた言葉にマリが一瞬固まる。
「――っ、何よそれ!?あたしそんなの見たことも無いのに無理に決まってるわよ!」
「図面なら俺が起こせる、製図の資格は持ってるし、何度かテーブルを分解したこともある」
「だからってそんな……」
「おやおや」
抵抗を見せるマリに、横から口を挟むアルバ。その表情にはにやにやとした含み笑いが浮かんでいた。
「木工スキルマスターっていってもたいした事無いんだな」
「……今、なんて」
「んー?職人としちゃあマリもまだまだだなってことさ、ミドウのおっちゃんならちょっと難題ふっかけられても朝飯前で仕上げちまいそうだけどな」
あまりにも分かりやすい煽り方だったが知り合いの職人プレイヤーの名まで引き合いに出されマリはわなわなと身を震わせると、唐突にびしりとシュウへ指を突きつけ高らかに宣言する。
「いいわよ、作ってあげる!ウッドクラフトマスターとして文句のつけようのないぐらい完璧に仕上げてみせるわ。ただしシュウ――素材もこだわるからね、木材採取には護衛として付き合ってもらうわよ、それとリコも一緒に連れてくからね」
「え?」
その申し出にリコが不意をつかれハッと顔を上げる。
「それぐらい構わないが、リコも一緒なのはどうしてだ?護衛としてはやりづらくなると思うんだが」
「そんなに強力なモンスターが出るところに行くわけじゃないから、転移結晶も持っていくし。リコは料理スキルも高いからお弁当作ってきてもらえばやる気が違うのよ、苦労かける分あんたにも少しぐらい分けてあげるわ。リコ、そういうわけで手間かかるけどお願いしていい?」
「私は構わないけど……」
「よし!じゃあ遅くならないうちに料理素材も買いに行かなくちゃね。リコの勝負服も見繕わなきゃだし、明日朝の九時に転移門に集合ね、それじゃ!」
「ちょっとマリちゃん!?」
早口でまくし立てるとマリはリコの手をとり引きずるように店を出て行ってしまった。不機嫌なのか上機嫌なのかわからない態度の少女に呆気にとられていた少年たちはしばらく少女たちを見送った体勢のまま固まってしまっていた。
「変なテンションだったが、マリは一体どうしたんだ?」
「害の無い病気みたいなもんだろ、気にすんな」
「そうか……さて、そういうわけで明日予定が入ってしまったんだが、お前らはどうする、一緒に来るか?」
シュウが尋ねるとアルバとトールは揃って首を振りその誘いを断る意向を示す。
「俺は遠慮するよ、丁度明日はたまったドロップアイテムを知り合いの雑貨屋さんに売りに行こうと思ってたんだ」
「俺もパス、お邪魔になるからな。こっちもアイテム少したまってるし、トールに着いていってみようかなー」
「――そうか、悪いな」
「気にすんなって、トールなんか私用抜け常習犯なんだしよ」
「おい……そんな言い草はないだろう」
からかいあいながら次第に話題を明日の予定にシフトさせていくアルバとトール。会話を交えながらシュウはそんな二人を密かに、思いつめたような瞳で見ていた。
後書き
大分遅筆に拍車がかかってますね、日常場面に戻るとこれだから自分のことながら情けないです。
もっと勉強しないと……
短編というだけあってそろそろクライマックスに入るかな、というところ。盛り上がりに欠けるかもしれませんが結末に向けて早く更新できるよう頑張りたいと思います。
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