展覧会の絵
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第十六話 最後の審判その十一
彼は和典にだ。こうも言ったのである。
「君の彫刻だけれど」
「あの彫刻?」
「あれはどうなったかな」
「うん、今も彫っている最中だよ」
「そうなんだね」
「佐藤君は描くの随分速いね」
和典は憧憬の笑みで十字に言った。
「本当にね。かなり速いね」
「そうだね。僕は速い方だね」
描くことがだとだ。十字自身も言う。
「それは人それぞれだね」
「じゃあ僕が遅くても」
「そう、気にすることはないよ」
こう言うのだった。
「ただ。嫌味には」
「聞こえないから。そもそも佐藤君嫌味言わないじゃない」
「そうかな」
「うん、君はね」
十字は嫌味を言う人間ではない。このことは誰もが知っている。勿論彼と付き合いのある和典も同じである。彼を知る者は誰もが言うことである。
そしてだ。和典はさらに言うのだった。
「人に嫌味を言うことも悪口もね」
「そういうことは好きじゃないからね」
「嫌いな人には何も言わないのかな」
「嫉妬は心を貶めるだけだよ」
こうした感情を否定していた。明らかに。
「ただ。憎悪はね」
「憎んだりするんだ、君も」
「そう。悪をね」
そしてだった。
「悪を行う輩もね」
「それは誰でもじゃないかな。特殊な人でもない限り」
所謂サイコパスだ。そうした異常な心理構造の人間でもない限り悪は憎むというのだ。もっともそれが独善や偏見であったりすることも多いのが人間の世界だが。
だが今はただその人格障害者のことを考えてだ。和典は十字に述べた。
「普通はね」
「そうだね。ただ僕はね」
「君は?」
「その感情がかなり強いと思うよ」
「悪を憎む気持ちが?」
「罪を憎んで人を憎まず」
よく言われる言葉だった。格好のいい言葉ではある。
だがその言葉に対してだ。十字は感情のない言葉でこう述べたのである。
「それは僕にはできないね」
「じゃあ人も」
「裁きの代行をするならば」
「裁きの代行?」
「そうするなら何の容赦もしないよ」
それもだ。一切だというのだ。
「悪人は極限まで苦しめ地獄に落とす」
「地獄って」
「絶望と恐怖、苦痛を味あわせてね」
「そうしないと気が済まないんだ」
「僕はね」
あくまでだ。自分はだというのだ。
「悪に対しては。いや、悪人に対しては」
「まあ罪を憎んで人を憎まずっていうのは難しいよね」
和典は十字のいる世界を知らない。彼の世界での言葉だった。
「実際にね」
「そうだね。けれどそれ以上に」
「佐藤君はなんだ」
「人を憎む。悪人を」
「悪よりも?」
「遥かにね」
そうだというのだ。
「人を憎むよ」
「そうなんだ」
「間違っているだろうね。この感情は」
「いや、どうかなそれって」
和典は十字のその素顔、冷徹な裁きの代行人の素顔を知らない。そして知らないということはこの場合幸いなことだった。それはあまりにも恐ろしい素顔だからこそ。
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