ドリトル先生とタキタロウ
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第三幕その十
「そして衛生もしっかりして」
「植林もして」
「何とその数六億本」
「そこまで植林したのね」
「ある意味凄いね」
「僕もその話を知って驚いたよ」
先生もというのです。
「そんな大々的に植林したんだってね」
「日本人の植林への意気込みって凄いね」
「そこまで木を植えるんだ」
「日本の至るところに杉を植えて」
「台湾にもそうして」
「朝鮮半島では六億本もなんだ」
「そうなんだ、木は切ったらね」
そして木材に使ったらというのです。
「その後でだよ」
「植えないとそのままだけれど」
「その後でちゃんと植える」
「そうしていくものだね」
「そうだよ、そして仙台も沢山の木を植えたから」
そうしたからだというのです。
「見た通りにだよ」
「木が多いんだね」
「木の都と言われるまでに」
「そうなのね」
「そうだよ、あと日本人は桜が大好きで」
今度はこの木のお話をしました。
「学校でも公共施設でも公園でも植えるね」
「もう絶対にね」
「桜の木を植えるわね」
「そして春になるとお花見だよ」
「それを楽しんでいるわ」
「これは自衛隊の基地でも同じでね」
こちらでもというのです。
「桜の木が沢山あるね」
「ない基地ないよね」
「だから春になると満開だよ」
「自衛隊の何処の基地でも」
「そうなっているわ」
「何かあったら邪魔になりそうな場所にもだね」
所謂有事にはです。
「桜があるね」
「これが他の基地ならないんだよね」
「木自体がね」
「アメリカ軍なんか特にそうだよ」
「司令部の前に木を並べたりしないよ」
「日本は桜を並べるけれど」
「そうしたことを度外視してもね」
そうしてまでしてというのです。
「日本人は桜の木を植えるね」
「そうだよね」
「自衛隊の基地にまで」
「本当に何処まで桜が好きなのか」
「桜のお花が」
「春は桜があるからで」
日本ではというのです。
「本当に至るところにあるね」
「勿論この仙台でもね」
「桜の木って多いね」
「本当に日本の何処でも桜はあって」
「この目で見るね」
「桜がないとね」
さもないと、というのです。
「日本人は嫌なんだよ」
「そうそう、もうね」
「私達にもわかるわ」
「日本人は桜がないと駄目」
「春が来た気がしないのよ」
「僕も今ではそうだよ」
先生もというのだ。
「春が一年のはじまりでね」
「それには桜」
「桜がないとね」
「春は来ないよね」
「先生にしても」
「そうした意味でも日本人になったよ」
お箸を使ってお刺身や天麩羅を食べてです。
流暢な日本語で、です。先生は言いました。
「僕はね」
「そして僕達もね」
「そうなったね」
「日本語で考えてね」
「喋るだけじゃなくて」
「そうなったね」
「そうだね、今の僕達は」
まさにというのです。
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