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魔法使い×あさき☆彡

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エピローグ 新章のはじまり(ヌーベルヴアーグ)

   エピローグ 新章のはじまり(ヌーベルヴアーグ)

     1
 夢、現。
 現、夢。
 心地よいまどろみの中、ゆっくりと視界が開いていった。

 ベッドでシーツにくるまっている赤毛の少女が、とろんとまだ眠たそうな顔で半目を開けている。
 そうな、ではなくまだ本当に眠かった。
 まだ半分、夢の中にいるような感じ。

 ここはどこだ?
 少女はくにゃりごろんと仰向けになって、天井を見上げながら思った。
 洋間の白い天井。
 シーリングライトは、ほのかなオレンジ色の常夜灯だ。

 そうだ……ここは、自分の、部屋だ。
 まだ越してきたばかりで慣れていないけど、自分の部屋だ。

「夢……」

 だったのだろうか。
 といっても、もうよく覚えていないのだけれど。
 なんだろう。長い、長い、とんでもなく長い夢を見ていたような、そんな気がする。

 まあ、いいや。
 ふう。と、小さく息を吐いた。

 ええと、今日は、確か……
 今日は……
 ん?

 ぱちっ。眠そうだった目が、いきなり大きく見開かれた。
 勢いよく、跳ね起きていた。
 机の上に置かれたリストフォンから空間投影されている、時計アプリの画面へと視線を向ける。

 2045 令和27年
 6月10日 月曜日
 AM7:38

 時分間の:が、チッカチッカ点滅している。

「あ……」

 赤毛の少女の額から、冷や汗がたらりと垂れた。

「遅刻だあ!」

 頬に両手をムンクで激しく叫んだ。

 と同時に、ドアがどっぱん勢いよく開かれて、黒縁眼鏡の女性が大慌てで入ってきた。

「うおおおう、アサキちゃん、お、起きろおお!」

 まだ三十前だろうか。
 眼鏡の似合う可愛らしい女性であるが、なんだかオヤジっぽく慌てており魅力も台無しである。

「お、お母さん、寝坊してこんな時間になっちゃったあ!」

 アサキと呼ばれた赤毛の少女は、泣き出しそうな顔でベッドから降りて立ち上がった。

 わたわた、ばたばた。なんだか踊っているようにも見えるアサキ。本当はテキパキ支度を進めたいのだが、すっかりパニックでなにをしたらいいか分からず、無駄に手足を動かしているだけだった。

「早く着替えてっ! 手続きで昨日もう学校には行ってるけど、大切な初日登校は今日なんだからね!」
「じゃあ、なんで早く起こしてくれなかったんですかあ?」

 無駄にバタバタしながら着ているものを脱ぐアサキであるが、無駄にバタバタしているものだから、足元に落としたパジャマズボンに手と足を取られて下着姿のまま前へ倒れてしまい、

「ぎはっ!」

 尺取り虫のように腰をくの字に曲げたまま、額を床にゴッツン強打。
 パンツ丸出しでなんだかみっともない姿である。

「あたしも朝は弱いんだよ。知ってるでしょ? 二段階で掛けといた目覚ましどっちも無意識で止めちゃってたらしく、起きたばかりだ」
「やあん、わたしと一緒だあ。遺伝するはずないのにい」

 娘(りよう)(どう)()(さき)と、母(りよう)(どう)(すぐ)()には、血の繋がりはまったくない。義理の母娘だ。

「魂はしっかり繋がっていて、そこから遺伝したのかしらあ」

 直美お義母(かあ)さん、大好きな娘との絆を勝手に感じてちょっと頬染めウットリ顔だ。
 の、せいで目の前では娘が、ゴッツン!

「うぎゃ! おっ、お母さんが唐突に変なこというから、また転んじゃったじゃないかあ!」

 おでこの同じところを二度も強打して、さすがに赤く腫れてしまっている。といっても髪の毛ほどには、赤くはないが。

「別に変なことなんかいってないでしょ。それより遅いよ、早くしなさい!」
「だ、誰のせいでえ……」

 下着姿のまま、おでこ押さえて恨み節。
 などと、こんなことばかりしても埒が明かない。アサキは、壁に掛けてある紺のセーラー服とスカートを無造作に掴んだ。
 これは前の学校での制服である。
 今日から新しい学校生活が始まるのだが、そこで着る制服はまだ仕上がっていないからだ。

 部屋を出て、袖に腕を通しながら居間へと入った。
 入った瞬間アサキは、

「えーーーーーーっ」

 大口を開けて、不満そうな声を出した。
 居間には既に一人の少女がいて、壁掛けテレビを見ながら朝食のトーストを噛っていたのである。
 アサキ同様に紺色のセーラー服を着た、幼顔のアサキよりもさらに少し幼い感じの、でもちょっと気の強そうな顔の少女だ。

「おっそいで、アサキお姉ちゃん」

 トースト噛りながら、少女は一瞬テレビから目を離してアサキをちらり。

雲音(くもね)ちゃん、一人早起きしちゃっててえ……ず、ずるい」

 とっとと起こしてくれていれば、下着で転んでおでこにタンコブとか痛くてみっともない思いをせずに済んだのに……

「はあ? この朝食を用意したの、誰や思うとるんや!」

 トーストやスクランブルエッグの乗った三人分の皿が置かれたテーブルを、雲音はイラついた顔でバンと叩いた。

「お姉ちゃんが、明日から新しい学校で緊張するうううとかはしゃいで遅くまで起きてたのが悪いんやろ!」
「うう、ぐうの音も出ない」
「ええから、はよ食べや。まだ、ぎりぎり間に合うやろ。昨夜みたいな長トイレにならへん限り」

 雲音は、ははっと笑った。

「これから食事の人に、そういうこといわないでもらえますかあ」

 抵抗ともいえない抵抗をしていると、不意にテーブルの上に置かれたアサキと雲音のリストフォンが同時に振動した。
 ぶいーーーー、ぶいーーーー、という本体の振動を受けて、さらにテーブルがカツカツカツカツと鳴る。

「遅刻すっぞお! お前ら起きてるかあ!」

 鳴り止むと同時に、今度は野太い男性の声だ。
 二つのリストフォンからそれぞれ空間投影されて、それぞれ同じ映像が表示されている。
 アサキの義父、(りよう)(どう)(しゆう)(いち)、現在九州は熊本に出張中である。

「いま起きたとこだよお。タイミング遅っ」
「気ィ使ってあげて、そんないわれ方されにゃならんのか!」

 二つのリストフォンから投影された修一が、二人揃って大怒りである。

「だってえ。……でも、ありがとうね、出張先からわざわざ」
「おう、初日、頑張れよ。しっかりな」
「うん。お父さんもお仕事頑張ってね」

 アサキは、修一の映像と両手を合わせた。
 パン、と小気味よい音が鳴った。
 音だけでなく、アサキの手のひらには、本当に打ち合わせた感触がある。静電式触感フィードという技術によって、映像に対して触ったのと同じ感覚を得たり、その結果をAIがシミュレートしてくれる、その仕組みを利用したものだ。

「雲音もな。お前はしっかり者だから心配してねえけど、ドジな姉を抱えて大変だろうからさ。よろしく」
「任せといてや、叔父さん」

 ぱあん。静電式触感フィードで叔父と姪とがハイタッチ、
 しているその隣で、

「ドジな姉え?」

 いまにも泣き出しそうな、なんとも情けない顔のアサキであった。

「ほらほら二人とも、時計見て!」

 遠方からの起きろコールに、反対にのんびりしてしまっていた二人の姿に、直美がパシパシ手を叩いた。

「あ、いけない!」

 アサキは席に着き、大慌てで食べ始めた。
 ぶほり吹き出してしまい、義母と妹からひんしゅくを買いながらも手早く食べ終えて、そしてトイレ、歯磨き。

「行ってらっしゃーい」
「行ってきまあす」

 義母に送られ、カバンを持って、雲音と一緒にマンションの外へ出た。
 青く、澄み渡る空の下へと。

 ここは、千葉県我孫子(あびこ)市。
 天王台(てんのうだい)四丁目、駅すぐそばの住宅街である。
 通うことになる天王台第三中学校は、ここから徒歩で十五分。登校初日の指定時間まで、ぎりぎりである。

「行こか、雲音ちゃん」

 紺のセーラー服を着たアサキは、同じ制服の雲音へと手を差し出した。

「うん、お姉ちゃん」

 雲音は珍しく素直な笑顔を作ると、出された手を取った。

 ぎゅっと繋ぐと、二人は青空の下、学校への道を歩き始めた。

     2
 つっ、かっ、と小さな音が床に立つが、遠くから響いてくる喧騒が一瞬にしてさらってしまう。

 ここは千葉県我孫子(あびこ)市にある、天王台(てんのうだい)第三中学校の廊下である。

 遠くにざわめきを聞きながら、静かな廊下を二人の女性が歩いている。
 一人はまだ二十代であろう、タイトスカートのスーツに身を包んだ黒縁眼鏡の美人。
 もう一人は、この中学校の制服ではない紺色のセーラー服を着た赤毛髪の少女。(りよう)(どう)()(さき)である。

 アサキと一緒に歩いている眼鏡の女性は、()(ぐろ)()(さと)。アサキの、この学校での担任教師だ。
 なお、従姉妹である(くも)()とも、つい先ほどまで一緒だった。彼女とは同じ学年だが別のクラスであり、やはり担任と一緒に自分の教室へ向かっているはずである。

「上が急に決めちゃって。いきなりの転校で、バタバタさせちゃったわね」

 出席簿とホームルーム用の一式を両手に下げ抱えながら、須黒先生は苦笑した。

「そんな、もう慣れっこですから」

 アサキは笑いながら小さなガッツポーズを作った。

 と、喧騒がいきなり大きくなった。
 渡り廊下を渡り終え、生徒たちの教室がある南校舎へと入ったからだ。
 まだ朝のホームルーム前であり、どの教室も元気な生徒たちがはしゃいでいるのだろう。

「ご両親、不思議がっていないかしら?」
「ああ、それはそうですよ。お父さん、なんでおればかりいつも転勤なんだろ、なんていってますよ」

 などと喋りながら歩いていると、落ち着いていたアサキの態度が一転してなんだかそわそわした感じになっていた。
 廊下の窓から賑やかな教室を見て、きょろきょろそわそわ落ち着かない様子。
 緊張、ではないようだ。それどころか、楽しげなにんまり笑顔になっている。

「令堂さん、どうかした?」
「いえ、教室の様子を見ていたら転校してきた実感がひしひしと沸いてきて。なんだか、これからの学校生活にわくわくとしちゃって」

 えへへ、と恥ずかしそうに笑いながら赤毛の頭を掻いた。

「遊びじゃないんですからね。もちろん学生として、の部分に関しては遊びも大いに結構だけど」

 須黒先生が眼鏡のフレームをつまむと、狙ったわけではないのだろうがレンズがキラリと光った。

「分かってます。けれど、この学校は……」
「この学校は?」

 先生が、僅か首を傾げた。

「あ、いや、なんでもないです。頑張りますよ、色々と」
「うちの候補の子たちが、ここ最近、係数の急上昇を見せているの。そろそろかな、と校長と判断して、あなたを呼んだのよ」
「聞いています。つまりは、まだ無力、かつ狙われやすい状態ということですよね」
「そうね。一人しか応援を頼めなかったから、あなたにはかなりの負担かも知れないけれど」
「いえ、そんなっ、そもそも一人というのも、ここには長くいたいという、わたしの我儘を聞き入れてくれたからこその条件なので。……負担だなんて、とんでもない」
「信じるわよ。その言葉。期待している」
「はい。絶対に、守りますから」

 当たり前だ。

 アサキは胸に呟きながら、ぎゅっと拳を握る。

 だって……
 ここは……

     3
 二年三組の教室も、他と同様多勢に漏れず実に騒々しい状態であった。
 わあわあと、男子も女子も楽しそうに騒いでいる。
 これを青春謳歌といってしまえば、まあそうなのかも知れないが。
 中には大人しく机と向き合う者もいるが、それは全体の騒がしい印象を一パーセントたりとも下げるものではなかった。

 そんな雰囲気にも後押しされて、ということでは絶対に、断じて、ないのだろうが……
 (あき)()(かず)()が、今日もいつものようにイタズラをしていたのは。
 なにをしているかというと、教室の教卓側にある引き戸の前、椅子を置いて足場にし、隙間に黒板消しを挟んでいるのだ。戸を開くと落ちて頭に当たるという、自身の名前の通りに昭和的古典的なイタズラだ。

 昭刃和美、ちょっとキツイ感じに見えるが可愛らしくもある、茶髪ポニーテールが印象的な女子生徒である。

「今日こそお、()(ぐろ)の行かず後家にぃ、目にもの見せくれるわあ。女同士の戦い、百年千年における因縁に、あっ、いざっ、いざあ、決着じゃああああああ」

 性格はちょっとアレなようだが。

「もののふどもよ、集いて今日いう日を胸に刻め。六月十日、おっ、()(とう)の日だ。イヤァーーーッ」

 ちょっとどころでなくアレかも知れないが。

 ()(とう)(けい)()、何十年も前に活躍していた平成時代のプロレスラーである。カズミが狭い椅子の上で器用に足を広げ、LOVEポーズというその武藤敬司がよくやっていたパフォーマンスをしていると、

「カズにゃんさあ、さっきからもう。子供じゃないんだからさあ。一人でなんだか危ない子だよお」

 背の低い、でも声はキンキンと高い女子が近付いてきた。
 緩くウェーブの掛かった肩までの髪の毛。
 小柄と甲高い声が印象的な女子生徒。胸の名札には、(へい)()(なる)()と書かれている。

「ドチビのお前の方がよっぽど子供だろ。つうか幼稚園児じゃん。なんで中学校に来てるんですかあ? 迷っちゃったのかなあ? パパかママはあ?」

 足場で高みに立つせいか、カズミの気持ちはザ・マウントポジション。見下しの笑み。見下しの極みである。

 物理的には、そんな精神マウントが取れるほど有利な状況でもなんでもなかったのだが。
 なぜならば、

「幼児いうなああああ! カズにゃんのバーカ、バーカ、バーカ、バーカ!」

 NGワードに触れたか成葉がブチ切れて、椅子に立つカズミのスカートをぶわり激しくまくり上げると、椅子足をガツンガツン蹴り始めたのである。キンキンとした甲高い声で喚き叫びながら。

「うおっ、わっ、やっ、やめろおおおおおお! 椅子を蹴飛ばすのと、その超音波の、せめてどっちかやめろおおおおおお!」
「幼稚園児取り消せえ!」
「やだあああああ! っと、おっ、あぶね、くそお」

 ガツガツガツガツ蹴飛ばされて、四つの椅子足が代わる代わる浮いたり床を突いたり、乗ってる座面がぐらぐらと揺れに揺れて、上に立つカズミは必死である。
 だがロデオの暴れ馬にいつまでも立っていられるはずもなく、しかし絶対に謝りたくもなく、

「緊急退避!」

 カズミは叫びながら、椅子を蹴り高く前へとジャンプしていた。
 なんのアクション映画の真似だか、ガラス突き破る時のように両腕で顔を覆いながら。
 でもというかなんというか、上履きの踵が背板と座面の隙間に引っ掛かってしまい、これどんな奇跡という具合に飛ぶ彼女へと椅子が付いてきてしまっていた。

「わあああ!」
「うおおおお!」

 そのため空中でバランスを崩したカズミは、その大きなおまけをくっ付けたままの状態で、成葉へと突っ込んでしまい、二人もつれて転んで床をごろごろ、ガツガツ、ごろごろ。
 ごろごろの勢いで椅子が立って、椅子に引っ張られてカズミの身体が持ち上がってストンと綺麗に着席した。

「おおっ、き、奇跡!」

 バカッコイイ動画が一発成功してしまったような喜びの顔も束の間、ガッ、床に倒れたままの成葉が椅子足を激しく蹴飛ばし払って、カズミはダルマ落としのダルマよろしく垂直落下で尻を床に叩き付けてしまう。

「いでつ!」

 顔を歪めたカズミの変な悲鳴。

「痛いのはナルハの方だよ!」

 怒鳴りながら立ち上がった涙目の成葉は、倒した椅子を掴み上げると、ぶうんと大きく振り回して、

「バカー!」

 カズミの頭を殴り付けた。

「あだっ!」

 一発では終わらなかった。
 ガスガスガスガス、椅子が壊れるのではないかというくらい何度も何度も成葉は殴り続けた。
 キンキン声でバーカバーカ叫びながら。
 カズミのまきぞえ食らって転ばされたのが、よっぽど痛かったのだろう。

「ご、ごめん、謝る! ナルハちゃん! あたしが悪かった! 悪かったから、やめろお!」

 最初から謝っておけば、ここまでにならなかっただろうが。時遅し。是非も無し。

 と、この騒々しい教室の中で、ブッちぎり一番のバカな喧嘩を二人が続けていると、引き戸の向こう側に誰かが立った。
 気配というより、黒板消しの罠を仕掛けたために空いた隙間から見えたのだ。

「っと、休戦だ!」

 ぶうんと飛んでくる椅子足を両手で掴み止め、カズミはわくわく楽しげな顔を引き戸へと向けた。

 引き戸には黒板消し、教室に入って少し進んだところにはバナナの皮。頭にチョークの粉を受けて怒り心頭の須黒先生が、さらにツルリスッテンという作戦である。
 または黒板消しに気付いた先生がふふんドヤ顔澄まし顔、の油断を襲うツルリンスッテン。
 いずれにしても脅威間違い無し、二段構えの死の包囲網、受けよ須黒お!

 と、そんなカズミのわくわく興奮した顔が、

「やべっ!」

 一転して蒼白になっていた。
 さもあろう。
 引き戸が開いたかと思えば、そこにいるのが宿敵? 天敵? の()(ぐろ)()(さと)先生ではなく、会ったこともない、紺色のセーラー服という他校の制服を着た女子だったのだから。
 下手したら国際紛争勃発という外交問題へと発展してしまうかも、という程度の一般常識や倫理観はカズミにもあったということであろう。

 とはいえ一瞬のことゆえになにが出来るわけでもなく、顔面蒼白のカズミの見ている前で、B25から爆弾が、いや戸の間から黒板消しが落下したのである。

「失礼しますー」

 おずおずとした様子で入ってくる、赤毛の女子生徒の頭上へと。

 やべえ、というカズミの顔であったが、それが驚き、呆然、といったぽかんとした表情に変わっていた。

「え……」

 女子生徒の身体が、ふ、と一瞬消えたように、カズミには見えたのである。
 と、その瞬間、かつーん、と女子生徒の足元に黒板消しが落ちていたのである。
 頭にぶつかった形跡など、まったくなく。

 いまのは……
 目の、錯覚か?
 素早くかわしたのが、そう見えた?
 それか、パシリ叩き落とした。
 いや、
 でも……
 ……なんなんだ、こいつ……

 カズミは幼い頃から空手をやっており、またバスケットボール以外スポーツ万能であり、動体視力にも自信を持っている。
 だから、こんなことで自分の目が錯覚するなど信じられない。
 信じられないけど、でも、錯覚でないならいまのはなんなんだ……

 呆然としながらもそんなこと考え見守るカズミの前、紺色セーラー服の赤毛女子は「落ちてますよー」などと小声で黒板消しを拾い、教室の中へと入ってきた。

 黙ってしまっているのは、カズミだけではない。
 まあ、黙っている理由はカズミとは違う理由であるが。他校制服の女子登場つまりは転校生か、という突然のイベントに対して、教室内は静まり返っていたのである。

 と、生徒たちが唖然呆然見守るそんな中、赤毛の女子生徒は、

「うわ!」

 次の罠であるバナナの皮にはあっさり引っ掛かって、つるっガーン! 豪快に滑った。
 そして空中で身体を半回転させて、後頭部から床に落ちた。

 持っていた黒板消しが、ぽっすんカラリと落ち転がった。

 どれだけの激痛が、現在の彼女を襲っているのだろうか。
 五寸釘を打てそうなくらい、思い切り頭を打ち付けていたが。

「うぎゅううううう、ぐううううううううああああああああああ」

 スカートめくれてパンツ丸見えの激しくみっともない状態だというのに、それどころでなくどったんばったんのたうち回っているというところだけを見ても、痛み想像に硬くないというものだろう。

「す、すげえのかアホなのか、分かんねえやつがきたあ!」

 目の前で起きているなんだか壮絶な光景に、カズミの顔はぴくりぴくり引きつっていた。
 と、ここで、

「もう先に行っちゃわないでよお。なんかまるでこの学校に詳しいかのよ……」

 のんびり口調で、須黒先生が入ってきた。
 カズミが討ち果すべき本来の敵である。
 そして、教室内の光景にびくり肩を震わせた。目の前で、どったんばったん、打ち上げられた鯉みたく跳ね回っている赤毛の女子生徒の姿に。

「わっ! だ、大丈夫、(りよう)(どう)さん! 誰、こんなことしたのは!」

 惨状にびっくり、次いで怒声を張り上げた。

 男女生徒たちの白い視線が、全員が全員カズミへと集中していた。まあ当たり前であるが。

 ウイイイン、先生の視線もカズミへとロックオン。そして、
 ずん、
 ずん、
 前へ進む。
 カズミへと向かって。
 怒りのオーラを、触手のようにぶわわわわっと吹き上げながら。

「まああああたあああおおおおまあああええええええかああああ!」
「ち、違うんだっ」

 違わないのだが。
 そんな、弁明になるはずないことをいいながら、慌てて立ち上がり、踵を返し掛けるカズミであるが、もう遅かった。

「アックスボンバーッ!」

 短い助走を付けながら飛び込んだ先生が、ガッツポーズみたいに曲げた腕でカズミの顔面をぶん殴ったのである。

 アックスボンバー、プロレス技である。
 昭和のプロレスラー、ハルク・ホーガンがスタン・ハンセンのウエスタンラリアットを参考に開発した、腕を使った打撃技だ。

「ぎゃぶっ!」

 ぶっ飛ばされて空中に浮かぶカズミを、先生は素早く掴み引き寄せ、そして身体を巻き付けて、

「さらに、コブラツイスト!」

 締め上げる!
 その動き、破壊力は、まさに小動物を絡めとったコブラ。バキボキ凄い音が響く。アバラ骨の砕けそうな、いや既に何本か砕けていても不思議でない。

「ぎゃほう! ぐ、ぐるじ、ごめんごめんごめんずいませんでしたああああ」

 カズミちゃんが、ギリギリ締められながら苦悶の表情を浮かべて必死に謝っているのだが、

「からのお……」

 先生まったく聞いていない。
 締め技を解除したと見えた瞬間には高く身体を持ち上げて、

「パワーーー、ボム!」

 ズッガーン!
 肩から床へ叩き落とした。

「ごぎゃああああああああ! ひ、ひでえ! 謝ったのに!」
「済んだら警察いらねえんだよ!」

 あっという間にボロ雑巾と化したカズミの傍らで、刀に付いたつまらぬ血を拭くがごとく須黒先生はパンパン両手を叩く。

「ぐ」

 ボロ雑巾が、がくり力尽きた。
 果たして生きているのか、いないのか。

 教室は、しーーーーんと静まり返ってしまっている。
 お茶目な生徒へのここまで壮絶な体罰(あいじよう)をまざまざ見せられれば、さもあろう。
 またストレス発散してるよこの先生、というげんなり感だけかも知れないが。

「あ、そ、そ、そうだっ」

 自らがしんとさせてしまった冷たい空気の中、先生は恥ずかしそうに笑いながら赤毛の女子を両手のひらで差した。
 ようやく立ち上がって、バナナの罠で強打した後頭部をまだ痛そうに押さえている紺色セーラー服の赤毛女子を。

「転校生を紹介します。さ、挨拶を」

 眼鏡の奥ににこり可愛らしい笑みをしらじらしく浮かべる須黒美里、二十八歳。

「こ、この雰囲気の中で、やれと……」

 あまりに極悪な無茶振りに顔を青ざめさせる赤毛の転校生、(りよう)(どう)()(さき)であった。

     4
「こ、この雰囲気の中で、やれと……」

 赤毛の転校生、アサキはあまりの無茶振りに顔を青ざめさせていた。

 だって、そうじゃないか……
 この、端の席でも心臓聞こえそうな凍り付いた空気の中で挨拶をしろというのだから。
 ただ静かなだけならいざ知らず、あんなドタバタによる異様な緊迫感の静かさだからな。
 ()(ぐろ)先生が、余計なことするからだよ。
 ああもう、みんなこっちに注目しちゃってるよ。
 でも、ドタバタ関係なくそうもなるか。
 わたしは、転校生なんだからな。
 よし……

 こほんと咳払いをする。
 床に転がっている黒板消しを拾って戻すと、あらためて生徒たちへと向き直った。
 これから勉学を共に励むことになる男女クラスメイトへと。

 ふと真っ先に目に入ったのが、窓際の席にいる女子だ。おでこから黒髪を分けた、朗らかそうな雰囲気の。

 続いて正面最前列、アサキのすぐ前に座っている、お嬢様然とした長い黒髪の女子生徒。

 さらには廊下側の後ろから二番目、先ほどキンキンした声で大暴れしていた小柄な女子。自分も小柄な方だが、彼女はもう一回り小さい。

 それと……って、あれ? たったいままで、わたしのすぐそばで死んでいたポニーテールの子がいないぞ。……おお、もう自席に着いて首をこきこき回してる。タフだな。

 この教室で、わたしは……
 生徒たちを見ているうちに、アサキの心になんだか込み上げるものがあり、

「うっ」

 声を詰まらせていた。
 目が、涙で潤んでいる。

「ど、どうしたの? あ、さっきの後頭部の打ちどころがっ……もう、昭刃さんがバカなことばかりするからっ! いつもいつも!」

 須黒先生がさっと寄って、背中をさするように叩いた。
 後頭部なら背中さすっても仕方ないのでは……

「ち、ちが……」

 ただ転校の実感に感傷的になっただけなんだ、といおうとしたアサキであるが、
 ぶふっ、
 言葉出ず、代わりに吹き出してしまった。
 軽くではあるが背を叩かれたことにより、自分の唾でむせてしまったのだ。

 げほごほ、げほごほ、アサキが苦しそうにしていると、

「どうぞ、これお飲みなさい」

 先ほど見回した生徒の中の一人、お嬢様風の女子だ。
 一体いつそんな準備をしたというのか、水の入ったカップを両手に持って自席に座ったままアサキへと差し出した。

「あ、ありが、げほっ」

 慌てて受け取り、飲んだ。飲み干した。
 そのせいかゲホゲホもすぐ収まり落ち着いて、ふうっと一息。

「優しいね、やっぱり」

 アサキは、お嬢様を見ながら微笑んだ。

「やっぱり?」

 お嬢様は、可愛らしく小首を傾げた。

「あ、あ、いや、やっぱり優しそうな顔しているだけあって、親切な人だなあって」

 えへへ、とアサキは頭を掻きながらごまかすように笑った。

「おかげで緊張も解けた。どうもありがとう」

 とんでもなく異様な雰囲気の中で挨拶しろなどと、無茶振りされてたからな。

 よし、とアサキはあらためて生徒たちの方を向いた瞬間、するーん制服のスカートが脱げて足元まで落ちた。
 パンツ丸出しである。

「おおおお、さっきのドタバタでホック外れてたあああああ!」

 アサキは赤い髪の毛よりも真っ赤な顔でしゃがみスカートを持ち上げようとして、足でスカート踏み付けていたものだから自分で引っ張ってバランスを崩してしまい、前へ転がって床におでこを強打した。

(りよう)(どう)さん、男子もいるのにやめてくれる? そういう奇天烈なジョークは」

 先生のにべない反応に、アサキはますます恥ずかしくなってしまった。

「は、はい……すみませんでした」

 立ち上がりながらスカートを直し、ホックをしっかり留めると、申し訳なさそうに頭を下げた。

 別に、ジョークではないのだけど。
 奇天烈とか。そんな嫌味をここでいって、なにかいいことあるんですかあ。
 まあ、いいや。
 ではでは。

 自分がますます静かにさせてしまった雰囲気の中で三度目の、あらためて生徒たちと向き合った。

「えー……」
「それよりまず名前を書いてちょうだい」
「そそ、そうですよねー」

 ごまかし笑いをしながら、また黒板へとくるーり。
 くるくる回ってばかりで目眩がしそうだ。
 とにかく白いチョークを手に取った。
 あ、いや、やっぱりこっち、と赤いチョークに持ち替える。さしたる意味もないけどなんとなく。

 では、
 と、気を取り直すこと何度目だか。
 黒板に名前を書いていった。
 令 堂 和 咲 、と大きな文字で横方向に。
 左側まで戻ると今度は、
 りょう どう あ さき 、とルビを振った。難しい読みだと分かっているので、特に和のところ。

 多分これが最後の、くるん。生徒たちを見る。
 と、なんとなく頭皮に違和感、頭を押さえた。俗にアホ毛などと呼ばれるピンと跳ねた一束がアサキにはあるのだが、それがふさふさ揺られ続けて違和感に繋がったもののようだ。
 しかし、ぱっと押さえたら別の場所がピンと立ってしまった。
 そうなのだ。なんの呪いなのか押さえ付けようとも切ってしまおうとも、何故かどこかにアホ毛が生じてしまうのだ。
 仕方ない。こんなこといつまでしてても、そのことに気付かれたら注目されて余計に笑われてしまうだけだ。

「わたしの名前は令堂和咲です。父の仕事の都合で、熊本県の中学校から転校してきました……」

 語り始めた。

 語り始めて驚いた。
 自分で自分に。
 何故かというと、名乗る程度にしようと思っていたのに、口を開けば息せき切る勢いでぺらぺらと話していたのである。
 どうでもいいことまでも。
 父親の仕事のために地方を転々転々としていることも。
 趣味は古い歌を聞くこと、歌うこと。
 名前の漢字のイメージから、お坊さんなどとあだ名されたこともある。気に入ってる名前だけど確かに分かりにくいから、自分でも脳内ではカタカナで認識している。
 スポーツはバスケットボールが好き。

「さらには!」

 ぶほっ!
 吹き出した。
 唐突に、そして豪快に。

「す、すみません(せい)()ちゃん、またお水を……」

 先ほどカップの水をくれたお嬢様から、また貰って飲むアサキであるが、慌てていたため今度はそれが思い切り気管に入ってしまい、げほごほ、げほごほ、ぐえええ、げほっ、ぶほ。

 何故こんなにもハイテンションになっているのだろう。
 むせまくる恥ずかしさの中、自分でも驚いていた。
 ぺらぺらぺらぺら勢いにみんなが唖然としている中、父母のことどころか妹のことまで喋ってしまっていたのだから。

「……妹、(みち)()(くも)()っていうんですけどね。正確には従姉妹で、だから名字が違うんですよお。……ってわたしなんでこんなことまで喋っちゃってるんだああ」

 自分の、不快ではないこのテンションに、でも戸惑ってつい両手で頭を抱えてしまう。

「いま話に出た、妹の慶賀雲音や! よろしゅう」

 廊下側の窓がガラリ開いて、アサキ同様に紺のセーラー服を着た女子が身を乗り出してきた。

「お姉ちゃん普段はもっと暗いんやけど、なんやろね、この学校くるのえらい楽しみだったみたいでなあ。色々、大目に見たってや」
「く、雲音ちゃん! なんでここにいるの? 雲音ちゃんの教室は、確か下の階でしょお? 先生きっと探してるから、早く行きなよお」
「了解や。アサキお姉ちゃん、ほなな」

 手をひらひら振って、雲音は窓を閉める。
 と思ったら、また窓を開いて、

「お姉ちゃん歌は好きやけど、ド下手やで」

 ピシャン!
 去った。
 今度こそ。
 顔を真っ赤にしてぷるぷる震える姉を残して。

 先ほどまでアサキの勢いに唖然としていた生徒たちであるが、さすがに、ぷっという笑いがあちこちで起きて、それは時を待たずに大爆笑に変わっていた。
 アサキは頭を押さえて、ごまかし笑いを浮かべるくらいしかもうやれることがなかった。その押さえたところがたまたまアホ毛だったので、法則発動で別のところがピーンと跳ねてしまうのだが。
 
「とてもユニークな仲良し姉妹のようですね。では自己紹介は終わりでいいかしら?」

 須黒先生の締めに、アサキは小さく頭を下げる。

「はい。……わたしは妹と違い、ユニークではないですが」
「それでは、令堂さんの座る席は……」

 先生が右手の指を上げ掛けると、窓際の女子が声と共に大きく腕を上げた。

「うちの後ろ、空いとるけえね。ほじゃから、ここってことでええんじゃろ?」

 広島だか岡山だかっぽい言葉の、黒髪をおでこで二つに分けている女子だ。

「そうね。それじゃあ令堂さんは、彼女の後ろの席に座って」
「はい」
「やった。転校生のすぐそばじゃ」

 指をパチンと鳴らし、朗らかに喜んでいる女子生徒。
 まあ、転校生というだけで大きなイベントなのだろう。
 その子の方こそまるで転校生という感じの言葉遣いであるのに。

 アサキは指示された窓際の空席へと向かおうとするが、その途中に先ほどのポニーテール女子カズミが立っており、通るのを塞いだ。
 先ほどこの女子が先生に対して黒板消しやバナナ皮のイタズラを仕掛けて、アサキはツルリスッテン後頭部を思い切り打ったりパンツを晒すことになったのである。

「さっきはごめんな」

 カズミは小さな声で謝りながらも、なんだか顔が少し意地悪そうに笑っている。

「気にしてないから」

 かなり痛かったけど。
 でも、気にしてないのは本当だ。

 彼女、カズミの方はそう思っていないようであるが。……別の意味で。

「でもね、黒板消しをこともなげにかわしたのは、気に入らねえ」

 カズミの笑みが強く、深くなったその瞬間、ぶっ、と微かな音と共に彼女の右腕が消えていた。
 パシリ、
 アサキの顔のすぐ前に、消えた拳があった。
 カズミの突き出した拳は、アサキの手のひらに受け止められていた。
 手を引きながら、カズミは小さく舌打ちをした。

「そこ、なにやってるの?」

 須黒先生が教卓のところから訝しげな顔で見ている。
 カズミの背に隠れて、様子がはっきり分からないようである。

「さっきのことを謝っただけですよ」

 カズミは、少なくとも嘘はまったく付くことなく、自席へと戻った。
 そして、どかり不機嫌そうに腰を下ろした。

 アサキも、通り道が空いたのでいわれた席へと着いた。

「うちは(あきら)()(はる)()じゃ。よろしくな」

 さっそく、先ほどの女子が歓迎だ。

「よろしく、(はる)……(あきら)()さん」
「治奈でええよ。……広島弁、驚かんの?」
「うん。わたし、広島弁の大親友がいるから」

 目の前にね。
 赤毛の少女は、聞こえないようにぼそりと口を開いた。

「令堂さん、リョードーさん、アサキさん、アサキくん、アサキちゃん、ちゃんがしっくりくるの。ほいじゃ、アサキちゃんと呼ぶけえ。ええじゃろ?」
「うん」

 アサキはにこり笑った。

「ほじゃけど、凄いのうアサキちゃんは。いまカズミちゃんのパンチを、いとも簡単に受け止めてたじゃろ? 本気で当てるつもりはないのじゃろけど、彼女すぐああやって初対面の子を脅かすけえね。すぐマウント取ろうとしよる」
「でもねでもね、カズにゃんああ見えて結構やさしいとこもあるんだよお! あのねえ……」

 いきなりキンキン声で会話に参戦してきたのは、先ほどの小柄な女子、(へい)()(なる)()である。

「平家さん、端から端まで立ち歩かない!」

 参戦も、須黒先生に秒殺されたが。

「はーい。またねえ、アサにゃん」

 成葉は早速アサキをアサにゃんなどと独特なあだ名で呼ぶと、反対側の廊下側にある自席へと戻っていった。
 治奈は肩を縮めながらアサキへと目配せすると、前へと向き直った。

 アサキはふと、窓ガラス越しに外の眺めを見る。
 きらきら、輝く粒子を感じたからだ。
 我孫子市と柏市に挟まれている手賀沼の水面が、陽光を受けて反射しているのである。
 視界に広がるその眺めを見つめながら、懐かしさを覚えてアサキはいつの間にか頬を緩めやわらかく微笑んでいた。

     5
 我孫子(あびこ)天王台(てんのうだい)西公園。
 JR天王台駅のすぐそば、住宅地に入ったばかりのところにある公園である。

 現在は夕刻。
 敷地の一角には児童用遊具が設置されおり、そこでは幼児や小学生たちが遊んでいる。
 広い地面では、何人かサッカーボールを蹴っている高校生くらいの男子もいる。
 空は晴天。ただし敷地の反対側は、青い葉をつけた木々のため太陽が完全に隠れており、薄暗い。座るところがあるだけの、落ち着いた、静かな雰囲気の一角である。
 とはいえ、現在は落ち着きとも静寂とも無縁であったが。
 何故ならば、木製のテーブルを囲んで制服姿の女子が四人、切り株の椅子に座っているのであるが、そのうちの一人が、

「ああもう気に入らねえ!」

 不快げな表情隠さず声に乗せながら、スカートなのに片あぐらでテーブルをガンガンガンガン殴っているのである。

 四人は、天王台第三中学校の女子生徒。
 ガアガアくだを巻いているのは気の強そうな顔立ちのポニーテール少女、(あき)()(かず)()だ。
 そのすぐ隣に座って露骨に迷惑そうな顔をしているのが、(あきら)()(はる)()。黒髪を正面から分けておでこを出した、快活そうな顔の女子である。現在は隣席の騒音問題に難しい顔になっているが。
 反対側にいるのは、小柄過ぎてテーブルに隠れてしまいそうだが(へい)()(なる)()
 隣には、艶のある長い黒髪、お嬢様然とした上品オーラを発している(おお)(とり)(せい)()
 キャラの異様にバラバラな四人組である。

 なんの数奇な運命か彼女らは仲良しで、今日もこうして一緒に下校、寄った公園で親友であるカズミの愚痴を真剣に聞いてやっているのだ。

「なにが気に入らないってえ? お、お、ボーナスキャラ出た、やたっ!」

 テーブルに置いたリストフォンでゲームをしながら、面倒くさそうな成葉の片手間対応。
 そう、なんの数奇な運命か彼女らはまあまあの仲良しで、今日もこうしてテキトーにとはいえ、お友だちの愚痴を聞いてやっていたのである、仕方なく。

「さっきからいってんじゃんか! あの転校生の赤毛女だよ。()(ぐろ)用に仕掛けた罠を、なんか体術なのかスイっとすり抜けて、かんったんにかわしやがってさあ」

 今朝、転校生の(りよう)(どう)()(さき)が、落下する黒板消しを避けた件である。

「まだその話い?」

 話半分に聞いてるだけとはいえ、それが何度も過ぎてげんなり顔の成葉である。

「大事だろうがよ! ……あたしってさ、いつも()(ぐろ)のオバンに虐待されて泣かされてる健気で可愛そうな女の子だろ?」
「の子、って顔ではないけどね」
「黙れ広島人!」

 からかう治奈に、カズミは顔を真っ赤にして怒った。つい《《の》》《《子》》を付けてしまったのが自分で恥ずかしかったのか、治奈に否定され自尊心がちょっと傷付いちゃったのか。
 いずれにせよ、すぐに肩を縮めることになるのだが。

「先生の罰の方法や程度はさておき、悪いのはいつもカズミさんですよ」

 大鳥正香にズバッと指摘されたのである。
 物腰おっとりした、黒く艶のある綺麗な長髪で、見た目お嬢様のような……いや、実際に古くから土着の名家で本当のお嬢様である大鳥正香。カズミは、同じ女性であるという以外すべてが対極の存在である彼女のことが、どうにも苦手なのである。頭が上がらないのである。

「ちょ、ちょっとしたオチャメな冗談だろ」

 上がらないながらも、ささやかな抵抗を試みたりなんか、しちゃったりするカズミであるが、

「度の過ぎたるをお茶目とはいいません。他人にも迷惑が掛かっているのだから、冗談ともいえませんよ」

 すぐやり込められてしまう。
 名は体を表すというが、発言、名を表すといった文字通りの正論で。

 まあ確かに、

 生徒の机を集めて並べて、落書きで大きな四コマ漫画を作ったり、
 男子生徒の服の中にミミズを放り込んだり、
 居眠りしている生徒の額に「肉」と書いたり、
 天気占おうとして、豪速球上履きがライナーで教室と廊下のガラスを共々粉々にぶち割ってしまったり、
 叱られに呼ばれた校長室で、まだ校長がいないのをいいことに置いてある高級菓子を勝手に食べてしまったり、

 そんなことばかりしているカズミだから、正論だろうがなんだろうがまあ注意されて当然というものではあるのだが。

 擁護とは違うが、須黒先生の下す罰というのがジャーマンスープレックスであったり、喉輪落としであったり、フルネルソンバスターやマンハッタンドロップであったり、廊下の端から端まで地獄車の大回転であったり、ストレス発散一石二鳥的なところは、いかがなものかという疑問の余地の大いに生じるところではあるが。

「そ、そ、そーなんだけどっ! 正香ちゃんの方が正しいんだけどっ! で、でも、んなこたあ今はどうでもよくてっ! 心配なのは、学校での力関係のことだよ。(りよう)(どう) ===(イコール) 須黒 ≫≫≫(そのしたに) あたし、ってことになっちゃうじゃんかよ。それか次第によっちゃあ、令堂 ≫≫≫ 須黒 ≫≫≫ あたし。立場ねえじゃんか、あたしの」

 そもそも何故、生徒の中ではこれまで自分が一番と思っていたのか基準点の説得力さっぱりであるが、とにかくカズミはそういうとまたテーブルがんがん、だんだん、がつがつ。しまいには頭突きまでし始めた。落ち着きのない女子である。

「別に、どうでもええじゃろ他の生徒たちからどう思われようと。変なとこで面倒くさいのう、カズミちゃんは」

 治奈もあきれて腕を組んでため息だ。

「純真ピュアな乙女の、フツーの反応でーす」
「そがいな思考する純真な乙女などおらんわ! ……ほじゃけど、アサキちゃん素直そうでええ子じゃったよ。うちは、お友達になりたいなあ」
「ったく、もう下の名前で呼んでるよ。そういやお前、後ろの席だあなんて喜んでたもんな」
「それこそ普通の感覚じゃろ? せっかくの転校生、大きなイベントじゃけえね」

 天王台にはなんにもない。
 だからかどうかはさておいて。

「お前が普通の感覚かは置いといて、いまは赤毛の転校生だよ。今朝はつい、こっちが下手に出て引いちゃったけど、やっぱりきちんと落とし前はつけとくべきだよな。舐められたままじゃあカタギの生徒衆にもしめしがつかねえ。しっかりと令堂に引導を渡してやる」

 下手に出て引いちゃったというより正しくは、会心の罠(黒板消し)をこともなげにかわされて、なんだか腹が立ったからパンチで脅かそうとしたらそれもやんわり外されて、バカにされているようでヒジョーニクヤシーーーーーという心の機微ともいえない機微であろうか。

「物騒なことをいうな! ……それはともかく、レベル低い駄洒落」

 とけなしつつも、ぷっと小さく吹いてしまう治奈であった。リョードーインドーNANANANA♪

「でもカズにゃんさあ、随分とアサにゃんに対して食って掛かるよね。わっ、またボーナスキャラだっ」

 まだリストフォンのゲームに夢中で、話半分の成葉である。

「うーん、あいつさあ……なんか、初めて会ったって気がしないんだよなあ。遠慮なくガーッといじりたくなる気にさせるくせに、妙に隙もなくて、あたしが勝手に腹を立てちゃってるだけなんだ。でも、なんだろうな、あたしの、この会っている感はさ」

 なんだかんだと囲まれているのは仲良したち。本音をしみじみ呟きながら、カズミは薄く笑みを浮かべた。

「わたくしも、同じような気持ちでいました」

 正香の言葉である。

「他人に思えない、というのは。むせている彼女の姿になんだか微笑ましい気持ちになってしまい、差出がましくお水をさし出してしまいました」

 今朝の、転校生挨拶の時のことである。

「実は、うちもじゃけえね。なんじゃろな、懐かしさが嬉しくて、ほいで、ついはしゃいでしまったのかもなあ」

 なんともむず痒そうに、治奈は人差し指で顎の先を掻いた。
 
「ナルハもなのだーーーーっ」

 ようやくリストフォンのゲームに一区切りついたのか、成葉が楽しげな顔で腕を突き上げた。

「あ、そういえばさあ、そのお水の時、アサにゃん確かゴエにゃんのことを正香ちゃんって名前で呼んでたにゃあ」

 アサにゃんは、読んで字の如し(りよう)(どう)()(サき)のこと。成葉は誰にでもにゃん付けをするのだ。
 ゴエにゃんのゴエは、正香は小学生の頃にゴエモンちゃんと呼ばれていた時期があり、成葉は現在でもそこからのにゃん付けで呼ぶのである。

「そうですね。まあ、名札に名前が書いてありますから」

 正香は、制服胸の名札を人差し指で差す。

「でも、転校生が挨拶の時にそこの生徒を下の名で、しかもちゃん付けでは呼ばないじゃんかあ」
「アサキちゃんも、うちみたく懐かしさを感じて、つい下の名で呼んだんじゃろかのう」
「おおっ転校生が新たに混じってついに運命の五人が勢揃いかあ!」

 成葉が楽しげにはしゃぎ出す。

「やめろよ、あたしはあいつのことまだ認めてねえんだからな」

 水を差すのはカズミである。といっても、その顔は裏腹になんだか楽しげであるが。

「……でも、あいつさあ、すげえのかアホなのか、分かんねえ奴だよな。……バナナで、ああも昭和のコントみたく滑るかあ? 一瞬、逆さまで空を飛んでたぜ!」

 カズミ、思い出したか腹を抱えて足をばたばた、あははは大笑いである。

「認めるとは違うけど、あの身体を張った一発ギャグに免じて、ちょっとだけ許してやらないこともない。……あ、あ、思い出した、そういやさあ、いきなりあいつの妹が乱入してきたろ? お姉ちゃん歌が下手とか暴露して去ってってたじゃん。……よし、じゃあ赤毛をカラオケにでも誘うかあ!」

 カズミは、なんだか成葉のように無邪気楽しげ腕を突き上げた。

「それもう、ただの歓迎会じゃろ」
「ち、違うよバカ」
「素直じゃないんだからな、カズにゃんはあ」
「うるせーな! 妹も一緒に誘って、酒でも飲ませてベロベロにして姉の弱みを聞き出すんだよ」
「はいはい」
「はいはい」
「はいはい」

 もう全然カズミの話なんか真面目に聞いていない三人である。

「そんなことより、なんか暗くなってきたね」

 成葉が前髪を掻き上げながら空を見上げた。
 茂る枝葉の隙間から見える空の色が、先ほどまでの青い色とは明らかに打って変わってどんよりと重たくなっていた。

「そんなことよりっていうな! でも確かに、急に暗くなったな」

 この一角は、木々の葉で日差しが遮られていながらも爽やかであったのに、ほんの数分の間に暗いというだけでなくなんとも鬱蒼とした感じになっていた。

 厚い雲でも出て陽光を遮ったのかも知れないが、それだけではなかった。

「つうか霧が出てるじゃんかよ!」

 カズミのいう通り、いつの間にか周囲は霧で覆われていたのである。
 濃い霧だ。先ほどまで向こうに見えていた子供たちの姿が、まったく見えなくなっていた。
 ただしこれはどうしたことか、見えないだけならまだしも、まるで声も聞こえないというのは。
 霧にみな帰ったにしては、静かになるのが早過ぎるのではないか。
 駅前を横切る交通量の多い道路に面している公園だというのに、呼吸も反響しそうなほどに静まり返っているのはどういうわけか。

「しかもなんかあ、寒くもなってきたよお。六月なのにい」

 成葉が腕を組み、自分を抱え込んだ。

「おかしくねえか? まだ夕方で日も高くて暑いくらいだったのに」
「そうですね。それが急速に冷えて、こんなに濃い霧が出るだなんて。それにこの静けさ」
「本当にここ西公なのお?」

 濃霧でなんにも見通せないというのに、不安げにきょろきょろ見回してしまう成葉であったが、そのきょろきょろが、首や目の動きが、不意にピタリ止まっていた。
 視線が、ある一点を凝視していた。

「あ、ああ……」

 半開きの口で、そんな呻きにも似た乾いた声を出しながら。

「どうしたナル坊……」

 怪訝そうにカズミが声を掛けた瞬間、

「ぎにゅああああああああああああああああああ!」

 凄まじいキンキン声の絶叫が爆発した。
 成葉が丸太の椅子から立ち上がり、なおも恐ろしいものでも見たかのように叫んでいる。

 頭を内側からがんがん殴り付けるその叫び声の、あまりのうるささに、

「ぐおおお……爆殺撲滅!」

 渋柿含んだ顔になりながら立ち上がったカズミは、テーブルの向こう側にいるキンキン騒音源を破壊しようと、思わず身を乗り出してブン殴るための拳を振り上げた。
 だが彼女、カズミもまたぴたりと硬直していた。
 成葉の視線の先にあるものが気になったか、拳振り上げ背後を振り返った姿勢のままで。
 数瞬? 数秒? 口を大きく開いて、

「わああああああああああ!」

 叫んでいた。
 キンキンではないが成葉に負けず劣らずの大声で。
 恐怖の形相で。
 二人、絶叫ハーモニーである。

「な、な、なんよ、あれは!」
「幻覚? でも、みなが同時に見るなど……」

 治奈も正香も、青ざめた顔で立ち上がり、カズミたちと同じものを見ていた。

 濃霧の中から、得体の知れない黒い影が現れたのである。
 ゆっくりと、近寄ってくる。
 それは、ここが日本の住宅地であることを疑いたくなるもの。
 軽トラックほどはあろうかという巨大な、四足の獣であった。

 外観、著しく奇怪。
 黒いライオン、とでもいうような、
 伝説獣である麒麟にも似た、
 ただ、奇怪を奇怪たらしめるのは、
 醜く潰れた顔と、
 頭部から生えた二本の長く長い角、
 背中に生える、小さな翼。

 それが低く唸り声を上げヨダレを垂らしながら、頭を低くこちらへと近付いてくるではないか。
 唸りと共に漏れるは殺意であった。殺すことが目的でないとしても、捕食本能に基づいたものではあろうか。

「うわああああああああ!」
「なんだあああっ?」

 パニックを起こしたように青ざめ叫びながらも、踵を返して逃げようとする四人。
 だが、瞬き一つ分の後に変わるは絶望の表情だった。
 同じ姿をした獣が現れたのである。
 反対側から。
 濃霧の中から。
 そして、どどっと雪崩るカズミたちへと地を蹴り飛び掛かってきたのである。

「もはあああ!」

 カズミは奇声を張り上げながら、前足の一撃をかわしていた。
 涙目で、なんとかかんとかかろうじて横へ身をねじって。

 とっ、と着地した獣。
 二匹が並び不気味な眼光を輝かせヨダレを垂らし、二足で立つ四つの獲物を見てグルルル唸っている。

「ナルハたちなんか食べても美味しくないよーーーーーっ!」

 キンキン声の超音波攻撃であるが、この獣たちにはまるで通用しなかった。
 不快は不快であるのか、二匹揃って牙を剥き出し成葉へと一歩二歩。

 ひっ、と息詰まらせた成葉は、慌て逃げようとまた踵を、返しそこねて足をもつれさせて転んでしまった。
 それをきっかけに、二匹が同時に襲い掛かった。

「はぎゃーーーーーーーーーーーーーっ!」

 手を着き顔を上げ、成葉はキンキン断末魔の絶叫を張り上げた。

「ナル坊!」

 カズミが、成葉の身体を引っ張ろうと近寄りながら腕を伸ばす。
 がしり手と手が掴み合うが、そこまでが限界であった。
 絶体絶命。襲い掛かる二匹の巨大猛獣に対し、人間の、ましてや女子の身ではもうどうすることも出来なかった。

 そんな状況を切り裂いたのは、一つの小さな影であった。
 霧の中を音もなく舞い降りて、ふわり着地した。
 その瞬間、どおんと重たい音が響いて獣の一匹がぐらついたのである。
 どこにそんな力があるのか、小さな影が殴り付けたもののようであった。
 その影へと、もう一匹が吠えながら身体を飛び込ませるが、

「えやっ!」

 小さな影は、自らの身体を素早く回して蹴りを放った。
 巨大な獣の、爪を立てようとガラ空きになった胸部を、その蹴りは見事捉えていた。
 捉えはしたが質量差が天と地であり、小柄な影はそのまま押し潰されてしまう……かに見えたが、どおん、低い音と共に吹き飛ばされたのは獣の方であった。

「大丈夫?」

 霧の中でそう声を掛けたのは、紺色のセーラー服を着た赤毛の少女であった。

「て、転校生!」

 カズミが混乱した様子で叫んだ。
 突然現れ、白熊に匹敵する巨体をこともなげに殴り飛ばし、蹴り飛ばしたのは、成葉よりは大きいが小柄な少女。今日の朝に出会ったばかりの転校生、(りよう)(どう)()(さき)だったのである。

「ごめんね、遅くなった」

 赤毛の少女アサキは軽く息を切らせながらそういうと、優しくやわらかく微笑んだ。

     6
 牙を剥いて唸るは二匹の巨大な獣。
 黒光りするささくれ立った体毛、顔は潰れて醜く、二本の長い角と背中から小さな翼を生やしている、異形の獣である。
 その前に向き合うは紺色のセーラー服を着た赤毛の少女、アサキ。彼女は丸腰にも関わらず獣を恐れることなく涼しい顔で、背後にいる二人を守るように立っている。

「て、て、転校生! な、なんでお前が!」

 背後にいる一人はポニーテールの少女、カズミである。(へい)()(なる)()と一緒に倒れ込んで、手を繋ぎ合っている。
 この状態で二匹の獣に襲われあわや、というところにアサキが来たのである。

 カズミたちからさらに少し離れたところには、(おお)(とり)(せい)()(あきら)()(はる)()、二人とも極端に取り乱したりはしていないものの、やはり突然のことに困惑した様子である。

「わたしは……」

 アサキが、カズミへと優しい笑みを浮かべて問いに答えようとするが、

「令堂さん! ど、どうなの?」

 不意に聞こえる、姿は見えども知った声が邪魔をする。
 アサキが左腕に着けている赤いリストフォン、そこからの声である。
 声の主は、カズミたちの担任教師である()(ぐろ)()(さと)先生であった。

「なんとか間に合いました。魔獣が二匹です」

 アサキは、魔獣と呼んだ獣から目をそらさず声を発した。

 獅子のような、しかし熊よりも大きい身体に、黒くぐしゃりと潰れた顔、背からは小さな翼を生やしており、この世のものとは思えない。確かに、魔獣という表現にふさわしい化け物である。

「よかったあ。まったく、令堂さんがのんびりクラフトのファームアップなんかしてるからあ」
「先生が強引に呼び止めたんじゃないですか!」
「そ、そうだったかしら。で、でも、こっちの地方の魔獣に合わせたファームの方がいいでしょ?」
「必要ありません。わたしは、慣れている方がいいんです。まあせっかくですから、活用させていただきますけ……」
「令堂!」

 カズミの大声が、アサキの「ど」と重なり掻き消した。
 唸っていた魔獣が、いきなり地を蹴ってアサキへと飛び掛かったのである。

 だが、アサキは冷静だった。声を掛けられるまでもなく、まったく油断などはしていなかった。
 跳躍して一匹の背を蹴って、着地。その着地をすかさずもう一匹が襲うが、素早くかわして、どおん、横っ腹を蹴り、吹っ飛ばして二匹を衝突させたのである。
 ぶつけ合いをされた二匹は、素早く起き上がり頭をぶんぶん振ると、目の前の獲物侮りがたしとすぐには飛び込まず、また身を低くして威嚇の唸りを上げ始めた。

「ありがとう……カズミちゃん」

 アサキは、声掛けのお礼をいった。

「いや。それより、いまの須黒さんとの話……間に合った、ってどういうことだよ。お、お前らが、なんか仕組んだことなのか、これ」

 突然の濃霧に怪物、そこへ現れた少女が生身で怪物を吹っ飛ばしてしまったとなれば、混乱に疑心暗鬼になるのも当然ではあろう。

「違う。魔獣に狙われたのは、みんなの魔力、魔法使いとしての能力が高いからだよ」

 アサキは即、否定するが。

「みんなの、ここ最近の魔力係数の急上昇から、近々こうなることが分かっていた。……だから、来たんだよ、わたしは。守るために。そして、助けてもらうために」

 赤毛の少女はそういって人懐こく目を細めるが、カズミにはチンプンカンプンのようでシワシワの難しい顔だ。

「な、なにをいっているのか、さ、さっぱり分かんね……」

 頭を抱えてしまうカズミであったが、反対にというべきかなんというべきか、

「分かりました。わたくしたちには、この魔獣と渡り合える魔力という力が潜在されているということですね」

 代わりに正香が応えた。

「実感はありませんが、能力が開花されつつある。魔獣は、それを察知して襲ってきた。魔法使い、という脅威に成長する前に。ということですね」
「そういうこと。さすが」

 アサキは正香の、冷静沈着な理解力を褒めた。

「でもよ、どうすんだよ転校生。殴ってよろけさせても、それで勝てるわけじゃねえだろ」

 巨大な二匹の獣を前に、誰もが丸腰なのである。カズミの心配はもっともだ。
 だが、

「大丈夫」

 アサキは背後のカズミへと微笑むと、すぐ顔を戻して魔獣を睨み、右腕を高く突き上げた。
 真っ直ぐ伸ばしたまま、弧を描いて胸まで下げると、続いて左手を正面へ突き出した。
 左手に着けた赤いリストフォンが突然輝き出す。
 側面にあるボタンを押すと、素早く両手を戻して胸の前で交差せた。

「変身!」

 叫びながら、すっと両腕を下げると、リストフォンから発する輝きが爆発したかのように一瞬にして膨れ上がり、逆光の中に黒いアサキのシルエットがぱあっと弾けた。衣服がすべて溶けて散ったのである。
 眩い光が細い糸状に、アサキの身体をぐるぐると覆っていき、光が弱まると全身が白銀の布に覆われていた。
 爪先から裂けてするする裏返り、太ももが半分露出したところで止まる。黒いスパッツを履いているような外観だ。
 スパッツ側面には赤く細いラインが二本走っている。最初から、裏返ってこういう形状になるデザインだということだろう。
 薄い布が空中に次々と浮かび上がっては、ふわり、ひらり、アサキの身体へと重なっていく。重なり、溶け合い、それは真っ赤な衣服と化していた。
 赤毛の少女は服をなじませるように腰を捻ると、続いて右、左、と拳を突き出した。
 頭上から、中世の西洋を思わせる剣が回転しながら落ちてくるのを、見ることもなく腕を上げて柄を掴んで胸に引き寄せる。

魔法使い(マギマイスター)アサキ!」

 赤い戦闘服にその小柄な身体を包んだ、アサキの勇ましい名乗りであった。

「あ……」

 その、アサキの姿を見たカズミの、瞳が震え、まぶたが驚きに見開かれていた。

「どういう、ことだよ。初めて会ったはずなのに……こんな服を着た、こいつの、夢を、見たことがある……」
「う、うちもじゃ。随分と、昔のことのような気がするのじゃけど」

 口を半開きに、顔を見合わせるカズミと治奈。
 驚きはそこで終わりではなかった。

「わたくしもです。あまりにも以前のことゆえ、すっかり忘れていましたが」
「ナルハもなのだーーーー!」
「えーーっ、どうなってんだよお……」

 四人が四人とも、今朝出会ったばかりの少女を昔に見たというのである。その不可解に、カズミの脳は様々なものが容量オーバー限界超えて、拒絶反応に叫びながら頭を抱えた。

 そんな彼女たち四人を前に、紺のセーラー服から赤い戦闘服へと姿を変えたアサキは、ぶん、ぶん、と剣を振ると、握り直して、

「いくぞおおおおお!」

 二匹の魔獣へと向け、地を蹴った。

 と、四人のリストフォンから女性の声。

「みんなはしっかりと見ていること。令堂さんの戦い方を。自分の身を守るためでもあるんだから。それと、世界の笑顔をね」

 須黒美里先生の声である。

「いわれなくとも、見ている以外のなにが出来るんだよ……」

 カズミはぎゅっと汗ばむ拳を握った。
 でも、戦い方を覚えて、それでどうなるのか。
 それほどに、赤い戦闘服を着たアサキの戦い方は凄まじいものであった。
 小柄な身体で、小さな拳を振るうたび、細い足を振るうたび、どおん、どおん、と低い音が濃霧の中に響き渡り、その都度、魔獣が呻きを上げて、跳ね、退くのである。
 こんな異次元の戦い方を見て、なにがどうなるのか。

「でも……あたしにも、あるってことなのか。あいつと同じ、力が……」

 カズミは握る拳を開き、じっとり汗ばんだ両の手のひらへと視線を落とした。

「やあっ」

 目の前、赤い戦闘服のアサキが、腰の剣を抜いて魔獣へと切り付けた。
 かと思うと、せっかく抜いた剣を空高く放り投げてしまう。

 アサキは左肘を曲げて、拳にそっと右の手のひらを被せる。
 続いて、右の拳に左の手のひらを。
 両手が青白く輝いていた。
 そして地を蹴り、瞬時にして身を低く一匹の胸の下へと入り込んでいた。

 どむう、どっ、がっ、と低い音が連続で響いて地面が激しく震えた。一匹の腹へと拳を打ち上げ、さらに胴体を蹴って飛び、身体の回転を足に預けてもう一匹の頭部に叩き込んだのである。
 赤い服を着た小柄な少女の中にどれだけの爆発力が秘められていたのか、二匹の魔獣はすっかりふらふらになっていた。

「イヒリー・ジアーレ」

 小さな声で呪文めいた言葉を発すると、アサキの足元である地面に光が浮かび上がっていた。
 直径五メートルほどの青白く輝く円形の中に、模様が描かれている。
 五芒星の魔法陣である。

 先ほど高く放り投げていた剣が回転しながら落ちてくると、腕を高く上げてまったく見ることもなく柄を掴んだ。
 魔法陣からの輝きが伝播したのか、アサキの全身が青白く輝いていた。
 そして地を、魔法陣を蹴る。
 身を低く、低く、赤い戦闘服が地面を滑り、そして二匹の間を突き抜けていた。

 断末魔の叫び、であろうか。
 魔獣は二匹とも、これまでになかった喉を潰すような咆哮を上げると、その身体は両断されており、さらさらとした光の粉になって濃霧の中へと溶けていった。

「すげえ……」

 呼気のような小さなカズミの声であるが、魔獣が動かなくなって不意に静まり返ったものだから、みなの耳にはっきり響いた。
 静まり返ったといっても、長くは続かなかったが。

「ぎにゃははあああああああああああ!」

 成葉がキンキン絶叫したのである。

 霧の中から、あらたな魔獣が姿を見せたのだ。
 その数は多く、三、四……五匹。
 うち一匹が、姿を見せるなり、すぐそばにいたアサキへと飛び掛かっていた。

「令堂!」

 カズミが叫び、地を蹴り、その魔獣の後ろから胴体を殴り付けていた。
 どおん
 低く地が震え、魔獣の身体がぐらついた。
 奇襲に失敗したその個体は、唸りつつ跳躍し残りの四匹と合流した。

「え……」

 殴った本人であるカズミが、起きたこと、起こしたことを信じられず、呆然とした顔で自分の拳を見つめている。

「ありがとう」

 アサキが、柔らかな笑みをカズミへと向けた。

 なお呆然としたカズミであったが、すぐ強気に唇を歪めるとアサキへと親指を立てた。

 アサキもちょっと恥ずかしそうに、同じ仕草をカズミへと返した。

「さすがカズミちゃんだ。でも、インパクトの瞬間に魔力を集中させれば、もっとよくなるよ」

 いいながらアサキは、飛び掛かってくる一匹を右の裏拳でこともなげに跳ね飛ばしていた。

「りょ、令堂さん、早くしないと、統率が取れ始めたら弱い存在である彼女たちから狙うようになるわよ!」

 須黒先生の慌てた声。

「大丈夫です」

 アサキは落ち着いた声で、顔に笑みを浮かべた。
 優しく、柔らかいが、なにかを信じる強い光を感じる笑みを。

「彼女たちは、弱くなんかありませんから」

 そういうとアサキは、いつの間にか手に持っていたなにかを投げた。

 カズミたち四人は、ふわんぽとり落ちてきたそのなにかをそれぞれ両手で受け止めた。
 彼女たちの両手の中には、まだ汚れていない新しいリストフォンがあった。
 みな、銀色とのツートンというシンプルなカラーリングで、
 カズミには、青。
 治奈には、紫。
 成葉は黄色。
 正香は緑。
 みな、アサキが着けている赤いリストフォンと、同じデザインフォーマットのものである。

 突然のプレゼントに驚く四人に、微笑ましげといった、しかしその中にも毅然としたものを感じる表情を浮かべながらアサキは、ぼそっと小さく聞こえない声で彼女たちの名を呼んだ。

「カズミちゃん。治奈ちゃん。成葉ちゃん。正香ちゃん。……迎えに、来たよ」

 アサキは地に描いた魔法陣を強く蹴り、全身を真っ白に輝かせながら跳んだ。いや、飛んだ。

「超魔法!」

 叫ぶ彼女の背中から、大きな光の翼が生えていたのである。
 赤毛の少女は険しくも希望を胸に秘めたりりしい表情で、剣を片手に魔獣の群れへと突っ込んでいった。

     7
 さあ今度は、宇宙を救う冒険だ!




     魔法使い×あさき☆彡  完 
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