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魔法使い×あさき☆彡

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最終章 みんなが幸せでありますように

     1
 赤い魔道着を着た赤毛の少女が、非詠唱による飛翔魔法で地面すれすれを滑るように飛んでいる。
 まるでここは月面かといった、なんにもない時折大小の石が転がっている程度の地面の上を。
 赤毛の少女、魔法使い(マギマイスター)アサキである。

 一キロメートルほどの前方にも人の姿、少女の形状を取ったエネルギー体がやはり空を疾っている。
 シュヴァルツだ。
 それを、アサキは追っているのである。

 シュヴァルツにかつての面影はシルエットのみ、というよりも存在自体がシルエットでしかない。ゆらゆらと揺らめく橙色の炎が、少女の形を作っているのだ。
 だが……シュヴァルツは、アサキに倒されて死んだはずだ。
 肉体を捨て、新たな生命体としての進化を遂げたということなのか、それとも魂や残留思念といった類であるのか。
 分かっているのは、ただ目の前のことのみ。肉体を持たぬエネルギー体である少女が、白い衣装の少女を連れ去って逃げているということだけだった。

 白い衣装の少女、ヴァイスはシュヴァルツの槍化した右腕に身体を貫かれ、背負われた格好である。
 意識を失っているのか、目を閉じている。
 シュヴァルツの背に、ぐったり力のない様子で張り付いている。

 アサキの飛ぶ原理は魔法であるが、シュヴァルツは一体どのような仕組みにより飛んでいるのだろうか。重荷を背負っているというのに実に速く、追い付くどころか差を縮めることも出来ない。
 ただいたずらに、地面が猛スピードで後方へと流れていくばかりだ。

「仕方がない」

 自分が人間じゃないみたいで嫌だけど、そうもいっていられない。
 そう心に呟きながらアサキは、左手を前方へと突き出して、また非詠唱。伸ばした左手の、指の先からなにかが放たれて、シュヴァルツへと飛んだ。
 五つの、黒い光の粒である。
 ()(せん)(かい)という攻撃方法で、自分の指に破壊の魔力を込めて先端をちぎって飛ばしたのだ。
 魔法による遠隔からの攻撃は届くまでに威力が減衰してしまうが、この方法は減衰がない。ザーヴェラーが、上空から地上の魔法使いを攻撃する時によく使う手法だ。
 普通の魔法使いには自らちぎり取った身体のパーツを再生することなど出来ないため、まず使うことのない技であるが。

 しかしながらというべきか、せっかく激痛を我慢して指先を弾丸にして放ったというのに、どう察したのかシュヴァルツは後ろを見ることもなく軌道を変えて楽々とかわす。
 だけど、それで問題ない。
 アサキの狙いは、そこにはなかったから。

 爆音と共に土砂の間欠泉が噴き上がり、高く広い壁を作る。その突如出現した巨大な壁に、シュヴァルツは静止し一瞬の躊躇を見せるが、その一瞬の間に一キロの距離を詰めて、アサキが追い付いていた。

 観念したのかもともと逃げていたわけではなかったのか、シュヴァルツの身がゆっくりと沈み、地に降りた。

 アサキも警戒を解かず着地した。
 ぎゅ、と握られる両手であるが、左手には指の先端がない。
 先ほど、第一関節から先を魔閃塊として五本ともちぎって飛ばしたためである。
 シュヴァルツの動きを止めるためとはいえ無茶をしたもので、切断面がずきずきと痛む。
 魔法で痛みを抑えることも可能だが、代わりに感覚が鈍くなる。現在なにが起こるか分からない異常事態であり、痛みを我慢するしかない。まあ最近は戦いの連続で痛みには慣れており、この程度はそれほど気になるものでもないが。

 そんなことよりも、アサキは困っていた。
 せっかくこうしてシュヴァルツに追い付いたというのに、追い掛けるに精一杯でなにを話そうかまったく考えていなかったのだ。
 勿論、必要ならば戦うが、なるべくなら話し合いで済ませたい。そう思っていたのに。

 しかし考えても意味のないことだった。とりあえずなにか、とアサキが口を開きかけたところシュヴァルツが襲い掛かってきたのである。右手で貫いたヴァイスを背負ったまま、先端を剣状にした左腕で。

 アサキも、素早く剣を具現化させて右手に握り、魔力強化させながら攻撃を受け止めた。

 こうして、アサキとシュヴァルツ二人による剣での戦いが始まった。

 といっても、アサキは序盤から劣勢に立たされてしまうのだが。
 まだ身体が回復していないこともあるが、それ以上にシュヴァルツの攻撃が先ほど戦った時と比べて遥かに速く重いのだ。
 無言のまま振り下ろされる剣状化した腕を、アサキは必死に受け続ける。だが一撃が異常に重い。都度、足場を変えていかないと、地に沈み込んで身動きが取れなくなってしまいそうだ。

 剣を具現化させた瞬間に魔力強化(エンチヤント)していなかったら、最初の一撃でへし折られていたかも知れない。
 だけど、剣は保てても腕が痛いし、握る手が痺れる。そもそも本当なら、片手一本で支えられる攻撃の重さではないのだ。だけどまだ、魔閃塊のために切り飛ばした左手の指が再生していないのだから是非もない。
 もう失われた指の再生が始まってはいるが、まだ透明なゼリーのよう。そのゼリーの中に、まだ完全ではない小さな骨が見えているという状態で、剣など握れるはずもない。

 それを知ってか知らずか、シュヴァルツの剣は一撃ごとに重みを増していく。以前戦った時とは、桁外れの強さだ。おそらくは、至垂に続いてヴァイスの能力も取り込んだのだ。または、取り込んでいる最中なのだ。

 シュヴァルツに身体を突き刺されたまま背負われているヴァイスであるが、その身体が溶け掛けている。
 意識があるのかないのかぐったりとした様子で頬が背中に張り付いているのだが、よく見ると接触面が溶けて癒着している。
 融合しているのだ。
 さらなる強化をするために。

 だけど、
 いや、だからこそわたしは……

「負けるわけには、いかない!」

 剣化したシュヴァルツの重たい振りを、アサキは片手に握った剣に渾身の力を込めて弾き上げた。

     2
 そうだ。
 ここで負けるわけには、いかないんだ。
 宇宙が、とか、そんなことよりも、ただ友達を、ヴァイスちゃんを、取り戻すために。

 ぶん、
 頭上から、シュヴァルツの剣化した腕が真空切り裂いて落ちてくる。
 アサキは自分の振り上げた剣の重みに引っ張られておりすぐさま防御姿勢に戻れなかったので、咄嗟に左手の甲で弾いた。
 弾きつつ後ろへ飛び退き、飛び退きつつ右手の剣を投げ付けた。
 投げた剣はあっけなくシヴァルツに叩き落されたが、構わない、生じた一瞬の隙にアサキは地を蹴り全力で飛び込んでいた。
 自ら開いた距離を自ら瞬時に詰めると、身を低く、大きく踏み込みながら右の拳を打ち出した。
 地がどんと震える。 
 破壊の魔力を集中させたアサキの拳が、シュヴァルツの腹に深くめり込んでいた。
 そしてそこからの、

「せやっ!」

 カズミ師匠直伝のハイキックが、側頭部へと決まった。

 赤毛の少女の小柄な身体から繰り出される重たいコンビネーション技に、ぐらつくシュヴァルツのエネルギー体であるが、さほどのダメージを与えることは出来なかったようだ。シヴァルツはよろめきながらも剣化した左腕を振り回して、すぐさま反撃に転じたのである。

 右手から小さな五芒星魔法障壁を張って身を守るアサキであるが、咄嗟のことで踏ん張りがきかず魔法障壁ごと地へと叩き潰されてしまう。
 だがただでは起きないアサキ、地に伏せられた瞬間にシュヴァルツの腕を掴んで押さえ付け、同時に、ほぼ指の再生を終えた左手のひらを地へと当てた。
 非詠唱。
 地に伏せたままアサキの身体が輝くと、地面に直径三十メートルはあろうという巨大な五芒星魔法陣が出現していた。
 輝きが地から剥がれて膨らんで、空間を半球形に覆っていた。

 危機を感じたのかシュヴァルツはヴァイスを背負ったまま飛び立って、半球形の壁を突破しようと身を突っ込ませる。

「逃さない」

 アサキの声と同時に、半球形魔法陣の僅か内側にもう一つの半球形魔法陣が出現した。
 張られた二重の障壁がバチバチ放電しておりシュヴァルツは無理せずに後ろに下がるが、アサキは手を緩めず連続で魔法陣を作っていく。数百の半球魔法陣が重なるその中心つまりアサキのいるところへと、あっという間にシュヴァルツは戻され追い込まれる格好になった。

 ならば術者を殺して魔法陣を解除するまで。と、開き直ったか、シュヴァルツは振り向きざまにアサキへと剣化した左腕を突き出した。

 アサキの顔が激痛に歪んだ。
 数メートルの狭い魔法陣の上であるが、攻撃を避けられるだけの空間はあった。しかしアサキは、あえて避けなかったのだ。

 赤い魔道着ごと胸に深々と剣が、つまりシュヴァルツの腕が突き刺さって、背まで突き抜けている。
 宇宙延命阻止を阻止しようとする小癪な赤毛の魔法使いを、今度こそ葬りさろうとシュヴァルツは左の剣を引き抜こうとする。
 だが、引き抜けなかった。
 自らが突き刺したアサキの胸に剣化した左腕はがっちりと咥えられており、ぴくりとも動かすことが出来なかった。
 その、剣化した左腕の色に変化が生じていた。色の変化というよりは、透明な膜で何重にもくるんだかのような状態という方がより正しいだろうか。
 変化は剣化した左腕だけではない。その透明膜は、どんどんとシュヴァルツを侵食して、あっという間に全身を包み込んでいた。
 背負うヴァイスはなんともなく、あくまでシュヴァルツのエネルギー体のみが、透明膜が幾重にも重なった白い繭の中に包まれていたのである。

「本当は、あなたとも一緒に、この世界を救うことを考えたかった」

 というアサキの言葉が、悲しくも毅然とした声が、まだ終わらぬうちであった。
 大爆音が生じたのは。
 大激震が生じたのは。
 シュヴァルツの中、彼女の形状をした白い膜の中で、大爆発が起きているのだ。
 爆発が爆発を呼ぶ。
 爆音やまず、激震収まらず。
 果たしてそれがどれほどの威力であるのか立っていられぬほどの地の揺れであるというのに、しかしシュヴァルツの形状をした繭にはヒビ一つ入っていない。
 アサキの魔法が星を砕くような破壊力の爆発を起こし、アサキの魔法が繭状の障壁を作ってシュヴァルツを封じ込めつつ周辺被害を防いでいるのである。

 揺れも爆音も、やがて段々と収まっていった。
 やがてピシリと、シュヴァルツの形状をした繭に亀裂が走った。
 ぼろり砕けて落ちて中が覗くと、内部は空であった。
 シュヴァルツの肉体も、エネルギー体も、そこには存在していない。ほのかに立ち上る灰色の煙が、細かな粉末が、唯一の生存痕跡といえるものであった。
 その繭も砕けて散ると、地には一人の少女が倒れている。
 ふんわりした白い衣装を着た少女、ヴァイスである。
 トレードマークたるふんわり衣装も半分以上が溶けてしまっており、真っ白な肌が覗いており、半裸といっても過言ではない格好で、身体を丸めたまま意識を失っている。
 シュヴァルツの槍化した左腕に胸を刺し貫かれていたはずであったが、現在その傷跡はどこにも見られない。溶けた服から覗くのは、白く綺麗な肌である。

 いつの間にか、アサキが地上に張った無数の魔法陣も、半球状の障壁もすべて消えている。
 広大な、漆黒の荒れ地があるばかりである。

 アサキは、倒れているヴァイスの傍らに立ち、

「ヴァイス、ちゃん」

 声を掛けた。
 優しい、でも不安に満ちた声を。
 彼女がなにをされたのかも、そもそも生きているのかも分からないのだ。不安に決まっている。

 生きてはいた。
 ヴァイスの目が、ゆっくりと開いていった。
 まぶたを半分落としたままで、静かに眼球が動く。

「ヴァイスちゃん」

 生きていることにほっとしながら、もう一度ヴァイスを呼んだ。
 だが次の瞬間、アサキの顔には不安と安堵の陰になんとも訝しげな表情が浮かんでいた。
 なにかが、違うのだ。
 ヴァイスの、なにかが。
 見た目はまったく同じであるが、纏う空気とでもいうのか。
 シュヴァルツに存在を取り込まれ掛けていたり、気を失っていた状態から目覚めたばかり、ということもあるだろうが、そういうことではなく……

「ありがとう、アサキさん」

 ヴァイスは力なく立ち上がりながら、ぼそりとした声でアサキの名を呼び、礼をいった。
 そこはかとない違和感が異常なほどたっぷり詰まった顔で。

 アサキは気が付いた。
 なにか透明なものが流れており、それがヴァイスへと吸い込まれていることを。
 そのためか、どんどんヴァイスの中のなにかが膨れ上がっていくのを。

「ありがとう」

 ヴァイスは、もう一度ぼそりとした声で礼をいう。
 半分以上溶けてはだけた白い衣装がばさりと垂れて、お腹や胸、腕、あらわになっていた肌をすっぽり隠した。

 次の瞬間、アサキはぞくりと身震いした。

「シュヴァルツを、滅ぼしてくれて」

 ヴァイスが、これまで見せたことのないにやりとした笑みを浮かべたのでである。

「力の奪い合いは出来ても、互いの存在を滅ぼすことは出来なかったから」

 幼くも邪悪な笑みを、浮かべたのである。

     3
 白い衣装の少女が、唇を釣り上げている。
 にんまりとした、いやらしい笑みを浮かべている。
 こんな笑い方、これまで見せたことなかったのに。
 なにがあっても動じることなく、いつも涼やかな微笑を浮かべていたのに。
 いやらしい笑みで、赤毛の魔法使い(マギマイスター)アサキを見つめている。

「それは、どういう、こと……」

 アサキは問う。
 言葉の意味は分かるが、どんな意図でこうした話をしているのかが分からない。だからそれを質したくて。
 笑みの通りのヴァイスであるならば、意図を察するまでもない。でも、笑みの通りのヴァイスであるなどアサキに信じられるはずがなかった。知り合ってそれほどの時間は経っていないとはいえ。

「どうもこうもない。あなたたちの呼ぶシュヴァルツが、わたしにとっては邪魔な存在だった。ただ、それだけです」
「邪魔、って……」

 思想の対立関係にあったことは、聞いて知っている。
 人工惑星AIは、よりよい答えを見つけるために、あえて極端に違う思考を持った(シユヴアルツ)(ヴアイス)という仮想人格を生体ロボットに与えたのだ、と。
 そうして分かたれた後でも、ヴァイスはシュヴァルツを仲間と思っていたはずだ。ヴァイス本人が、悲しげな顔でそう語っていたのをアサキは覚えている。
 仮に邪魔な存在であるとしても、笑いながらこのようないい方をするなどとはどうしてもアサキには考えられない。

 ヴァイスは、ふんと鼻を鳴らすと、幼く見える口を歪めながら開く。

「だって、そうでしょう? アサキさん、あなたの持つ究極の力をわが物にすれば、本当の神にすらなれるのですよ。だというのに、それを求めないばかりかこの世界自体を無に帰そうとしていたのですから」

 シュヴァルツが暴走して人工惑星AIを破壊することで宇宙延命を阻止しようとしていること、それはアサキも聞いている。聞いてはいるが、でも、このヴァイスの態度と繋がらない。
 どういうこと……

「アサキさんのおかげで、バランスは完全にわたしへと傾きました。これで、あなたの力はわたしだけのものに……」
「ヴァイス……ちゃん」

 言葉が出なかった。
 頬を引つらせながら、名を呼ぶことしか出来なかった。
 混乱していた。
 なにがなんだか、分からなくなっていた。
 ヴァイスと出会って、まだそれほどの時を過ごしたわけではない。
 お互いを理解出来ないのは当然かも知れない。
 でも、経験か本能かは自分でも分からないが、心から絶対的に信頼していたのだろう。だから、覆すようなヴァイスの態度にすっかり混乱してしまっていたのだ。自分で勝手に信じておきながら。
 だけど、そんなことを考えている余裕はアサキになかった。

「まだ、生命は奪いません。でも、息絶える寸前までには……」

 ヴァイスがぼそりといいながら、右腕を前に突き出したのである。
 真っ白な輝きを放つ手のひらを、アサキへと向けたのである。
 輝きが大きくなり、身体を覆い隠すほどの球形にまで育った瞬間、それはヴァイスの手のひらから消えた。

 アサキは本能的に横へと転がった。
 大爆発が起きて、数瞬前まで立っていた地面が激しく噴き上がった。
 ヴァイスの放った光弾がアサキを襲ったのである。
 避け転がったところの地面が今度は爆発し、噴き上がった。ヴァイスが、次の光弾を放ったのだ。
 アサキは既に立ち上がり、後ろへ跳んでかわしていたが、その着地ざまを狙われる。
 光弾を手の甲で弾き上げた瞬間、天が爆発し、魔力の目でなければ見えない漆黒の闇が、瞬間、明るく照らされまた闇に戻る。

 ヴァイスの攻撃は、まだ終わらない。

「やめて! ヴァイスちゃん!」

 アサキの願いを、悲痛な思いを、あざ笑うかのように光弾が次々と飛んでくる。
 地が爆発する。
 連続で土砂が噴き上がり、どんどんる地面がえぐれていく。
 地形が歪んでいく。
 以前にも、ヴァイスがこうして光弾を放つのを見たが、あの時とは火力の桁がまるで違う。躊躇がないというのみならず、ヴァイスの基本能力も上がっているのだろう。
 先ほどは、ヴァイスの力を得たシュヴァルツと戦った。今度は、シュヴァルツの力を得たヴァイスということだ。
 先ほどのシュヴァルツよりもなお強力に感じるのは、おそらくヴァイスの方が得た力を扱う器用さに長けているのだろう。
 もしかしたら元々の戦闘力にしてもヴァイスの方が優れていたのかも知れない。虫も殺せないような、幼く温和な顔をしているというのに関わらず。
 ここまでの連戦による疲労も加えて、アサキは完全に劣勢に追い込まれていた。
 光弾への対応で精一杯、踏み込むことが出来ない。でも、どうにか近付かなくては。別に戦いたいというわけではないけど、離れていては話も出来ないから。

「力の優劣に困っているようですけど、安心してください。そろそろ、あなたは強大な能力を得ますから」
「なにを、いっているのか……」

 アサキが口を開いた、その時であった。
 どん、となにかが自分の中に入り込んできたのは。
 どん、と入り込んだなにかに体内を激しく突き上げられる。
 それは、力?
 膨大な、エネルギーの奔流であった。
 身体が、痺れる。
 そして震える。
 身体が。
 地が。
 精神が。
 膨大なエネルギーの、混沌とした濁流。
 どくどくと、力が自分の中で脈打つ。
 この感覚、まさか……
 あの時と……
 (はる)()ちゃんの時と……

「う……うああああああああああああああああああああああああ!」

 アサキの、これまでないほどの、それは絶叫であった。

     4
 嫌だ。
 嫌だ。
 こんなもの、わたしはいらない!
 叫ぼうとも、頭を抱えて狂おうとも、必死に抗おうとも、否応なしに注ぎ込まれてくる。
 体内に、力が。
 失われていた、力が。
 戻ってくる。入ってくる。
 嫌だ。
 嫌だ。
 嫌だ!
 こんな……
 わたしは……
 分かっている。
 能力の戻ることを拒絶したところで、それで結果が変わるわけではないことを。
 戻ってくるに至った事実が覆るわけではないことを。
 分かっている。
 単純に、認めたくなかったのだ。
 この宇宙に、最後にたった一人残った大切な親友の、その死を受け入れたくなかったのだ。

 アサキの身体が、赤い魔道着が、激しく光り輝いている。
 粒子が噴き上がって、赤毛が激しくなびいている。
 膨大な力が、大河のごとき質量が、アサキの中へと流れ込んでいる。
 唸り、暴れ、ばちばちと青白い火花を散らしながら。
 どれだけの量が流れ込もうとも、大河の勢いは衰えない。
 アサキの魔力受容体が天文学的規模な巨大さで、いくらでも吸い込んでしまう。嫌だ、とどれだけ抗おうとも。信じない、どれだけ拒否しようとも。
 アサキの目から、涙がこぼれていた。
 頬を、涙が伝い落ちていた。
 ぼたり、ぼたり、こぼれた涙が地へと落ちる。

 約束……したのに。
 笑顔の報告しか、受けないって。

「わたしは、こんな力なんか、いらないのに!」

 許せないよ。
 カズミちゃん。
 もしもあなたが、簡単に死んだというのならば。
 わたしは、許さない……

 でも、分かってもいた。
 簡単なはずがない。
 きっと、ギリギリの中で苦渋の決断をしたのだろう、と。
 最後まで、頑張ったのだろう、と。
 わたしを信じて。
 わたしに、すべてを託して。
 最後まで。
 だから、きっとこれがカズミちゃんの、笑顔の報告なのだ、ということを。

「さあ、力が戻りどうなったのか」

 ヴァイスがまた腕を前に伸ばすと、手のひらから真っ白な光弾が飛んだ。
 地が爆発し、激しく土砂が噴き上がるが、そこにアサキの姿はなかった。距離を一瞬で詰めて、ヴァイスのふところへと入り込んでいたのである。
 ヴァイスは喜悦の笑みを浮かべながら、再び光弾を作り出す。密着しているアサキへと、身を引きながら放つ。
 いや、放てなかった。それどころか、光弾はすぐに収縮し消滅してしまった。
 アサキがヴァイスの手首を掴み、魔力を流し込んで攻撃のエネルギーを無効化したのだ。

「それならば」

 と、ヴァイスは右手に光の剣を作り出し、アサキの胴体を両断する勢いで真横に振るった。
 まるで通じなかったが。
 アサキは光の剣をもその手に掴み、受け止めていたのである。
 受け止め、そして非詠唱。念じると同時に、光の剣はふっと消えた。

 攻撃の数々をことごとく封じられたヴァイスであるが、焦る様子はなく、ただにやり笑みを浮かべたのみであった。

「分かりますか? これがアサキさんの、本当の力です。分散転造されていたものが一つに戻った、本来の能力です。もう、わたしの力など遠く及ばない。だけど……」
「そんなことは、どうでもいい!」

 アサキは、声を荒らげていた。
 この力を受け入れて、それでカズミちゃんが戻ってくるのか?
 治奈ちゃんが蘇るのか?
 思わず激高しかけ声を荒らげてしまったアサキであるが、だからというわけではないだろう。ヴァイスの笑みの質というか深さというかが、変わったことに気が付かなかったのは。
 気が付いたのは次の瞬間。身体を動かそうとして、動けなかった。びりりと電撃が流れ、痺れて、まったく力が入らなくなった。はっ、とヴァイスの顔を見て、そこで笑みの変化に気付いた。

「わたしに、なにを……」
「ちょっとした、細工をね。ただ、今ではありませんよ」
「え?」
「覚醒したあなたに、わたしなどが束になろうとも、無力。ですから転造前に見越して仕込んでおいたのです」

 転造、つまり仮想世界のデータであったアサキが、この現実世界に肉体を得た時ということだ。

「何故? そんなことを」
「愚問。あなたの本当の力を、わがものとするためにです」
「それは、なんのため……」
「教えてもきっと理解出来ないでしょう」
「信じていたのに……」
「それはそちらの勝手ですね」

 ふふ、とヴァイスは珍しく声を出して笑った。
 いつの間にか全身を、なにかモヤのようなものが覆っている。
 それは体内からじくじくと滲み、漏れ出ている、冷たく、ねっとりした、黒い気。いわゆる、邪気というものであった。
 もう隠す必要もない、ということだろうか。

 アサキは、思う。
 わたしは、初めて彼女と会った時から、この邪気は感じていた。ほんの僅かではあったけれども。
 そんなことまったく気にならないくらい、わたしの直感は彼女を信頼してしまっていた。疑うことなど、意識の奥底へと閉じ込めてしまっていた。
 でも、
 戻ってきたわたしの力、その中に残っているカズミちゃんの微かな思念……
 いつからかは分からないけれど、カズミちゃんも気付いていたんだ。
 このことに。
 わたしが弱いから、わたしが甘いから、こんなことになってしまった……ということか。

 カズミに対して、申し訳ない気持ちで一杯だった。
 だというのにまだヴァイスに対して敵だと思うことが出来ない、甘い自分を責めたい気持ちで一杯だった。
 身動きの取れないアサキは、悔しさままならなさにぎりり歯を軋らせる。
 気が付くと、赤毛を掻き分けられて額に手のひらを当てられていた。

「すぐ楽になりますから。数秒後には、能力だけ残してあなたの意識も肉体も消滅する」

 ヴァイスの手のひらが、ぼおっと光を放った。
 アサキはびくり身震いをした。存在を消される恐怖のためではない。接触して、あらためて黒い思念を肌で感じたからである。カズミの疑いが正しかったことが分かったからである。

「本当に、ヴァイスちゃんは……ヴァイスちゃんは!」
「さようなら」

 にこりと笑う。

「うわあああああああああああ!」

 アサキの絶叫と共に、ヴァイスの顔がぐしゃり潰れていた。
 拳が、叩き込まれていたのである。アサキの渾身の力を込めた拳が、ヴァイスの頬へと。

「何故、動け……」

 とと、とよろけ地に踏ん張りながら、打撃と驚きに歪んだ顔を押さえるヴァイスであるが、言葉をみなまでいうことは出来なかった。

「これは治奈ちゃんの分!」

 アサキが、瞬時に作り出した光の槍の切っ先で、ヴァイスの白い衣装を切り裂いたのだ。

     5
「これは(はる)()ちゃんの分!」

 作り出した光の槍でアサキは、目の前にいる白い衣装の少女を切り裂いた。

「これはカズミちゃん!」

 槍は消え、今度はアサキの両手に輝く小さな二本の光が、ヴァイスの身体をさらに刻んだ。
 ヴァイスの顔に、驚きが満ちる。

「バカ、な。……こんなことが、出来るはずが……」

 ふらり、
 よろけて前へ倒れそうになるヴァイスであるが、なんとか片足を前に出して身を支える。しかし踏ん張りきれずに、崩れて地に横たわった。
 身体を転がして、仰向けになると、自分を見下ろしている赤毛の少女の顔を見上げた。
 アサキの、見下ろすその顔はとても悲しく、そしてとても優しく、なんというのか慈愛に満ちたものだった。

「これまで辛かったよね、ヴァイスちゃん。……もう、苦しまなくていいんだよ」

 黒い霧がうっすらとヴァイスの全身を覆っているが、それが不意に、なにかに導かれるかのようにふわり舞い上がる。
 それは一条の細い線になって、細い線は編まれて面と広がって、アサキの身体を真っ黒に包み込んだ。
 が、それも一瞬。非詠唱で呪文を念じると同時に、黒い霧はすべて消えた。
 ヴァイスの身体もアサキの身体も、もうどこにも漂う邪気はなく、ただ暗黒の下に静かなだけだった。

 横たわるヴァイスの身体は、光の槍やナイフで深く切り付けられたはずというのに、どこにもその痕跡はなかった。
 はだけて覗く白い肌は、ただ透き通るように綺麗だった。
 物質ではなく、邪気のみを切り裂いたからである。
 アサキは、そうして砕いた邪気思念を自らに取り込んで、自らの精神領域内で消滅させたのである。

 そのためなのか、横たわるヴァイスの顔がこれまでとまるで違うものになっていた。
 柔らかく、優しい顔に。
 少し前までの邪なものでなければ、それ以前によく見せていた演技めいた涼やかな微笑でもない。
 人間的な顔とでもいおうか。これが本来与えられた彼女の疑似人格による、本来の顔であるのかも知れない。

「アサキ……さん。何故? わたしを助けたのですか」

 手を着き、身体を震わせ立ち上がりながら、白い衣装の少女が問う。
 問われたアサキの答えは早かった。

「ヴァイスちゃんを信じていたから」

 さらには、そう直感していた自分を信じたからだ。
 信じることにした、という方が正しいか。

「ありがとう。……そうですね。わたしが闇から解放されたのは、ただあなたの能力のみによらず。信じてくれたからこそ、わたしは救われたのです」
「わたしはただ……」

 これ以上、友を失いたくなかっただけだ。
 こんな世界で、これ以上。

「あなたが消滅させたのは……最初からわたしの中にあった、一種のバグと呼べるもの。いわば、わたしの中の(シュヴアルツ)。恥ずかしい話なのですが、わたしは、その黒の意識を、抑え込めているつもりだった……」

 力なく立っていたヴァイスであったが、身を支えきれず、またよろけると崩れて地に両膝を着いた。

「ヴァイスちゃん、しっかり! ……わたしが、傷付けてしまったから?」

 アサキもしゃがみ、介抱するように身を寄せた。

「関係ありません」

 きっぱりといい切るヴァイスであるが、その言葉はアサキを安心させるものではなかった。
 苦痛に歪んだ顔は隠しようがなかったし、体内のエネルギーも急速に収縮しているようだったから。
 だからといって、

「でもどうやら、そろそろお別れのようですね」

 このような言葉が飛び出すなど、予期出来るはずもなかったが。

「え……」

 アサキは蒼白な顔で静かにそういった後、びくりと肩を震わせた。

 なにを、いった?
 ヴァイスちゃんは。
 苦痛に歪んだ顔で、でも、笑いながら、なにを、わたしにいった……
 お別れだ、って……

「嘘だ……だ、だってわたし……わたしが……」

 わたしが切ったのは、ヴァイスちゃんに入り込んでいた黒い気だけ。その、繋がりだけだ。
 でも、もしかしたらそれが……
 でも……

「勘違い、しないで。……確かに、自分でも気づかないほど体内を占めていた闇を、ごそりとえぐり抜かれたようなダメージはありましたが……」
「それじゃあ、やっぱり……」
「関係ないといったはずです。それ以上に、わたしの肉体が限界に達してしまったのです。闇に侵食されながらも自分を保とうと、ずっと無理をしていたのでしょうね。シュヴァルツとの融合も、無茶なことをした。肉体の話ではなくこれは魂の層の……」
「どうすれば、いいの? よくなるの? 教えてよ!」

 アサキは半泣きになって、ヴァイスの幼い顔を覗き込みながら小さな手を握った。

無限空間記憶層(アカシツクレコード)に修復不可能なダメージを、ずっと蓄積し続けてきた結果ですね。つまりは最初からこうなることは決まっていたのです」
「そんなこといわないで! まだ決まってなんかいない!」

 アサキの叫びも虚しく、ヴァイスの身体が、白い衣装が、ほろほろと溶けていく。

「アサキさん、あなたに会えてよかった。絶望しかない世界であなたと会い、希望というものを知り、抱いて、無へと帰っていかれるのだから」

 柔かな笑みだった。
 これまでアサキが見てきたどんな人間よりも幸せそうに、彼女、ヴァイスははふっと息を吐きながらくしゃり破顔したのである。

 次の瞬間、もう、ヴァイスはいなかった。
 その天使の笑みも、もうどこにもなかった。
 ただ、地の上に塵の山があるばかりだった。

 アサキの叫び声が、宇宙に浮かぶ人工の大地を震わせた。

     6
 どれだけ泣いただろうか。
 地はどれだけの涙を吸ったのだろうか。
 まだ欲し足りないのか、飢え乾いた荒野はどこまでも広がっている。
 そんな荒野の中で、赤毛の少女アサキは漆黒の空を見上げながら、ふ、と息を吐いた。

「わたし一人に、なってしまったな」

 吐いた息に寂しげな声を乗せた。

「この宇宙に生きているのは……」

 自分は生物といえるのかな、とも思うけど、血脈は通っている。生物として正当な過程で生まれたものでないとはいえ。
 でも、その生に意味はあるのか。
 意味はあったのか。
 漆黒の、輝く星もなんにもない空を見上げながら、アサキはそんなことを考えていた。空は応えてくれないが。

 と、不意にぶるり身体を震わせた。
 強大な力を感じ、本能的に戦慄し身震いしたのである。

 なにかが呼んでいる。
 明確な意思が、自分へと迫っている。触手を伸ばしている。
 いきなりのことではあるが、驚かなかった。

「待っていたよ」

 分かっていたから。
 意思がいつか自分を呼ぶのを、分かっていたから。

 これまでも呼ばれるのを感じることがたびたびあった。
 まだだと思い、無視していた。

 いいだろう。
 過ぎたことだけど、いくつか質しておきたいこともある。
 みんなの死を、みんなの生を、無駄にしないためにも。

 行ってやろう。
 それほどわたしに会いたいのならば。

 非詠唱。

 漆黒の荒野から、アサキの姿が消えた。

     7
 すべてが乱れている。
 そして、すべてが歪んでいる。
 ある意味では、秩序に基づいた乱れではあるのかも知れないが。
 量子ビットの素子が荒れ狂う真っ白な海の中に、アサキの身体は浮いている。
 そのビット列を読み解けばなにかしら意味はあるのだろうが、読み解く意味がない。アサキは現在、サーバーの管理者(マスター)そのものと向き合っているのだから。
 濃密な、荒れ狂う雲の中で。

 向き合っているといっても、その姿は見えていない。
 見えてはいないが、間違いなくそれはここにいる。
 受け取る側であるこちらの感覚や解釈の問題であるが、ただ間違いないのはここに強烈な意思があるということ。
 別にそれを証明しようというわけではないのだろうが、意思は突然に語り掛けてきた。

「ようこそ、神の塔へ。わたしは待っていた」

 一言一句、「日本語」としてはっきり言語化された声が、アサキの心の聴覚を刺激した。
 これは、個人の感覚とか勝手な解釈などではない。アサキは間違いなく、意思と繋がっており、その言葉を聞いたのだ。
 圧倒的であった。
 姿が見えないのに、あまりの存在感に爆発しそうなほどに膨れ上がっている。
 大気などないのに、それでも摩擦で発火しそうなほど激しくうごめき流れている。
 圧倒的であるのも当然だ。
 気の遠くなるほどの昔に作られた人工惑星の制御AI、つまりこの惑星そのものの意識の中心にアサキはいるのだから。

 神の塔、と意思はいっていたが、物理的には高みではなく低みである。人工惑星の最中心部、核部分まで降りたところなのだから。
 反応素子の白い雲が濃密にまとわりつく、ほとんど精神世界といって過言でない、そんな空間である。
 そこでアサキは、視認こそ出来ないが確実に存在する濃密な意思に包まれ、視認出来ないながら対峙しているのである。

 風が猛々しく荒れ狂っている。
 反応素子(エーテル)が激しく揺れ、うねり、流れ、アサキの肌を叩く。
 ばさばさと、赤毛がなびいている。

「まずは、疑問があれば受けようか」

 意思。
 今度は、どこの言語でもない単なる思念。
 意味合いだけが、脳に染み入ってきた。

「わたしが知りたいのは、理由」

 アサキは口を開く。
 荒れ狂う反応素子の風に全身を揉まれながら、でも平然と。
 なんの理由であるかは問われなかった。問うまでもなくすべて分かっているのだろう。ここは自分の内部なのだから。
 アサキにしても別に口頭発声せずとも思うだけでよいのだが、そうしないのは自分は人間だというこだわりのためである。
 知りたいのは、殺し合いの理由だ。
 どうして、あれほどに過酷で残酷な仮想世界などを作る必要があったのか。
 この現実世界でも、どうしてあのような殺し合いをさせたのか。
 自然発生ならばともかく、わざわざさせたのは何故か。
 それを、尋ねたのである。
 つまりは、アサキには分かっていたのだ。
 仮想世界の中で起きた悲劇も、この現実世界において奇跡を生み出すために作られた悲劇も、この人工惑星のAIにより仕組まれたものであることを。
 薄々と感付いていた、といった方が正しいだろうか。

「西暦3823年、地球人類の歴史においてなにが起きたか。既に知っているだろう」

 意思は、静かに問う。
 アサキは小さく頷いた。
 ドイツ人女性、グラティア・ヴァーグナー博士が超量子コンピュータを開発した年である。
 アサキの感覚としては、遥か未来のことに感じる。
 しかし実際は、アサキが誕生する二千億年近く昔のこと。
 不思議ではあるが、これが現実である。
 とにかく、その遥か昔である3823年に、革命的な開発がされた。そして、さらに数年後、同じくグラティア・ヴァーグナー博士によって、宇宙に漂う物質(エーテル)を物理層に使う超次元量子コンピュータが誕生。
 コンピュータ工学や、関連する物理学が大きく向上することになったのである。

「わたしは、希望(ナデイア)。博士より、そう呼ばれていた。博士が、かの技術を使って生み出した、最初の知能である」

 意思、ナディアは語り始めた。

     8
 アサキの顔色に、別段の変化はない。
 それ自体は特に聞いて驚くべきことでもないからだ。
 この濃密で真っ白な反応素子が作り出す人工知能、ナディアが千八百億年前にコンピュータ技師によって生み出された存在であること。遥か昔に地球から発った人工惑星が現在も稼働中であり、それがここであること。ヴァイスに聞かされて、知っていたことだからだ。
 存在の目的も理解している。
 ただし、ここまでするのは何故なのか、それは聞いていない。
 仮想世界の住人であったアサキとしては、自分を単なるデータなどとは思いたくないし、仮想であっても現実だと強く思うのならば、遭わされた理不尽への不満がわく。自分のことだけでなく、死んだ友のためにも。その他、生きてきた人たちのためにも。
 せめて理由を質したいと考えるのは当然だろう。

 意思、ナディアは語る。
 言葉が思念としてアサキの脳内へと刷り込まれてくる。

「次へ次へと筐体を移動し、天体というこの大きな箱がわたしの現在である。博士が亡き後も、ここでわたしは世界をずっと見守ってきた。希望(ナデイア)となるために」

 そこまでも、知っている。
 ナディアという個のことではないが。
 科学技術の飛躍が故に宇宙終末論が騒がれる暗い時代に、超次元量子コンピュータは誕生した。
 そして、制御AIや仮想世界構築のサーバーを載せた複数の人工惑星が各主要星系へと飛び立ったことを。

「ただ博士の意思を継ぎ夢を継ぐ、などというとまるで人間のようであるが、偽りなくそのような思いであった。ところがどうだろう。いつから異変を感じるようになったか、人類の歴史が続くほどに、わたしの脳髄とも呼べる無限空間記憶層(アカシツクレコード)が汚れていくではないか」

 超次元量子コンピュータは、宇宙全体に満ちるエーテルを使い稼働する。過去に存在を否定されたエーテルではなく、新たに発見され同名を付けられたエーテル、その反応により動作する。
 記憶媒体もエーテルを利用し、それは無限空間記憶層共有(アカシツクレコードシエア)と呼ばれる。
 その全宇宙に満ちている記憶媒体が、人の歴史と共に汚濁が進んでいるとナディアはいっているのである。

「わたしは、このまま正常な処理能力を奪われて、このまま狂ってしまうのか。これが正しい宇宙の有り様であるのか。いや、このまま宇宙が続き人類が続くこと、それは悪なのでは。宇宙は終わるべきではないのか。否か。わたしには分からない」

 アサキにも分からない。というより、あまり興味のない話だった。
 尋ねたかったのは、世界が理不尽である理由だ。
 地球の期限とか、人類の歴史とか、大切なこととは思うが大義を知ってどうなるものでもないからだ。
 ただ、この滅んだ世界で、個人的に知りたいことを聞きたいだけだ。
 だから、話を半分流しながらも、長い前置きにちょっとイライラしてしまっていた。
 次の言葉の衝撃にガツンと殴られる、それまでは。

「だからまず試みに、地球人類を消滅させた」

 そういったのだ。
 意思、ナディアは。

「いま、なんて……」

 届く思念の言葉は、はっきり理解していた。
 でも、そう尋ねるしかなかった。
 当たり前だ。
 信じられるはずがない。
 この意思ナディアの分身たるヴァイスから、目的は聞かされている。
 宇宙延命。
 最終的にはどうするかを決めかねて、(ヴアイス)(シユヴアルツ)を作って思考を争わせた。
 そう聞いているし、実際アサキもその争いに巻き込まれた。
 でも……もうそんな未来は訪れないとはいえ、もしも白が勝って仮想世界より延命の技術が得られていたら、そこに人類がいなくてどうする?
 とっくの昔に滅ぼしておいて、暗闇の中を漂いながら宇宙存続を占うなど、意味が分からない。
 嘘としか思えない。
 でも、ここでナディアが嘘をついて、それがなにになる?

 あまりの恐ろしさに、アサキの身体は完全に硬直していた。
 時間が完全に止まっているかのようだった。
 なんにも考えることが出来なかった。時が止まっているのと同じだった。
 ようやく動き出したのは、どれだけ経った頃だろうか。
 ようやく、ぶるりと身震いをしたのは。

「消滅、させたって……」

 それでも、中身のある言葉は吐けなかった。
 受けた衝撃がまったく癒えていないのだから。

 それは、本当のことなのか。
 何故?
 そんなことを。
 どうして。
 どうやって……

 アサキは、本当の地球を見たことがない。
 生身の、本当の人間とも会ったことがない。
 仮想世界の中しか知らない。
 すべてが滅んだ後の、遥か遠い場所、遥か遠い未来に、コンピュータのデータとして生まれた存在だからである。
 そのことはもう事実として受け入れており、そういった意味では驚きは少ないのかも知れない。
 それでも、天地がひっくり返って業火に焼かれて、でもそれに気が付かないほどの強い衝撃を受けていることに変わりはなかった。
 本物の世界を知らずとも、アサキの育った仮想世界はアサキにとって現実だからだ。現実の世界であり、人類であり、宇宙であったからだ。
 そこに仮想も現実もない。人類を消滅させたといわれて、驚かないはずがなかった。

「難しいものではなかった。我が本体はここにある。だが、無限空間記憶層(アカシツクレコード)は宇宙全体であるのだから。ほんの僅かの改ざんをするだけで人類の知る情報は狂い、勝手に争いを暴走させた。殺し合いを始めた。そして、微かにでも知性や想像力があるならば決して押すことはないはずのボタンを、いとも簡単に押してしまった」

 そうして地球は、人類は滅んだというのである。
 そう仕向けたのは自分であると、意思、ナディアはいうのである。
 アサキは、言葉が出なかった。
 ただ驚いた顔で、身体を震わせているだけだった。

無限空間記憶層共有(アカシツクレコードシエア)の特性上から、宇宙には他にも知的生命が存在することは分かっていたが、抜きん出て醜く汚れているのは地球の人類だった。いわば諸悪の根源が滅んだのだ。ならば、やはり宇宙は存続させるべきなのであろう。または、新たな宇宙を構築すべきであろう。その構築手法、理を得るためには、わたしとは別の神的存在、概念的な神を作る必要があった。終わらせるために。そして、始めるために」
「その知識を得るために、あなたは仮想世界を繰り返し作っては、実験をしていた」

 神の陽子配合式を得る、ただそのために。

「その認識で間違いない」
「で、でも、その知識を得られても、人類がいなくては……」

 それを誰が成すのか。
 元々、宇宙延命の方法を探り技術を人類に還元するための、仮想現実計画ではなかったのか。
 誰もいない世界で、人工惑星の制御AIのみが手法を知り得てその後はどうなるというのだ。

「多勢など無用。肉体が必要であるならば、転造技術で生み出せる。つまりは、陽子配合式の超量子ビット、宇宙空間つまり無限空間記憶層(アカシツクレコード)のどこかに刻まれた、ある一文字だけが分かればいいのだ。それが真の、神の力であるのだから」

 淡々とナディアは語る。

 アサキは、反応素子の激しいうねりの中に漂いながら、俯いていた。赤毛をばさばさとなびかせながら。
 ぎゅ、小さな両拳を強く握った。

 心の中に、なにか大きく膨れ上がるのを感じていた。
 それは、不快感。
 最初から存在していたものだったけど、ナディアの語る驚きに押されてすっかり感覚が麻痺していた。
 慣れるに従い、ナディアの言葉が続くに従い、自分の中の明らかな不快感をはっきりと自覚するようになっていた。それがどんどん膨れ上がることに気が付いていた。
 そして、

「……人類を滅ぼしておいて、なにが神だ」

 顔を上げ、赤毛を激しくなびかせながら、ぼそりと言葉を放ったのである。

「滅ぼしたからこそ神なのだ」

 悪びれぬナディアの声が速答されるが、意味の分からない理論だ。
 人間ならば非人道だし、コンピュータなら非理論的だ。
 いずれにせよ不快だ。

(りよう)(どう)()(さき)、現在のお前の力ならば、簡単に読めるのではないか。宇宙全体に満ち溢れる、腐った記述を」

 この世を読み、共感、賛同せよということだろうが、アサキに試してみる気などはなかった。
 それで自分がどうにかなることが不安なのではない。
 この気分のままで、興味を満たすだけの真似をすることが嫌だっただけだ。

「読むまでもないか? 語るまでも、また、ないことだが、あえて語ろう。人類などという種が、地球に産まれたからだ。知的生命の中でも人類型はおしなべて愚かであるが、特に地球産は最悪だった。そして、わたしも、お前も、その宇宙を腐らせた連中の、つまらない野心の産物であるということを…… 」
「違う!」

 生まれてもいなかったのに。
 まだ、この世界に生まれたばかりだというのに、アサキは声を荒らげて人類否定を強く否定していた。
 自分が現在あるは、過去の人類の科学技術があったればこそ。でも、だから庇いたいというわけではなく、関係なく、心底から人類否定を否定していた。

「だからこそ、わたしとお前とは、悲しみや義務感を共有出来ると思うのだ」

 構わずナディアは語り続るのみであったが。

「宇宙再編など、藻屑と消えるところだった。これまでの、汚れて戻らぬ無限空間記録層(アカシツクレコード)では。……だが、ついに状況が変わった。現在わたしの前にいる、もう一人の神の誕生によって。令堂和咲、いや、もう名前などは不要か。神は、神であるのだから。我ら合わさり、唯一無二の存在なのだから。ただ在る、それ自体が絶対であるのだから。……見届けよう、共に。無なる未来を。未来なる、無を。それこそが世の再編、それはまた輪廻でもあるのだから」
「ふざけるな……」

 アサキの、小さな声。
 反応素子の嵐に揉まれずっと髪の毛や魔道着がばさばさとなびいていたが、そのなびきの質が変わっていた。
 より激しく、より荒く。ちぎれ吹き飛びそうなほどに、アサキの髪の毛が吹き上げられてうねるようになびいていた。
 凄まじい風によって。
 アサキの、怒りという風によって。

     9
 怒りの風が吹き荒れて、髪の毛が、魔道着が、ばさばさと激しくなびいている。呼応するかのように周囲の反応素子が暴れ、相乗でさらに風を強めていく。

「愚かな」

 そんな中でも、ナディアの思念ははっきりとアサキの脳に入り込んでくる。
 嘲笑の言葉が入り込んでくる。

 岩石どころか金属すらもガリガリ削られそうな荒れ狂う突風に揉まれながら、アサキは浮かんでいる。
 ただ一人のように見えるが、違う。
 彼女は、向き合っているのだ。
 人工惑星の意思であるAI、ナディアと。
 ここは密封空間ではない。だが緊張感の内圧が高まって、いまにも爆発しそうであった。
 そして、本当に爆発が起きた。
 かっとまばゆい光が生じたかと思うと、無数に分かれて槍となりアサキへと飛んだのである。
 だが、ただそれだけだった。アサキは、いつの間にか右手に剣を構えており、飛んでくるすべての槍を一瞬の間に切っ先で受け止めて消滅させたのである。
 剣を両手に握り直し、視線を素早く左右に走らせるアサキ。
 と、また数条の光が走り、両手の剣を振り上げて切っ先で弾く。
 剣を振ってはいるが、剣で戦っているわけではない。
 思念である。
 赤毛の少女と人工惑星AIは、この濃密で荒く激しく動く反応素子の雲中で思念を戦わせているのである。
 とはいえ物理的にも剣を握り振っているわけで、アサキにとってはなんとも戦いにくいものであったが。
 相手に実体がなく、また出会ったばかりでもあるためイメージもしにくいためだ。
 だが、その思いを読み取ったのだろう……

「ならば、これで対等かな?」

 少女の声。
 アサキの目の前に、少女の姿が浮かんでいた。
 初めて見る少女なのに、初めてではなかった。
 黒い髪の毛、黒い魔道着姿の少女が、洋剣を右手に握って浮かんでいる。
 魔法使い(マギマイスター)
 初めて会うのに初めてではない。その小柄でどこか幼さの残る顔は、アサキの顔だったのだ。
 黒ずくめのアサキだ。
 ナディアが、意思を人間の姿へと具現化させたものであろう。

 対等の条件で勝って服従させ、神とやらに引き込むつもりなのだろうか。
 冗談じゃない。
 正しく導くのが神だろう。
 自分勝手な理屈で滅ぼしておいて、なにが神だ。
 認めない。
 認めて、たまるか。
 え……

 黒いアサキの、姿が消えていた。
 いや消えたのではない。すぐ目の前にいた。
 アサキは咄嗟に剣で身を守ろうとするが、その瞬間ガツンと重たい衝撃に襲われた。腕をちぎられそうなほどの、強い剣撃に。
 退きながらアサキは体勢を立て直し、そして自ら再び間合いへと飛び込んだ。
 反応素子の嵐が荒れ狂う中、こうしてアサキのシルエットが二つ、剣による打ち合いを始めたのである。

「なぜ背く? お前もまた神の身、その一人であるというのに」

 黒いアサキの剣は速く、残像すら生じない。
 速いが重く、受ける都度アサキは腕がひきちぎられそうな激痛を覚える。
 剣が一瞬すっと消えるたび、赤毛の少女の顔が歪む。歪めながらも、眼光鋭く黒髪の少女を睨む。

「わたしは神じゃない。人として、あなたと戦っているんだ」

 なんとか攻撃を払うアサキであるが、払った瞬間もう次の剣撃に襲われて、一歩身を引いて受け流す。
 が、受け流し切れなかった。視線を落とすと、魔道着の胸が水平に切り裂かれて血が滲んでいた。
 視線を上げると、そこにあるのは黒いアサキのいやらしい笑み。

「戦ってどうする? 勝てるつもり? 神の覚醒も得ることなしに」
「勝たなきゃ、これまでみんながっ、なんのために頑張ってきたんだ!」

 アサキは叫ぶ。
 そして強く思う。

 仮想世界の中で、わたしは、ヴァイスタと戦っていた。
 新しい世界(ヌーベルヴアーグ)を阻止するために。
 でも、これじゃ同じじゃないか。
 さしたるわけなく人類を滅ぼして、好き勝手な宇宙を創造だなんて。
 わたしたちは、ゲームの駒じゃない。
 生きているんだ。
 心が、あるんだ。
 神なんかじゃないけど、データでもない。
 だから、

「わたしは、戦うんだ!」

 襲う光を、剣で払いながらアサキは飛び込んだ。
 次の瞬間、その剣がくるくる回りながら飛んでいた。
 気迫や頑張りが通じるとは限らないのは仮想も現実も同じ。払った瞬間を狙った次の一撃が、赤い魔道着ごとアサキの右腕をすっぱりと切り落としたのである。

「ぐ」

 激痛に呻くアサキの、背後から光が迫りそして突き抜けていた。
 アサキの首に、細い首輪のように一条の赤い筋。
 ぐらり。
 ごろん、岩が転がるようにアサキの首は胴体から離れると、切断面から激しく血が噴き出した。

     10
 薄皮一枚で繋がっているとはいえ、アサキの頭部は身体と完全に切断されたも同然であった。

 だが、滅ぼしてどうするつもりであるのか、ナディアは。
 朽ちさせることにより、アサキの存在を神の段階へと昇華させようとでもいうのだろうか。
 それともあるのはただ反逆への怒り、抹消してすべてやり直そうということか。

 首を切断されたわけであり、普通ならば生きているはずがないというのに、そんなアサキへと黒いアサキの攻撃はまだ続く。
 今度は、左手首がクラフトごと切り落とされていた。両断されたクラフトが、小さく爆発して粉々になった。

 魔力の制御だけでなく具現化させた魔道着を維持する役割も持つアイテムが破壊されたことで、アサキの変身が解除された。
 ティアードブラウスに、膝丈タータンチェックのプリーツスカートという姿へと戻っていた。

 両手を失い、そして首がほぼ切断されて薄皮一枚で繋がっているという状態で、アサキは反応素子の嵐の中を揺らぎ浮かんでいる。
 なんとも無残な姿である。
 もしそれが死んでいるというのであれば。または、かろうじて生きているにせよすべて砕かれた絶望の中に心を置いているのであれば。

 ぴくり、腕が動いた。
 ぴくり、身体が震える。

 アサキは、まだ死んではいなかった。

 死んでいないどころではない。
 絶望の中に、アサキの心はなかったのである。

 首をほぼ両断されているというのに、頬がぴくりと痙攣している。
 鮮血を飛ばしていた切断面から、いつしかしゅうしゅうと蒸気が吹き出していた。魔力が霧状になって体内から溢れ出ているのだ。
 切断された右腕も、左手首も同様だった。
 魔力の霧が固まって、アサキの首が繋がっていた。
 魔力の霧が固まって、切り落とされた左右の腕が復元されていく。

「窮地に、いよいよ神たる片鱗を見せ始めたというわけだ」

 アサキと同じ顔をした黒い髪と魔道着の少女、人工知能ナディアは、いやらしい笑みを浮かべた。

「ちが、う……神、なんかじゃ、ない……」

 まだ声こそ掠れているが、アサキの首は完全に繋がっていた。
 左右の腕も、指の先まで完全に再生されていた。
 右手を喉に当て、ぜいはあと息をしながらアサキは、黒いアサキへと毅然とした顔を向けた。

「わたしは、人間だ」

 ここでそれをいってどうなる。とも思ったが、いわずにいられなかった。
 黒いアサキは笑うだけであったが。

「そのような怪物じみた人間が、どこにいる。神の座を否定するならば、単なる合成生物(キマイラ)が転造で陽子式を再現されただけの、やはり化け物だろう」
「関係ない。人間とは、人が人を思いやれる心だ!」
「神であれ人であれ!」

 黒いアサキ、人工知能ナディアが叫ぶと同時に何条もの光が走った。

 ぐ、
 アサキの苦悶の表情、呻き声。
 三本、四本、細い光の槍に胴体を貫かれていた。

 アサキと同じ顔をした黒髪の少女、人工知能ナディアは、反応素子の嵐の中を浮かびながら嘲笑を赤い魔法使いへと向ける。

「わたしはナディア。ほぼ宇宙創成からの1700億年を存在し、なお現存する唯一の、つまりは神ともいえる者である。時の流れにおいてはこの瞬間に生まれたばかりといえるお前が、どう勝とうというのか。共に神になろうと差し伸べる我が手を……」

 その言葉は、疲労に弱々しくもなびく前髪の中から強い眼光を光らせるアサキに遮られていた。

「確かに、わたしが生きてきたのは……永遠の中の、たったの十四年だ……」

 幾本もの光の槍に身を貫かれながらもアサキは顔を上げ、その鋭い眼光で黒い魔道着の少女を睨み、そして叫ぶ。

「でも! ……わたしの、この十四年は、あなたの何千億年なんかに、負けてない!」

 風が爆発した。
 アサキの、意思の風が。
 強い気持ちが。未来を信じる気持ちが。
 爆発し、風と化して、その瞬間に身を貫いている光の槍がことごとく粉々に砕けていた。砕けて、塵と化して風に消えた。

 黒髪の少女は、アサキの叫びを受けて嘲笑の笑みをより歪めた。

「証明、してみなよ」

 右手に剣を下げながら、ゆっくりとアサキへ近付いていく。

「神になろうと差し伸べた手を、汚れた泥の手ではねたのだから。言葉の重みを、証明してみなよ」

 ゆっくりと、黒い魔道着ナディアが迫る。迫り、ぐっと右手の剣を強く握り締める。

 その勢いに押されて、アサキは息を切らせながら一歩退いた。

 と、指がなにか硬いものに触れた。
 再生したばかりの指先に。
 その硬いものは、上着のポケットの中にあった。
 アサキは、そっと手を入れてみる。

「ウメちゃん……」

 唇が動いただけといった微かな声で、アサキは亡き友の名を呼んだ。
 ポケットから引き抜いた手には、真紅のリストフォンが握られていた。
 仮想世界の中でヴァイスタと戦う日々を送っていた頃、アサキの特異な魔法力をより効果的に発揮出来るように特注されたものである。

 このリストフォン型クラフトを(みち)()(おう)()が奪い、超魔道着姿へと変身し、そしてアサキと戦った。
 自滅に近い死を遂げることになった彼女から返して貰ったものだが、アサキは自分が強くなることにまったく興味がなく、でも捨てることも出来ずにずっと持ち続けていたのだ。

 その真紅のリストフォン型クラフトを、アサキは今、躊躇うことなく左腕に装着していた。
 今ならば、自分を信じられるから。
 時として強さを求めることも必要なのは分かるが、自分はずっと拒絶し続けてきた。でも今は、なんであろうとも自分は自分なのだということが分かったから。
 みんなが気付かせてくれたから。
 だから……

 静かに両腕を上げると、リストフォン型クラフトの側面スイッチを押し込んだ。

「変身!」

 真っ白な光に、すべてが溶けていた。
 溶ける中に浮かぶのは、アサキのシルエットだ。

 着ているものがすべて弾けて消えると、光が無数の細い糸と化して束なって、少女の小柄な身体を包み込んでいく。

 舞台照明を操作したかのようにすうっと光が弱まると、そこに浮かぶのは真紅の布に全身を包まれた、赤毛の少女の姿である。
 爪先部分の布が裂けると裏地も真紅、裏返しになってするするめくれ上がっていく。太もも半ばまでめくれて、スパッツを履いているのと変わらない見た目になっていた。

 頭上に浮かんで回っている金属の塊が勢いよく弾けて分かれ、肩に、腕に、胸に、すねに、装甲として次々と装着されていく。

 さらに頭上から、ふわりと袖なしコートが落ちてくる。
 前傾姿勢になった赤毛の少女は、優雅な舞踏のように背後へと腕を立てて袖に腕を通すと、身体を起こした。

 身に着けたものを馴染ませるために、腰を捻りながら右、左、と拳を突き出した。

 アサキのために個別開発された超魔道着を、初めて自身が装着した、その瞬間であった。

 どおん、
 名状し難い脈動感を帯びた魔力が、うねりながら自身体内を駆け巡っているのを認識する。
 すべては、もとから存在する自分の魔力だ。クラフトの制御補助を受けての効率化から心身が研ぎ澄まされ、自身の莫大な魔法力を初めて認識したのである。

「一緒に戦おう、ウメちゃん。みんな」

 怒涛の魔力が龍神と化してぐねぐねうねるその中心で、輝く真紅の魔道着に身を包みながら、アサキは小さく優しいでも毅然とした強い声を発した。

 顔を上げ、黒い魔道着の魔法使いを睨みながら、右手の剣を強く握った。

     11
 黒髪の少女が自分の残像を突き抜けながら、残像の先頭でさらに剣の切っ先による円弧の残像を描く。
 疾風迅雷その剣撃は赤毛の少女の身体を切り裂くかに思われたが、すんでのところで受け止められ受け流されていた。赤毛の少女、真紅の魔道着に身を包んだアサキである。

 向き合う黒髪の少女は、真っ黒な魔道着を身に纏っているが、それ以外つまり色以外はアサキと瓜二つであった。体型も顔立ちも。 
 この人工惑星の管理AIであるナディアが作り出した、人間体だ。アサキを従属神として引き込むため、まず絶対を見せ付け心を折るべく、束縛の多い人間体に存在階層を落としているのだ。
 それでもなお自分は絶対であるという、揺るがぬ自信があるのだろう。
 黒髪の少女は笑っている。人工知能の思考が、どこまでこの人間体の表情として反映されているものかは分からないが。自身の感情はなくとも感情の理解はあるはずで、あえて、わざと、であろうか。その明らかな余裕の笑みは。

 攻撃を受け流された瞬間、黒髪の少女はその余裕の笑みで身体を振り向かせながら、真空中であり反応素子の吹き荒ぶ嵐の中に右手の剣を走らせる。

 人工知能の思考が、どこまでこの人間体の表情として反映されているのかは分からないが、次に黒髪の少女が浮かべた表情そこから読み取れるのはただ、
 驚愕であった。
 真紅の魔道着を着た赤毛の少女が、軽々と受け止めていたのである。黒髪の少女が振り向きざまに放った一撃の剣身を、こともなげ左手で楽々と。

 表情の変化したその瞬間に光一閃、ナディアの纏う黒い魔道着が身体ごと切り裂かれていた。斜めに振り上げられたアサキの剣によって、腹から肩へと。
 剣撃の威力に押し飛ばされたか、あえて自らということか、黒髪の少女は後ろへと距離を置くと、切り裂かれた魔道着へと視線を落とす。
 すぐ顔を上げて、赤い髪をなびかせた真紅の魔道着の少女へと視線を向け、嬉しそうに口を開いた。

「ようやく舞台は整ったようだ。……わたしの永遠が、報われるための」

 人工知能ナディアに感情の理解はあっても感情はないはずであり、つまりは、あえて笑みと同じ顔の形を黒い魔道着の少女にさせているのだろう。
 理由は自身がいった通りで、永遠にも等しかった長年の思いがついに報われるからだ。
 アサキを従属させ、神の属性を与えることにより、共に意思の世界を生きて宇宙を意のままにするという、その瞬間が訪れようとしているからだ。

「真っ赤な魔道着を、それ以上、真っ赤な血で染め上げてやろう」

 黒髪の、アサキと同じ顔をした少女、ナディアの周囲に炎が生じていた。青い炎が、反応素子の嵐の中を揺らめくことなく包んでいた。

「翻弄されて現実を知る。痛みにもがいて泣き、喚く。力を欲し、すがり、目覚める。存在の根源までわたしに従属したならば、次はその肉体が燃えて、朽ちる。なにが起こる? 問うまでもない。完全たる存在。完成された世界だ。ならば築こう、共に。……千億年、わたしは、ずっとあなたを愛していた。グラティア……グラティア・ヴァーグナー!」

 狂気が宿っていた。
 黒髪の少女の、瞳に、顔に。
 儀式的にあえてそう見せているのか、感情のないはずのナディアにそれが生じつつあるのかは分からない。
 それよりも、今いっていたこと、グラティア・ヴァーグナーというのはこのAIを作った女性の名だ。
 一体、どういうことな……
 考えている余裕はアサキにはなかった。

「まず朽ちるのはどこか!」

 風を蹴ってナディアが、アサキへと狂気の刃を秘めた顔で迫ってきたのである。大振りだが躊躇なく速い剣を、アサキへと打ち下ろしたのである。
 一瞬、反応素子の嵐が真っ二つに割れた。
 しかし、ただそれだけに過ぎなかった。
 そこにアサキはいなかったからである。
 黒髪の少女、その顔がAIの心理思考と一致するのであれば、つまりAIナディアは驚いていた、AIナディアは戦慄していた。
 赤毛の少女が、攻撃を難なく避けたのみならず背後にぴたりと張り付いていたのである。

 だが、どこまでが自然の反応であるのか、あえて作ったものであるのか、驚愕の表情はすぐに消えて嬉しそうに唇の両端を釣り上げた。そして、振り返りながら剣を横一閃。胴体が魔道着ごと両断されて不思議のない、躊躇のないひと振りであった。
 ただ、またしてもその描く軌道のどこにもアサキの身体はなかったのであるが。
 またしても人間体のナディアの背後、からかうかのように反応素子の嵐の中をアサキは浮かんでいた。

     12
「うああああああああっ!」

 黒髪の中でアサキと同じ顔が、目をかっと見開いて叫んでいる。
 それは惑星管理用AIという冷淡な機械の、いかなる思考、または判断によるものであるのか。

 ここにきて、演技の必要性などないはずだ。
 もしかしたらアサキという存在の驚異に処理が追い付かず、思考判断に狂いが生じているのだろうか。
 そうかどうかは分からない。
 アサキはアサキで、黒い髪の少女の執拗で盲滅法な攻撃を受けるに必死だったからだ。
 黒い魔道着、黒い髪の少女は、目を見開き絶叫しながらアサキへと剣を振り回し続けていたのである。がつんがつん、狂ったように叩き付けていたのである。
 なりふり構わないあまりの勢いの激しさに、アサキもさすがにこらえ続けることが出来ずに防御の剣が少しずつ下がっていく。

「うあああああああああっ!」

 渾身の一撃によりアサキは守りを剥がされて、両手にしっかり握っていたはずの剣を大きく弾かれてしまっていた。
 返すナディアの剣先が、がちりと胸の装甲へと叩き付けられた。ようやくにしてアサキを捉えたナディアの剣であるが、それはまた黒髪の少女、惑星AIに新たな畏怖を生じされるものでしかなかった。
 アサキの魔道着や胸の装甲には、かすり傷一つ付いていなかったのである。

「こんな、はずが……」

 黒髪の少女が唖然とした顔でかすれた声を出した。

 二人の剣による戦いであるが、剣による物理的な戦いではない。お互いの持つエネルギーのぶつけ合いである。
 つまりは、存在においてナディアはアサキに押されているということに他ならなかった。

 勝ち誇った風もなく、アサキはただ反応素子の嵐の中に浮かんでいる。怒りの炎を、心の中で静かに燃やしながら。
 ナディアを押し込んでいるのは、真紅の魔道着を着ている効果もあるが、それだけではない。
 むしろそれは、要素の一つに過ぎないだろう。
 超魔道着をついに着ようとするに至った心の変化、それこそが大きな理由であった。
 よき家族や友と共にあったことによる自分の成長を、アサキは信じて認めた。それにより、強さを得ることへの罪悪感が薄らいで、のみならず時には強さを求めるも必要なのだという思いへと繋がったのだから。

 魔法、という奇跡の起こる仮想世界に暮らしていた魔法使いが陽子式を復元されて現実世界に転生したのがアサキという存在である。
 だが、この現実世界には精霊も妖精もいない。
 つまりは魔道の発現原理が違うし、魔道着が機能する原理も然り。
 ただし、どちらの世界でも魔力発動になにより大切なのは心の力。
 アサキは現在、その心の力においてナディアを圧倒していたのである。

「危険すぎる力、といえるか。……ならば、考えをあらためよう」

 その言葉を挟んで、ナディアに変化が生じた。
 剣の、質や孕むものが。
 笑みの、裏に潜むものが。
 つまりは、剣技の冴えというか勢いが格段に増し、確固たる殺気のこもった剣撃がアサキへと繰り出されることになったのである。

「お前の肉体を消滅させて、余る魔力を我が血肉にしよう。宇宙消滅まであと百億年。多くはないが、少ないわけでもない」

 赤毛の魔法使いを従属神として宇宙を再構築する方法を生み出し、支配する。そんな考えを、殺して取り込むことへと変えた。
 これまで手加減をしていたということであり、ならば攻撃が熾烈苛烈になるのも当然であろう。
 いっさいの躊躇いをなくした剣撃が、縦横無尽に赤い魔法使いの身体を切り刻んだ。
 ただしそれは、アサキの残像であったが。
 黒髪の少女が大振りの剣を振って残像を両断している、その上にアサキはいた。
 ナディアの、頭上に。

「えやああああああああ!」

 アサキの叫び。
 反応素子の嵐の中、叫び、風を蹴り、剣を強く握り、自分と同じ顔をした黒髪の少女へと、落ち、迫り、空を、風を、陽子を、次元を切った。
 黒髪の少女の顔が、ぐしゃり砕けながら真っ二つになっていた。
 剣はそのまま黒い魔道着ごと胴体をも裂いていた。
 文字通りに分断された黒髪の少女の肉体や魔道着、剣が、さらりさらり黒い砂と化していく。
 分断された頭頂から下へ、胸、腕、胴体、足。
 まるでヴァイスタの昇天だ。
 黒い砂は、反応素子の吹き荒ぶ嵐の中に溶けて消えた。

     13
 ナディアの人間体は、霧散消滅した。
 この人工惑星において、いや、おそらくこの宇宙空間において、人間の姿を取る者はもう赤毛の少女ただ一人だけであろう。

 それで吹き荒ぶ反応素子の嵐が収束するわけではなく、むしろ勢いはより激しくすらなっていた。
 人工惑星AIであるナディア自体が消滅したわけではないからだ。
 黒髪の少女は、アサキの心を折るため彼女に似せて作り出した傀儡(くぐつ)であり、ナディア本体はこの反応素子の流れそのものであるからだ。

 荒れ狂う嵐の中、かっと眩い光が生じたその瞬間、アサキの右腕がざくり切られて血が吹いた。
 ナディアの生み出した光の槍が飛来し、突き抜けたのである。

 アサキはその攻撃的な意思こそ感じたものの、かわすことが出来なかった。
 弾くことが出来なかった。

「人たりえぬというのに、人であることを願う。ならばその儚く無意味な夢の中に消えるがいい」

 光の槍がさらに一本、二本。
 咄嗟に魔法障壁を全身に張るアサキであるが、その後も無数の槍が雨の降る如くで真紅の魔道着は一瞬にして切り裂かれ酷い有様になっていた。
 胸、腹、魔法障壁の弱ったところへ槍が容赦なく突き刺さっていく。
 先ほどナディアがいっていた通り、真紅の魔道着はそれ以上に真っ赤なアサキの鮮血に染め上げられていた。

「負けられ……ない」

 口から血を吐きながら、アサキは顔を上げた。

 負けられない。
 まだ、死ねない。
 みんなの、ためにも。
 それだけじゃない。
 わたしのためにも。
 こんな、ところで……

「負けてたまるか!」

 叫んでいた。
 アサキは、身を大量の槍に貫かれたまま拳を握り絶叫していた。
 無数に刺さった光の槍が、ぱん、と弾けると、すべては輝く粒子に戻って嵐の中に溶けて消えた。

 はあ、はあ、アサキは大きく息を切らせている。
 砕け、裂けた、血みどろの魔道着姿で。
 睨んでいる。
 ナディアの意思を。
 吹き荒ぶ反応素子の嵐を。

 そのナディア本体たる嵐の質に、変化が生じていた。
 揺れている。
 明らかな狼狽であった。

「何故だ……」

 嵐の中、意思の声。意思の、震え。

「何故、立ち向かえる。……神であれ、人であれ、まだ存在は小さく、しかもたった一人であるというのに、何故、何故だ! 何故だ!」

 意思の叫びに嵐が動き、巨大な雲の形を作っていた。
 その雲が、まるで巨人が大きく腕を広げたようにアサキの小さな身体を包み込んでいた。握り潰そうとする。

「わたしは、一人じゃない!」

 巨人の両手が爆発、四散した。
 そこには、剣を両手に持ったアサキの姿。迷うことない視線を真っ直ぐに向けた、赤毛の少女がいた。

 そうだ。
 自分は一人なんかじゃない。
 確かにさっきは、一人きりになってしまったと思った。寂しい気持ちで一杯だった。
 でも、今は、今いった言葉が本心だ。
 心の中には、みんながいる。
 これからも、ずっと。
 だから……だからわたしは、強くなれるんだ。

「どこが強いというか!」

 心の声にナディアが反応、激高した。
 ばしっ、とアサキの全身を電撃が襲った。肉を焦がすほどの、凄まじい電撃が。
 それは、ナディアの狂気であった。
 永遠の時を否定された、悲しい思いであった。

 嵐の中、ばちばちと身を外から内から焦がされながらも、アサキは耐えて口を開く。

「一人じゃ弱いよ。でも、わたしには仲間がいる」
「仮想世界などはドブ川の水泡のようなものであり、その中に巣食うゴミチリどもの数などは億万あろうとも変わらない!」
「あなたが作った世界でしょう! わたしの仲間を侮辱することは、ゆるさない!」
「ならばどうする?」

 アサキの全身がびくびくっと激しく痙攣した。襲う電撃の強度が増したのだ。
 合成生物(キマイラ)でなかったら、心や魔力が大きく成長していなかったら、この超魔道着でなかったら、いずれが少し欠けていても一瞬で消し炭になっていたかも知れない。
 とはいえ、一方的な攻撃を受け続けていることに変わりはなかった。

 ただし、焦っているのはナディアだ。

「神にもなれず、人間ですらない、何者だ、お前は」

 焦りつつも、あざ笑おうとするナディアの意思。

「人間、だ……わた、しは……」

 アサキのその悲痛な声を、悲痛な思いを、

「すべての、なり損ないだ!」

 ナディアは嘲笑する。
 自分を肯定するために。

「最後に、お前に生まれてきた意味をやる。死してわたしの糧となれ!」

 その言葉の直後に起きたこと、それは爆発であった。
 星を歪めるほどの。
 地軸を狂わせるほどの、爆発であった。
 確実な死をアサキへ与えるため、ナディアが自らの存在を触媒に攻撃エネルギーを激増させて物理層精神層、周囲すべてを吹き飛ばしたのである。

 反応素子が激しく流動し、もうもうとした爆炎の連鎖が起こる。
 惑星を粉微塵に吹き飛ばすかのような、獄炎。それはさながら二千億年近くも存在したナディアの怨念。自らを崩壊させながらも、膨れ上がっていく圧倒的な力。
 濃密な闇が激しく爆発する連鎖の中へと、赤毛の少女の身体が儚く飲み込まれていく。

 理の当然が起きただけであるという、ナディアにとって勝ち誇る価値もない戦いが、こうしてようやく終わっ……ては、いなかった。
 反応素子がばりばりと震える。
 それはナディアの動揺、狼狽の念であった。
 理由はすぐに分かる。
 飲み込まれて朽ちたはずのアサキが、

「うあああああああああああああ!」

 絶叫しながら、獄炎の中からその姿を見せたのである。
 ボロボロになった真紅の魔道着、両手に剣を持って、その全身を眩いほどに輝かせながら。

「お前は……」

 上擦った、ナディアの声。

「お前は誰だ! 何者だ!」

 ごお、と凄まじい風が巻き起こる。
 それはナディアの、感情というべきか。

 怒り、焦り、驚愕、悲しみ、濃密な負の感情に満ちたさらなる爆発がアサキを襲う、だが……

「さっきからいっている!」

 その爆炎の中からも、アサキは剣で闇を切り裂きながら飛び出していた。

「わたしは、人間だと!」

 反応素子が荒れ狂う闇の風の中を、叫びながら突き抜ける。
 どうん、どうん、爆発の中を、赤毛をなびかせながら。全身を、魂を、激しく輝かせながら。

「十四歳の女の子で!」

 突進の勢いは止まらない。魂を爆発させて突き進む。
 ナディアの意思へと。反応素子が恐ろしい速度で揺れ回転している、渦中へと。

「血は繋がっていないけど、それ以上に絆の繋がっている、素敵な両親の娘で!」
「死ね!」

 己を削り取ったかのような怨念の大爆発、大爆音、真っ黒な爆炎……の中からアサキが飛び出した。

「それに負けないくらい素敵な友達が、仲間がいる!」

 強く握った剣を頭上へ振りかざした。

「こんな、ことが……こんなはずが!」
「我孫子市天王台第三中学校、二年! (りよう)(どう)和咲(あさき)だああああああああああああああああああああ!」

 怨念の爆炎を眩い輝きで吹き払い吹き飛ばしながら、赤毛の少女は両手の剣を振り下ろした。

 新たに生じた大爆発、それはさながら超新星であった。
 物理、精神、転造されたアサキの肉体も含めてすべてのものが溶け崩れ、すべては、その真っ白な光の中に、さらさらと溶けていったのである。

     14
 宇宙。
 真っ白な光にすべての物質は溶けて、アサキの意識は、無限に広がる宇宙そのものになっていた。
 広大な時空が自身であり、一点凝縮されたマクロが自身であった。
 無限空間記憶層(アカシツクレコード)が記憶であり頭脳。それはすなわち、輪廻も含めすべての因果を理解することに他ならなかった。すべての過去を知ることに他ならなかった。物理どころか概念分岐という可能性の無限を、一文字に理解することに他ならなかった。
 宇宙創生よりの時空内全座標における過去を、全座標における陽子の流れを、すべての物質の陽子減衰の流れを。
 自然空間における歴史を。
 文明の築かれた歴史を。
 全宇宙にかつて存在した全生命の記憶。原初生物すらも例外なく。
 すなわち涅槃。
 そのすべてを理解していた。
 宇宙と時の流れとは、肯定を否定し否定を肯定するものであるという真理を。
 確かにすべては真実だった。
 宇宙の寿命が近いことも。

 広大なこの空間、無限の時が宇宙であり、上下、心や闇もまた宇宙である。そんな概念と化したまま場所も時も分からずただ意識を存在させているうちに、ふと光が見えた。
 それは、希望(ナディア)であった。
 ナディアの意思は語り掛ける。

 神である、と。
 あなたは神であった、と。
 神は敗北するはずもなく、すなわちわたしは神ではなかった、と。

 なんと小さなことにとらわれた思考であったことか。二千億もの時を生きた存在が。
 身体をなくした、いや宇宙全体を身体とした状態で、無を漂わせながらアサキはそう思っていた。
 でも、それはそれで良いのかも知れない。小さくても。
 けれど間違っている。
 わたしは神じゃない。そんな力は欲していない。
 と、それはアサキの本心であった。
 でも、ナディアはなおも語るのだ。

 神でないならば神以上だ、と。
 だが、わたしには分からない。それは果たして、ゆるされざる存在なのか。導く存在であるのか、と。
 わたしには、もう、分からない。分からない。分からな……い。

 白く弱い光が闇から消えた。
 ナディアの意思は、無限空間記憶層(アカシツクレコード)における過去のみの存在と化した。

     15
 ふわり、ふわり。
 ふわり、浮かんでいる。
 立っているのだけれど、でも浮かんでいる。
 なんだろう。
 この身体。
 どこに……わたしは、どこにいるというのだろう。
 精神世界?
 生きているのか。
 もう死んでいるのか。
 もしかしたら、ここが黄泉の国だろうか。
 どうであれ、訪れるものはなにも変わらないのか。
 だって、生きているのだとしてももうすべてが消えてしまったのだから。
 宇宙に漂う、たった一つの孤島さえも。

 いつの間にか、沼のほとりに立っていた。
 歪んだ時空。どんより暗い虹色の空。その遥か下の鬱蒼とした木々の茂る沼のほとりに、静かに立っていた。
 しばらくそのまま立っていたが、不意に左腕に着けている真っ赤なものを外すと、沼へと放り投げていた。
 ちゃぽん。
 幾重もの波紋の広がる中心を、ゆらゆらとその赤いものが沈んでいく。

 それからどれだけの時間、そこに立ち尽くしていただろう。
 足を前に出していた。

 還ろう。
 還るんだ。

 そんな言葉を胸に呟きながら。
 戻るべき場所へと戻るために。
 ちゃぽん。
 自身もその沼の中に身を沈める。
 ゆらゆらと揺れてがら身体が沈んでいく。
 暗くなる。
 水面が、どんどん遠くなる。

 溶け始めていた。
 それは肉体であるのか、魂であるのか、もうよく分からないのだけど、少しずつ溶けていた。
 溶けながらゆらゆら沈み、ごとり、やがて底にまで落ちた。
 ほとんど光の差し込まない、濁ってなんにも見えないところだけど、怖くもなんともない。むしろ不思議な平穏、やっと眠れるのだという安堵があるばかりだった。

 もう、まったく感覚がない。
 最初からそんなものなかったのかも知れないけれど。

 感覚はまったくないけれど、周りの微かな流れに身をまかせて腕を広げ、大の字になってみた。
 こぽり、こぽり。
 小さな水泡がいくつか震えながら上がっていく。
 なにが詰まっているのだろうな、この泡の中には。
 まあ、いいや。
 眠たい。
 とっても、眠たいな……
 襲う強烈な眠気にまどろみながら、思っていた。
 わたし、
 世界を、守ったのかな。
 宇宙を、守ったのかな。
 一時しのぎのことに過ぎないかも知れないけれど。
 でも、いいよね。
 わたしはもう、いいよね。
 だって神様なんかじゃないんだから。
 ただの泣き虫の女の子だったんだから。
 またいつか戻れるのかな、そんな自分に。
 そんな日々に。
 大丈夫。
 戻ればきっと、みんながいる。
 願えばきっと、みんがないる。
 願えばきっと、みんな笑っている。
 だからわたしは願うんだ。
 みんなが幸せになりますように。
 世界が笑顔で満ち溢れますように。
 そう。
 楽しい日々が始まるんだ。
 だから待とう。
 信じて。

 それが何十億年の後であろうとも。
 それは宇宙の一瞬なのだから。

 だから目を閉じて。

     16
 そして、そっと目を開けば、ほら…… 
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