冥王来訪
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第二部 1978年
狙われた天才科学者
一笑千金 その2
前書き
読者様意見反映回
季節はもう9月の初秋だった。
ユルゲンはつらつら思うに、ここ七、八か月は夢の如く過ぎていた。
人生とは変わりやすく頼りにならないもの。明日はどんな日がこの先に待つことか。
「ユルゲン、君だけじゃなく、この僕まで議長に呼ばれるって一体全体どうなってるんだ」
ヤウクは歎くも、ユルゲンも己を自嘲するかのように薄く笑った。
「ま、男は後悔しないものさ」
ユルゲンたちが向かう先は何処か。
共和国宮殿にある議長の執務室であった。
その内、執務室に着くと、そのドアを開け、中にはいる。
すると、背を向けて窓の方を見ている議長と義父・アベール・ブレーメが居るのが判った。
白髪の頭が動き、眼鏡越しに茶色い瞳で彼を一瞥した。
「ユルゲン君、遅かったではないか」
何時もの様に厳格な表情をしていないことに、ユルゲンは驚いた。
一体どういう心境なのだろうか……
喜色を漲らした議長が振り返ると整列する。
彼等は、踵を鳴らし、背筋を伸ばして、敬礼をする。
その際、議長は国防軍式の敬礼を淀みなく送り返した。
「諸君等には、特別な話が有って呼んだ。何か分かるか……」
満足気な表情で、男はそう言うと肘掛椅子に腰を下ろした。
「失礼ですが、同志議長。同志ベルンハルトが何か問題でも……」
訝しんだ顔をするヤウク少尉の問いに、男は相好を崩す。
「同志ベルンハルトが何をしでかしたかは、今日は問題にしない。
実はな……、お前さんたちに遊学に行って欲しい。
我が国のエリートも、英米の大学留学は何れは進めなくてはいけないと西との合邦の際に困るであろう」
男は懐中よりフランス製の紙巻きたばこを取り出すと、火を点けた。
紫煙を燻らせると、黒タバコの詰められた「ジダン」の香りが部屋中に広がる。
「同志議長、失礼ですが、どちらにですか」
「俺の方で推薦状を書いてな……。
同志ベルンハルト、君はニューヨークにあるコロンビア大学を知ってるかい」
男は、ユルゲンに米国留学の話を臆面もなくいった。
紫煙を燻らせながら、ユルゲンのサファイヤのような瞳を覘く。
「そこのロシア研究所で君を受け入れるという話が来てな……。
戦術機から離れることになる故、衛士としての技量は落ちるかもしれんが受けてはくれないか。
露語が自由闊達に操れて、英語も話せる人間となると少なくてな……」
ユルゲンはその言葉に、心を動かされた。
コロンビア大学のロシア研究所……、聞いた事がある。
確か石油で財を成した大財閥の財団の支援で作られた研究所のはずだ。
その財団は、米国資本にしては珍しく中近東のとの関係も重視しているとも聞く。
BETA戦争前の、ソ連の石油採掘事業にも縁が深かったはず……
「ですが同志議長、小官では無くても英語能力の高いものはいるのではありませんか」
立ち竦むアベールは、両腕を組むと彼の方を向いた。
「ユルゲン君。君は自分を、そう卑下する物ではない。
……議長は外に出して学んできて欲しいと、君に言っているのだよ」
「お前さんたち、悪童どもが集まって西の新聞を熱心に読んでる件……」
男は、燻る煙草を持つ右手で、灰皿へ灰を落とす。
「その事は、俺の耳にまで伝わっている。
まず一人、ニューヨークで遊学して来い。詳しい話は追ってする」
ユルゲンはひどく怪訝な顔をして、二人に尋ねた。
「ベアトリクスとではなくてですか……」
外交官の子息として単身留学に強烈な違和感を覚えたためであった。
訝しむ彼の眼前に立つ二人は、一瞬狐につままれたような顔になる。
呆気に取られたアベールが尋ねた。
「娘から、何も聞いてないのか……」
「何のことですか」
さっぱり事情がつかめず両目を瞬きさせるユルゲンを見て、男は思わず苦笑を漏らした。
「アベール、余り追及してやるな。若夫婦だから色々あるのであろう」
哄笑する声に吊られて、アベールも追従した。
相も変わらず感の鈍いユルゲンに呆れたヤウク少尉は、深いため息をついた。
「同志ヤウク、君には英国のサンドハースト士官学校に留学してもらう。
空軍士官学校次席の人間が今更そんなところに入るのは馬鹿らしいかもしれんが……」
議長の呼びかけに対して、抜からぬ顔をしたヤウク少尉は直立して答える。
「人脈作りですか」
男は、深く頷く。
「話が早くて助かる。西の王侯貴族の連中と人脈を作る……、大変であろうがその事を君に任せたい。
それに君の出自はヴォルガ・ドイツ人、事情を知る人間からは同情も引こう。
その点も考慮しての人選だ。遠慮なく学んできてくれ」
机の上で指を組んで、一瞬戸惑うヤウク少尉を見る男は、続けざまにこう漏らした。
「シュトラハヴィッツ君の愛娘を迎え入れるのに、ふさわしい男になる覚悟。
十分、確かめさせてもらった。
後は君の努力次第……、話は以上だ。下がって良い」
「了解しました」
男に挙手の礼をした後、ヤウク少尉は両手で軍帽を被るとドアに向かう。
ヤウク少尉は、自分の思い人を考えた。
一通り学び終えたころには、彼女も花を恥じらう乙女になっていよう。
10歳以上離れた娘御とはいえ、一目惚れしてしまったのだ……。
何れ18になったら迎えに行こう、そう思いながら部屋を後にした。
椅子に腰かけていたユルゲンは、勢い良く立ち上がる。
「同志議長、用件が済んだなら自分も……」
一服吸うと、彼の方を向き、答える。
男は相好を崩すや、次のように言った。
「実はとっておきの客を招待している」
ユルゲンは喜色に満ちた顔を引き締め、背筋を伸ばす。
「近いうちに木原マサキが来る。君にはその接待をしてほしいのだよ」
その夜、私宅に数名の物を招いて、議長は夕刻よりゼオライマーの取り扱いに関して討議をしていた。
会議の座中、ハイム少将は、深刻な面持ちをする議長に、
「では私に考えが御座います。伝え聞く所によると、ゼオライマーのパイロットは独り身であるそうです」と答える。
「丁度アイリスディーナ嬢は、はや婿殿を迎えてよい年齢になりますから、この際、婚姻を通じて、まず、木原の心を籠絡するのです……、その縁談を、受けるか受けないかで、我々に対する彼の立場も、はっきり致します」
「うむ……」
「もし彼が、縁談をうけて、二つ返事で引き受けるようでしたら、しめたものです。 我が国が史上最強の兵器を労せずして手に入れることが出来るのですよ。こんな話は滅多にありません」と木原マサキとの政略結婚を、匂わせる答えをした。
男は紫煙を燻らせながら、
「たしかにハイムの言う事には一理ある」と、彼の意見はもっともだと感心していた。
ハイムの意見に聞き入る様に驚いたシュトラハヴィッツ少将は、男を諫めた。
「形の上とはいえ、義理の娘だろう。アンタは余りにも人非人じゃないか」
一女の父親である彼は、アイリスディーナの姿を、愛娘ウルスラと重ねた。
ゼオライマーのパイロット、木原マサキとの婚姻。
彼は、その事を多方面より考え、国益の為の良縁と思い、その反面に危うさを覚えた。
議長の面には、わずかに動揺が見えだした。
「シュトラハヴィッツ君、君の言う通りだ……だがね。核より安く核爆弾以上のものが手に入るとなれば、我が国を囲む安保情勢は変わる」
だがシュトラハヴィッツ少将の意見を受けても、男の決心は変わらなかった。
その様を見て、アベール・ブレーメは、
「待ち給え、あまりにも無謀過ぎないか……」と口を極めて、その無謀をなじった。
「何だって、そんな乗るか分からない策に全力を注ぐのかね。
甘い見立てではないのか……英仏は核戦力維持のために通常戦力を減らした。ゼオライマーにかかる費用と言う物がどれ程なのか、皆目見当がつかない」
嘗て7つの海を制し、南米より中東、インド、極東まで支配した大英帝国は見る影もなく凋落した。
2000隻近くの威容を誇った大艦艇も、精鋭を誇った陸軍も、ドーバー海峡の向こうより渡洋爆撃を繰り返す空軍と幾度となく干戈を交えた航空隊も、かつての面影はない。
核戦力維持の為、英国政府の財務官僚は、繰り返し、しかも過剰に、三軍の装備・人員を削減してきた。
またフランスも同様である。
ナポレオン大帝の頃より多数の精兵で、その武威を天下に示してきた大陸軍や、北アフリカや、清朝より掠め取った印度支那諸国を従え、果ては南太平洋の小島まで影響を及ぼした海軍。
今や、核の傘にかかる費用の為に、四海にその威光を及ぼす事など論外と言えるほど縮小し、その姿は往時を知る者を嘆かせた。
アベールは、通産次官として東ドイツの状況を誰よりも把握していた。
国民福祉の為の社会保障費を維持するためとはいえ、西ドイツより秘密裏に施し金を受け取っている以上に、ソ連よりパイプラインを通じて提供されていた格安の天然ガス、石油。
BETA戦争によりその供給量は減るも、自国使用分を削って転売していた差額を持って、国費に当てるのも限度がある。
ましてや核に同等するとも言われている天のゼオライマーの特殊機構……。
一人皮算用をしながら、悶々と思い悩んでいた。
「どちらにしろ木原博士に関しては男女の関係とか淫猥な話は聞いた事がない。思想も反ソで一本筋が通っているし、信用できる男やもしれん」
議長の言葉に、気を良くしたハイム少将は、
「不安にお思いならば、誰か、木原と会った者を呼び寄せて、その人物に聞きましょう」と答える。
ふと、不安げな表情のアーベルが漏らす。
「娘は、危険な男と言っていたが」
「次官、真ですか。お嬢様は何方で、博士と……」
ハイム少将に応じる形で、アベールは娘・ベアトリクスから伝え聞いた話を、打ち明ける。
「ユルゲン君と遊びに行った折に会ったそうだ。何でも例の戦術機に乗せて遠乗りに出たと……」
シュトラハヴィッツ少将は、苦笑を浮かべながら、
「初耳だな。あのベルンハルトと遊び仲間だったとは」
と、皮肉交じりに答えるも、
「おい、アルフレート、口を慎め」と、ハイム少将が彼を窘めた。
男は、密議に参加する面々からの発言を聞いた後、手に持った煙草をゆっくりと灰皿に押し付ける。
そして、覚悟したかのように述べた。
「まあ、俺の方でミンスクハイヴ攻略作戦の功績による勲章授与と言う事で、木原博士を呼び出して、アイリスに逢わせる。ちと不安な事もあるがな」
アベールは、彼の発言に内心おどろいたが、さあらぬ顔して、
「なんだね」と云いやった。
議長は、ふと冷笑を漏らしつつ、
「東洋人だろ、アイリスより小柄だったら……」と嘆く。
ハイムは、眉をひそめ、
「身丈や風采も重要でしょうが、彼は科学者です。やはり重要なのは人格や政治信条でしょう。
今の彼の立場は日本政府の傭兵の様な物です。上手く行けば引き込めるかもしれません」
と、小声を寄せて、マサキと日本政府との関係をはなした。
シュトラハヴィッツも、いやな顔をして、ふさいでいたが、ハイムの言を聞くと、いきなり鬱憤を吐きだすようにいった。
「悪魔のようなことを考える科学者だったら、どうする。奴の背景も分からぬ内に嫁入り話などと言うのは危険すぎないか」
「それはその時に考えればいいさ。シュトラハヴィッツ君」
ハイムは、シュトラハヴィッツの怒っている問題にはふれないで、そっと議長に答えた。
「ごもっともですが、こういうことは、あまりお口にしないほうがよいでしょう」
「しかし、困ったものだ……」
「まあ、ご安心ください。その代りに、木原へは、報うべきものを報いておやりになればよいでしょう」
と、ハイムは堂々と答えた。
後書き
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欧米だと、既婚者は基本的にワンセットで海外赴任します。
これは東欧の共産圏も変わりません。ソ連時代の外交官やKGB工作員(任務によっては例外有り)もそうでした。
社交慣習やハニートラップ対策でもあります。
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