魔法使い×あさき☆彡
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第三十三章 惑星の意思
1
「わあ」
アサキは思わず、感嘆の声をあげていた。
芝生の坂を降りて、公園内の敷地に入り込んで人工樹の茂みを抜けたところ、目の前に池や噴水、様々な遊具類などの眺めが広がっていた。
こんなところにこんなものが、と思わず驚きの声が漏れてしまったのである。
「こりゃあ、まるで遊園地じゃのう」
治奈のいう通り、敷地には様々な遊具が設置されている。
ローラーコースターっぽい、列車やレール。
メリーゴーランドっぽい(ただし馬ではなく、なんだか未知の四足生物)もの。
何故だか、妙にぐにゃぐにゃと歪んだデザインになっている。さすがに、ローラーコースターのレールが歪んでいたら危険なので、そこは通常のようだが。
ぽい、というのは、アサキたちの知るものと色々なズレがあるからだ。
人工惑星が地球から旅立った西暦五千年と、アサキたちの知る仮想世界での西暦二千年、その感覚のズレに起因するものか、それとも別に作り手の思惑があってそこに左右された認識ズレか、そこまでは分からないことだが。
「この人工惑星は、地球の文明を知らしめる役割を兼ねてもいますから。先ほどの居住区と同様、異星人を勝手に想定して、汎用性も持たせた結果、ちょっとズレた感覚になっているのです」
ヴァイス語るには、そういうことのようである。
「こがいなところ訪れておる間に、シュヴァルツたちにサーバを壊されたりはせんのかのう?」
遊具を見回し眺めを楽しみながら、不安にもなったか治奈が尋ねる。
不安になるのも当然というものだろう。
この惑星の内部にある超次元量子コンピュータが作り出す仮想世界は、まだ現存しており、そこには史奈たち、仮想存在の人類がこれまでと変わらぬ生活をしているのだから。
少し前まで自分たちのいた、本物と思っていた世界であり、その世界をシュヴァルツたちは破壊しようとしているのだから。
「ま、大丈夫なんだろ」
言葉を返すのは、茶髪ポニーテールの少女カズミだ。
「あたし、コンピュータとかよく分からないけど。……この惑星全体がコンピュータみたいなものなんだろ? でも、これまで平気だったんだろ?」
「カズミさんの、仰る通りです。地下へはわたし、またはわたしが許可した者しか、行かれません」
白い衣装を着たブロンド髪の少女ヴァイスの、幼い顔ながらやわらかで落ち着いた声。
「であればこそ、あいつらはなにか画策しているわけだけど、でものんびり対策を立てる時間だけはあるってわけだな」
さっすがあたし、とでも思ったかカズミは笑みを浮かべてふふんと鼻を鳴らした。
「いえ、そうもいっていられないのです」
自画自賛も即行で否定されたが。
「なんでだよ! この栗毛!」
「あなたたちに、『呪縛』『制限』を感じません」
「はあ?」
カズミは、渋皮を口に入れた顔をそのまま横に傾けた。
「転造機により物質化された存在である以上は、権限的には『一般ユーザ』、わたしたち以上に制限があって然るべき。なのに、それを感じない」
「ヘイユー日本語でお願いネ! ……よく分かんねえけど、なんにも出来ないはずのあたしたちが、何故か反対にお前ら以上にやりたい放題やれちゃうってこと?」
カズミの質問に、ヴァイスは小さく頷いた。
栗毛といわれたさらさらのブロンド髪が、微かに揺れた。
「何故か、についてですが、元々が『奇跡』によって作られた存在だからだとわたしは推測します。もちろん、この人工惑星自体の意思がある以上は、破壊を望んだところで容易にはままならない。ですが、試みることは、不可能ではない」
「なるほどな」
手のひら叩くカズミであるが、すぐ顔を真っ赤にして、
「って違うよバカ! あたしらが、ここを破壊しようってのかよ!」
怒気満面、声を荒らげる。
暴風浴びようと、ヴァイスの顔色には微塵の変化も見られないが。
「いえ、そうではなく、あなたたちに呪縛がなくて、破壊行動も可能なのだとしたら……」
「ん? んん? ……あ、ああっ! そ、そうか、至垂のクソが、ってことか!」
「でもっ、でも、この宇宙が『絶対世界』だったんだよ! 考えられない!」
アサキは動揺しつつも、至垂がそうする可能性を否定をする。
至垂徳柳は、アサキと同じ合成生物である。
幼少より、つまり生み出されてからずっと、実験体とされていた。
その恨みを晴らすために、神として人類の上に君臨することを決意したのだ。
どこまでが本心かは分からないが、以前にアサキは本人から直接そう聞いている。
なんと小さなとは思うが、ともかくそれが本心ならば宇宙を滅ぼそうなどとは実におかしな話ではないか。
「そうだよ。あいつは神になって自分SUGEEEEEE!ってセコい力を誇示したいだけなんだから、対象である世界や人類は必要だろ」
「動機付けの話は、どうでもよいのです。大切なのは、呪縛されていない者があなたたち以外にもいるという事実」
ヴァイスは、感情動機論をすっぱり切り捨て、でも完全ドライにもなれないのかちょっと弱々しい表情になって、言葉を続ける。
「だから……悠長に構えても、いられないのです。……とはいえ、わたしは無限に等しい時間の流れを生きてきたから、猶予がないといっても、どう急げばよいか分からない。恥ずかしい話ですが、みなさんのお知恵にすがるしかない」
「大丈……」
……夫かどうか、分かるはずもないが、でも大丈夫! と、アサキはにこり優しくヴァイスへと微笑み掛けた。
と、その瞬間であった。
妙な叫び声が、聞こえてきたのは。
「パラッパッパッパパパパラッパッパラッパアアアアアア!」
ファンファーレ、のつもりであろうか。
公園のスピーカーから響く低い声でのスキャットだ。
声といっても、正しくは、スピーカーの振動による微弱な波動を魔力感知し、脳が勝手に音として捉えているだけだ。
この人工惑星に空気はないため、普通発声では音など生じないのである。
アサキたちの声も同様だ。彼女たちは、音声ではなく魔力と脳で会話をしているのだ。
表現の便宜上、すべて声や音であるとして今後も描写はするが。
「至垂えええええ、どこにいやがる!」
カズミの叫び声。
そう、スピーカーから轟くのは、至垂徳柳の声であった。
「男女! シダレ! ハナタレ! 出てこい!」
「さあて諸君、クイズです。第一問。ジャジャッ! わたしは、どこにいるでしょう」
妙にハイテンションかつ挑発的に、至垂の声が問う。
「うるせえバーカ!」
カズミは、きょろきょろ周囲を見回しながら、舌打ちし、激しく地面を踏んだ。
と、まるでなにかスイッチを踏んでしまったかのように、突然、
どおん、
少し離れたところで爆発が起き、地面が間欠泉のごとく噴き上がった。
どおん、
どおん
あちらこちらで爆音、地が弾け飛んだ。
「くそ! 畜生! さっき倒しときゃよかったあああああ!」
どおん、どおん、噴き上がる中、勘か予測か、単なる運か、あちらこちらへ足場を移動し、爆死の未来を回避しながら、カズミはイライラ口調を爆発させた。
「じゃけえ、こっちもまだこの身体に慣れてなくて、ろくに動けなかったけえね」
治奈も、やはり足場を変え、一瞬前までいた場所が爆発して石や砂が飛び散るのを、腕をひさしに防いでいる。
どこかにいるはずの至垂を探して、周囲を見回している。
「でも、この近くとは限らないよ……」
探知のため遠くへ魔力の触手を張り巡らそうと、脳内で呪文を非詠唱しようとするアサキであるが、その瞬間、びくりと肩を震わせた。
まさか、
「この下っ……」
連続する爆発や、近すぎるが故に気付かなかったのだろうか。
でも、いま確かになにかを感じた。
気配であるのか微かな震えであるのか、足元になにかを。
アサキが非詠唱をやめて視線を落とした、その瞬間、
「せーかいっ!」
という叫びとともに、爆発した。
アサキが立っている地面が、大きく揺れた。
激しい地面の隆起。
ぐらぐら揺れて砕ける地面を持ち上げながら、なにか巨大な塊が姿を現した。
蜘蛛だ。
背中に白銀の魔道着を着た魔法使い至垂徳柳の上半身を生やしている、足が六本しかない巨体な蜘蛛であった。
「あ、ああ……」
あまりの質量差に、アサキの目の前、視界が、完全に塞がっていた。
ざんっ、
六本のうち右の前足が、振り被った刀のごとく斜めに打ち下ろされていた。
突然のことに、すっかり油断していたか。
魔力の目で遠くを意識しようとしていた虚を、巧みに突かれたか……
袈裟掛けの一撃が、アサキの身体を引き裂いていた。
ほぼ同時に、巨蜘蛛の左前足が水平に動きガチッと骨と肉を断つ不快な音と共に、アサキの首が空中高く舞っていた。
飛ばされた首は、くるくる回って地へと落ちた。
弾み、転がり、続いて、
どさり、
首を失った胴体が、地に倒れた。
「うあああああああああ!」
カズミと治奈の悲鳴が、この人工の大地を震わせた。
空気もなく音が伝わるはずもないこの空間を、激しく。
2
異様な光景であった。
遊園地にも似た大きな遊具のたくさんある公園の、敷地の中。
河馬二頭分ほどもあるとてつもない大きさの蜘蛛がおり、その背からは中性的な顔立ちの人間の上半身が、ケンタウロスよろしく生えている。
それだけでも異様たるに充分であるというのに、さらにはその巨大な蜘蛛の前に赤毛の少女の首が転がっている。
首を失った、少女の胴体が倒れている。
異様でなくてなんであろう。
「アサキイイイイイイ!」
二人の少女が立ち尽くしており、その凄惨な光景に青ざめを通り越した真っ白な顔で絶叫している。
「たわいないものだ!」
巨蜘蛛の背から生えている魔道着を着た人間の上半身、至垂徳柳は、あっけのない勝利に中性的かつ端正な顔の口元を片端歪めて笑った。
「朽ち果てて、永遠の闇に溶け消えるがいい」
巨蜘蛛の巨大な前足が、目の前に転がる赤毛の少女の首を踏み潰していた。微塵の躊躇いすらもなく、むしろ恍惚とした表情さえ浮かべて、赤毛の少女、令堂和咲の首を。
恍惚感に、もう片端も釣り上が……りかけた至垂の口元であったが、一瞬にして真顔へと戻っていた。
顔全体に、なんともいえない違和感が浮かんでいた。
少女の首を踏み付けたはずの、前足を持ち上げた。
ぴくり、
端正な顔立ちの眉を微かに震わせた。
足元には、ぐじゃり潰れた赤毛の少女の首があるはずなのに、ただ地面には巨大な自分の足跡が付いているだけだったのだ。
首だけではない。すぐそばに倒れていたはずの、首と別れた胴体もいつの間にか消えていた。
「どこだ……」
六本の足をわさわさ、背から生える人の身体も顔をきょろきょろ。周囲を見回す至垂であったが、なにかを察したのか不意に天を見上げた。
その勘は、正しかった。
見上げたその瞬間、上空から落ちてきたのである。
なにと比較しようかという、それは猛烈な速度で、至垂の頭上へと、降り、迫ったのである。
なにが?
赤毛の少女、アサキが。
「やあああああああああ!」
雄叫びを張り上げながら、巨蜘蛛の背から生える至垂の白銀魔道着へと、輝くなにかを叩き下ろしていた。
それは両手に握った、魔力により作り出した光の剣であった。
アサキは光の剣を、落下の勢いを加えて思い切り至垂へと振り下ろした。
至垂の身体は、頭頂から完全に真っ二つになっていた、はずであった。
勘か、予測経験か、運も含めてなにかの要素がほんの僅かでも、至垂に足りなかったならば、きっと。
つまりは、アサキの攻撃は命中しなかったのである。
紙一重のタイミングで、受け止められていたのである。
水平に寝かせた、長剣の平で。
「幻影魔法か」
至垂の端正な顔が、ふっと鼻での笑いに歪んだ。
幻影とは、先ほどアサキの首が飛んだに見えたことをいっているのだろう。
本物はすぐ目の前。赤毛の少女アサキは、至垂と剣を合わせたまま巨蜘蛛の背へと降り立っていた。
そのままぎりぎりと、剣と剣とを押し合う格好になる。
だが、腕力ではアサキに分が悪く、奇襲に失敗したこともあり、光の剣を消しながら、いったん後ろへと跳んで距離を取った。
とっ、とカズミたちのそばへ着地し、ため息一つ吐いた。
ぼっかん、
後頭部を殴られた。
「アホ! 味方まで騙すなよ! バーカ! アホ毛! ヘタレ! 貧乳! お子様パンツ!」
カズミは殴った腕はすぐ下ろしたものの、気持ちはまったくおさまらないようで、怒鳴り声という見えない拳でガスガス殴りまくった。
「ご、ごめん、咄嗟だったから」
アサキは、真顔で謝った。
「ったくよ」
よく見ると、カズミも治奈も涙目であった。
気付いたアサキは、
「ごめん」
もう一回、謝った。
驚かせただけではなく、悲しませてしまった罪悪感に。
説明している暇がなかったのだとはいえ。
なにをしたのかというと、至垂がいっていた通りの幻影魔法だ。
巨蜘蛛による地中からの攻撃を受けたその気配を察した瞬間、呪文を非詠唱し、殺された姿を投影したのである。
至垂の油断を誘って、反撃をするためだ。
さすがは、魔道器魔法使いという戦闘特化の合成生物であり、奇襲は読まれて失敗したが。
「まあ、無事だったんだからええじゃろ」
治奈は、指で目の涙を拭った。
「まあな。……あたしら三人で今度こそ、至垂、てめえをぶっ倒す!」
カズミは、人差し指をびしっと向けた。軽トラックほどもある巨大な蜘蛛の、その背から生えた人の身の、薄笑いを浮かべている至垂徳柳の顔へと。
「おう、変身じゃ!」
治奈が、そしてカズミが、それぞれ両腕を振り上げた。
左腕には銀と青、銀と紫のリストフォン、右の手のひらで覆い、掴んだ。
側面にあるクラフト機能起動のスイッチを、人差し指でカチリ押し込ん……いや、押そうとしたところで、
「待って!」
アサキが前に出ながら、伸ばした右腕を横に上げて二人の変身にストップを掛けた。
「なにが待ってだ、お前!」
さあ決戦ではないが、とにかくノッた気分をそがれ、イライラじれったそうにカズミは地を踏みつけた。
その後のアサキの行動、言動、誰が予測出来ただろうか。
「わたし一人で、戦う」
赤毛の少女、アサキはそういいながら、ゆっくりと前へ出たのである。
3
「はああ?」
わけが分かんねええええ。
と、口元あんぐり目を白黒のカズミ。
その前に、通せんぼするように立つアサキは、無言のまま右腕を高く上げた。
頭上から、剣がくるくる回りながら落ちてくるのを、顔を前に向けたまま柄を見もせず掴み取った。
さらに一歩、前へ出ると、腰を少しだけ落とし、至垂へと向かって構えの姿勢を取った。
「おい、変身もしねえのかよ……」
カズミが、不安そうに小さな声を漏らした。
アサキの服装は、ティアードブラウスに膝丈タータンチェックのプリーツスカート。先ほどからの、普段着のままだ。
魔道着は頑丈な防具であり、戦闘服でもあるため動きやすい。
また、体内の魔力伝導効率を整わせる働きがあるので、より強力な魔法を使うことが出来るし身体能力も向上する。
そんな魔道着を着ていても、これまでただ一人の至垂徳柳に、三人掛かりで苦戦していた。
魔道着は至垂だって着ているし、それに至垂はもとの強さに加え巨大な蜘蛛と合体しているのだから強いのも当然だ。
ということを考えると、一人でしかも生身で戦うなど、なにが狙いか分からないがあまりにも無謀なのではないか。
そうした不安、心配からの、カズミの言葉だったのだろうが、しかし、
「必要ない」
アサキは、一言で突っぱねた。
あまりににべないかなとも思い、笑みを浮かべて言葉を足した。
「大丈夫。もう、この身体にも慣れたから」
と。
大丈夫かどうかなど分からない。
でも、アサキはあえてそう強がってみた。
だって逃げ腰じゃあ、一人で戦うといってみせた意味が、そもそもないじゃないか。
「必要ねえ、って、わざわざ無茶する必要は……数人で卑怯とかいうなら、あいつだって化け物と合体してんだぞ!」
不満げに食い下がる、というか当然の理屈を主張をするカズミであったが、その肩に、
「カズミちゃん」
治奈の手が、そっと置かれていた。
見ると、治奈は小さく横に首を振った。アサキの気持ちを察しろ、ということだろう。
カズミは、ふんと鼻から息を吐いた。
いわれずとも分かってはいるのだろう。友、アサキの、考えを。
「信じるからな、アサキ。……あっさりやられたら、承知しねえぞ。スカートめくって泣かすからな。泣いてるとこ写真に撮って笑うぞ」
「分かった。ありがとう」
アサキは背後にいるカズミへと、振り返ることなく礼をいった。
無茶、いや冒険に対して聞き入れてくれたことに。
アサキは、自分の戦闘力に絶対的な強さがあるなど思ってはいないし、そうした強さへの憧れも興味もない。
ならば何故、あえて一人で戦うなど、ことさら強さをアピールしようとするのか、ということだが、別段なんという考えでもない。
もしも、みんながいうように、自分に強い力があるのであれば、あえて不利な条件下で圧倒してみせることにより、至垂の戦意を削ぎ、しいては無駄な殺し合いをせずに済むのではないか。
そう考えただけだ。
わたしの仲間たち、わたしの両親を、殺した罪は消えない、許せない。けど、それはそれだ。
こんな状況だろうとも、いやこんな状況だからこそ、復讐心にかられて生命の奪い合いだなんて、したくなんかないから。
わたしが強いかどうかなんて、戦ってみなきゃ分からないし、だから、一か八かにはなってしまうのだけど。
でも、こんな死の世界で、せっかく生きているのに、倒して終わり、殺して終わり、だなんてしたくない。
いや、世界は関係なく、どうであれ、誰かを殺すだなんて嫌だ。
でも、わたしだって死ぬわけにはいかない。
だから、そうしないためにも、そうならないためにも、ここで決着を付けておく必要があるんだ。
だから……
アサキは、身を低くしたまま剣を握る手に力を込める。
金属製の、ずっしりとした質量を持つ洋剣を。
先ほど手にしていた光の剣から持ち替えたのは、その方が都合がよいからである。
光の剣は、咄嗟のことに魔力で作り出しただけ。形状維持にも魔力を使うため、効率が悪い。
物理的な武器に対しエンチャントを施して、より鋭く、より軽くさせた方が、遥かに戦いやすいし、長期戦にも対応出来る。
あえて不利な状況に身を追い込むとはいっても、剣がすぐに消失していては話にならないというものだ。
アサキは腕を上げ、剣を水平に持った。
早速、そのエンチャントだ。
青白く輝く左手のひらを翳すと、その手を切っ先へと滑らせていく。
剣身全体が、薄青白い光に包まれていた。
アサキと巨蜘蛛から生えた至垂の身体とが、改めて向き合った。
4
「あんまり余裕を見せない方が、いいんじゃないのかなあ」
蜘蛛の背の上から生える白銀の魔道着を着た至垂は、小馬鹿にするかのような鼻に掛かった声を出した。
「わたし強いでしょ、ってなんのためのアピール? 無益な殺し合いはしたくないから、とかそんなところ? でも、こっちは全然そう思っていないんだよねえ。……もう、きみの存在価値はない、といったこと覚えてる? 生かしておく必要性は、もうないのだと。わたしの邪魔をする者は、殺すのみだ。誰であろうとも!」
ざざっ、
巨大蜘蛛の足が動く。
本来の蜘蛛よりも二本少ない、六本の足が素早く動き、アサキへと一瞬にして距離を詰めていた。
巨体が故の迫力で猛然と詰めながら、鉤爪に似た前足を瞬時に振り上げ振り下ろし、アサキの身体を袈裟掛けに引き裂こうとする。
ガチッ、
硬い物がぶつかり合う音が響く。
アサキが、寝かせた剣を両手で持ち受け止めたのだ。
重たい衝撃に、周囲の地面が激しく揺れる。
アサキの足元には亀裂が入り、靴の裏が数センチほど崩れた地面の中にめり込んでいた。
「えやあああっ!」
力任せに剣を振るって鉤爪を跳ね上げるアサキであるが、間髪を入れずに次の攻撃が襲う。
足場の悪い中、なんとか踏ん張り地を蹴って避けるが、しかし避けてもかわしても、すぐ次の攻撃がくる。
巨蜘蛛の先端鉤爪状の前足が、背中から生える至垂が握る洋剣の切っ先が。くるり巨蜘蛛が身体を回転させては、中足や後ろ足を使っての鋭い一撃が。
矢継ぎ早の攻めに、アサキは防戦一方になっていた。
速く、重たく、鋭い攻撃。一発でもまともに入ったならば、身がどうなるかも分からない。そんな破壊力の塊が、休まず間髪を入れずに、繰り出され続ける。
アサキは、ステップを踏み、左右に動き、後退し、すり抜けて反対側へ周ったり。そして右手の剣や、時には左腕でもガードをして、攻撃を避け、弾き、防ぎ続けている。
防戦一方は間違いない。
だが防戦一方に、追い込まれているわけでは、なかった。
その顔に、焦りはない。
アサキは余裕を持ち、見切り、避けている。
避け続けている。
翻弄とは違うが、でも押しているのはむしろアサキの方である。そんな雰囲気すらも、漂いつつあった。
それが結果的に、アサキの油断に繋がったのだろうか。
それとも至垂の方こそが、こうした雰囲気に持っていくための演技をしていたというのだろうか。
アサキが隙を突いて剣で反撃をしたのだが、がくりよろけた巨蜘蛛の、その蜘蛛の口から、粘液が吐き出されたのである。
あまりに至近距離であったため、拡散する粘液をかわしきれずアサキは全身にべたり浴びてしまったのである。
そう見えた瞬間には、既にアサキの身体はその粘液に、いや、乾いて糸状になったものに、ぐるぐる巻きにされていた。全身を、頭からつま先まで。
「アサキ!」
「アサキちゃん!」
カズミと治奈の叫び。
やはり加勢すべきと思ったか、カズミが両手を振り上げてクラフトへと手をそえる。
だが、その必要は、なかった。
「死ねっ!」
喜悦の笑みを浮かべた至垂が、鈎状の前足を身動きの取れないアサキへと振り下ろしたのであるが……
その瞬間、アサキの全身をぐるぐる巻きに包まれた内側から、突き破られてなにかが飛び出した。それは、岩ほどもある巨大な拳であった。
「うぁあああああっ!」
全身を巻いていた糸が切れて、右手を巨大化させたアサキの絶叫が轟く。
地面を抉るごとく、低空からのアッパーカットを至垂の、巨蜘蛛の腹部へと見舞ったのである。
どおん、
低く鋭い、唸りと衝撃。
巨蜘蛛の巨体は、高く空中へと打ち上げられていた。
打ち上がった巨体が、逆さの体制で静止した。
そして、すうっと重力に引かれ始める。
巨体の背から生える至垂は、痛みと驚きに顔を歪ませていたが、余裕か強がりか不意にふっと笑みを浮かべた。
巨蜘蛛の身体を空中で反転させると、たんと後ろ足で真空を蹴って自由落下を加速させた。
「このままあああ! ぶっ潰うううう……」
地上にいる赤毛の少女へと、巨体落下の狙いを定め……ようとして、ここで初めて至垂の笑みが固まった。驚きや焦りの色が、固まっていた。
赤毛の少女が、真下、周囲、地上のどこにもいないのである。
頭上であった。
いつの間に地を蹴ったのか、アサキの身体は巨蜘蛛よりも遥か頭上にいた。
いつの間に真空を蹴ったのか、アサキの身体は至垂へと向かって落ちていた。
加速していた。
至垂を遥かに凌駕する、凄まじい速度で降下しながら、分裂していた。
アサキの身体が、五人、六人、七人と分裂していた。
「な……」
地へと落ちる寸前の、巨蜘蛛の身体へと、
「えやああああああああっ!」
七人のアサキが一斉に剣を振り下ろした。
切り裂いて、血飛沫の上がる身体へとさらに踵を落とした。
大爆発。
至垂の巨体が落ちた衝撃に、地がぐらぐら揺れた。
砂や石が、豪風と共に巻き上がった。
少し晴れて見通せるようになると、そこはまるで隕石跡。半径二十メートルはあろうかという、巨大な大穴が出来ていた。
「アサキ!」
「アサキちゃん!」
大穴のへりに立つカズミと治奈が、覗き込みながら口々に叫ぶ。
まだもうもうとしている、砂煙を払いながら。
二人の顔にはすぐ、安堵と嫌悪の入り混じったような複雑な表情が浮かんでいた。
蟻地獄にも似た巨大なすり鉢の中心部には、なにごともなく剣を持ち立っているアサキの姿、そして、ぐちゃりぐちゃりと血みどろになり横たわっている巨蜘蛛、至垂の姿があったのである。
5
ぴくり、ぴくり。
ところどころ潰れた、血みどろの肉塊が痙攣している。
「こんな、バカな……」
至垂徳柳は、醜い状態ながら巨蜘蛛の六本足をバタつかせて、なんとか起き上がり体勢を戻した。
悪事の本体というべきか背から生える魔道着を着た上半身は、踏まれた雑草さながらにまだ潰れており、蜘蛛の背に張り付いたまま。損傷の程度は分からないが、少なくとも骨の数本は折れているだろう。
ずるり、
ずるり、
巨蜘蛛が、腹を地に付けたまま這って逃げようとしている。
「過ぎた野望を捨てる気がないのならば……逃さない!」
決着を付けるべく、アサキは小走りに追った。
蜘蛛の背にべたり張り付いている半死半生の至垂は、手をついて身を起こすと後ろを振り返った。
追ってくる赤毛の少女を見ると、忌々しげに舌打ちした。
逃走する巨大な蜘蛛、生える至垂の、ズタズタになった惨めな姿。
アサキは、容赦しないとまでは思っていないが、さりとて油断もしていなかった。
以前に戦った時も至垂は、時間を稼ぎつつこっそり非詠唱で自らを治療していたのだ。今だって、おそらくそうだろう。
なりふり構わず逃げる振りをして、きっとなにか仕掛けてくるのだろう。
「死ね!」
やはり。
背にぐったり張り付いていた至垂が、突然ぴいんと真っ直ぐ起き上がると、両手の間にこっそり溜めていた高密度の破壊エネルギーが込められた光弾を振り向きざまに飛ばしてきた。
非詠唱のため、難なく発射しているように見えるが、これは超魔法である。通常魔法より格段に上位レベルの、莫大な魔力を消費する、凄まじい破壊力を持った魔法だ。
されどもアサキにとっては、予想の範疇。
左の手刀に魔力を込めて、難なく打ち返していた。
打ち返した瞬間、大爆発が起きた。
膨大なエネルギー光弾が至垂へと跳ね返り、それを至垂が手のひらで魔法防御したため、破壊力が行き場を求めて爆発四散したのである。
爆音、爆炎、地面が吹き上がり、砂が舞い上がった。
ぱらぱらと、大粒の砂が落ちる。
吹き飛んでえぐられた地面の、中心で、
「令……堂……」
至垂が声を震わせている。
その身体、至垂本体の魔道着を貫いて胸に一つ、巨蜘蛛の胴体に七つ、八つと、光の球がめり込んで、バジバジッと弾けている。
威力を、殺し切れなかったのだろう。
至垂は、自分の作り出した超魔法の威力を。
「負けを認め……」
るのならば、もうこれ以上の戦いはやめましょう。
アサキが、そういい掛けた時である。
そして、言葉を察した至垂が、
「誰があ……」
ぎり、と歯を軋らせた時である。
地鳴り、地響き。
いまの爆発が呼んだものだろうか。
先ほどまでとは比べ物にならないくらい、さらに激しくぐらぐらと、地が揺れた。
ここは、地層の薄いところであったのだろうか。
それとも異次元への扉でも開いたのだろうか。
二人の足元に、前触れなく一瞬にして、大きな穴が開いていた。
直径十メートルはあろうかという、大きな穴が。
二人の身体は人工惑星の重力に引かれ、穴の中へと吸い込まれていた。
6
落ちる。
二人の身体は、白い霧の中を落ちている。
落下という感覚があるだけで、それがどれほどの速度であるのかまったく見当もつかない。
「なんだ、ここは……」
逆さまに落下しながら、蜘蛛の背の魔法使い至垂の口が、疑問の言葉を呟いた。
抜け目がないな。
ちらり見ながら、アサキはそう思った。
至垂の身体が、非詠唱魔法によってどんどん治癒しているのだから。
この心身のバイタリティには舌を巻く。
自分など、まだこの世界にいる状況に適用出来ておらず、まだ気持ちが参っているというのに。友と励まし合わなければ崩れてしまうくらいだというのに。
霧が濃くなる。
その霧がさらに凝縮されたものなのか、やがて綿菓子雲に似た、掴めそうなくらいのしっかりと質量を感じさせるものが、あちこちと漂い始める。
霧に見えるのは、反応素子である。
全宇宙に満ちている、エーテル体と呼ばれるものである。
陽子誘導によって起こる差異を、コンピューティングにおける量子ビット列として利用するのだ。
電圧や音の周波数に閾値を設けてビットの有無に置き換えていた、創世記のコンピュータと根本原理は同じである。
中心部に近付くほど、中央演算のゼロキャッシュ領域、計算処理が高速膨大であるため、量子ぶれも大きくなる。そのため、反応素子が濃密な、粘度を帯びたものになる。
これが、綿菓子雲に見える理由だ。
と、これはヴァイスから教えて貰ったことである。
それよりも、いまの言葉だ。
至垂徳柳は、どうやらここへきたのは初めてのようだ。
この空間に、かなり興味を抱いているようだ。
でも、疑問に対して正直に答える必要もないだろう。
と思うアサキであったが、しかし、
「ここは、超次元量子コンピュータの格といえる部分の、すぐ近くです。五次、四次、と階層を抜けたゼロキャッシュと呼ばれる中心に近いエリアです」
咄嗟に嘘も付けず、つい正直に答えてしまっていた。
受け売りの知識であるが。
呪縛のない至垂が、この量子コンピュータを破壊しようとするかも知れない。その可能性を危惧したからこそ、悠長に構えてはいられないという話をしたばかりだというのに。
無意識のことで自分でも分からないが、さして問題ない気もして、口が緩んだのかも知れない。
至垂が味方になるとか、共同戦線を張るとか、そういう話ではなく。この惑星の自己防衛力は、そんなレベルにないと思ったのだ。
その、惑星の意思たるAIが、いるのだろうか。
この近くに。
もしも接触したら、わたしたちをどうするつもりなのだろうか。
わたしたちは、どうなるのだろうか。
未来をどうするか判断するため、白と黒という疑似人格による生体ロボットを作った。というところまではヴァイスから聞いているが、肝心の惑星AIについての知識はまだあまり聞かされておらず、どういうものなのかがよく分からない。
だからまだ、接触するには早いのではないか。
こんなところに、長くいるべきではないのだろう。
「地上へ戻りませんか? なにもここで、わたしたちが争う必要もないでしょう」
アサキは至垂へと話しながら、飛翔魔法を非詠唱。
落下にブレーキを掛け、そして上昇しようとしたのだ。
だが、掛からなかった。
むしろ、ぐんと強く引かれていた。
「うあ!」
身体が、精神の重力とでもいうべきものに掴まれて、強く、下へと引き込まれていた。
反応素子の雲が、凄まじい速度で上へ流れていく。
高速で落下しているのだ。
深く。深くへと。
反応素子による濃密な白い雲が、さらに濃くねっとりしたものになった頃、ようやく落下の速度が落ちてきた。
緩やかに、なってきた。
ほとんど前の見えない霧の中。
すぐ目の前には触れるどころか乗れそうなくらいに濃い、反応素子による白い雲。
以前に、ヴァイスに連れられてこの惑星内空間を経験しているアサキであるが、ここまで深く降りたのは今回が初めてであった。
「誰だ……」
至垂の声。
惑星の中心部へと、視線を落としてその向こうにいる誰かへと、ぼそりと呟いた。
やはり彼女、至垂も感じているようである。
強い意思を。
ヴァイスのいう通りならば、それはこの先だ。
もっと落ちたところに、いる。
または、ある。
自分たち二人は、それに引っ張られて落ちている。
いや、
呼ばれて、いる?
……そうか。
地表の爆発で落ちたのではなく、招かれたんだ。
わたしは……
濃密な空間を、二人は落ちていく。
反応素子の雲が、さらに濃くなる。
ここは現実世界、物理世界であるが、量子ビットの動きを身体が無意識に捉えてしまい、アサキはなにやら精神世界にいるような錯覚に陥っていた。
その影響のためか、自分が消えていく、自分が自分でなくなっていくような、そんな感覚に陥っていた。
ような、ではない。明らかであった。反応素子の雲が無数の触手と化して、アサキの全身を包み込んでいたのである。
至垂の巨体には目もくれず、アサキの身体だけを。
意思が……
アサキを……
ぞわり、
精神を、撫でられ、舐められ、奥を探られ……掛けた瞬間、
「ああああああああああああああああ!」
アサキは叫んでいた。
上昇していた。
ありったけの魔力を開放、地下の意思による重力を飛翔魔法で振り切って。
なりふり構わぬ思い、いやそんな思いすらなく、ただひたすらに上昇していた。
7
ひたすら、上を目指して。
魔力の手を伸ばして、至垂の巨体を掴んで。そんな余裕、本当はないのだけど。
とにかく必死に、浮上し続けた。
なんだったんだ。
わたしは、なにを感じた?
意思が接触を図ってきたこと。それに、恐怖した?
精神に触れられて、舐められて、そのことによる嫌悪?
分からない。
気が付くと地上にいた。
ぺたん、とおままごと座りで、両手を後ろに突いて、ちょっと涙目になって、ぜいはあと激しく呼吸をしていた。
正確には、呼吸ではない。
ここは真空であり、吸うべき酸素など存在しないからだ。
体力や精神力、消耗したものを回復させる際に、以前からの動作行動が習慣として出てしまっているだけである。
逃げてきた、惑星の中心部。そこは、そこにいるだけでも様々なものを消耗する空間であったのか。アサキが魔力の手で掴んで引っ張ってきた至垂徳柳の巨体も、やはり息が荒い。激しく、消耗しているようである。ぜいはあ、息も絶え絶えだ。
だが、呼吸の様子だけを見ると弱り方がはなはだしいが、肉体の損傷はほとんど回復しているようだ。
自身の超魔法をアサキに跳ね返されまともに受けて、見るからに酷いダメージを受けていたはずなのに。
惑星の地下にいた間、驚きや畏怖、他に思うところもあっただろうに、そんな中もひたすら非詠唱で自己治癒し続けていたのだろう。
先ほどアサキが舌を巻いていた通り、タフで抜け目のない至垂である。
「いまのは……いったい」
至垂が、ゆっくりと立ち上がった。
正確には、至垂の上半身と繋がった巨蜘蛛が、六本の太い足でゆっくりと立ち上がった。
アサキはまだ、おままごと座りのまま息を切らせている。
すぐ目の前で至垂が身を起こしたのは分かったが、あまりの疲労に身体が動かなかった。
惑星の中心へと引き込もうとする膨大な力から、逃げてきたのだ。しかも、至垂の巨体までも引っ張って。
魔力はともかく、体力が尽きてしまっていた。
でも、息を切らせながらも、心は冷静に状況を考えていた。
違和感に顔を曇らせていた。
ここは、わたしたちが落ちてしまった時と同じ場所だ。
爆発で大きな穴が空いて、そこにわたしと至垂所長は飲み込まれた。
そう思っていたけど、大穴なんてどこにもない。
爆発して、地面が吹き飛んですり鉢状になっているだけだ。
アクシデントで薄いところから落ちてしまったというより、やはり惑星の意思に呼ばれて引っ張られたということなのだろうか。
「アサキ!」
いきなり聞こえたカズミの大声に、アサキは息を切らせながら顔を上げる。
すり鉢斜面の上に、カズミと治奈、そしてヴァイスの顔が見える。
親友の二人は、一体なにが起きたのか気が気ではない不安顔だ。
「アサキ!」
カズミはまた大声を張り上げて、すり鉢を転がり落ちる勢いで降り始めた。
いや実際、柔らかくなっているところに足を取られて、転がっては起き上がりながらで、焦らずゆっくり身体を運んだ治奈とヴァイスの方が降り終えるのが早かった。
「なんでだよ!」
必死さまるで報われず、ようやく降り終えたカズミの怒鳴り声。
ミニスカートを摘んで揺すって砂を払い落としながら、不満げに足を踏み鳴らして、アサキの元へと近寄っていく。
先に降り終えた治奈とヴァイスは、もう既にアサキの目の前である。
「招かれた……のですか?」
ヴァイスが、目の前のアサキを見下ろしながら問う。
ぺたん、とおままごと座りで、ぜいはあ息を切らせていたアサキであるが、多少回復したこともあって、よろよろふらつきながらも立ち上がった。
「おそ……らくは……」
立ち上がったアサキは、今度は反対にヴァイスを見下ろしながら小さく頷いた。
「まだ時ではないし迂闊には会えないかな、と思って、逃げちゃったんだけど」
立ち上がったけれど、まだぜいはあ息を切らせている。
腰を落として膝に手を付いた。
「驚きました」
いつも、たおやかではあるが無表情に近いヴァイスは、表情を作ってもどこか嘘くさい。それが、いまは本当に言葉通りびっくりした顔になっていた。
あくまでも普段と比べればという程度ではあるが、その普段が普段なので格段だ。
「招きを振り払い、しかも自力で戻ってくるだなんて。その魔力の無尽蔵に、あらためてびっくりしました。さすが、救世主になるべく選ばれ転造されただけあります」
「そういわれても、まったく嬉しくないけどね」
ようやく腰を上げたアサキは、まだ荒く息をしながら苦笑いをした。
「油断する子は死にたい子!」
叫び声が聞こえると同時に、無数の小さな槍状の光弾がアサキの背後から刺さり突き抜けていた。
胸から、腹から、ぶつりぶつり、ぶつりぶつりぶつり、細い光の槍が飛び出していた。
背後から、胸や腹だけでなく、首からも、腕、足からも。
8
不意打ちに色をなくした瞳、表情をなくした顔の、赤毛の少女の背後には、巨蜘蛛の姿があった。
こっそり治療して治癒しかけていた巨蜘蛛の身体であるが、またところどころごっそりえぐり取られてとろとろ血が流れ出ている。
魔閃塊を使い、アサキを攻撃したのだろう。
自分の身体をちぎって、邪気を含ませて飛ばすという、以前に空飛ぶ悪霊ザーヴェラーが見せた攻撃方法である。超魔法は連発が効かず、通常魔法は破壊エネルギーがすぐに減衰するため、至垂は魔閃塊を使ってアサキを攻撃したのだ。
不意打ちの結果にほくそ笑む至垂、であったが、それはすぐ驚きそして苛立ちへと変わっていた。
そして、舌打ち。
アサキの身体は、そこにはなかったのである。
数歩の横で、まだぜいはあ息を切らせながらもなにごともなく立っていたのである。
まだ疲労困憊の最中であるというのに、またもや幻影魔法で至垂を騙したのだ。
しかも今度は冷静に至垂だけに幻影を見せた。
カズミたちからすると、至垂がいきなり自身の肉片をまるで関係ない方へと飛ばし始めたとしか映らなかっただろう。
それはある種、滑稽な姿であったが、
だけど、
例え滑稽であろうとも、
白い衣装の少女、ヴァイスの、内面に燃える怒りを消すには、なんの意味もないようであった。
「服従? 共闘? 無理ですね。どちらも」
ふんわり白装束の、ブロンド髪の少女は、小柄な身体で小さく二歩、三歩、アサキと至垂との間に割って入った。
いまの言葉は、アサキが生身で至垂と戦った、その思惑の背景についての気持ちであろう。
共闘は無理でもせめて無駄な戦いはしたくない、というアサキの。
「わたしにとって、世界にとって、アサキさんは必要な存在です。……至垂徳柳、あなたの数々の行いは、とても許せるものではない。アサキさんが優しすぎるのならば、ならば代わって、わたしが……」
ヴァイスの頭上に、浮かぶものがあった。
オレンジ色の、人の頭ほどの球体が二つ。
それ自体に意思があるかのように、くるんくるんと頭上を回っている。
「わたしが、どうした?」
蜘蛛の上の、魔道着の至垂はにやり笑みを浮かべながら左腕を持ち上げる。
開いた手のひら、指先を、すべてヴァイスへと向ける。
また、魔閃塊を放とうとしているのだろう。
今度は指をちぎって、弾丸として飛ばそうというのだろう。
「死ね!」
至垂の叫び声。
腕が切り落とされて、飛んでいた。
ヴァイスの?
違う。至垂の腕である。
至垂の左腕がちぎれ、頭上へ舞い上がり、回りながら地に落ちた。
「ぐ」
目を細めて、至垂は呻く。
顔を苦痛に歪ませる。
腕だけではなく、右の脇腹が消失していた。
内臓が見えておかしくないほどに、ごっそりとえぐられていた。
ヴァイスが、自らの頭上にあった光弾を飛ばしたのである。
魔閃塊が発射される、寸前に。
それが一瞬にして、左腕を切り飛ばしたのだ。
続けざまの二発目は胴体の中心を貫くはずであったのが、本能的になのかかわされて致命傷には至らなかったようである。
だけどこれで終わりではない。
またヴァイスの頭上に二つの球体が回り出した。
電光石火で怖ろしい切れ味を持った、オレンジ色の球体が。
「あなたは調子に乗りすぎました。……わたしは、容赦はしない」
そのヴァイスの、一見表情のないその目に、本気であること、そして実力がまるで違うこと、それらを認識したということであろうか、至垂は。ぴくり、頬が引きつったかに見えた瞬間、
「けえい!」
蜘蛛の両前足で地を蹴った。
激しく小石を飛ばし撒き散らしながら、既に身体はくるり反転、走り出していた。
切り落とされた自分の左腕を拾って。
疲労の蓄積も顧みず。
残る体力を、すべて走ることに回して。
地を蹴る、蹴る。
蹴って、すり鉢状の坂を駆け上がっていく。
「逃さない」
動きにくそうなふわふわの白衣装ながら、すうっと滑るように走り出すヴァイスであるが、
「いいよ追わなくて! ヴァイスちゃん!」
掛けられた声に、動きを止めた。
何故? という不満げな様子なども特に見せず、ヴァイスは逃げる至垂へとくるり背を向けた。
9
なりふり構わない必死さで、逃げようとしていた。
だというのに、彼女を救ってくれたアサキのその言動もそれはそれで自尊心を傷付けるようで、
「後悔するな!」
陳腐な捨て台詞を吐いていた。
すり鉢状の坂を六本の足で駆け上がりながら、至垂徳柳は、吐きつつすぐに前を向く。
前を向きつつ顔を上げる。
砂に足を滑らせつつも、懸命に傾斜を駆け上る。
「屈辱はここに置く。わたしは、あの地下で意思を見た。感じたのだ。触れたのだ。……ここで無駄に死ぬわけには、いかぬ」
走り続ける至垂の、口元には笑みが浮かんでいた。
「呼ばれたのだ。呼び掛けられたのだ。これは暗示。代われと。神の座につけと! 神。わたしが神。ここは、わたしの世界である!」
傾斜を駆け上り切り、勢い余って蜘蛛の巨体が大きく跳ねた。
ひゃはははは、と笑い叫ぶ至垂であったが、その動きが止まっていた。
その笑みが固まっていた。
そして、地に落ちた。
勢い余って僅か跳ね上がっただけなのに、巨体が故か地がどおんと噴き上がってぐらぐら揺れた。
つう、
地に落ちた至垂の、笑み固まった口の端から、血が垂れていた。
ぶっ
蜘蛛から生える魔道着の胸から、なにかが突き出していた。
ぶっ
ぶっ
青白く光り輝く、それは槍? 矢?
背から、胸へと。
至垂の表情が動き出す。
じわりと、笑みから驚きへと、ゆっくり変わっていく。
加え、苦悶、苦痛の色が、浮かんでいた。
ぐ、が、と呻き声を上げた瞬間、首が飛んでいた。
白銀の魔道着を着た胴体から、首が切り離されていた。
至垂の首は、空中に跳ね上がって、くるくる回りながら地に落ちて、転がった。
意思を失い、蜘蛛の巨体は地に崩れた。
10
坂を駆け上がり逃げていく至垂の背中を、複雑な思いの視線で追っていたアサキは、
「どうして……」
そうぼそり唇を動かすことしか出来なかった。
予想出来るはずもない突然の出来事に、表情を固まらせたまま。
傾斜の上に、四人の人影が見えた。
黒い衣服に身を包んだ四人。
それは、シュヴァルツたちであった。
シュヴァルツと、それを元に作られた汎用個体であるアインス、 ツヴァイ、 ドライ。
本来は、彼女たちに名前はない。
ヴァイス同様に、呼ぶに不便であるためカズミたちが勝手に名付けたものだ。
「生命を奪う必要は……なかったでしょう!」
アサキは激しい疲労の中なんとかすり鉢の坂を登りながら、シュヴァルツたちを睨んで糾弾の声を張り上げた。
「だが、生かす必要もなかったろう? そもそもこいつは、遊びの世界でのことといえ、お前の両親を殺した相手なのだぞ。ここでも、お前を殺そうとしていた者だぞ。理解、しているのか?」
反対に、シュヴァルツは冷静だ。
アサキをただ動揺させるだけでなく、否定、小馬鹿にするような言葉をやたらと混ぜ込んでくる。
「だからって、生命の奪い合いではなんにも解決しない」
「つまり、死んだ者たちへの思いがその程度だったということだ。仮想だからな」
声を出さず、笑った。
「違う!」
「どっちでもいいよ」
鼻で笑うシュヴァルツ。
「よくない! それと、取り消して。遊びの世界といったこと、取り消して!」
アサキたちが生きていた世界。
超次元量子コンピュータが作り出した、仮想世界だ。
そこは現実と同じであり、いまなおたくさんの人間が、生物が、生きている。
死に絶えたこの世界と違って、無数の、暖かさがある。
笑顔がある。
幸せがある。
自分は、そこで十四年を生きてきた。
楽しいことも、辛いことだって、経験した。
だからこそ、アサキは本気で頭にきていた。
それを遊びなどといわれて。
「だから、どうでもいいんだって。……だってお前は、ここでくたばる。消滅すんだからなあ!」
シュヴァルツが地を蹴った。
すり鉢状の地形を滑り降り、一瞬にして姿はアサキの眼前。
両手の間に生じた光の球体を、両手を突き出し解き放つ。先ほどヴァイスが至垂の腕を切り落とした、あの光弾と同じ性質のエネルギーであろうか。
いずれにせよ、アサキには通じなかったが。
眼前から放たれたエネルギーを瞬時に見切って、手の甲で難なく弾き飛ばしたのである。
でもそれは想定内か、シュヴァルツの顔色に一切変化はない。
さんと地を蹴り跳躍し、アサキの頭上から振り上げた踵を落とした。
と、ほとんど同時に地上からアインス、ツヴァイ、ドライの三人が、アサキへと猛然飛び込んでいた。
連係か、勝手な判断かは分からないが、とにかく彼女たちは、アサキへと四人同時の攻撃を見せたのである。
アサキは少しも慌てなかった。
膝を屈めて身を沈め、まずはシュヴァルツの蹴りをかわした。
膝を伸ばした勢いで、ドライへと肩で体当たり。ドライとツヴァイを鉢合わせさせると、その瞬間にドライの胸を蹴って、その勢いで、アインスの顔面へと跳び膝蹴りを叩き込んだのである。
変身しておらず生身というのに、アサキの凄まじい身体能力による離れ技であった。
着地したアサキは、回転しながら落ちてくる剣を掴み取りながら地を蹴った。シュヴァルツへと身を飛び込ませながら、剣を打ち下ろした。
ここまでアサキの神憑り的な早業であったが、シュヴァルツも慌てることなく冷静に剣で受け止めていた。
鍔迫り合いにはならなかった。黒い衣装の少女シュヴァルツが、さっと身を後ろに跳躍させたのである。距離を取りながら、手から作り出した二つの光球をアサキへと飛ばした。
アサキには通用しなかった。
一つは、剣で弾いた。
もう一つは、左手で掴み取り手のひらの中で握り消滅させた。
ほんの少し前まで、疲労にぜいはあ息を切らせていたというのに、アサキの圧倒的な強さであった。
「強いなあ」
シュヴァルツは笑う。
不敵に、ただしどこか機械的に。
その機械的な笑顔へとアサキは、剣を構え直して飛び込んでいた。
だが、剣は獲物を捉えるどころか、振り下ろされることすらなかった。シュヴァルツの身体が、ふっと溶けるように消えてしまったのである。
11
シュヴァルツが消えただけではない。アインス、ツヴァイ、ドライの三人の姿も、どこにもなかった。
残るは静寂であったが、その静寂はすぐ広島弁によって破られた。
「あいつらすぐ逃げ出しよったけえ。なにがしたかったんじゃろなあ」
「分かんねえよ」
カズミがいつもの乱暴口調でぼそり。ちょっと間を置いて、言葉を続ける。
「まあ、至垂をぶっ倒してくれたのは、ありがたいけどな。だいたい、アサキが甘すぎなんだよ。……ひょっとして同じキマイラとして、仲間意識でも持ってんじゃねえだろうな」
「犯した罪は許せないよ! どんなに憎んでも、憎み足りない! ……でも、だからこっちも生命を奪うというのは、違うでしょう? やっぱり、生きて償うべきだと。わたしは、そう思ったから」
尻すぼみ。最後はなんだか元気のない声になっていた。
申し訳ないような、悲しそうな、苦しそうな、なんとも複雑な表情になっていた。
と、突然、ぱんと音が響いた。
カズミが自分の頬を両手でひっぱたいたのである。
「ごめん」
手を下ろしながら、アサキへと小さく頭を下げた。
「あたし、酷いこといっちゃったね。キマイラが、とか。そんなの、関係ないのに。お前は単に、底抜けに優しいだけなんだって、分かっているのに。……ごめんなアサキ」
「え、あっ、謝らないでよう。わたしの方こそ、申し訳ないと思っている。確かに、考えが甘いと思うよ。それが、みんなを危険にさらすことだってあるのにね。だから本当は……」
「うああっ!」
治奈の叫び声が、アサキの言葉を吹き飛ばした。
「どうしたの? 治奈ちゃん」
治奈のびっくりしている顔を見たアサキは、視線の先へと自分も視線を向け、た瞬間に、自分もびっくりして目をまんまるに見開いていた。
至垂の姿が、見えないのである。
首を落とされて死んだはずの、至垂の身体がなくなっていたのである。
巨大な蜘蛛と合体した、あの大きな身体が。
そもそも、首を切られて死んだことが幻影だった?
アサキが何度も見せたような、魔法だった?。
いや、地に出来ている大小の陥没が、そうではないことを示していた。間違いなく、至垂の巨体はここに倒れていたことを示していた。
「な、なにが……どうなってんだ? って、お、おい!」
カズミの肩に、アサキが無言でぶつかってきたのである。
アサキの身体は、そのままもたれるようにカズミへと体重を預け、ずるり地に倒れていた。
「ど、どうしたんだよ! アサキ! おい、アサキ! アホ毛! おい!」
目を閉じたまま、赤毛の少女は眠り続けていた。
カズミのどんな呼び掛けにも応えることなく、眠り続けていた。
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