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冥王来訪

作者:雄渾
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第二部 1978年
ソ連の長い手
  恩師 その2

 
前書き
 ソ連軍・ロシア軍では規則で私的な鉄拳制裁やいじめは禁止になっています。
ですが今日も集団いじめやリンチ殺人、報復としての銃乱射事件、上官の殺害などは続いています。 

 
 東ドイツ・ベルリン東駅

 早朝のベルリン東駅は、駅舎の中から溢れるくらいのソ連軍兵士でごった返していた。
国鉄職員達は、乗り付けた貨車から降り、整然と居並ぶ赤軍兵をただ見守る。
状況を確認に駆け付けた民警の鉄道保安隊員達は、不逮捕特権を盾に追い返された。
 警察当局はすぐさま、在独ソ連軍将兵に対する捜査権を持つ特別機動隊に連絡を入れた。
(内務省麾下の人民警察機動隊。ソ連の内務省軍、中共の武装警察に相当)

 ほぼ同じころの共和国宮殿。
前日のハバロフスク襲撃の報を受け、臨時閣議を招集。
議論が白熱している会議室に、野戦服姿の伝令が息を切らして駆け込んで来る。
「ど、同志大臣、大変で御座います。赤軍兵が大挙してベルリン東駅に乗り付けました」
 伝令の言葉に国防大臣は驚愕の声を上げる。
「な、何!駐留ソ連軍の兵隊がベルリン東駅に……」
直立する伝令は、続ける。
「同志将軍、兵隊だけじゃありません。ゲルツィン大佐からの使いと名乗る男ですが……司令の首を持って現れました」

 困惑する会議室を余所に、シュトラハヴィッツ少将が口を開いた。
「ゲルツィンか……、カシュガル帰りの衛士で怖いもの知らずの男です」
少将の発言を受け、国防大臣が告げる。
「如何やら向こうは本気のようですね……」

上座に座る議長が、重い口を開いた。
「支度をしてくれ」
そう告げると男は立ち上がった。
「露助共には話し合いだけでは侮られる。力には力だ……」





 ソ連・ウラジオストック

 太平洋艦隊の母港であるウラジオストック。
この地は古くは蒙古や鮮卑系の渤海や金の一部で、外満洲(がいまんしゅう)と呼ばれる地域。
ロシア人到達以前より、同地は支那王朝の影響下にあり、明代は永明城、清代は海參崴と称した。
 17世紀末、毛皮交易と称して領土拡張の野心を抱くモスクワの意図を汲んだロシア人が侵入。
数度武力衝突があったが、康熙28年(1689年)、清朝によって国境が策定された。
世に知られているネルチンスク条約(尼布楚條約)である。
 しかしロシア側は、次第に国境を無視。清朝の領土を侵食。
太平天国の乱(1851年から1864年)で混乱する清国を、一方的に武力で威嚇。
咸豊(かんぽう)7年(1858年)と咸豊9年(1860年)には、帝政ロシアに有利な領土条約を一方的に結んだ。
これにより黒龍江左岸の外満洲はロシア領の沿海州になった。


 そのウラジオストック防衛のために金角湾を臨む丘の上に聳える要塞。
19世紀末に極東の不凍港として開発された際に設置。
要塞にはソ連時代に入ると赤色海軍・太平洋艦隊司令部が置かれる。
対日、対米の軍事戦略上、重要視された。

 要塞の中にある一室に、陸軍の将校が入っていく。
木綿綾織りのM69夏季野戦服に、熱帯用の編上短靴を履いた男が上座に声を掛ける。
深緑色の中尉の野戦階級章を付け、将校を示すサムブラウンベルトを締めている。
「どうしますか……駐留軍司令の粛清も彼の独断。
参謀本部の方針に不満で勝手に突っ走てるんですよ」
前日、(もたら)された戦術機による首都壊滅の報は、より緊張を高めた。
「己の力を東欧諸国に示して主導権を自分たちの物にしようと……」

 上座に腰かける男が口を開いた。
姿格好は、灰色の上着と太い赤色の側章が二本入った濃紺のズボン。
夏季将官勤務服を着て居り、大将の階級章を付けている。
 男は、ソ連赤軍参謀総長であった。
彼は、臨時の『前線視察』と言う事でウラジオストックに先立って入市していた。
結果的に、ゼオライマー襲撃から運良く難を逃れていたのだ。

「ゲルツィン大佐か……」
参謀総長は、不敵の笑みを湛えた。
「思い通りに動いてくれたってことさ」
若い中尉は、予想外の答えに絶句した。
「えっ……」
勢いよく参謀総長は立ち上がる。
「同志ロゴフスキー……、ゲルツィンみたいな軍人は、そういう行動しか取れない。
だからこそ、使い道がある」
立ち尽くすロゴフスキー中尉の顔を見つめる。
「シュトラハヴィッツがはたして、どういう対応を取るか……。
ゲルツィンは、絶好の捨て石になる」




 ベルリン市街に続く国道を全速力で走り抜ける黒塗りの大型セダン。
車種は最新型のチャイカ・M14型。ソ連国旗が掲げられ、外国間ナンバーを付けている。
ZiL『114』モデルが2台、先導するチャイカの後を続く。
 車中の高級将校は、背凭れに寄り掛かられながら、後部座席に座っていた。
目深に軍帽を被り、ソ連赤軍大佐の制服を着た男は車窓を眺めながら独り(ごち)った。
「あれから4年か……時は早いな」
 ゲルツィン大佐は、目を瞑ると在りし日の追憶に(ふけ)る。
優秀な学識と技量を持ち、ギリシア彫刻を思わせる容姿端麗な青年を振り返った。



 1974年夏。暑い日差しが照り注ぐクビンカ基地。
首都モスクワより24キロの場所にあるこの基地には航空基地の他に建設途中の博物館があった。
BETA戦争前に計画されたが情勢の悪化で中止。
急遽、その敷地は戦術機の臨時訓練場になった。

 深緑のM69野戦服姿の男が地面に倒れ込む東独軍兵士に声を掛ける。
「貴様等がモスクワまで来たのは観光(あそび)の為か?それとも援農(てつだい)の為か……」
鼻血を流しながら、仰向けに倒れるレインドロップ迷彩服姿の青年士官。
教官役の軍曹は軍靴を響かせながら、彼の脇まで近寄った。
「い、いえ同志軍曹。自分は……」
「聞こえんな……」

 軍曹は青年将校の事を軍靴で蹴りつけようとした瞬間、誰かに肩を掴まれる。
「離せ」
彼を掴んだのは、ユルゲンだった。
「同志軍曹。同志ヘンぺルの事は許してやってください。彼の失態は俺が取りましょう」

 ユルゲンは、赤軍兵の過剰なまでの鉄拳制裁に見かねて止めに入った。
予てよりソ連軍の新兵虐め(ジェドフシーナ。Дедовщина)は知っていたし、赤軍内部での法の埒外での私的制裁は今に始まった事ではない。
 一発殴って、罵倒する位なら東独軍でも仏軍外人部隊でも良くある話だ。
だが、既に倒れて抵抗の意思のない人間を足蹴にしようとしたことに耐えかねたのだった。

 ブリヤート人軍曹の周囲を、ドイツ留学生組がぐるりと囲む。
何時もの『4人組』の他に、ユルゲンたちと一緒に留学した陸軍航空隊の青年将校の姿もあった。
「な、舐めるんじゃねえぞ!東欧のガキどもが」
男はユルゲンの手を振りほどくと、右手で腰に差したNR-40と呼ばれる短剣の柄を掴む。
鯉口を切ると、白刃をチラつかせながら東独からの留学生を恫喝(どうかつ)した。

 ユルゲンは、腰のベルトから素早く短剣を抜き出す。
右手にはソ連製の6kh3銃剣を模倣した、黒い柄の東独軍銃剣が握りしめられていた。
「どうか、刀をお納めください。出来ぬというのであらば、差し違える覚悟です」
彼は、ブリヤート人軍曹が同輩に兇刃(きょうじん)を振るおうとしたので已む無く抜き合わせた。

 遠くで事態の推移を見ていたゲルツィンは、拳銃嚢に右手を伸ばす。
マカロフ拳銃を取り出し、弾倉を即座に装填すると空中に向かって威嚇射撃をした。
数発の弾が発射され、雷鳴の様な音が演習場に響き渡る。
「静かにしろ」

 立ち尽くすドイツ留学生たちを無視して、赤軍の教官の方に向かう。
その場にへたり込み、短剣を地面に落としたブリヤート人軍曹の目の前にまで来る。
拳銃を、男の面前に突きつけると指示を出した。
「お前らは舐められて当然だ。ろくに指導も出来ぬのだからな」
開いた左手で左肩を叩き、こう言い放った。
「ま、精々今のうちに頭を冷やしておくんだな」

 ゲルツィンは、拳銃を仕舞って振り返る。
立ち去ろうとしていたドイツ留学生組の中から、ユルゲンの事を呼び止めた。 
「同志ベルンハルト、二人だけで話がしたい」
赤く日焼けしているも青白く美しい肌。サファイヤを思わせる瞳でじっと彼の事を睨んでいた。


 演習場の端に移動したゲルツィンは、目の前の好男子に問うた。
「先程の言葉……、留学生部隊長としての言かね」
そう言ってユルゲンは両手を差し出した。
「落とし前を付けましょう」
重営倉に放り込まれる覚悟であることを、ゲルツィンに示したのだ。

 男は、手を差し出して来るユルゲンの事を笑い飛ばした。
「ほう、頭でっかちな男と思っていたが中々情熱的なんだな」
そう告げると、立ち尽くすユルゲンに背を向ける。
「今の事は見なかったことにしてやる。
同志ベルンハルト、代わりに腕立て伏せ100回とグランド3周を命ずる」
そう吐き捨てると、演習場へ(きびす)を返した。
 
 その言葉を聞いたユルゲンは、姿勢を正して、敬礼した。
「了解しました。同志教官」

 『どこに居るのだよ。ベルンハルト候補生よ……』
あの輝かしいばかりの笑顔を浮かべる男が、酷く懐かしく感じられた。


「同志大佐、ハバロフスクは何と言ってたのですか」
その一言で、再び現実に意識を戻した彼は軍帽の鍔を押し上げる。
「どうもこうもあるか。通信途絶状態なのだよ」
象牙製のシガレットホルダーを取り出すと、両切りタバコを差し込む。
米国製のオイルライターが鈍い音を響かせ、蓋が開く。
ジッポライターで火を点ると、紫煙を燻らせた。

「東欧に舐められ、日本野郎(ヤポーシカ)にまで好き勝手を許した。此の儘じゃ赤い星も地に落ちる」
(赤い星はソ連赤軍のエンブレムで、赤軍の事を指し示す)
「如何に立派な船でも船頭が愚かならば嵐に遭わずとも沈むのは避けられまい」

ゲルツィンは紫煙を燻らせながら、一人沈みゆく祖国・ソビエトを想う。
再び背凭れに寄り掛かると、瞼を閉じた。 
 

 
後書き
前回、今回の話で、新たに出てくる原作人物の説明です。
(役職等は外伝『隻影のベルンハルト』準拠になります)
初見の方もいるので説明いたします。

 エフゲニー・ゲルツィン(ソ連軍の戦術機教官。カシュガル帰りのエース)
 カシミール・ヘンぺル(ソ連留学組の一人。陸軍航空隊出身)

 ブドミール・ロゴフスキーは、TEが初出です。
ですが、2001年に中佐である事を勘案し、1978年当時20代後半から30代前半と考えて登場させました。

ご意見・ご感想お待ちしております。 
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